6月27日 貴重書架1
――パーティ前日 貴重書架
別荘の薔薇園でデートをしてから、もう一週間以上が過ぎていた。
あれから何かと雑務に追われ、リュシエンヌには会えていない。
数日前、アレシアから依頼されていた貴重書架の開架時間が正式に決まり、報告と近況を添えてリュシエンヌに手紙を送った。
すると、戻ってきた返信は意外な内容だった。
『デートをした翌日から、お母様に乗馬のレッスンを受けてるの! まったく経験していないことが始まってる。とても楽しいわ』
驚いたことに、リュシエンヌが乗馬を始めたという知らせだった。
しかも、これまで横乗り騎乗しか経験がなかったため、通常の乗馬の楽しさにすっかり魅了されたらしい。
『パーティまでは図書館に行くのを控えようと思っていたので、とてもいい息抜きになってる。今度、ルドと一緒に乗馬ができるいいな』
手紙の締めくくりには、そう書かれていた。
最高の提案だ。思わず口元が緩む。
明日のパーティが終わったら、一緒に乗馬へ行く予定を立てよう。
そうだ、お揃いの革手袋を贈るのもいい。
きっとリュシは、懸命に前を向こうとしている。
そのことを思うと、胸の奥が締めつけられるようだった。
ああ、早く28日になってほしい……。
机の上に広げていた目録作業の手を止め、壁に掛かった古い時計に目をやる。
あと10分ほどで、13時になる。
「さて、そろそろか」
今日の午後は、アレシアに頼まれた貴重書架の開架作業がある。
そのため先に書架に入り、館内の整理を行っていた。
本館に居てもいいのだが、最近姿を見せないリュシエンヌのことや、アレシアと『密会していた』と噂する者がいるらしく、あまり滞在したくはない。
真実ではないことを噂されるのは、気分のいいものではない。
しかし、真偽不明だからこそ、人は興味を持つのだろう……。
それでも13時には、アレシアを迎えに行かねばならない。
仕方がない。
大きな姿見で身だしなみを整え、重い貴重書架の扉を開く。
ガラス張りの渡り廊下は明るく、今日も天気がいい。
光の中に、乗馬を楽しむリュシエンヌの姿が自然と浮かんだ。
遠出に行くとヨハンに話せば、きっと喜んで何かを作ってくれるだろう。
まだ予定を立てたわけではないのに、想像するだけで足取りが少し軽くなった。
しかし、今から会うのはアレシアだ……。
庭園での不愉快な会話を思い出し、一気に気持ちが沈むのを感じながら、本館に続く樫の扉を開けた。
「きゃっ」
「ああ、すまない」
扉を開けた向こうには、司書見習いのカールとセレーネ、そしてアレシアの三人が立っていた。
カールは少し気まずそうな顔をしている。
「ごきげんようルドウィクさん」
今日も真っ白な装いのアレシアが、にっこりと微笑みながら挨拶をした。
「どうもアレシアさん。待たせてしまいましたか?」
「いいえ、私が少し早く来すぎてしまったの。そうしたらセレーネとカールさんが、ここまで案内してくれたの」
アレシアが話し終えると同時に、館内の柱時計が時間を告げた。
「今ちょうど13時になったところだわ。時間はぴったりよ、ルドウィク」
軽くウインクをして、セレーネは一歩下がった。
それに続いて、ちらりとアレシアを見ながらカールも後ろへ下がる。
やれやれ、カールも完全にアレシアに夢中か……。
まあいい、俺には関係ない。
いったん外に出て、改めて扉を開き、アレシアに手を差し出した。
「ではアレシアさん、中へどうぞ。セレーネ、カール、また後で顔を出すよ」
「わかったわ。じゃあまたね、アレシア」
「ありがとうセレーネ。またお話聞かせてくださいね、カールさん」
アレシアは二人に小さく手を振ると、軽く頭を下げて別館へ入った。
扉を閉め、日が差し込む廊下を二人で進む。
会話がないまま、貴重書架の重い扉を開いた。
「はぁ、やっぱりここは素敵ですね」
前回同様、大きく深呼吸をして、アレシアは目を輝かせている。
表情かはら、本当に本が好きなのが伝わってくる。
「さて、本日は13時から18時まですね。前回もお話ししたとは思いますが、こちらの貴重書架内で飲食は禁止されております。喉が渇いた場合は、本館にご案内いたしますのでお申し付けください。私はこちらで目録の整理をしておりますので、お気になさらずご自由になさってください」
「ありがとうございます……目録の整理とは、どういったお仕事ですか?」
手に持った荷物を机の上に置き、アレシアは作業している机を覗き込んできた。
一つに結んだ髪がふわりと揺れ、肩から落ちる。
アレシアは距離が近い。
王室育ちで無頓着なのだろうが、これでは気のある男性なら勘違いしてしまいそうだ。
「修繕から戻った本の目録作りと、あとは近々書棚の位置を変えるので、下準備のようなものです」
「まあ、楽しそう」
「……」
庭園での雰囲気とは違い、いつもどおりのアレシアだ。
目をキラキラさせているが、こちらは話を膨らませる気が全くないので、返す言葉が見つからない。
「あっごめんなさい。私ったらすぐおしゃべりしちゃう」
俺の様子を察したのか、本当にそう思ったのかはわからないが、アレシアは軽く会釈をして書棚の奥へと消えていった。
これから5時間もある。
また話しかけられたりするのだろうか、それを考えると気が重い。
リュシエンヌのことを聞かれたとしても、またあんな会話にもならないようなこと……。
おかしなことを聞かれたら、今度は無視をしてしまうかもしれない。
仕方がない、作業すれば5時間なんてあっという間だ。
アレシアが、数冊の書物を重ねて奥の書棚から出てきた。
机の上に置くと、そのまま、美術書の下段にある豪華本の前でしゃがみこんでいる。
あの場所にある本はとても大きく、装丁はもちろん紙自体も重い。
彼女の力では取り出せないはずだ。
気になる本を見つけたのか、背表紙をぐっと掴み、一旦手を離した。
やはり、あの様子ではびくともしないのだろう。
声をかけるべきか……。
悩んでいると、しゃがんだままのアレシアがこちらを向き、目が合ってしまった。
途端に慌てたように立ち上がり、ドレスの裾をはらっている。
一国の王女がしゃがみこむというのは、恥ずかしいことなのだろうか? 顔を真っ赤にしている。
なぜか、少し申し訳ない気持ちになった。
自分がもっと気を遣うべき立場なのはわかっている。
ただ、俺自身がそのことを煩わしいと感じているだけで……。
椅子から立ち上がり、アレシアに声をかけた。
「アレシアさん、私が取り出しましょう。待っていてください」
彼女はこちらを見て頷き、ぺこりと頭を下げた。
書棚まで行き、大判の美術書を抜き取るとアレシアが座っている机まで運んだ。
「重たい本や手が届かないものは、遠慮せずに声をかけてください。それも私の業務の一つです。特に高いところのものは危ないので、必ずお願いいたします」
「ありがとうございます……あの……」
「なにか?」
「いえ、大丈夫です」
何かを言いかけたが、取り繕うようにまた書棚に向かおうとするアレシア。
しかし、一旦立ち止まり、こちらを振り返る。
さっきまでの申し訳ない気持ちに重なるように、もやっとした感情が胸に広がった。
庭園の時のように、態度に出さないように気をつけなければいけない。
「やはり、何か御用がありますか?」
「あの……前から聞きたかったのですが……」
アレシアは、口の両端をきゅっと結び、思い切ったようにこちらに近づいて来た。
瞳はしっかりと俺の目を見ている。
いったい何だ?
目の前まで来たアレシアは、こちらから問いかける隙を与えず、口を開いた。
「リュシエンヌさんは、もしかしてわたくしのことを避けています?」
「!?」
構えていたはずなのに、驚きのあまり小さな咳が出る。
透き通った緑の瞳が、じっとこちらを見つめていた。
本日の更新はここまでです
物語も終盤に近づいてきました
明日の更新は7時です
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