6月28日 カトラン子爵邸 パーティ会場
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「ルルさん、こちらから行きましょう」
先頭を歩くルルに、アレシアが駆けよって声をかけた。
彼女が指さしたのは、中庭の入口とは反対にある細い道。
その奥には、使用人が出入りに使う入り口があるという。
確かに、このままだと中庭から4人が現れることになり、あまりに不自然だ。
ルルは大きく頷くと、アレシアの後ろへ回り込んだ。
アレシアが先頭に立ち、屋敷への道をひたすら進む。
植え込みの間を抜けていくと、使用人専用の木の扉が見えてきた。
扉を勢い良く開き、4人で飛び込むように中に入る。
部屋の中で真っ先に目に入ったのは、ルルから聞いたとおり、すっかり血の気を失くしたカトラン子爵が水を飲んでいる姿だった。
アレシアの姿を見た途端、カトラン子爵は膝が崩れるほど喜び、持っていたグラスを放り投げて駆け寄ってきた。
「アレシア様! どこにいかれていたのですか!」
周りの目を忘れ、カトラン子爵はアレシアの名前に『様』をつけて叫んでいる。
不思議そうな顔をするルルに、「きっと気が動転してるのね」とリュシエンヌが耳打ちをした。
ルルは納得したように、うんうんと頷いている。
興奮状態の子爵に次々と尋ねられているアレシアは、ちらりとこちらへ視線を送ってきた。
リュシエンヌも、まるで促すように俺の顔を見つめている。
――そうだ。説明するのは、俺だ。
「失礼いたします、カトラン子爵」
「ああ、ああ、ルドウィク……!」
子爵は俺の両手を掴むと、ぶんぶんと振りはじめた。
どれほど焦っていたのか、彼の手のひらは汗で驚くほど濡れている。
預かっている他国の王女が突然消えたとなると、正気じゃいられないのは当たり前だ。申し訳ない事をしてしまった。
それにアレシアにも嫌な思いをさせた。やはり、先に会場に返しておくべきだった。
後悔を感じながら、子爵に深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございません、カトラン子爵。実は、友人の体調が悪くなり、アレシアさんが付き添っていてくれたのです。その友人は先程帰宅いたしました。少し離れた場所での出来事でご報告が遅くなりました。わたくしも一緒におりながら、連絡が遅くなってしまい、本当になんとい……」
「おお、そんなことが……おお、よかった」
安堵の表情を浮かべるカトラン子爵に、周りにいる使用人たちもほっとした様子だ。
アレシアは、使用人たちに挨拶をすると、カトラン子爵に向かって一礼をした。
「おじ様、ご心配をおかけいたしました。わたくし、今から会場に戻ります。皆様への説明もわたくしが致しますので、ご心配なく」
そう言って笑顔を見せると、こちらにも一礼をして会場へと戻っていった。
数秒後、会場からどよめきのような歓声が上がる。
続けて、アレシアがなにかを話しているような声が微かに聞こえた後、楽団が音楽を奏で始めた。
驚くほどあっという間、まるで魔法のようにパーティが再開されるのがわかった。
「ねえ、わたしたちもいきましょ?」
ルルがリュシエンヌに声をかけている。
リュシエンヌは「そうね」と返事をしたが、まだ浮かない表情をしていた。
椅子に沈み込むように腰かけ、額の汗を拭いているカトラン子爵に、頭を下げる。
力の抜けきった笑顔で手を振る子爵に見送られ、三人で会場へと戻った。
ホールでは心地良いワルツが奏でられ、華やかに着飾った人達が楽しそうにダンスを踊っている。
その中心にいるのは、もちろんアレシアだ。
さっきまで揉め事に巻き込まれていたなんて、微塵も感じさせない笑顔で、優雅で軽やかに踊っていた。
「素敵ねえ……」
誰に言うでもなく、ルルがポツリと呟いた。
ルルの隣で会場の中央を見つめていたリュシエンヌは、うつろな表情で会場の中央を見つめている。
リュシエンヌは、いま何を思っているのだろう。
俺に裏切られたと思っていた前回の人生。
神の加護なのか、それともいたずらか……突然、やり直すことになってしまった現在。
きらびやかなホールの中央。
そこには華やかに踊るアレシアと、壊されるはずだった美しい扇子。
そして、皆の前で婚約破棄を突きつけた婚約者は、自分の傍にいる。
ただ、子供の頃から一緒にいた親友セレーネだけが、この場所にいない。
自分の死に関係することに、思ってもいない人物が関わっていた……。
その真実を受け止めなければならないリュシエンヌの気持ちを思うと、たまらなく胸が締め付けられた。
こちらの視線に気づいたのか、リュシエンヌがふいに振り返り、目を合わせて微笑んだ。
笑顔を返すと、嬉しそうに肩をあげ、また会場で踊る人たちに視線を戻す。
駄目だ、感情が抑えきれない。
「きゃっ、ルド」
「あらまあ」
気付くと、リュシエンヌを腕の中に抱きしめていた。
隣にいたルルは、こちらを見ながら両手を口にあてて、ふふふと笑っている。
「ああっ! そうだわ。わたし、そろそろカールを許してあげなきゃ! さがしてくるわねえ。じゃあ、二人ともパーティ楽しんでねえ」
ルルは俺の顔とリュシエンヌを交互に見ながら、小さく手を振り、たくさんの人の中へ消えていった。
きっと腕の中では、リュシエンヌが顔を真っ赤にしているんだろう。
さっきよりも両腕に体温が伝わってくる。
「リュシ」
「もう……はずかしいんですけど……」
「ねえリュシ」
「……」
「愛してる」
耳元で囁くと、リュシエンヌは腕の中でくるりとこちらに向きを変えた。
真っ赤な顔がくしゃくしゃになっている。
これは無理だ……あまりに可愛すぎて、理性が揺さぶられてしまう。
近くにいる貴婦人たちが、にこにこと微笑みながら俺達二人の様子を見ている。
俺は彼女の両手を取り、たくさんの人が踊る中へと連れ出した。
リュシエンヌは驚いた表情を浮かべながらも、音楽に合わせて美しいステップを踏み、じっとこちらを見つめている。
「ルドったら、恥ずかしくて倒れるかと思った」
「ごめんごめん。それで、返事は?」
「えっ……もうっ!」
すこしだけ頬を膨らませたリュシエンヌが、たまらなく愛おしい。
美しい音楽が流れる中、パーティは穏やかに進んでいる。
リュシエンヌが恐れていた未来はもう起こらない。
いまここで二人で踊っている。これが現実なんだ。
突然、目の前のペアが大きくターンをした。
男性はこちらに背を向けている。
くるりと回り、こちらに顔を見せた女性はアレシアだった。
俺に気づいたアレシアは、少しだけ驚いたような表情をすると、そのままリュシエンヌに視線を移した。
見られていることに気づいたリュシエンヌは、一瞬戸惑ったような表情を見せながらも、アレシアに向かって恥ずかしそうに微笑んだ。
その瞬間、アレシアは顔いっぱいに喜びの笑顔を見せた。
しかし、パートナーにくるりと方向を変えられてしまい、あっという間に距離が離れていく。
美しい扇子を持った手が、名残惜しそうにこちらに振られている。
その様子を見たリュシエンヌは、 まるで光に照らされたような笑顔でこちらを見た。
とてもとても長い一日が終わった。
今日の更新はここまでです
明日も朝の8時更新!
もう終わりが見えてきました、明日の二話で完結です
あともう少し、よろしくお願いいたします♡




