6月18日 エルネスト家別荘 1
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「リュシ! なんて素敵なんだ。その……いや、すべてが完璧だよ」
「ありがとうルド」
待ち遠しかった18日。
迎えてくれたリュシエンヌの姿は、いつも以上に愛らしかった。
結い上げた髪に大きなカールが揺れ、淡くくすんだバラ色のドレスは、彼女の灰青色の瞳を引き立てている。
血色のよい肌が光を受け、輝いて見えた。
雲一つない晴天の午後。やさしくなでるような風が吹いている。
庭園を散歩するには絶好の日和だ。
二人で馬車に乗り込み、エルンスト家の別荘へと向かった。
「手紙をもらってから、今日をすごく楽しみに過ごしてたの」
「本当かい? 俺もだよ」
「ワルドの薔薇は見事でしょうね、本当に楽しみだわ」
「姫君のご期待に添えることができればよいのですが……」
「もうルドったら」
リュシエンヌが嬉しそうに笑っている。
彼女のこんな顔が見られるだけで、俺は十分幸せだ。
馬車の窓を少し開けると、乾いた風と揺れる緑の香りが車内に広がった。
今日は、若い貴族の集まりであるお茶会が開催される日。
もちろん俺たちは参加しない。
お茶会はとても華やかなものになっているはずだ。
会場を提供するバートン家は、料理人まで手配したらしい。
通常なら簡単なお茶と焼菓子程度だが、きっとアレシアが参加するので、ウィルがはりきったのだろう。
――アレシアと裏参道の庭園で会ったあの日。
屋敷に戻ると、カトラン家からパーティの招待状が届いていた。
これは、俺がリュシエンヌに婚約破棄を告げた、あの最悪なパーティだ。
未来が少しずつ変化しているので、パーティが無くなる、もしくは、日程が変わる可能性もあるのではと考えていた。
しかし、残念ながら同じ二十八日に開催されるらしい。
その日の夜、父に呼び出された。
『28日のパーティは、わが国の王妃が、可愛い姪であるアレシア様の為に考えたことだ。年頃なのになかなか羽も伸ばせず、勉強ばかり。この国に滞在している間は、普通の女の子として楽しい時間を過ごしてほしい、そう希望されている』
王妃の気持ちはわかるが、それをこちらに言われるのも正直迷惑な話だ。
前回の俺は、言われたとおりに補佐していたのだろう……。
ここ最近は、社交界でもアレシアの噂が広がっている。
王女なのを隠しているのに、話題になってしまうとは皮肉なものだ。
そんな貴族たちが、28日のパーティに期待をしていないはずがない。
おかげでどこのテーラーも大忙しで、装飾品や宝石店も、人気の店は在庫がなくなっていると言う噂を聞いた。
しかし、俺にとって面倒なのは、パーティ前日の27日にアレシアから貴重書架の開架を頼まれたことだ。
もちろん俺の意見など関係なく、他に予約がないので受け入れなければならない。
正直断りたくもあるが、さすがに父に知られてしまう……。
あの日、庭園で話して以来、アレシアに対する違和感は膨らみ続けている。
リュシエンヌのことを、いったいどう思っているのだろう……。
彼女に対する視線や、俺への発言に不快感しかない。
まともに二人は話しさえしていないというのに……。
「……ド? ねえ、ルド?」
突然目の前に美しい瞳が現れ、俺を覗き込んだ。
「あっ、すまない」
「ううん大丈夫よ。バートン家で開催されてるお茶会のこと、考えてたでしょ?」
「当たりだ……すまない」
「いいのよ」
俺の答えに、リュシエンヌはうんうんと頷き「私もさっきまで考えてたもん」と、笑顔を見せた。
馬車はいつの間にか別荘の近くまで来ていた。
少し開いた窓から、瑞々しい薔薇の香りが流れ込む。
屋敷の門には、真っ白な木香薔薇とオールドローズがこぼれんばかりに咲き誇っていた。
「まあ! なんて素敵なの」
我慢できないといった様子で、リュシエンヌは窓を大きく開けた。
風に乗って、小さな白い花びらが馬車の中に舞い込んでくる。
真っ白な木香薔薇……そういえば、アレシアが枝を持って帰っていた。
国には黄色しか咲いていないとか……はあ、どうでもよい話だ。
風を受けるリュシエンヌの横顔を見ているうちに、馬車は中庭に到着していた。
二人で馬車を降りると、別荘の管理をしている執事が出迎えてくれた。
「ルドウィク様、リュシエンヌお嬢様。ようこそいらっしゃいました」
「やあジョセフ、入り口の薔薇がとても素晴らしかったよ。いつも手入れをありがとう」
「お二人がいらっしゃると聞き、庭師のモーリスが張り切って手入れをしておりました。きっと喜びます」
「本当に素敵でした」
リュシエンヌの笑顔に、自然と執事の頬もほころんでいる。
「では、こちらへどうぞ」
案内されたのは、中庭に作られた真っ白な東屋だった。
少し高い場所に作られているため、ここからは庭園の薔薇がよく見える。
テーブルの上には、薔薇の花の形をした焼菓子とお茶が用意されていた。
「まあ可愛い!」
「リュシエンヌお嬢様、ありがとうございます。こちらはすべて、執事長のヨハンからのレシピでございます。酸味のある品種の林檎を薄切りにしてパイ生地と重ねて焼き上げ、表面は薔薇のジャムで艶を出しています」
「とても綺麗な色ね、宝石みたい」
「この後、ミルククリームのババロアをお持ちいたします。二品とも甘さは控えめですので、こちらの紅茶に薔薇のジャムをたっぷり入れてお召し上がりくださいませ」
「ありがとう」
目を輝かせているリュシエンヌに、執事は深く頭を下げて屋敷へと戻っていった。
その間にジャムの瓶の蓋を開ける。
「もう、どうしてこんなにエルネスト家のお菓子は素敵なの!」
「間違いなく、ヨハンがいるからだね。これは子供の頃から何度か食べたことがあるけど、この季節だけなんだ。さあ召し上がれ」
「いただきます」
リュシエンヌが、薔薇のパイを口に運ぶ。
あまりの満足そうな顔に、釣られてパイに手が伸びる。
林檎の爽やかな酸味と、薔薇の香りが口の中に広がっていく。
続けてリュシエンヌは、スプーンに山盛りにした薔薇のジャムを紅茶に入れた。
一口飲んで目を閉じ、香りと味をじっくり堪能しているようだ。
二人きりのお茶会。
今日、ここに来ることを選んで本当に良かった。
胸の中にある灰色の靄が、この幸せな空間に押し出されていくようだ。
「リュシ、これを食べて少し休んだら庭園を案内するよ」
「ありがとうルド」
「どういたしましてお姫様。ところで、あれからどう? 何か変わったことはあったかい?」
「ええ。実は、少しだけ……」
リュシエンヌはつまんだ二個目のパイを一旦取り皿に置き、紅茶を一口飲んで話し始めた。
「お茶会の案内状を書いた日の帰り、ルドが『アレシアに偶然会った!』って、手紙で教えてくれたでしょ?」
「ああ、家に帰ってすぐに手紙を書いたんだ。早く伝えたかった。もし他の人から先に聞いたら、君に疑われてしまうだろうと思ってね」
「うん。そのことなんだけどね……二日後に図書館に行ったら、もう噂になってたの」
「……噂!?」
あまりのことに、思わず席から身を乗り出してしまう。
そんな俺の様子に、リュシエンヌはくすっと笑った。
「ね、驚いたでしょ、私もびっくりしたもの。ルドから手紙をもらっていなければ、気が動転していたわ」
「まさか噂になってるとは……」
「ええ、あなた『密会してた』って言われてたわよ」
俺の目を見つめながら、わざと意地悪な口調でリュシエンヌは言った。
「密会だって!? やめてくれよ。俺はリュシしか見えていないってのに」
「んんっ、もう!」
さっきまで口の端をあげて笑っていたリュシエンヌは、食べかけていた薔薇のパイを口に放り込んだ。
彼女がこうやって話してくれるのも、二人の関係が良好な証拠だ。
リュシエンヌが婚約破棄証明書を持ってきたときは、まるでこの世の終わりのようだった。
彼女の表情や体の緊張には、俺に対する困惑と不信感が混ざっていた。
それが、こうやって二人だけでお茶ができるほどの日常に戻れている。
俺のことをリュシエンヌが信じてくれている、それだけで嬉しくてたまらない。
「もう、ルドったら、何ニヤニヤしてるの」
「ん? リュシは可愛いなあって」
「そうやってすぐからかって……ふふっ、でもありがと」
美しい灰青色の瞳が俺を見つめた。
辺りに咲く薔薇のように、頬が薄紅色に染まっている。
薄茶色の髪に触れると、少しだけ肩をあげ、恥ずかしそうに微笑んだ。
「あのねルド」
「なんだい?」
「この前セレーネから、午前中に図書館に来れないかって聞かれたの。アレシアに紹介したいって……」
「えっ」
「前にも言われたんだけど、断り続けるのも難しいかなって。だって彼女は、何も悪くないもの。セレーネもいるし……」
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