6月10日 エルネスト家 午後2
「じゃあリュシ。そのままでいいから、18日のお茶会の話をしよう」
二個目のタルトを頬張ったリュシエンヌは、小さく頷いた。
「次の事件は18日のお茶会。当日に彼女が来なかった……」
「ええ。案内状が届かなかったと言ってたわ。出したのは12日よ」
リュシエンヌは紅茶を一口飲んで答えた。
「それは教会の侍従係が?」
「そう。いつもなら一人で終わる案内状がどうやっても間に合わないって、12日に図書館に助けを求めに来たの。書き終えた案内状は、教会の配達係に渡したわ」
毎月開催されるお茶会。
今では若い貴族の集まる場となっているが、始まりは教会の慈善事業だ。
その為、参加者や会場の選別、全ての取り決めは教会が行っている。
「リュシ、俺も12日に図書館に行くよ」
「本当! ルドが手伝ってくれるならもっと早く書き終わるかも。いつもなら30通くらいなのに、今回は150通近くあったのよ。まるでちょっとした舞踏会よね」
「150は凄いな」
「うん。会場に選ばれたバートン家も大変そうだったわ。でも、ウィルはアレシアと話すチャンスだって喜んでたけどね」
バートン家か。たしか、ウィル・バートンは同じ年齢でまだ婚約者がいない。
広い庭園がある為、お茶会の会場に頻繁に屋敷を提供している。
年齢の近い貴族の子息たちは、アレシアに夢中のようだ。先日の乗馬でも彼女のことを話しているのを、何度か耳にした。
案内状の紛失についてだが、教会の配達係がわざと隠すとは考えにくい。意味がないからだ。
アレシアだけを書き忘れることもあり得ない。
リュシエンヌによると、案内状は何度も数え直したという。
そうなると、単純に紛失してしまった可能性も、完全には否定できない……。
ふと、あのインクで汚れた布と手袋が頭をよぎる。
いや、やはり一通だけなくなるのは不自然だ。
「宛名書きを手伝ってほしいと言われたのは、だいたい何時ごろだった?」
「あれは13時過ぎだったわ。セレーネと新しくできたお店に行く約束をしてたから、図書館で待ち合わせてたの」
「わかった、じゃあ13時に行くよ。その時間だと……」
「……うん、アレシアはいなかったわ」
リュシエンヌは一度瞬きをして、何かを思い出すようにゆっくり頷いた。
そのまま視線を落とし、マドレーヌを手に取る。
「それ、かなり大人な味だよ」
「ふふ楽しみ」
少し目を細めて、リュシエンヌはマドレーヌを口に運んだ。
すぐさま両手を口に当て、長い睫毛を何度も瞬かせる。
「ほろ苦くて甘くてすっごく美味しい! しみこんでいるシロップも酸味があって最高だわ」
「よかった、またヨハンが喜ぶよ。最近はリュシにお菓子を作ることが楽しみになっているようだから」
「私も楽しみよ」
「俺に会うより?」
「えっ……もうっ!」
リュシエンヌが慌てたようにお茶を飲んでいる。
表情がころころと変わって、ずっと見ていたくなる。
彼女を貶めようとする奴がいるなんて、鳩尾のあたりがたまらなく嫌な気分だ。
「じゃあ12日は俺に任せて。本当ならリュシには家にいてほしいんだけど、セレーネと約束があるなら仕方ないな」
「うん。最近図書館に行く回数が減ってるから、セレーネがお喋りしたいって。私もそう思ってたから断れなくって」
「大丈夫だよ、俺がいるから」
リュシエンヌはこくんと頷いて、こちらに顔を向けた。
灰青色の美しい瞳に、吸い込まれそうになる。
「あの……本当にありがとうルド。私も一人で考えてたの、ただ怖がっていても駄目だって。だってルドが、とても私の為に頑張ってくれてるんだもの」
そう言いながら、リュシエンヌは持ってきていた小さなポーチを開いた。
その動作に、あの婚約破棄証明書を思い出し、思わず身構えてしまう。
心臓の鼓動が少しだけ早くなる。
そんな俺に気づいたのか、リュシエンヌは慌てて手を振った。
「違う、違うの! これはこの前みたいな、ああいうのではないわ」
眉を下げて困ったように笑いながら、薄い箱を取り出して俺の目の前に置いた。
「開けても?」
「ええ……気に入ってくれるといいんだけど」
真っ白な箱を手に取り、十字にかけられたリボンをほどく。
そっと蓋を開けると、美しく刺繍された"ルドウィク"の文字が目に飛び込んできた。
名前の周囲は、誕生花であるラナンキュラスで飾られている。
その横に寄り添うように、アスターが一輪だけ刺繍されていた。
アスターはリュシエンヌの誕生花だ。
「リュシ! 素晴らしいよ! 嬉しい、ありがとう!」
「そんな、恥ずかしい」
「だって! 一緒に君の花があるじゃないか、最高すぎるよ」
「派手なのは好きじゃないから、銀糸だけにしたんだけど……」
「十分すぎるよ。完璧だ!」
席を立ちあがり、テーブルの上に置かれていたリュシエンヌの手をとった。
跪き、その柔らかい手に口づける。
顔を上げると、リュシエンヌは微笑んでいる。
ほら大丈夫だ、こんなにもふたりはうまくいっている。
どんな妨害があっても、それは何の問題にもならない。
俺がリュシエンヌのことを嫌いになんて死ぬまでない……いや、死んでも好きだ。
きっとリュシエンヌも同じ思いでいてくれるはず……あっそうだ!
「前回の18日のお茶会、俺は行ってなかったよね。で、今回は君も出席しないってのはどうかな?」
「えっ?」
「12日に案内状を書いたあと、18日は二人で用事があるから出席出来ないって言おうよ。それとも行きたいかい?」
「ううん……」
小さく首を横に振るリュシエンヌの手を、そうっと握った。
「前回と違う行動をどんどんしたほうがいい。君の辛かった思い出が、新しいものに書き換えられる。そこにはもちろん俺がいる、どう?」
「素敵だわ、ありがとう」
「こちらこそだよ、お姫様」
リュシエンヌの手にもう一度キスをしようとした瞬間、「駄目です」と手を引かれてしまう。
「だって、くすぐったいんだもの」
少し口を尖らせたリュシエンヌは、紅茶のカップを両手で持ち、恥ずかしそうに呟いた。
彼女から婚約破棄を告げられたあの日から、まさかこんなに二人の仲が深まるとは思わなかった。
日に日に、リュシエンヌへの想いが強くなる。
彼女に言うと怒られそうだが、ちょっとした充実感さえある。
「じゃあリュシ、18日はデートをしよう。考えておくから楽しみにしておいてくれ」
「うん、わかった」
にっこりと微笑んだリュシエンヌは、山盛りになったクッキーを一枚とって口に入れた。
俺はすっかり空になってしまったティーカップに、たっぷりとお茶を注ぎ入れる。
きっと、この調子ですべてうまくいく。そう確信していた……。
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