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笹沼の秘密

 自宅のベッドの上で、音無はスマホを無言で睨みつけていた。

 比角との共演以降、どうにも調子が出ない。

 最低限のクオリティは出せている、NG連発なんてみっともないことはしないが、どうにももやもやする。


 ――笹沼さんと、話したい。


 あの穏やかな声で、大丈夫だと言ってほしい。

 いや、そんな甘えたことは言っていられないが。音無は俺様キャラで売っていることもあり、あまり先輩から可愛がられるタイプではないのだ。だから笹沼が親身になってくれたことは、笹沼が思う以上に、音無にとっては嬉しいことだった。

 現場が一緒になれば話すこともできるが、ここ最近は会うことがなかった。同じ番組のレギュラーもあるが、出番が重ならない。少しだけ会えても、すれ違うくらいの僅かな時間しかなかった。


 ――用もないのに、先輩を誘っていいもんかな。


 用がない、というのも変な話だが。深刻な相談というほどでもないし、少しばかり弱音を聞いてほしいだけだ。その程度で、忙しい先輩の時間を奪っていいものか。先輩に呼び出されたら後輩は二つ返事でどこにでも行くものだが、逆はやはり勇気がいる。

 メッセージアプリに誘いの文句を打ち込んだまま、送信ボタンを押せずに、既に三十分以上経過していた。こんな無駄な時間を過ごしている場合ではないのに。


「……やっぱやめとくか」


 他所(よそ)の事務所の後輩に、変に懐かれても迷惑だろう。面倒見のいい人だ。笹沼を頼りたい後輩は、きっとたくさんいる。自分はその内の一人でしかない。

 メッセージを削除しようとボタンに手を添えたところで、スマホが震えた。


「えっ? わっ!」


 思わずどきりとしたが、事務所からの連絡メールだった。

 すぐに開いて、中身を確認する。

 その途中で、再度スマホが震えた。


「んん?」


 メッセージアプリからの通知だった。

 そしてその相手は、笹沼。


「……んん!?」


 慌てて確認すると、消そうと思っていたメッセージが送信されていた。

 事務所からの連絡があった時に、手が滑って送信ボタンを押してしまっていたようだ。

 そして事務所のメールを確認している最中に笹沼がそれを既読にして、返信してきた。

 もう取り消すことはできない。

 怖々内容を確認すると、笹沼の都合の良い日程が書かれていた。会ってくれるということだ。

 ぱっと表情を明るくして、音無は返信を打った。



 ♪♪♪



「笹沼さん!」


 音無が待ち合わせ場所につくと、既に笹沼が待っていた。

 ぶんぶんと手を振りながら駆け寄れば、何故か笹沼が吹き出した。


「笹沼さん?」

「ご、ごめ、なんか、大型犬が寄ってきたなぁと思って」

「大型犬!?」


 ガン、とショックを受けた風の音無に、笹沼は更にツボに入ったようで、笑い続けていた。

 音無の方は、格好が犬っぽいのか、仕草が犬っぽかったのか、と暫く困惑していた。


 笹沼の笑いが落ち着いたところで場所を移動して、二人は個室居酒屋へ入った。

 最初の一杯とお通しがすぐに運ばれてきて、まずは乾杯する。


「お疲れさま」

「お疲れさまっす!」


 冷えたビールを一気に流しこんで、音無は息を吐く。仕事終わりの一杯目は格別だ。特に、気の許せる人と飲む酒は。


「笹沼さん腹減ってます? がっつりいきます?」

「揚げ物はそろそろしんどいんだよなぁ。刺身頼んでいい?」

「まだそんな歳じゃないでしょ。じゃ刺身盛りと、串焼きも頼みますか。食べない分は全部俺食うんで」

「あと卵焼き」

「笹沼さん卵焼き好きですよね」

「定番じゃない?」


 ――あぁ、ほっとする。

 

 まるで数年来の友人であるかのような安心感がある。この温かな空気の中にいたくて、暫くは他愛のない会話を交わしながら食事と酒を楽しんだ。

 酔いがいくらか回ってきたところで、音無は本題を切り出した。


「笹沼さん、比角龍介さんと親しいですか?」

 

 その名前に、笹沼の体が僅かに強張った。


「……どうして?」

「前に、俺受け役の相談したじゃないですか。あれの相手役、比角さんだったんですよ」

「そうなんだ。嫌味でも言われた?」

「そう言うってことは、笹沼さんから見てもあんま印象良くないんですね」

「うーん。仕事はすごくできる人だけど、ちょっと性格に難があるからね。基本新人嫌いなんだよ」

「おお……なら俺が特別嫌われてるわけじゃないのか……」


 安心して息を吐く音無を、笹沼はじっと見ていた。


「……何か、されなかった?」

「へ? いや、別に。イケボだなって嫌味言われたくらいです」

「はは、それは災難だったね」


 口ではそう言いながら、どこかほっとした様子の笹沼に、音無は首を傾げた。


「笹沼さん、何かされたんですか?」

「ん……まぁ、昔ちょっと」

「うわ、笹沼さんに手を出すとか……ああ、でも新人の頃の話ですよね」

「そうだね。新人にちょっかいかけたがる先輩っているから。迂闊についてっちゃ駄目だよ」

「いやぁ、でも先輩に誘われたら、俺みたいな新人、断れないですよ」

「駄目だよ」


 笹沼にしては珍しく強い口調に、音無は目を丸くした。


「前にも言ったでしょ? 二人きりだと危ないこともあるって」

「いや……そりゃ、やばそうな人は避けますけど」

「見た目じゃわからないもんだよ。打ち上げとか、人がたくさんいる時だけにしなね」

「笹沼さん……それブーメランですよ」


 首を傾げた笹沼に、音無は軽く笑った。


「だって、今俺と二人きりじゃないですか」


 音無は冗談のつもりだったが、笹沼は目を瞠ると、急に頭を抱えた。


「さ、笹沼さん?」

「まいったな……僕、比角さんと同じことしてるのか……」


 落ち込んだ様子の笹沼に、音無はうろたえた。

 何がそれほど笹沼にダメージを与えてしまったのだろうか。


「あの、すんません。俺、笹沼さんと二人で会えるの、すげー嬉しいですよ。今日だって、誘っていいのかめちゃくちゃ悩んだんですけど、忙しいのに会ってくれて。他の人いると俺、キャラたもつのに気をつかうし。だから、笹沼さんさえ良かったら、今後も二人で会ってほしいです」


 せっかく親しくなれたのに、これで距離を置かれてしまったら堪らない。

 そう思った音無は、必死でフォローした。少なくとも本人はそのつもりだった。

 音無の言葉を聞いた笹沼は、僅かに目元を朱に染めていた。


「……音無くん、あのね。これで黙ってるのはフェアじゃないと思うから、言うんだけど」

「……? はい」

「僕はね、ゲイなんだ」


 ゲイ。ゲイ?

 単語を呑み込むのに少々時間を要し、理解したもののなんと返せばいいのか悩み、結果口から出てきたのは仕事に関する言葉だった。


「だから受け役上手いんですね」


 納得したような音無に、笹沼は苦笑した。


「それはどうかなぁ」

「あっすみません、受けとは限らないですよね。まさかの攻め……いやごめんなさい、これセクハラですかね。ちょっとテンパって」

 

 多様性の時代だ。普通に受け流した方がいいと頭ではわかっているものの、普通とはなんだったか。

 ノリで対処しようとして失敗した、と音無は動揺していた。彼の短い人生において、性的指向のカミングアウトを受けたのは初めてだったのだ。


「無理しなくていいよ。驚くのが普通だよ。それでね、更に驚かせて悪いんだけど。比角さんとはね、昔付き合ってたことがあるんだ」

「えっ!? てことは、比角さんもゲイなんですか!?」

「いや、あの人はバイ。老若男女なんでもイケる人なんだよね」


 それっぽい、と音無は内心で思った。

 僅かな言葉しか交わしていないが、納得できる空気がある。


「僕がまだ新人の頃にさ。あの人と共演して、実力差に打ちのめされて。悔しがる僕に、比角さんがちょっかいかけてきたんだよね。一回り以上(うえ)の先輩だったし、この人の話を聞けば、得られるものも多いと思って。一緒に飲みに行ったり、家まで行く仲になったんだよ。その時の僕はまだ、比角さんのことを純粋に業界の先輩として慕ってた」


 思い出すように遠い目をした笹沼の話を、音無は黙って聞いていた。

 笹沼の感情を推し量ることは、今の音無にはできなかった。


「ある日、比角さんの家でさ。言われたんだよね、ゲイなんじゃないかって。僕はその頃既に受け役が多かったんだけど、芝居を聞いたらわかるって。それで、比角さんが自分も男が恋愛対象だって教えてくれて。僕はゲイの知り合いがあまりいなかったから、嬉しかったんだ。まぁ、実際はゲイじゃなくてバイだったんだけど。男()恋愛対象なんだから、嘘ではないよね」


 言葉のマジックというやつだ。そういう屁理屈を平気で言いそうだ、と音無は顔をしかめた。


「それから比角さんにキスされて……付き合わないか、って。若かったし、僕はちょっと舞い上がってたのもあって、そのまま了承した。でも、比角さんの求める役割に、僕は応えられなかった」

「役割……」

「受け役が多かったって、言ったでしょ? 比角さんもね、僕のことはリアルでも受けだと思ってたんだよ。けど僕には、性的な欲求がないんだ」


 音無は固まった。なんならゲイだと言われた時よりも衝撃だったかもしれない。

 性欲がない。それはつまり不能ということだろうか、と頭を過ぎったが、さすがに口には出せなかった。


「触れ合いはむしろ好きだよ。友愛と恋愛の区別もちゃんとある。でも、体の関係を持ちたいとは思わないんだ。僕を暴かれたくはないし、相手に押し入りたいとも思わない。でもそれが、なかなか伝わらない。音無くんも、最初言ってたでしょ? なんでBL作品には濡れ場が必須なのかって。コンテンツとして求められてるのもあるんだろうけど、やっぱり男の方が、性欲はあって当然と思われてるのかもしれないね。ゲイ同士ってネットとか、コミュニティとかで知り合うんだけど。恋人関係を視野に入れると、タチかネコかって気にするんだよね。予めそういうことはしないって伝えておいても、いざ付き合うと経験がないから怖がっているだけだ、とか、一度気持ち良さを覚えればわかる、とかさ。そういうのに疲れちゃって、出会いを求めることはしなくなった。比角さんも……最初は、体の関係はなくていいって、言ってくれたんだけど。段々僕を慣らそうとしてるのがわかって。だから別れたんだ」


 情報量が多すぎて、音無の頭はパンクしそうだった。

 笹沼が話してくれたことは、彼にとって非常に重要で、デリケートなことだと言えよう。それを自分に打ち明けてくれたことは、信頼の証のようで嬉しかった。

 笹沼の性的指向を知っても、音無の笹沼に対する感情は変わらない。それよりも、今の話で気になるところがあるとすれば。

 

「あの……比角さんに、無理やり襲われたりは」

「いやいや、それはないよ!」

「本当ですか? なんかやけに警戒してる風だったから」

「それは……まぁ、つまり、さ。先輩の立場から、一回りも下の新人に、手を出しちゃうような奴がね、いるって事例で。それで、今の僕もさ。(はた)から見ると、一回り下の新人くんを、個室に連れ込んでる状態なんだよね。だから我ながらやばいなーって」

「笹沼さんは全然違うじゃないですか! そもそも誘ったの俺ですし!」

「はは、信頼してくれるのは嬉しいけどね」


 そう言った笹沼は、どこか寂しそうに笑った。


「あ、ていうか、笹沼さん性欲ないなら俺何される心配もないじゃないですか」

「うーん……それは……そうなんだけど」


 目を伏せた笹沼の睫毛が、微かに震えた。

 視線を上げた笹沼は、諦めたような顔で苦笑した。


「僕に好かれちゃったら、音無くん困るでしょ」


 その表情に、音無は胸の奥が痛んだ。

 この人は、自分と同じ気持ちが返ってくることは、決してないと思っているのだ。

 それどころか、自分の気持ちが、他者の迷惑になると思っているのだ。

 それはそういう経験を積んできた、ということでもあるのだろう。

 ありのままの自分を受け入れてくれたと思った年上の男は、容易く笹沼を裏切った。

 それを思うと、胸が焼けつくようだった。

 どうして誰も彼も、この優しい人を傷つけるのか。

 自分だったら。

 

「困んないですよ! だって俺、笹沼さん好きですもん!」


 笹沼の目が、大きく見開かれた。


「……あっ! いや、すんません、俺、そういう意味じゃなくて。いやそういう意味なのかな……よくわかんないです、今まで女としか付き合ったことなくて。けど、笹沼さんのことは好きです。で、笹沼さんが俺のこと、そういう意味で好きでも、俺は困んないです。応えられるかどうかはわかんないですけど、嫌とかは、ないですから! 絶対!」


 そう言って、音無は笹沼の手を強く握った。


「ていうか俺、別に告白されたわけでもないのにすごい自意識過剰なこと言ってますね……!? うわ、すんません忘れてください、言いたかったのは、これからも気にせず二人で会ってほしいってことで」

「うん。……うん、わかったから」


 軽く笑った笹沼は、握られた手をしっかりと握り返した。


「ありがとう、音無くん」


 薄く涙を浮かべて微笑んだ笹沼に、音無は強い感情が湧き上がるのを感じた。

 この感情を、何と呼ぼう。

 或いはこれが、恋と呼ばれるものなのだろうか。

 そうであればいい。

 そうであったなら、この人を。満たしてやることができるのに。

 けれど今までの人生において、恋とは性欲と結びつくものだった。

 笹沼を、女のように抱きたいとは思わない。この人を支配したくない。征服したくない。それを冒涜だとすら思う。

 ならこの焦げつくほどの憧憬は。泣きたくなるような衝動は。

 何に由来するものなのだろうか。

 

 恋であればいい、などと。

 祈るように願うのは、初めてだった。





 

 →to be continued...?

このお話はいったんここまでとなります。

お読みいただきありがとうございました。

現在ネトコン12に参加しております。

よろしければ評価など応援よろしくお願いいたします。

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