スタッフは見た
音無が笹沼と共演した『年下の俺様にわからせっくすされた冴えないおじさんの俺』は、かなり売れ行きが良かったらしい。台本を取りに来た事務所でマネージャーから興奮気味に聞かされた音無は、表面上は爽やかに礼を言ったが、内心では少々引いていた。
「やっぱ音無さんは俺様キャラですよね! この方向でファンも付いてきてるし、仕事ガンガン取ってきますよ!」
「はは……お手柔らかに」
ふんふんと鼻息の荒い若い女性マネージャーの名は、早瀬ひより。音無の所属する虹海プロダクションの新人マネージャーだ。同じ新人ということで、何故か親近感を持たれている。
今回のBLCDは彼女の担当だった。先方からの指名だったので営業が必要なく、以前にも仕事をしたことのある取引先だったので勝手もわかっており、新人教育にちょうどいいと判断された。
ちなみに早瀬は収録時、開始の挨拶には来ていたが、途中で抜けていたので最後まではいなかった。当人は作品のファンだったようで、最後まで聴けなかったことを本当に悔しがっていた。
マネージャーは一人でいくつもの仕事を担当しているので、逐一現場についてくることの方が珍しい。虹海プロダクションでは百人近い声優を抱えているが、マネージャーは三人しかいない。
外画・ナレーション・顔出し等担当の男性マネージャー、片倉育人。アニメ・ゲーム・イベント等担当の女性マネージャー、小坂美奈子。そして小坂をサポートする形で、早瀬が入っている。
社長は海原光世。気のいい中年男性で、音無は彼に気に入られて事務所に所属した。
虹海プロダクションは、この四名で運営されている。どれだけ売れても、所属声優は社長やマネージャーには頭が上がらない。
「お待たせ、俺様音無くん。これ来週の台本ね」
「小坂さん……ありがとうございます」
アニメの台本を苦笑しつつ受け取った音無を、小坂はにやにやと眺めた。
「キャラが定着してきたのは良いことだと思うけどねぇ。BL人気出たんなら、新境地開拓もいいんじゃない?」
「新境地?」
「受け役ってこと」
受け。小坂の言葉に、音無は思わず固まった。
そして受け役の台詞の数々を思い出して、どっと嫌な汗が吹き出した。
「え……や、それは」
「攻め役の台詞って、シチュエーションCDでも聞けるじゃない? BLの醍醐味って言ったら、やっぱり受けだと思うのよねぇ。女って『可愛い』に弱いし」
「ああ~! それ、わかります! 普段男らしい人ほど、ギャップ萌えっていうか!」
高い声で同意した早瀬に、たじたじになる。女二人相手では分が悪い。
そんな音無の様子に、小坂は笑い出した。
「やぁだ、そんな怯えないでよ! 安心して、ウチは優良だから。NG出しとけば、やりたくない仕事入れたりしないわよ」
「いえ、俺まだ仕事選べるような立場じゃないですし。もしオファーがあれば、何でもやりますよ」
「あら模範解答」
にこりと微笑んだ小坂に、音無は苦笑で返した。
いくら売れてきたとはいえ、音無はまだまだ新人だ。今なら指名で仕事も来るかもしれないが、これまでのほとんどは事務所がくれた仕事だ。恩もある。よほどでない限り、やりたくないという個人的な感情で断ることはしない。
そうは言いつつも、小坂なら意図を酌んでくれるだろうと思っての発言だが。
「えっ本当ですか!? なら私、受け役の仕事とってきますね!」
「えっ」
「早瀬ちゃん……」
言葉の裏を読まない無邪気な新人マネの発言に、怯える音無だった。
♪♪♪
「……ってことがあって」
「あっはは、音無くんのとこ楽しそうだね!」
「笑いごとじゃないんですけどね……」
げっそりした顔の音無に対し、笹沼は腹を抱えて笑っていた。
今日はアニメの収録。高校生の部活ものだ。
音無の役と笹沼の役は同級生である。三十も過ぎて高校生役ができるなんて、本当に声優とは役者の中でも特殊な仕事だと音無は思う。
今は出番待ちで、二人でロビーに待機していた。
以前はブースの中にキャスト全員で入っていたものだが、感染症が流行ってからはできるだけ少人数で回すようになったので、時間を区切っている。前のシーンの収録が押しているので、次のシーンで出番のある笹沼と音無は待機となっているのだった。
「笹沼さんは受け役多いですよね。なんていうか……あれ、どうやってるんですか?」
「どう、っていうのは、技術的な意味で?」
「それもあるんですけど。男に抱かれる、っていうのがいまいちピンとこなくて」
「んー……」
笹沼がすっと目を細めて、その仕草に、何故だか音無はどきりとした。
しかし笹沼は、すぐにいつものようにぱっと笑顔に戻った。
「そうだな、もし本当に受け役の話が来たら、その時は改めて相談に乗るよ。今はそっちに気持ちいっちゃうとやりづらいでしょ。このあと俺様の役だもんね」
「あ、そ、そうですよね」
上がった心拍数を疑問に思いながら、音無は相槌を打った。
確かに、今はこの後の仕事に集中するべきだろう。悪役を演じる前には、共演者の誰とも喋らない人もいる。今こうして和やかに話しているのは、音無と笹沼が仲の良い同級生の役だからだ。終わった後ならともかく、直前に別の仕事の役作りの話をするべきじゃない。
しかし相談といっても、音無は笹沼の連絡先を知らない。先輩に自分から聞いてもいいものだろうか、と悩んでいると、笹沼の方からスマホを取り出した。
「そうだ。良かったら連絡先交換しない?」
「え、いいんですか?」
「もちろん。事務所NGじゃなければ」
「はは、ないですよそんなの。是非よろしくお願いします」
連絡先を交換すると、笹沼は悪戯っぽく笑った。
「メッセージ画面の拡散とかしないでね?」
「面白い会話があったら、SNS載せるかもしれません」
「ええー!」
「ちゃんと事前に許可とりますよ」
一回りも上なのに、この人とはなんだか肩の力を抜いて話せる。
緩んだ気持ちで、スタッフに呼ばれるまでの時間を過ごした。
「音無さん、笹沼さん!」
収録後。女性スタッフがスマホを持ちながら、ブースから出てきた二人に声をかけた。
「お忙しいところすみません。これ、先ほどロビーで話してた時のやつなんですけど」
見せられたスマホの画面には、収録前に音無と笹沼がロビーで会話をしていた時の写真が映っていた。盗撮か、と言いたいところだが、スタジオで待機中で番組スタッフによるものなので、微妙なラインである。
問題はそこではない。
――俺、こんな顔して喋ってたか……!?
そこに映っている完全に気の緩んだ自分の顔に、思わず音無は顔を手で覆った。
俺様キャラを期待されていることを知っている。ビジュアル売りもしている。周りは敵と言ってもいいような業界である。無礼や生意気と思われたら困る、最低限の礼儀はわきまえているが、それなりにいつも気を張っているつもりだった。こんなまるで、プライベートみたいな。
「音無さんがこういう表情しているの珍しいなって。もしお二人が良ければ、オフショットとして番組のSNSで告知PRに写真を使わせていただきたいのですが。いかがでしょうか?」
音無はだらだらと冷や汗を流した。自分の売り方からして、この写真はイメージを損なうかもしれない。けれどスタッフが良いと思って使いたいと言ってきているのだ。それを断る方が失礼なんじゃないだろうか。
どうしたものか、と脳内会議を繰り広げていると、すっと笹沼が手でスマホの画面を覆った。
「ごめんなさい。僕今日ちょっと寝不足で、隈がひどくて。これ拡散されるのは恥ずかしいかなぁ」
「ええ~? 全然気になりませんよ?」
「勘弁してください。インタビュー用のやつはちゃんとメイクしてもらってるんで、そっちでお願いします」
「わかりました」
被写体の許可がなければ、勝手に使われるようなことはない。スタッフの了承の言葉に、音無はほっと息を吐いた。
「では、俺はこれで。お疲れさまです」
「はい、お疲れさまでした!」
「お疲れさま」
ひらひらと手を振る笹沼に見送られ、ぺこりと会釈すると音無は駆け出した。
音無の出番の前から押していたので、次が迫っている。急がねばならない。
音無がいなくなると、笹沼はスマホを持った女性スタッフに声をかけた。
「あの、さっきの写真なんですけど」
「あ、すみませんちゃんと消しますよ! あとこれ社用スマホです!」
「ああいえ、そうではなくて」
目の前で消去してみせようとしたスタッフを制止して、笹沼は照れたように笑った。
「……良ければ、貰えませんか?」
「え?」
スタッフはぱちぱちと目を瞬かせて、すぐにはっとしたように息を呑んだ。
「ももも、もちろんです! 共有しますね!」
「ありがとうございます」
へにゃりと微笑んだ笹沼に、スタッフは完全に射抜かれた乙女の顔をしていた。