Log.8 【過負荷】
「ネモ!おいネモ!返事をしろ!」
少女の肩を持ち、声をかけ続ける。身体は触っていられないほど発熱し、
湯気かすらわからない白煙を上げ続けていた。
少女は目を閉じたまま動かない。身体に負荷をかけていた代償なのだろうか。
しかし、こんなに突然なんて。死んでしまったのだろうか。何が起きたか
わからない、今の状態こそが不気味だった。
『出力不足。過負荷により、活動停止した』
目を閉じたまま、少女の口から電子音混じりの無感情な言葉が発せられた。
「どうすりゃいい。どこかで充電するのか?」
『肉体が高熱状態の現在、給電は受け付けられない。冷却を待つ必要がある』
「そんな――」
『放熱機構が停止したため、脳の損傷が懸念される。早急にリカバリーが必要』
「どうすりゃいいんだよ!水でもぶっかけてやれば直るのか?」
『意識のない状態での強制冷却は意図しない問題が発生するおそれがある。
従って推奨されない』
「何も出来ないのかよ……!」
思わず歯を食いしばる。
『最後の記憶では、探知領域内に敵性存在は確認できなかった。躯体を破棄し、
退避することが推奨されている』
「バカ言うな!ちくしょう、こんなところで死なせてたまるか!絶対助けてやる」
少女を担ぎ、あてもなく歩き出す。何か、なにかあるはずだ。
「再起動みたいなことは出来ねえのかよ!」
『要求される電圧もしくはエネルギーを満たしていない』
「クソッ!充電が出来ないならどうやってエネルギー補給が!」
『エネルギー源があれば経口摂取による消化管経由での栄養補給が可能』
「寝てるやつに食い物食わせろってことかよ!」
『拠点宇宙船に緊急用のリカバリーアンプルが配備されている。注射による補給が
可能』
ハッと拠点宇宙船の方を見る。しかし、拠点宇宙船だったそれは、燃え上がり、
装甲をめくれ上がらせ、原型をとどめていないほどに大破していた。
脳裏に最悪の事態が浮かび上がる。そのイメージを、消そうとすればするほど、
色濃いものとして焼き付いていった。
「絶対死なせねえからな!」
悔しさのあまり歯を食いしばる。ぎりぎりといつにも増して食いしばった歯茎
からは、わずかに血の味が染み出した。
「いや、待てよ……」
ひとつの思いつきに過ぎないが、試して見る価値はある。
手首の内側。携行していたナイフを静脈に押し当てる。血管から、じわりとした
血が染み出した。血が滴る指先を少女の口元にそっと当てる。
ダメだ。血は口元からこぼれるばかりで消化管に到達しない。
だったら。
「悪く思わないでくれよ」
祈るように呟いた。手首の血を、口いっぱいに啜り取る。そして、
少女の小さな唇に、血にまみれた唇をそっと押し当てた。少女の喉に舌を送り
込み、血を流し込む。
こくん、こくんと血が流れ込んでゆく。血液は全身を巡る栄養源だ。体内を
循環し、大きな臓器から小さな細胞に至るまで栄養を行き渡らせるための媒体だ。
頼む。目を覚ましてくれ。
血を啜っては、流し込む。何度も、何度も繰り返した。
こくこくと言う音が伝わってくる。幾度目だろうか、唇を離そうとしたその時。
ぱちりと。開くことのなかった少女の目が開いた。
儚く結ばれた目尻、きめ細やかな睫毛。透き通るような水晶体。
まっすぐにこちらを見つめていた少女に慌てて唇を離そうとする。
だが少女はさらなる栄養源を求めて、血に塗れた口腔を、小さな舌で舐めとって
いった。
思わず抱きしめる。帰ってきた。助かったんだ。
「何を、しているの」
「嬉しいんだ、君が助かって。もう話せないのかと」
「助かった。あなたが血を分けてくれたから。ありがとう」
もう一度、ネモを強く抱きしめた。
「ひとつだけ、気になることがある」
「何だ?」
ネモの純粋な疑問を、向き合って受け止める。
「なぜ口移しで血液を飲ませる、なんてことを思い付いたの?」
「ただの思いつきだよ、君を死なせたくなかった」
改めて聞かれ、こっ恥ずかしい気持ちになったが、本心で、ありのままの答えで
伝えた。
「そう」
ネモは真っ直ぐな目で、それ以上は聞いてこなかった。
「立てるか?」
「平気」
少女の手を取り、強い力で引き上げた。
「体は大丈夫なのか?」
「大丈夫、ではない。けれど、放熱プロセスは完了したから給電さえ出来れば
定格出力で行動できる」
「よし、充電だな。だが宇宙船は破壊されちまった。どうしたものか……」
「問題ない、あれが使える」
ネモが指さしたのは、電磁砲の砲弾だった。そうか、発射薬代わりの高出力
バッテリーだ。
少女が充電を終え、ようやく一息つけると思ったが束の間だった。
少女が素早い足取りで水平バレルのショットガンを抜き撃った。撃墜したのは、
地球軍の対人殺傷ミサイル。
「何しやがるんだ、あいつら!」
「軍規に反した私を、軍が排除しようとしている」
「軍規って……いつそんなことが」
「私の責任。軍の決議が降りる前に全軍のトリガー掌握を行ったのが原因」
「そんなの知るかよ!命が助かっているんだろ」
軍規に反したから、なんていうのはネモを排除するための都合の良い口実だ。
力ある物を恐れ、抑圧する、臆病な地球軍のやることだ。
「だからもう一度呼びかける。それでも伝わらなければ、もう一度この海域の
管制系統を掌握する」
「おいおいおい本気か?」
ネモは、それまでの合理的行動から一転し、半ば強攻策に近い行動を取った。
『私は生体コンピューターのネモ。私は、私達は現在、友軍であるあなたたちから
攻撃を受けている。攻撃が絶えないようであれば、もう一度海域の火器管制を
剥奪し、然るべき措置を取る。ただちに作戦の終了を求める』
広域無線に、無垢な少女の声が響いた。しかし地球軍の回答は、その要求と全く
異なるそれだった。
一斉発射され、ネモに向かう無数の多目的ミサイル。それら全てがネモに
到達する寸前。
自らの意思のように命中目前で自爆した。ネモが火器管制系統を掌握したのだ。
「もう一度だけ聞く。ただちに攻撃の中止と作戦の終了を求める」
少女が発した二度目の警告に、反抗する者はなかった。