Log.4 【機械島】
長い夢を見ていたような気がする。打ち付けるさざ波の音が、遠くに聞こえていた。
朧げな意識の中、まぶたの向こう側から照りつける光で目が覚めた。
身体中が痛い。全身を鈍器で殴りつけられたような鈍い痛みがあった。
身体、凍らされた身体は?首を持ち上げ、足の方に視線をやる。――大丈夫だ。身体のどこも欠けたり、千切れたりはないようだ。
「ちくしょう、ひどい目にあった」
むくりと、両手を使いながら起き上がる。宇宙船のこの傾き具合、どうやらどこかに流れ着いて乗り上げているような状態か。
「――!」
直後、ひどい激痛が喉を襲った。思わず首を絞めるように片手で喉を押さえる。
生存本能が、その原因を語るまでもなく探していた。
非常用生命維持パックに入っていた銀色のチューブ。握りつぶすほどの力で掴みながら、キャップに噛みつき、蓋をこじ開けた。
開いた蓋を吐き出し、チューブへ勢いよく吸い付いた。呼吸も忘れ、喉奥を潤わせる確かな液体の存在を知覚すると、無意識に涙が一筋流れた。
飲料水を補給し、いくらかの安堵が訪れると、今度は胃が締め付けられるような空腹感に襲われた。
飲料水と同じチューブに入っていた流動食タイプのレーションを喉奥に流し込む。腹が満たされた感覚は全くないが、心なしか幾許かの安心感を覚えた。
あとひとつ、固形のレーションも入っていたが、これはポケットにしまった。
衰弱したいま、これを口に入れればまともに噛むことも出来ず吐き出してしまうだろう。
小銃の弾倉を外し、装填されていた弾薬を排莢する。そして弾倉を再び小銃に差し、弾を薬室に送り込んだ。
気密弁を回し、扉を開ける。扉は少しだけ開いたが、到底出入りできるほどの幅には開かなかった。
「クソッ!」
乱暴に扉を蹴り飛ばし、二度の蹴りを入れてこじ開けた隙間からようやく外に出た。風はほとんどなく、太陽が眩しい。
「おいおい、何だよ、この場所は……」
思わず言葉を失う。眼前に広がっていたのは。
宇宙船の残骸が積み重なって出来た島状の陸地だったのだ。
「何なんだ、ここは。こんな島があるなんて聞いたことないぞ」
見渡す限り、宇宙船の残骸が積み上がっている、さながら「機械島」といったところだろうか。ひしゃげたアンテナの残骸、鋭く引き裂かれたような金属の板。
少しでも触ったり、手をついたりしたら怪我をしそうなほど、手付かずのままだ。満身創痍でなければこんな宝の山を目の前にして興奮を隠しきれなかっただろうが、今は到底それどころではなかった。
金属の地面を確かめながら歩く。人の気配は全く無く、金属の軋む音がどこからともなく聞こえてきて、晴れているというのに異様に不気味だ。今にも地面が崩れてしまうのではないかという感覚すら覚える。
どれほど歩いただろうか。途中で拾った金属の棒を杖代わりにしているが、やはり身体の疲労が取れていないのか、いつもの体力が嘘のように疲れやすくなっている。直後、眼前に現れたのは、疲労を吹き飛ばすほどの衝撃だった。
「なんだこれ……でっけえ」
今まで見てきたものに比べて遥かに巨大な宇宙船の船首。それも破損は少なく、殆ど原型をとどめている。船体から伸びた翼は大気圏内での安定性を高めるための補助翼だろうか。船体上部からはアンテナのような構造物が伸びており、それらは焼け焦げたり、歪んだりはしていないのが不思議だった。
ちゃり、という微かな物音が、真後ろより迫った。
「誰だ!」
背後に突如感じる気配。慣れた手付きで小銃を構え、勢いよく振り向く。その視線の先にあったものは、また想定外の存在だった。
純白になびく髪、透き通りそうな肌、そして幼く無垢な顔立ちの小柄な少女が、こちらを見つめていた。
そのあまりの異質さに一瞬怯んだが、悟られぬよう銃を構え直す。その少女の反応は、おおよそ可愛らしいものではなかった。
「答える必要はない。侵入者であるあなたがまず名乗るべき」
ガシャンという金属音とともに、その少女はその背丈に見合わない巨大な銃を背に担いだ。見たことのない大きさの銃だ。《254AAGサウロペルタ》より遥かに大きい。この少女は、こんな巨大な銃を扱えるというのか。
「あー、ニール。俺の名前はニールだ。ここには偶然迷い込んだ。戦ったり、略奪の意思はない」
銃を捨て、少女の目を見ながら上ずった声で呟いた。少女は、こちらをじっと見つめ、
「私はネモ。この島の住人」
まっすぐな目でそう言った。
ネモと名乗ったその少女は、こちらに興味も示さない様子でスタスタと横を通り過ぎ、巨大宇宙船の中へと入ってゆく。
「な、なあ!」
「何?」
無垢な声で、少女が振り向いた。
「あー、えっと、その」
「あなたは保護対象ではないけど、危険がないのであれば排除はしない」
「それはありがたいんだが」
「じゃあ、何?」
少女の問いかけに、腹を抑えながら聞いてみる。
「く、食い物持ってない?」
「持っていない」
少女は即答した。直後訪れる沈黙。少女から向けられる視線。言葉に詰まる俺。
軋む金属と波の音だけが響いていた。
「そうか……そうだよな……」
少女に向けて伸ばした手を、控えめに下ろした。強がって笑って見せたが、空腹が収まることはなかった。全身が脱力し、思わず両膝をつく。戦勝国の攻撃機に撃たれた肩と背、そして足が悲鳴を上げていることに気付くには、とうに遅かった。
重いまぶたに抗えず、背中から情けなく倒れ込んだ。
目が覚めた。青く黒い天井を見上げる。先程まで居た場所ではないことは明白だった。
「ここは……」
体を起こす。床に固定された簡易ベッド、被せられた金属製の毛布。どうやら助けられたようだ。気を失う前に会った、あの少女だろうか。
こつこつと足音が近づいてきて、視界に映ったのはやはり白髪の少女だった。先程の巨大な銃は持っておらず、こうして見ると普通の女の子だ。リサと同じ、あるいは少し年下だろうか。
「君が、助けてくれたのか」
こくりと少女がうなずく。
「助かったよ、ありがとう」
「そう。食べ物は今でも必要としている?」
「ああ、腹が減って死にそうだ」
「わかった。あなたに今死なれると困る。だから食べ物を持ってくる」
少女はそう言うとまたどこかに消え、数分で灰色の袋を持って戻ってきた。軍用のレーション、あるいは宇宙食の類だろうか。
「おお!食い物があったのか!貰って良いのか?」
「構わない。私には必要ないから」
白髪の少女は表情ひとつ変えず、じっとこちらを見つめる。
「必要ないって、どういう」
問いかけに、少女は答えない。答えたくないのだろうか。ならば無理に聞くこともないだろう
「じゃあ、ありがたくいただくぜ、えーと、ネモ、で良いんだよな?」
「そう、私はネモ。あなたの名前はニール。さっき聞いた」
ネモは、まっすぐ見つめながら今度の問いかけに応じた。受け取ったレーションの金属包装を開封し、中身を取り出す。皿の代わりになる簡易容器と、真空パックに詰められた流動食だ。開封すると香辛料の刺激的な香りが漂い、鼻腔から食欲を刺激した。
肉と野菜をスパイスで煮込んだ異国料理。これは食べたことがある。カレーだ。小さくはあるがキューブ状の具も入っており、飽きさせない工夫もされている。
同封されていたスプーンを使い、たっぷりとすくったカレーを口に運ぶ。
口いっぱいに、肉の旨味が広がった。溶けている野菜の甘さと、味にアクセントを加えるキリッとした辛さ。冷めていても、舌の上に垂らせばとろりとほどけてゆく旨さは、思わず頬が緩むほどだった。
「うめえ……うめえ!」
どれだけ寝ていたかは定かではないが、しばらくまともに食っていなかったはずだ。まるで雨水が大地に染み込むように、飲み込んだ食事はじんわりと体を温めていくようだった。
「なあ、本当に食わなくていいのか?」
「私には必要ない」
ネモは全くと言っていいほど食事に興味を示さなかった。残ったカレーをかきこみ、ため息をつく。
「そうか、なら良いんだ。水を1杯くれたら、君の質問に答えるよ」
「私の質問に答えたら水を渡す」
「抜け目ないな……わかったよ」
ネモは至って当然のように、交換条件を持ち出してきた。小柄な体躯とその見た目から少し侮っていたが、間違いなく普通の人間ではない。身の丈を超えるほどの銃を構えていたし、彼女との対話では慎重になる必要があることを再認識した。
「あなたはどうやってこの場所を知ったの?」
「知らなかったさ。海で溺れかけて、たまたま浮かんでいた救命ポッドに乗り込んだが気を失って気づいたらこの場所に流れ着いていた」
「武装しているのは何のため?」
嘘はつかない範囲ではぐらかそうとしたが、質問が鋭い。正直に答えるべきだろう。
「――仕事だ」
瞬間、少女が動いた。片手に構えられたのは、短銃身のショットガン。並列に取り付けられた二つの銃口が、予備動作無しでの連続発砲を保証していた。
照準は、間違いなくこちらの胴体だ。並の反応速度ではない、この子は、間違いなく戦闘訓練を受けた特殊部隊かそれに近い軍人だ。
「答えて。あなたの仕事は、目的は何?」
「恐らく君が想像しているような仕事じゃない。俺は回収業者だ。海に落ちた廃棄宇宙船を水揚げして売る仕事だよ」
「普段の拠点は?あなたはどこからやってきたの?」
ネモは銃を下ろさない。表情を変えることなく、銃口を向けられ続けている。疑いが晴れるまでは照準を外してくれないだろう。
「俺が今どこにいるかは分からんが、拠点としている島から一四〇〇海里離れた海域が俺たちの仕事場だ」
「武装していたのはなぜ?」
「他の回収業者と戦うためだ。宇宙船を取りに来るやつは俺たち以外にも居るからな」
少し間を置いて、少女は続ける。
「ここに来る前に、なにか変わったことは無かった?」
ずいぶんと抽象的な質問だ。さきとはまるで違う。
「変わったことだらけだ。頭のイかれた軍人に喧嘩ふっかけられたり、戦勝国の攻撃機に殺されかけたりな」
「軍の潜水艦を破壊したのはあなた?」
「違う違う!俺じゃない!」
これは本当だ。ユーリイが外殻に損傷を与えたが、沈めたのはあの攻撃機だ。
「戦勝国の攻撃機だ!俺たちの母船もやられそうになったんだ」
「あなたはなぜ無事でいるの?あれに遭遇して無事だった地球の民間人はこれまで存在しない」
「知ったことかよ。あいつが突然爆発して粉々にならなけりゃ、俺は今ごろ君と話していないだろうな」
「そう……」
少しばかり気が楽になった。少女が銃を下ろしたのだ。
「水を持ってくる。もう楽にして構わない」
「ああ、助かるよ」
それにしても、ここは一体どこだろうか。青く暗い天井は、仄明るい照明をわずかに反射するのみだ。
「ここは、さっき俺が見た宇宙船の中なのか?」
「そう。正確には、『重量貨物輸送用宇宙往還機』。今は私の拠点」
「君は、一体何者なんだ?」
受け取ったチューブ入りの飲料水を口にしながら、横目で彼女の方を見る。
「私はネモ。この島の住人」
「それは知ってるよ、さっき聞いたからな。間違いなく戦闘訓練を受けているだろう。君は何かと戦っているのか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。」
これまたずいぶんと曖昧な答えだ。しかしそんなことに構う様子もなく、少女は続ける。
「だって私は」
少女は胸に手を当て、真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
「私は、兵器だから」
無垢な唇が、淡々と述べた。