二
斥候の騎馬は、関の手前五十歩ほどの地点で減速した。馬の胸当ては汗で濡れ、端布が風になびいている。騎者は革の挂甲を着け、背には小型の靫を背負っていた。矢数は少なく見える。長距離の疾走に適した装備だ。
「多治見の斥候、山部大楯にございます!」
声は上擦っていた。
「通せ。」竹良は木戸の開門を命じた。
檜材を組んだ観音開きの扉が、滑車の音を立てて開かれる。木戸の構造は単純だが実用的だった。上部の滑車によって重量が分散され、一人でも開閉が可能な設計になっている。開いた状態で固定するための鉄の留め金も備えられていた。
大楯は馬から下りると、革の鉢巻から汗を拭った。
「大海人皇子、夜半に吉師を発ちました。家臣団を引き連れ、東山道を東進しております。」
竹良は眉を寄せた。意外に早い行動開始だった。
「人数は?」
「騎馬武者およそ二百。歩兵は四百から五百。正確な数は把握できませんでした。」
「武器、装備は?」
「騎馬隊は挂甲、歩兵の多くは短甲。武器は弓が主体のようです。投槍も確認できました。」
竹良は頷いた。大海人皇子の部隊は機動力を重視しているようだ。重装備を避け、速度を優先している。これは予想外だった。近江朝廷は、大海人皇子が東国で大軍を動員してから西進してくると読んでいた。
「馬子田。」
「はい。」
「兵を第二配置につけよ。三段構えの布陣じゃ。」
「承知いたしました。」
不破関の防衛計画は、三つの陣形を想定して練られていた。第一陣は通常警備の配置。第二陣は、木柵に重点的に兵力を配置し、弓による射撃戦に備える態勢。そして第三陣は、関前での野戦を想定した横隊の布陣だ。
「大楯。」
「はい。」
「馬を替えて、すぐに近江への使者として出立せよ。」
「御意。」
交代用の馬は、関の裏手に設けられた厩で常時三頭が待機していた。粟田の牧から送られてきた上質の軍馬である。厩には一週間分の飼料が備蓄され、給水用の井戸も完備されていた。
兵士たちは素早く持ち場に移動し始めた。木柵の上には、三歩間隔で弓兵が配置される。彼らの使う弓は、長さ七尺五寸の堅物。百歩の距離なら、短甲でも貫通する威力を持っている。
「着永き戦いになるやもしれん。」竹良は独り言のように呟いた。「兵糧の確認を。」
「はい。」馬子田は小走りに倉庫へと向かった。
倉庫は関の中でも最も頑丈な造りの建物だった。二重の板壁で雨風を防ぎ、床下には備長炭を敷いて湿気対策を施してある。ここに、三百人の兵士が一月を過ごせる量の兵糧が保管されていた。