まさか俺が受けなんて
「ああもう、あんたほんっとうに学習しねぇな!」
「ご、ごめん彰人。でもこんなおじさんに、まさかって思うだろ」
「この無自覚たらし!」
「ええええ!?」
今日も今日とて録音スタジオ。『年下の俺様にわからせっくすされた冴えないおじさんの俺』、まさかの続編。
あんな会話をした後だからか、音無は笹沼の受けの演技が気になって仕方なかった。
「ん、ふ……」
口から零れる呼吸。堪えきれないような掠れた声。指を使って出す水音。
心理的なハードルは別として、できないことはないと思う。女性声優はほとんどできる。そう難しい技術じゃない。
けれど、笹沼の声には、技術とは違う何かがある。
「彰人……っ、好きだ」
どくりと音無の心臓が跳ねた。まるで本当に告白された気分だった。それだけならよくあるが、笹沼の言葉は、きちんと男性に向けられている気がするのだ。
音無の役は攻めなので、女性を相手にするのと大差がない。相手を女だと思えば、口説く言葉も、最中の声も、イメージ通りにできる。他の声優が相手の時はそうする。
だが笹沼を相手にしていると、相手のイメージがしっかりキャラで浮かぶ。冴えないおじさんの政義が、きちんと目に浮かぶ。その上で、冴えないおじさんに告白されているのに、心からどきりとするのだ。
それは音無が彰人とシンクロできているからなのか、それとも。
「はい、いただきましたー! お疲れさまでした!」
無事収録が終わってほっとする。
以前と同じように、ブースの外で相田と原作者が挨拶のために待っていた。
「今回もほんっと良かったです! これは続編も売れますよー!」
「はは、だと良いんですけど」
相変わらずテンションの高い人だな、と思いながら愛想笑いで返す。同じテンションでは返せないが、明るい監督はありがたい。現場の空気が明るくなるし、モブで入ってくる新人も委縮しないで済む。
「あ、あ、あのっ」
緊張したように声を発した原作者に、音無が視線を向ける。
「続編も出ていただいて、ありがとうございました。今回の話は、二人の気持ちが本当に繋がるシーンだから、思い入れがあって、すごく、大事にしてて……。声のイメージも、ぴったりだったんですけど。お、音無さんと笹沼さんは、そういう、気持ちの面、大事にしてくれるので。だから、お二人に、頼みたくて。ほんとに、あ、ありがとう、ございました」
「――――……」
一生懸命、考えてくれたのだろう。この人はきっと、口で語るのが得意ではないのだ。全部が言葉にならないだけ。
――ちゃんと、伝わってる。
「俺の方こそ、ありがとうございました」
この作品がなければ。それに気づくこともなかった。笹沼とこれほど親しくなることもなかった。
音無にとっても、この作品は思い入れのある作品となった。
微笑んだ音無に、その場の誰もが見惚れた。
「完成楽しみにしてます。相田さんも、また是非お仕事ご一緒したいです」
「あれ? またすぐ会いますよ。早瀬さんから聞いてませんか?」
「え?」
「音無さん、受け役にも挑戦することにしたんですってね! もー嬉々として依頼しちゃいました! 来月楽しみにしてますね!」
「はい!?」
――聞いてないんだが!!
絶望的な表情をした音無の肩に、ぽんと手が乗った。
「お困りかな、若人」
「笹沼さぁん……」
泣きそうな声を出した音無に、受け役のプロは苦笑した。
♪♪♪
「というか普通受けないだろ!!」
「音無くん、ボリューム、ボリューム」
スタジオから少し離れた個室居酒屋で、音無と笹沼はサシで飲んでいた。収録の終わりが夜だったので、運良く二人ともその後の仕事はなかった。
「マジで事務所は俺をどうしたいの……」
「同じ役柄ばかりで悩む人もいるし、色んな役にチャレンジできるのはいいじゃない」
「それはそうですけどぉ……! BLの受けは、なんていうか、あれ一種の才能じゃないですかぁ……!」
可愛げとか、可愛げとか、可愛げとか。そういうものが必要なのではないかと、音無は思っている。
「僕は割と受けでも人気出ると思うなぁ」
「ええ……どのへんが?」
「勘」
にこりと笑った笹沼に、音無は胡乱な顔をした。適当を言っているようで、大先輩の勘というのは当たるものだ。
「受けやる時のコツって、なんかあります?」
「濡れ場は音の出し方が独特だから、参考作品聞いてちょっと練習しといた方がいいかな。音無くんならすぐできると思うけど」
「いやー……でもあれ、どうなんですかね。なんかこう……開発しといた方が良かったりします?」
真面目な顔で尋ねる音無に、笹沼は吹き出した。
「ないない! 大半の人はされた経験なんてないし、あれリアルじゃなくていいんだよ。リアルだったらむしろ萎えるでしょ」
「そんなもんですか」
「男性向けに出てる女性声優だって、全然リアルじゃないでしょ。言い方悪いけど、それらしさっていうかさ。望まれる形に合わせる感じで」
「ああ……なるほど」
けたけたと笑いながら話す笹沼を、音無は不思議な気分で見ていた。まさかこの人とこんな下ネタを話すような仲になるとは。いや真面目に仕事の話でもあるのだが。
「ただ気持ちはリアルな方がいいかな。口先だけで愛を囁くと安っぽくなるからね」
「そこが難しいんですよね。受けって、要は女役じゃないですか。女の気持ちになるってことなんですかね」
「うーん……僕は、自分の役を女性だと思って演じたことはないかなぁ」
目を伏せて、笹沼はからんとグラスの氷をかき混ぜた。
「役は男性だからね。男ならではの心理で動くし、男が男を選ぶことに対する苦悩があったりするし。男性だから成り立つドラマがある。それを女性に置き換えたら、やっぱり噛み合わない部分が出てくると思うよ。あくまで僕は、だけどね。元々女の子みたいに作られたキャラとかもあるし」
「……だとしたら、抱かれたい気持ち、ってのを、理解する必要があるんでしょうか」
基本的には抱きたいのが男だと音無は思っている。そうするためのものがついているからだ。
けれど、受けは抱かれる役割を負っている。恋する気持ちは投影できても、好きだという気持ちを強くすればするほど、相手のことは抱きたくなるのが男なのではないだろうか。
「無理に抱く、抱かれるって役割に固執するんじゃなくて、好きな相手にならどうされても嬉しい、って感じじゃない?」
笹沼の回答に、音無は目から鱗が落ちた。
「最近は男女ものでも、女性優位が流行ってるしね。女性が責めるやつとか。そこまでいかなくても、女性に乗られたら嬉しい男は多いでしょ」
「ああー……確かに……」
なるほど。男同士だからと妙に役割に拘ってしまったが、確かにそう考えれば気にすることではない。攻めだろうと受けだろうと、相手に恋する気持ちさえあれば、普通の恋愛ドラマなのだ。
「ありがとうございます、笹沼さん。俺なんかできそうです」
「いえいえ」
「参考に笹沼さんの出てるやついっぱい聴いときます!」
「それはちょっと恥ずかしいな」
照れて頬を染めた笹沼は、可愛げに溢れていた。やはりこういう人こそ受けには似合うのではないか。
酒も入っており、先輩と込み入った話ができたことに、音無は浮かれていた。気が大きくなっていた。
だからつい、踏み込んだ質問をしてしまった。
「笹沼さんって、彼女とかいないんですか?」
その質問に、笹沼はぴたりと動きを止めた。普段なら人の機微に敏い音無も、酔いが回っていたため、それには気づかなかった。
ほんの僅かに強張った口を、笹沼が開く。
「……どうして?」
「いや、恋人がいたら、彼氏のこういうのってどう思うのかなーと興味本位で。練習付き合ってもらったりするんですかね?」
実地で、という言外の意味を汲み取って、笹沼が苦笑した。
「恋人はいないよ」
「えっ! そうなんですか!?」
意外に思って音無は声を上げた。声優のアイドル化などと言われるものの、顔出しの芸能人ほど話題にはならないし、なんだかんだで恋人くらいいるのは珍しくない。なんなら結婚していても特に話題にはならない。
笹沼は既にベテランと言える域で収入も安定しているし、人当たりも良い。女性に人気があるのに遊んでいる風でもない、てっきり決まった相手がいるものだとばかり思っていた。
「えぇ~、めちゃくちゃ意外です。仕事忙しすぎて? でも同業者なら気にしないですよね。あ、理想が高いとか?」
「ぐいぐい来るなぁ」
「えっすんません! や、俺も恋人欲しいなーとは思ってるんですけど、今はまだ事務所に止められてて。バレないなら良いとは言われてるんですけどね、売り方的に影響出るだろうって。だから先輩の経験談聞きたくて」
「確かに、音無くんの売り方だとそうなるか。もうちょっとファンが固定化されたらそう簡単に離れていかないだろうけど、今はまだね」
やはりそういうものか、と思いながら酒を含む。別段今すぐ付き合いたい意中の相手がいるわけではないので、人気が安定するまでは控えた方が無難だろう、と結論付けた。
「なら暫くは女と飲んだりするのは危ないですよね。最近声優でも週刊誌に撮られたりするし。こうやって男同士で飲んでるのが安全かぁ」
「……そうだね。でも、男相手でもサシ飲みは気をつけた方がいいかも」
「なんでですか?」
きょとんとした音無に、笹沼は妖艶に微笑んだ。その表情に、音無の心臓が跳ね上がる。
テーブルの上に置いた手に、笹沼の手がするりと重ねられた。心拍数が上がっていくのを感じながら、緊張を隠すように音無は口を開く。
「さ、笹沼さん? どしたんすか」
「僕らって、個室使うこと多いでしょ。二人きりだとね、危ないこともあるから」
「はは……危ないって。俺みたいなガタイのいい男、危ないことそうそうないですよ」
「力では、そうかもね」
笹沼から目が離せない。口が乾いて、音無はごくりと唾を呑んだ。
なんだこのBL作品みたいな展開は。というかこの場合、まさか、自分の立場は。
「――なんちゃって!」
「へ?」
ぱっと手を離した笹沼は、にこにこと普段通りの笑顔だった。
「どお? ちょっと受けみたいだなって思わなかった?」
「~~~~っさ、笹沼さぁん……!」
「あはは! ごめんって」
顔を真っ赤にした音無に、笹沼は腹を抱えて笑っていた。
からかわれた。自分など、この人の手のひらの上で転がされてしまう程度なのだ。
悔しいと思いながらも、音無は何故だかそれが、嫌ではなかった。