表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/41

5月31日 エルネスト家5

ペンを片付け、ティーポットから新しいお茶を注いだ。

リュシエンヌは、婚約破棄証明書を大事そうに箱に仕舞っている。

新しく淹れたお茶の横に、ベルガモットシロップ漬けの氷砂糖を置いた。


「まあ、なんていい香りなの」

「ヨハンの故郷のものだそうだ。紅茶に入れると、たまらないくらい美味しくなるんだ」


リュシエンヌは瞳を輝かせながら、氷砂糖をカップに入れ、くるくる揺らしている。

そして、目を閉じて香りを楽しむように紅茶を口に運んだ。


「美味しい!」

「よかった……それでリュシ、実は俺はまだ気になっていることがあるんだ」

「ん? 何?」

「ほら、君が……俺に色々と責められたように言ってたじゃないか。噴水やパーティでの揉め事? 他には扇子がとか……」

「ああ、ええ……」


丸い額にまたぎゅっと力が入り、眉が下がった。


「どうしてもそれが納得いかないんだ。もちろんリュシはそんなことをしていない。でも、俺はそれを理由に君を貶めた……これは、あまりにもおかしいだろ? 二人の間に、他に関わっている何かがあるのでは、と考えたんだ」

「……」

「だから、本当に悪いんだけど、君が俺に言われたという……その出来事を、覚えている限り教えてほしい。つらいのはもちろん承知だ、でも……」

「それをまた、書き出せばいいってこと?」


美しい灰青色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。


「うん、そうだ。君には心当たりがないのに、俺が一方的に責めたってことは、俺だけに何かが起こっている可能性が高いと思うんだよ。先に知っておくことで、原因になったことを突き止められるかもしれない……駄目かな?」

「そうね、そうかも……わかった、思い出してみる」

「ありがとう! 君に二度と悲しい思いはさせないから!」


思わず力が入り、テーブルに強く手を打ち付けた。

その振動で、山盛りに積まれていたクッキーの山が崩れ、目の前の皿に自然とサーブされた。

それを見たリュシエンヌが、楽しそうに笑っている。


やはり、この問題は俺次第ではないだろうか。今、二人の仲は良好だ。

アレシアのことを好きにならなければ、何事も起こらない……でも、そんな単純なことなのだろうか。


そういえば明日、そのアレシアがやってくるのか……。


「リュシ」

「ルド」


二人で同時に声を上げた。

きっとリュシエンヌも、明日彼女が来ることを思い出したのだろう。


「わかってるよリュシ、明日のことだろ?」

「ええ、私はセレーネと図書館で調べ物をする約束があるの。前の時は、私が図書館に行った時刻にはもうあなたがいたわ……そこに館長のグレイスさんと彼女が現れるの」

「多分、今晩の食事で父から彼女のことを頼まれるんだろうな……前回は『俺が案内する』なんて言ったみたいだけど、俺は何もしないよ。これで一つ解決だ」

「でも……」

「リュシ、さっき言ってくれたじゃないか『今は信じてる』って」

「あ……」


リュシエンヌは身をすくめながら「もう」と言って眉を下げた。

彼女はアレシアのことを気にしているが、どんなに美しくてもリュシエンヌに敵うわけがない、ましてや嫌いになるなんてありえない。

だからこそ気になるのは、俺が彼女に言ったという暴言だ……。


ボーン ボーン


部屋に飾られている柱時計が時を告げた。

いつの間にかこんな時間だ。これ以上遅くなると、パーヴァリ家に心配をかけてしまう。


「リュシ、遅くなってしまった、すまない」

「ううん、突然変なこと言い始めたのは私だもの……さっき言ってたあれ、今晩書き出してみるわね」

「無理を言うけどお願いするよ。もし、思い出している途中で腹が立って仕方なくなったら、明日俺に何をしてもいいから!」

「ふふ、大丈夫よ」


リュシエンヌは静かに席を立つと、ちょこんと頭を下げた。

そして、テーブルの上の天鵞絨の箱を大事そうに胸に抱えた。


「ルド、今日は本当にありがとう。私の話を信じてくれて……とても嬉しかった」


微笑む彼女の長い睫毛が、美しい瞳に影を落とす。

その表情の中には、僅かに不安が残っているように見えた。


そうだ、まだ何も始まっていない。何かが始まるのは明日からなんだ。俺が彼女を守らなければいけない。

アレシアについては、父から国王の縁者と聞かされた手前、接触しないというのは無理だろう。でも、それ以外では一切関わり合いは持たない。

きっと、いや絶対に大丈夫だ。


帰り支度をすませたリュシエンヌの手を取り、扉へ向かう。

その時、タイミングを見計らったかのようにノックの音が聞こえた。

返事をしながら扉を開けると、笑顔のヨハンと、その後ろにパーヴァリ家の御者が立っていた。


「ルドウィク様。そろそろリュシエンヌ様の、お帰りの時間でございます」

「ありがとう。ちょうど彼女を送ろうと思っていたんだ」


ヨハンに応えながら一歩踏み出そうとした時、リュシエンヌの手がするりと離れ、彼女一人だけで廊下へ出てしまった。


「あれ?」

「ルドありがとう。見送りはいいわ」

「でも……」

「明日も会えるんだし、早く帰ってやらなきゃいけないことあるから」


リュシエンヌは、胸に抱えた深緑色の箱を御者に渡し、くるりと俺に向き直ると美しいカーテシーをした。ヨハンも御者も、目を細めてその姿を見ている。

こんな雰囲気の中、無理について行くほうが空気を悪くしてしまう……仕方がない。


「わかった、では明日に」

「ええ」

 

微笑むリュシエンヌと俺の顔を交互に見て、ヨハンがさっと腕を出した。。

 

「では、リュシエンヌ様。わたくしめが馬車までエスコートさせていただきます」

「まあ嬉しいわヨハン! そうそう、今日のパイ! とても美味しかったわ!」

「おお、それはそれは……」


二人の楽しそうな声が、廊下の向こうへ消えていく。

静かになった部屋で一人、ソファに腰かけた。

途端に全身の力が抜け、そのまま沈んでしまうような感覚になった。

早く明日がくればいい。

俺はアレシアなんて少しも興味がない。それを目の前で証明できれば、リュシエンヌの不安を少し解消できるだろう。


「俺がリュシを守る……」


確認するように呟きながら、目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ