表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
待ち人  作者: ANZIN
2/4

②未来 その1

「おおーっ、久しぶりだなあ。こんなところで会うなんて」


 様々な彩りで交錯する出入り口から見つけだした声の主は、頭頂部の薄い老人。


(あの人は、誰だ……?)


 直哉は反射的に上げた手をゆっくり戻す。恥ずかしさを悟られないよう何げなく辺りを見回すも、相手の視線の先はまさに直哉自身。

 見ず知らずの者からさも親しげに声をかけられていることに激しく動揺。

 親くらい歳が離れた者と気軽に会話できる愛想は持ちあわせていない。親戚でわずかにいるとしても、全員が県外でのんびり暮らしている。

 必死に思いを巡らすも、会釈ですむ近所の人以上の親密さを匂わせる表情。


(完全に人違い……)


 いや、こちらが一方的に忘れ去っているのか。ひょっとして学生時代の恩師……そうだとしたら、相手にもある程度の不確かさがあっていい。

 考え続けてゆくうち、思い当たることを見つけ出す。

 30歳で突然のリストラ。

 不況の世の中を反映したまったく畑違いの眼鏡販売業に再就職。中学生から常用しているというだけで決め、採用された。

 もちろん簡単な仕事ではないとすぐに理解。

 陳列された中から気に入ったフレームを選んでもらって終わりではなく、まずは時間をかけてしっかりと視力検査。テストレンズを使って目的にあわせた眼鏡になるようコンサルティング。それまでの営業的スタンスだけでなく、抱えている不満や悩みを解消してあげなければならない。

 “半医半商”と呼ばれる特異な業種。

 ゆえにすっかり友達ほどに打ち解けてしまう常連客もできる。

 頭の中の深い記憶を探り続けるうち、思いがけず言葉が出ていた。


羽鳥(はとり)さん……」

「久しぶり、澤井さん」


 相手は再び目があうや、さらに顔をほころばせて近づいてくる。

 歳は70を軽く過ぎている。年季の入ったウインドブレーカーにグレーのスラックス。若者向けの大きなサイズのスニーカー。肩幅が広く背筋もしっかりしているのは柔道をやっていたからだと聞いたことがある。

 醸し出す温厚な人柄とは不釣り合いな花柄のエコバッグを下げ、左右に揺れる独特の歩調を終えて立ち止まる。

 直哉の前でさらに表情を崩してからツーブリッジの金縁眼鏡に手を添え、


「いやー、澤井さんに作ってもらったこのメガネ、本当に調子がいいよ」

「そういってもらえると、うれしいかぎりです」


 笑顔で応えつつ、直哉は探り当てた記憶の奥深さに驚く。

 けれど混乱は続くことはなく、むしろ落ち着きを取り戻しはじめる中、ようやく気がついた。


(てっきり30代とばかり思っていたけど……先月で66歳になったんじゃないか)


 昨年定年を迎え、夫婦で泊まりがけの旅行をしたので覚えている。今年もどこかに行こうと妻が話すのを息子が聞きつけ、何やら画策しているようだ。

 パート従業員となっても、直哉を指名して訪れる数少ない上得意客のひとりが羽鳥。

 思いがけない再会に頬が緩む。ただし日ごろの接客以外ではまず使わなくなった筋肉のせいか、やけに強張る。

 思いがけず開いた心の中の引き出しが契機となり、忘れ去っていた記憶がポツポツと、際限なく蘇ってきた。

 バラバラのパズルが組みあわさると、相手のパーソナルな情報まで自然と完成。

 一瞥で怪しんだ態度を詫びるように、直哉から口を開く。


「しばらくご無沙汰だったので、心配してましたよ」

「いや、実は春から夏にかけてずっと入院してたんだ」

「ええっ、大丈夫なんですか?」


 羽鳥はニッコリしながら「ああ、何とかね」と、右手で持っていたエコバッグをゆっくり足元に下ろす。そして樽のような腹をぎこちなく左手で叩く。


「4月にね、突然だったんだ。いつもどおり働いてたときに……」


 頭を指でコツコツ押すと、日ごろから悩まされていた高血圧による脳梗塞の話をつらつらと語りはじめる。

 うなずいて相槌をする中、直哉は勤めてまだ数年としか感じていなかった今の仕事をかれこれ30年以上続けていることをしみじみ思い返していた。羽鳥とはかなり長いつきあいであり、さらに羽鳥の妻は直哉と幼なじみだと思い出す。

 いわば深刻に受け取られかねない病状を饒舌に話し続ける間、直哉の頭ではつい昨日のできごとのように過去の思い出が溢れ返った。


 羽鳥との一番新しい記憶は今年初め。

 もう両手の指ではすまない眼鏡の新調をするために来店。新年の挨拶以上の大きな喜びを顔一面に滲ませていた。

 数年前から顕著になっていた低視力が年末の白内障手術で改善。術後まもないにもかかわらず、まだ仕事ができる望みが出てきたからと、一刻も早く眼鏡を作ってほしいとのこと。

 ただし現状の視力は不安定であり、かといって無下に断るわけにもいかず、隣接の眼科医を交えて説得。以後2週間に1回ペース、月をまたいで検眼した末にようやくできた遠近両用眼鏡だった。


 直哉は当時の思いを十分噛みしめてから、


「そういえば、運転は……?」

「うん。左手は一応動くことは動くけど、あんまり力が入れられなくてね」


 羽鳥は再びお腹を左手でポンと叩くと、


「まあ、オートマだし問題はないんだけど……夜はたまに見づらいかな。正直ヒヤッとするんだ」

「それは危ないですね。あまり無理しないほうが……」

「でも足がないと、ここまで出てくるのが億劫になっちゃうからね。あっ、そういえば」


 羽鳥はしばらくできずにいたゴルフ練習を先週再開したと、スイングをしながら話しはじめる。直哉は運転もゴルフもしなかったけれど、羽鳥の楽しそうな口調がまるで自分のことのように思えてうれしくなった。

 すると近くからいきなり声がかかる。


「どこに行っちゃったのかと思ったら……」


 片手に色違いの柄のエコバッグを提げた羽鳥の妻、実梨(みのり)がひょっこり顔を覗かせた。

 とたんに「何だあ、どこで油売ってたんだ」と、会話を遮られた不満を表したかと思うと直哉に向き直り、


「だから今度、また見立ててもらおうかな。もうちょっと遠くが見えるメガネ。で、ウチのにもそろそろ老眼鏡を、な?」


 すると、足元に視線を向けていた実梨がすぐに顔を上げ、


「わたし、あなたよりはだいぶ見えてますから」

「何だよ、昨日縫いものやってたとき、糸が見えない見えないブツブツいってたじゃないかよ……ったくもう」


 直哉の目の前で2人はかなり声高にいいあう。

 そんな中、羽鳥はかがみ込んでさっと左手を差し伸べ、実梨が持っていた袋を奪う。すかさず小声で「大丈夫? 重いよ」というと、羽鳥は無言で右手を添えて持ち上げる。


「うへぇっ、重いなぁ……こんなに買ったら半年は買わなくていいだろ」

「あのね、あなたのお腹にはわたしの倍以上、1週間もしないうちに消えちゃうの」

「そ、そうなのか……それならまあ、しょうがないなあ」


 まるでかけあい漫才のような止めどない会話に、直哉はただ笑うしかなかった。

 そしてふと自身を思った。


(里香とこんなにも笑いあうことなんて、最近あったかな……)


 羽鳥は、周りを見ずして自身の立ち位置が通行の邪魔をしていると察したようで、


「澤井さん、よかったら一緒に乗ってくか?」


 実梨との会話開けで、眉間には深々と皺が寄ったまま。けれどそれが心からの怒りではないとすぐにわかった。


「ええ、それじゃあ……」


 お言葉に甘えてといおうとして、手にしていた感覚がまるで違っていたことにハッとする。

 傍らには柴犬が鎮座。ベビーカーの持ち手部分は犬をつなぐリードと変わり、しっかりと巻かれていた。

 直哉はあらためて自身の思い違いを反省。


(そうだった……息子はもうとっくに30を過ぎているじゃないか)


 息子が誕生して3年後。駅からは倍以上の距離になったものの、35年ローンで中古一戸建てを購入。完済まであと少し。

 長らく同居していた息子は2年ほど前、あっさりひとり暮らしを開始。半月前、久しぶりに連絡してきたかと思えばそっけなく「会ってほしい人がいる」と伝えてきた。

 妻から聞いたところでは交際してだいぶ経つ彼女がいるとのこと。


「ゆくゆくは……結婚を考えてってことなんじゃない?」


 珍しく弾む心をそのまま言葉に乗せ、里香は答えた。

 直哉も薄々勘づいてはいたけれど、あえて聞かなかった。いずれは長いつきあいになるだろうとはいえ確定したわけではない。何しろ初対面の人にどう言葉をかけてあげるのが、親として望ましいのかなどと深く考えているうち当日を迎えていた。


 休日により午前中を惰眠。

 ほんの1ヵ月前まで夏がけだったのが、いつのまにか厚い毛布へ変化。階下のリビングでは掃除機の音。

 やがてインターホンが鳴り、昨夜妻が寿司の出前の話をしていたことでピンときて飛び起きる。台所で慌ただしく動く妻を横目に身支度を整えていると、息子からまもなく家に着くと連絡が入る。

 予定時間より少し前、息子はひとりの女性を連れて家を訪れた。

 紹介されたフルネームを復唱する直哉に対して軽くおじぎする女性は、正直息子に不釣りあいないほど清楚で美しかった。わけもなく妻と初めて会ったときを思い出す。

 案の定ともいうべき、着席してもどことなくフワフワした気持ちで視線が定まらない。

 昔、実家へ里香を連れて行ったことを思い起こす。30代だと思っていたこともあり、つい昨日のことのように記憶が蘇る。確かに両親は明らかにいつもと様子が違っていた。

 当時の親の気持ちを慮っては自分がまさに今体験していることに、何ともいえない気持ちが胸に迫った。よそよそしくするのは悪い、かといっていきなり親しげな口調もどうなのか。

 変に頭が空回りし続け、出されたビールをグイグイ飲み干し、ひとりでいい気分になってしまった。そういえば父も早くから赤ら顔だった。

 何かと間が持たず、眠ってしまうわけにもいかず、手持ち無沙汰の末に犬を散歩させてくるといって家を飛び出した。

 体面を保たせようと妻から買いものをいいつけられたもののスーパーの前まで来て忘れてしまい、しばらく佇んでいたわけだ。

 直哉は生来の調子のよさにつくづく呆れながら、軽やかにリードを持ち上げ、


「いや、家までちゃんと散歩させないと……」

「そうか……じゃあ、また今度。実梨、車回してくるからちょっと待ってろ」


 羽鳥は両手に袋を下げ、そそくさと後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ