一ノ谷、熊谷次郎の分水嶺 ~六甲の山々は見ていた~
「……あ゛ぁ゛ーッ!」
陣幕の中から、男の絶叫が聞こえた。
それを聞いた3人の鎧武者が、顔を見合わせる。
「殿、如何しましょう……?」
若武者が、最年長と思しき武者に話しかける。
「……参ろう。行くぞ」
「「はっ!!」」
周りに敵がいないのを確かめてから、彼らは刀を構え、サッと中に入った。
陣中はもぬけの殻……ではなかった。青い衣に身を包んだ男が、1人だけうずくまっていた。
よほど尊い身分の人らしい。平家の公達だろうか? あんなに色鮮やかな布は、3人の記憶にない。少なくとも、坂東には存在しないのだろう。
「……だあっ……はあっ、うぐぅっ……」
顔を上げた男を見て、武者たちは息を飲む。若い、十代後半か。
そして美しい。色白で端正な顔立ちは、仏の化身かと思わせるほどだ。
だが、今そこは問題ではない。その顔は苦痛に歪み、両の眼は潤んでいる。
彼の腹に刺さった短刀と、そこから広がる赤黒い染み、これが問題だ。
金気に混じって、腐った卵のような、嫌な匂いがする。傷が深く、腸にまで届いているらしい。
要は、手遅れだ。
先ほど“殿”と呼ばれた男が、口を開く。
「武蔵国の、熊谷次郎直実です。助太刀いたします」
「……ッ、こぁ、かたじけない……」
若者はかなり苦しそうだ。だが、彼にはもう1つ、訊きたいことがある。
「何か、言い遺したいことは……?」
「……うぅ……ぶ、武士として……ぐっ……立派な……あぁっ……最期……だったと……」
「……わかりました。必ずや……!」
そうは言ったものの、“首を落とす”というのは難しい。刀を振ること三度、彼はやっと事を為した。
若者は“武士の作法”を教わらぬまま、ここに置いていかれたようだ。そして、知らないなりに、潔く散ろうとしたらしい。
本人は武士のつもりであった。が、周りの目は違った。むしろ“公達”だと思われていたのだろう。
その結果がこれだ。惨い話である。
***
数刻ののち、次郎たちは開けた所に集められていた。“首実検”、敵の身元確認のためだ。
次郎の抱える桶には、先ほどの若者の頭部が入っている。
北に聳える「六甲の山」が、やたらよく見えている。冬場の、殺風景な山々が。
「――次。前へ」
次郎たちの番だ。
案内人について、軍を率いる蒲殿、九郎殿の前に出る。彼らの脇には、お目付け役の梶原平三、土肥次郎と、官女風の見知らぬ女が1人。
案内人が首桶を所定の場所へ運び、開封する。途端に、女が崩れ落ちた。
「あぁっ……無官大夫さま……」
彼の名は、平敦盛。今は亡き平清盛の甥っ子である。
無官だが、前職はある。数年前は若狭守だったとか。
「この御方の首は、どこで?」
梶原が問う。次郎は連れの若武者に目配せした。
「こちらの御方は、馬で1人、海へ向かうところを……」
「嘘を……嘘を申すなぁー!! この鬼!! 悪魔ッ!!!」
若武者が話し始めたところで、女が絶叫する。手首と腰の縄をほどこうとしたところを、案内人に取り押さえられた。
「連れていけ。 ……構わん、続けよ」
蒲殿に目配せされて、梶原が指示を出す。
若武者は続きを話し始めた。
六甲颪が、強く吹いている……
お読みいただき、ありがとうございます。
このお話はフィクションです。間に受けないでくださいね…。
「分水嶺」というお題なので、六甲山を絡めて書こうとしたら、こうなりました。
裏テーマは“『平家物語』の作り方”ですかね……?
【追記】公式企画の〆切にギリギリ間に合った!と思いきや、ダメでした。
余裕って大事ですね、気をつけます……
(2024/11/08)