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Log.3 【到達不能海域】

くぐもった荒波の音で目が覚める。窓には白く砕けた波飛沫が打ち付け、船体を揺らしていた。ハンモックでなければ仮眠を取ることすらままならないだろう。

「ニール」

「起きてるぜ」

 扉越しに聞いてくる少女の声に返事をする。交代で見回りをしていた彼女からの報告は、状況が迫っていることを意味していた。

 扉の軋む音。急階段を登り、ブリッジへ向かう。

「ニール!」

 ユーリイがにやにやしながら呼びかけてきた。それもそのはず、久々の「仕事」だ。俺も興奮を抑えられない。鼓動が高鳴り、呼吸をするたびに全身の血管が脈動するような感覚に襲われた。

 夜が明ける。

「リサ!他の業者の動向は?」

「まだ見えてないよ!全方位20海里に敵影なし!宇宙船もまだ見えないけど」

 リサ――当直に代わった少女が報告する。俺やユーリイと同じく、「アンカー」のリーダー格であるリサは、年齢こそ幼いものの洞察力に優れ、加えてメカニックの知識も十分にある。

「よし、戦闘準備だ。今回の獲物は向こう岸寄りに落ちたかもしれない。俺が先行して、早めに仕掛ける」

「よっしゃ!見張り交代!戦闘開始までしっかり寝とけ!」

 ユーリイの号令に頷いた俺は、次の指示を出した。

「夜明けを待つ。俺が指示したら小型艇を出せ。宇宙船を回収したら煙幕焚いて離脱する!援護頼んだぞ!」

 荒れる波と空。近づいてきた。「到達不能海域」。人が寄り付かず、宇宙から金属のカタマリを落とすには絶好の場所だ。

 漆黒の空が、少しづつ白を混ぜてきた。

 まもなく始まる。俺たちの「狩り」だ。

 しかしその出鼻を挫くように、日焼け肌の少女が小声で囁いてきた。

「ニール、聞いて、ニール」

「リサか?どうした、声を潜めて」

「様子が変だ。宇宙船の残骸が視認できる距離なのに、敵の影一つない。ユーリイは取りに行くって言ったんだけど、罠かと思って」

 外に出る。荒波と強風を気に留めず、手渡された双眼鏡で少女が指さした方向を注視する。

「何だと?こんなデカい獲物、奴らが情報を掴んでいない筈がない」

「でも敵がいねえんだったらさっさと回収しちまえば良いだろ。254AAGサウロペルタがあれば奇襲してくる小型艇くらい1発で抜ける」

 せっかくの小声を、ユーリイはお構いなしに拾ってやってきた。

「それもそうだがユーリイ、これまでの回収で同業者が現れなかったことがあるか?」

「それは……確かにそうだけどよ」

「あまりにも不自然すぎるんだ。何者かの罠かもしれない。場合によっては回収を諦めて引き上げる」

「な、マジで言ってるのか?すぐそこにあるんだぜ?」

「人間は欲を出すと死ぬ。死んだら元も子もないだろ。一度くらい回収できなくても死にはしないさ」

「だからってよ……」

 ユーリイは不満を露に、尻すぼみな声で吐き捨てた。

「なにも今すぐ諦めるとは言ってない」

 すかさず応えた。

「曳航だ!ロープつなげ!」

「ニール!」

 出した指示に、ついさっきまで不機嫌だったユーリイは小動物のように跳ね回り、歓喜しながらせっせと作業を始めた。

「少しでも危険があれば切り離して離脱だからな!」

「わかってるって!」

 釘を刺すが、まるで聞く耳を持たないユーリイ。直後、

「ニール!9時の方向!」

 リサが叫んだ。

「何だ!」

「敵機来襲だ!対象1機!対空砲狙え!」

 中型の飛行艇が、大きく旋回しながらこちらに向かってくる。しかし、

「撃つな!様子がおかしい!」

 直感で指示を上書きする。

 アンカーまで迫ってきたその飛行艇は、黒煙を噴き上げていた。

 それはふらふらと揺れながら近づいてきたかと思えば爆発し、炎を上げながら翼を失った胴体を海面に叩きつけた。

「おい!どういうことだよ!」

「小型艇を出せ!生存者を救助する!リサ!警戒を強化するよう伝えてくれ!ユーリイは現場の指揮!」

「はあ?ニールはどうするんだよ」

「奴らの救助に向かう!なにか知ってるかもしれん」

「それこそ罠かもしれないぞ」

「戦場で情報は命だ。ここで情報を取り逃したら俺たちが死ぬかもしれない。生存者の救助を条件に情報を引き出す」

「あーもう、わかったよ!勝手に死んだらぶっ殺すからな!」

 ユーリイは少し癇癪気味に、諦めたような口調で送り出してくれた。

 初めてだ、こんな状況。向こう岸の回収業者がすでにやり合っていた?いや、だとすれば新しい敵のこんなデカい船を見て、壊れかけの機体で近づいてくるか?

 奴らは間違いなく、俺たちに助けを求めているはずだ。

 沈みかけている飛行艇にボートを横付けする。今回の同行者はなしだ。万が一に備え、犠牲を最小限に留めるためだ。

「ひどいな、何にやられたんだ、これ」

 機内には、業者だろうか、あるものは首の骨を折り、あるものは大量に失血し、そしてあるものは肉体を焦がしていた。

「おい!無事か!」

 操縦席に座っていた男は、辛うじて息がありそうだった。

「お前……同業者か……」

「そうだ、俺も回収業者だ!お前を助けに来た!敵かもしれんが今そんなこと言ってる場合じゃないだろう」

「早く……海域ここを離れろ……ヘマをした。俺たちは全滅だ」

 男が荒い呼吸の中、苦しそうに警告する。

「何があった!他の業者か?」

 男は、ゆっくりと首を横に振った。

「違う……来たのは……軍だ」

――鼓動が加速する。脳裏に冷ややかな電流が走った。

 爆発。轟音とともに、熱風と衝撃波が背を焼いた。

 後方からだ。思わず振り返る。目に映ったのは、爆煙を上げながら炎に包まれる母船の姿だった。

「ユーリイ!!」

『――大丈夫だ!めちゃくちゃ揺れたが船体に穴は空いてねえ!さすが宇宙合金だぜ』

「船体に損傷はないんだな!」

『ああ、いま消火チームを組んで消火に当たらせてる』

「よし、消火は続けつつ発煙装置を起動だ。機関出力を落として低速で航行!損傷偽装だ!」

『了解!やられたフリして大人しくしてるぜ』

 無線越しに聞くユーリイの声は、いくらかの余裕がありそうだった。

 炎に包まれていたアンカーは噴き上げるものを被弾による爆煙からダミーのスモークへと変え、低速ながら大げさに旋回してみせた。相手はどうせ軍だ。下手に抵抗したところで意味もないし、総力ではかなわないだろう。だからこそ深手を負ったフリをして見逃してもらおうといった魂胆だ。

 軍。地球連合軍の略称だ。4度目の世界大戦の後、戦勝国たちは地球環境の劣悪化をうけて月へと移民していった。世界が分裂する前は各国が協力して月面開発を行い、小規模ながらも一部の金持ちや実業家は新天地を求めて向かったこともあり、月の人口は少しづつ増えていったらしい。

 戦勝国の分割統治が進む月では、埋蔵資源や水の利権争いなんかでまた戦争が起きて、そこでの敗戦国たちが軌道上に要塞衛星を建設して新しい一つの国になったらしい。そいつらがデカい輸送艦を引き連れて地球まで資源を盗みに来るもんだから、地球に残された敗戦国たちも手を取り合って抵抗しているという話だ。

 今まで奴らが俺たちに攻撃をしてきたことはなかったが、見逃されていたということだろうか。その点だけが残された疑問だった。

 ふと、足元に巨大な振動を感じる。バカを言え、ここは海の上だぞと自分に言い聞かせつつもその振動はますます大きくなってゆく。

 直後、息継ぎをする大鯨のごとく漆黒の鉄塊が現れた。潜水艦だ。そのあまりにものデカさに腰を抜かしそうになるが、ここで取り乱してはならない。

『ニール!なんだこのデケえのは!』

 ユーリイからの無線が入る。

「軍の潜水艦だ!ユーリイ、俺は恐らく生きて戻れない。海域を離脱してくれ」

『はあ!?何言ってんだよ!』

「軍だぞ!文明の差がありすぎる!こいつらとやり合おうと思うな!奴らの狙いは俺だ。大人しく逃げれば追われもしない」

 そう。これは明らかな威圧、そして俺たちを殺すこととは別の意図があるに違いない。殺すだけならわざわざ浮上したりしない。

 その予感はまさしく的中した。潜水艦のハッチから顔をのぞかせた二人組。現場の戦闘員にしては年を取りすぎている。高官クラスだろうか。俺は両手を上げ、抵抗しない意思を示した。

「君が海賊のリーダーか?話がある」

「海賊じゃねえ、『回収業者』だ。俺はリーダーのニール。さっきお前らから受けたミサイルのせいで部下が死んだ」

「それは悪いことをしたな。言いたいことはそれだけか?あのボロ船を今から沈めても構わんが」

 まるで相手にされていない、圧倒的優位を背景とした一方的な言いようだった。

「何が目的だ?わざわざこんな海域に来てまで欲しい物でもあったのか?」

「君たちがここで何をやっているのか気になってね。我々の宇宙船を引き上げて何をしようとしている。地球政府への反逆を企んでいるならやめておけ」

 顔中シワだらけの高官が威圧的に言い放った。しかしそのあまりにも的はずれな発言に思わず失笑した。

「お前ら、そんなこと考えてここまで来たのかよ」

「今ここで何を言おうと構わん。去勢で笑うのも程々にしたまえ」

「あのなあ、俺たちが何で回収業者やってると思う?戦争のせいで腐った街の中で生きていくためだ!金属は高値で売れるんだよ、宇宙合金は特にな!」

「ふざけたことを、あるかもわからない宇宙船の残骸を拾うためだけにこの海域まで来てるというのか」

「ああそうだ。そんだけリスク負ってもオツリが来る。スラムの労働力を安く買い叩いているのがお前らだということも知っている。ただ生きていくためなんだよ!」

 やり場のない怒りさえこみ上げて、声が少し上ずった。そうだ。これは生活のため。そして政府や上級国民がやったように、俺たちだけの街を作ってやる。安値で働く他の奴らは知ったこっちゃねえ。俺たちはそのためにこうやって回収業者をやっている。

「即興の演技にしては上出来だな。吐かないならば始末するまでだ」

「はあ!?本気でイかれてるのか」

 思わず吐き捨てた。直後、轟音で切り取られた視界を白が満たした。

 ミサイルだ。潜水艦から、ミサイルが発射された。おそらく先程アンカーを攻撃したものだ。それが向かう先は。

 黒煙を上げながら航行する、俺たちの母船だった。

「ユーリイ、ミサイルだ!機関全速!衝撃に備えろ!」

 無線機に怒鳴りつける。 

『おいおいおいマジかよ!』

 その言葉の次に聞こえてきたのは、磁気嵐のような雑音と僅かな悲鳴。それを最後に、無線機は音を発しなくなった。

「何しやがる!お前らこそ何のためにこんなこと!」

「君が存外強情でね。第二衛星との繋がりがあるという可能性を排除できない以上、君たちのような工作員には消えてもらうよりほかない」

「ほんっとに頭イかれてるぜ!生活に苦しんでいる孤児の集まりが国同士の争いに首突っ込んでいる暇なんかねえんだよ!」

「それはどうかな。先程沈めた船の連中は泣きながら許しを請うていたぞ」

「お前が聞く耳持たないからだろ!くそっ!」

 遠くに見えるアンカーに目をやる。燃え上がる炎と噴き上がる黒煙は、偽装ではないだろう。そもそもこの距離で、進むことができているのかさえ判別できない。もしかすると、航行不能なダメージを負っているかもしれない、そんな不安が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

「君だけなら生かしてやらないこともない。過酷な環境を生き抜いて体格も申し分ない君を軍は快く受け入れるだろう」

「お前が指揮する軍ならこの現場より早死にしそうだな」

 戯言を鼻であしらったはいいものの、この状況で勝つ算段は薄い。被弾したアンカー、数的不利の状況、技術力の格差、話の通じない相手。

 こんなところで死んでたまるか。どんな状況でも、生き残る方法は必ずある。俺はずっとそう信じて生きてきた。たとえそれが、他力の可能性であったとしても。何か、このイカれ軍人か潜水艦に有効打を与える方法は――。

 鋭い金属音が響く。直後、破裂音とともに潜水艦の装甲がめくれあがった。機銃サイズの徹甲弾、着弾後の爆発。遅延信管だ。

「何事だ!」

 イカれ軍人が取り乱す。思わず笑いがこぼれた。

「やるじゃねえか、ユーリイ!」

『やっと使うことが出来たぜ!船の方は心配すんな』

 254AAGサウロペルタ。歩兵が携行可能な即応性と装甲車両の破壊も可能とした戦前の対空機銃だ。その性能から数多くの発注があったものの多くの国が調達を終える前に製造企業の工場が破壊され、そのカタログスペックを発揮することなく闇市へ流れたという。

「それを聞きたかった。艦の前方部分を狙ってくれ。ここからミサイルを発射していた」

『了解!』

「こんなガキどもがなぜこんな兵器を保有している!やはり反逆だ!ミサイル撃て!今すぐだ!」

「なにが反逆だ!先に仕掛けてきたのはお前らだろうが!」

 もう我慢する必要はない。俺はイカれ軍人の股間を思い切り蹴り飛ばした。

 発射されるミサイル。直後徹甲弾が発射セルを爆破したが、間に合わなかった。

 母船に向け、まっすぐに直進するミサイル。

 狙撃の名手と傑作対空機銃が、その熱源を正確に捉えていた。

 打ち出される25.4mm対空迎撃弾。その弾丸は慣性飛行しつつ展開された3枚のフィンによって軌道を微調整する。

 超音速で飛来するミサイルの弾頭部分に、成型炸薬の金属噴流が突き刺さった。

 どんよりと曇った灰色の空の中、刹那に紅炎が弾けた。

 足元でうずくまるイカれ軍人を転がし、睨みつける。

「俺たちは回収業者だ。お前らの相手なんかしてる暇はねえ」

「ふざけた……ことを」

「俺たちにこれ以上関わるな。今すぐこの潜水艦を沈めてもいいんだぞ」

「……馬鹿め、潜水艦の武装がミサイルだけだとでも思っているのか?」

「――ああそうだな。艦首の魚雷と艦尾の自走機雷、それから搭乗員が携行ミサイルを発射することもできるか」

「どちらにせよ……君たちに勝ち目は……ない」

 俺はわざとらしくため息をついた

「なあ、俺たちの船があれだけだと思うか?」

「この期に及んでまだふざけるか?そんなこと既に調査済みだ」

「もう一度探してみたほうがいいぜ。水の中とかな」

「な!?潜水艦だと!?」

「音響探知はほとんど役に立たないだろうな。この海域は沈んだ回収業者の船や宇宙船の残骸が海中を無数に漂っている。お前らもこの海域で動くときに気をつけていたはずだが」

「抜かせ!」

「もう決着はついた。大人しく帰れよ。艦が動くうちにな。海域ここ、夜は荒れるぜ。」

 イカれ軍人は顔を真っ赤にしながら何やらごちゃごちゃ喚いていた。

 飛行艇に横付けしたボートのエンジンをかける。聞き慣れた快音とともに黒い排気が鼻腔を刺激した。

「おいおっさん、生きてるか?俺たちの船で治療してやる。」

 片腕を失った飛行艇の操縦手は、朦朧としながらもまだ息はありそうだ。

 立ち往生する潜水艦を後目に、ボートは心地よいスピードで進み始めた。

「リサ、聞こえるか?負傷者を一人連れて行く。救護班の準備をしておいてくれ」

『了解だよ、でもニール、ばっちりキマってたね、あのハッタリ』

『俺もビビったぜ!潜水艦なんて今日初めて見たぜ』

「ああ、俺も笑いそうになった!ミサイルでの死傷者は?」

『……二人死んだ。イェンとラシードだ。あとはマルセルが重傷で、出血は止めたが俺たちじゃ治せそうにない』

「そうか……すまない」

『そんなこと言ってもしょうがないよ!みんなニールに付いていくって決めてるんだから!』

『そうだぜ、あいつらだって、ニールのせいじゃないってのはわかってるし、これまでもそうだった。帰ろうぜ。獲物もバッチリだしな!』

『ホント、調子いいよね、ユーリイは』

 無線機から心地よいやりとりが聞こえてくる。ああ、そうだ。俺達は回収業者、常に死と隣合わせの危険な仕事だ。最近は死者を出すことも少なくなっていたが、その重圧を改めて思い知らされる。そんな重荷を一緒に背負ってくれるユーリイやリサは家族のように大切な存在だ。今もこうして、明るいやり取りで俺を勇気づけてくれる。彼らだって、全くの無傷では無いだろうに。

 だが改めて思う。今ここでうつむいている場合ではない。今日を、そして明日を生きていくためにできることを精一杯やる。それがラシードとイェンのためにできることだ。彼らの死は絶対に無駄にしない。

 その直後だった。後方から巨大な爆発音と熱風が襲いかかってきた。思わず振り返る。さっきまでそこにあったはずの、イカれ軍人が乗っていた潜水艦が跡形もなく消えている。残されたのは白い湯気を立ち上らせながらボコボコと煮立つ海面と、水中からわずかに届く断続的な爆発の閃光のみだった。

 何が起こったのか。状況がまるで理解できない。不運なことに、それらを考える暇もなく、その元凶は頭上より現れた。

 俺たちの技術水準から見たら、それは「異形」と呼んで差し支えないものだった。

 軍の兵器、というわけでもなさそうだ。小型艇とほぼ同じ大きさの不気味に発光する球体を中心から放射状に伸びた4つの鋏脚。甲殻類の爪のような噴射口から青い炎を吹き出し浮いている。それらの中心には見たこともない大きさの砲身がぶら下がっており、その砲口はいまだ煌々と赤みを帯びていた。

 軍の潜水艦を一瞬で沈めたのはこいつだろうか。理解できるのが、こいつが味方ではなく、俺たちの敵になり得るということ、そして軍とは比較にならない戦闘能力をこの異形が持っていることだ。 

 その飛行物体はボートを追い越したかと思えば距離を保ちながら飛行を続けている。何だか見られているような気分だ。

「リサ、聞こえてるか」

『聞こえてるよ!どうしたの?』

「変なやつにマークされている。戦勝国の機体かもしれない。確認できるか?」

『レーダーの反応はニールだけだよ?』

「目視で確認してくれ!」

『了解!――ニール!そいつ敵だ!宇宙の無人攻撃機!絶対攻撃しちゃダメ!攻撃したら殺される!』

「なんだと!どうすりゃいい!」

『わかんないよ!エンジン切って!そいつに無害と認識させられるかも』

「わかった」

 船足を止め、攻撃機を見上げる。攻撃機はしばし浮遊したままニールの前で静止すると、今度はアンカーの方角へとんでもないスピードで飛んでいった。

「リサ!ユーリイ!そっち行ったぞ!気をつけろ!」

『気をつけるって行ったってどうするんだよ!』

『ユーリイ!機銃のセンサー!切って!早く!』

『やべえ、254AAGのマーカーがあの無人機をロックしちまってる!撃ってなけりゃセーフだよな?』

『アウトだよ!敵勢力の排除が終わるまで止まらないんだ!あたしの故郷もあいつにやられたんだ!』

『ちくしょう!船内に逃げ込め!』

 攻撃機は毒針を突き刺す蜂のように砲身をアンカーへ向けると、その砲門から巨大な弾丸を発射した。4つの推進機で反動を相殺し、なおもアンカーへ向けて超音速で飛行を続ける。打ち出された砲弾は勢いよく着弾するかと思いきや衝突寸前で分解し、無数の子弾を放出した。

 針のような無数の弾頭が船殻に突き刺さる。それはたちまち爆発し、軍のミサイル攻撃に耐えた堅牢な宇宙合金の装甲をいとも簡単に引き裂いた。

『おいおいおいヤベえって!』

『ニール!助けて!』

 先ほどとは比べ物にならない悲鳴が無線機から伝わってくる。

「ちくしょう!俺たちの船に好き勝手してんじゃねえ!」

 全く冷静かつ合理的な判断ではなかった。無意識に肩から下げていた小銃を構え、引き金を引いていた。攻撃機まで数キロメートルの距離。発射された劣化ウラン弾が、その攻撃機を捉えることはなかった。

「今のうちに逃げろ!お前らを絶対死なせねえ!」

『何いってんの!迎えに行くよ!』

 リサの絶叫が、無線機越しに届いた。

 しかし、攻撃機のあまりにも高精度なセンサーは、かすりもしない小銃の攻撃を敵性とみなしてくれたようだ。

 攻撃機はわかりやすくこちらを向くと、機体上部からポンポンとなにやら射出する。対人用の小型ミサイルだ。コンマ数秒の時間差で点火したミサイルはこちらへ向けて一直線で飛翔してきた。

「ユーリイ!あとは頼む!リサ!みんな、元気でな」

『ニール!ニール!なんでユーリイは何も言わないの!』

 無線機から聴こえてくるのは年端も行かない少女の嗚咽だった。

「ユーリイ!」

 弾倉を交換し、撃ち続ける。視界の中のアンカーが、少しずつ小さくなってゆく。そうだ。これでいい。

『――分かった。ニール、ありがとうな。ちゃんと戻るんだろうな』

「ああ、こんなところで死んでたまるかよ」

『――ヘマはするなよ!』

 かけがえのない家族からの最後の声は、強がりつつも唇を震わせていた。ユーリイの悪い癖だ。強がったり、悔しいときは決まって声を震わせる。わかりやすいやつだ。リサは素直に喜んだり怒ったりするからさっきみたいに泣いていた。リサも子供っぽいところがあるが、性格としてはユーリイより大人だ。

 眼前。ミサイルが弾けた。破裂し、無数の金属球が飛散する。

「ちくしょう!風邪引くのはゴメンだ!」

 意を決し、海の中へ飛び込んだ。

 冷たい。顔や首元に当たる海水の感触。防水性の軍服は水を通さなかったが、服の隙間から少しずつそれらは侵食してきた。

 今は深く、より深く潜れ。殺傷圏内から離れなくては。

 直後、肉が弾ける断続的な感触があった。

 右肩と背中、そして左足。ちくしょう、食らっちまった。

 冷たい海水の感触は、傷口からにじみ出た血がそれらを少し温めた。まずい。これは血が止まっていない。

 心臓がバクバクと加速する。しかしどうだ。これで俺が死んだと思えば奴も追撃してこないだろう。

 水中で、くぐもった爆発音が衝撃とともに押し寄せた。

 さっきまで乗っていた小型艇が、まるで紙のようにくしゃくしゃに潰れ、焼け焦げていた。

 船だったものは触れる海水をボコボコと泡立たせながら沈んでゆく。

 脳裏を支配する感情が、生への執着から恐怖へと、少しずつ塗り替えられていくのを実感した。

「がはっ!!」

 こらえきれず、海面に顔を出した。普段より息が持たなかった。浅く早い呼吸を繰り返し、なんとか体勢を整えようとあたりを見回す。攻撃機は、こちらに気づいていないのか、あたりを旋回している。もう姿を見たくないと思うほどだったが、これでアンカーを沈められては元も子もない。

「くそっバカだな、俺」

 今まで、どんなことをしてでも生きようとしてきた。たとえ仲間を売ったり、目の前の同業者を殺したり。俺は卑怯な人間だ。それらの行いが今になってツケとして回ってきたのだろう。それでも家族を、ユーリイやリサ、そしてアンカーの皆を守るためならここで死ぬのも悪くねえ。

「頼むぜ、動いてくれよ」

 感覚もほとんど残っていない両足で冷たい海水をかきながら、完全に水没した小銃を震える手で構える。照準が定まらない。肩も痛え。でも当たらなくてもいい。あいつは高性能だからな。まだ死に損ないが居ると分かればわざわざ殺しにやってくるだろう。

 タン、タンと、小銃から断続的な発砲があった。さすがは300年モノのベストセラーだ。水没していようが、錆びていようが、焼け焦げていようが、部品が欠損していようが発射機構さえ残っていれば弾が出る。決めた。死ぬまでこの銃は手放さない。命を守ってくれるのはこいつにほかならない。

 甲高い推進音が近づいてくる。引っ掛かりやがったな。あとはイチかバチかだ。

 腰のピンを抜き、手に持ったそれを放り投げる。そしてまた海面に潜り、耳を塞いだ。

 真っ白な閃光とともに、快音が鳴り響いた。スタングレネード。対人用の非殺傷爆弾だが、撹乱用の金属粉末も同時に撒き散らすシロモノだ。機械のセンサーを狂わせることはできるか?

 海面に顔を出す。結論から言えば、それは無意味な抵抗だった。

 攻撃機は無慈悲にも砲口を向けてきて、しかし発砲する様子がない。思考が絶望に書き換えられてゆく、一瞬にも永遠にも思えたその刹那。

 強烈な爆炎とともに、攻撃機が跡形もなく四散した。身を打つ衝撃波と遅れてやってくる轟音。それを最後に音を感知できなくなった。暗転しかけた視界に映るのは、攻撃機の破片が落ちたのか海面が波打つ様子のみだった。

 脳が揺れる。右の鼓膜がおそらく破れた。海水によって冷えた全身の感覚は薄れ、思考もぼんやりとしていることが自覚できる。弾を食らった痛みすら遠のいてきた。

 だが、まだ俺は死んでいない。死ぬことは簡単だ。今まで何度も死を覚悟してきたが、一度たりとも諦めなかった。これは持論だが、考えるのをやめれば死ぬ。裏を返せば、考えるのをやめなければ死なないということだ。

「ちくしょう、こんなところで死んでたまるか」

 口に出し、自分に言い聞かせる。辺り一面は荒れた海。岸や船は見当たらず、先程まで乗っていた小型艇は黒焦げになって海の藻屑と消えた。航路から遠く離れたこの海域を民間船舶が通ることはないし、新たな宇宙船が落ちてこない限り回収業者が現れることもない。何にせよ、この状況を打開するには己のみが頼りということだ。

「クソッ、何か、何か使えるもの!」

 消耗する体力に抗うように苛立ちが湧き上がってくる。灰色に濁った空と黒く塗りつぶされた海面、辛うじて海面上に出た顔には突風が吹き付け、確実に体力を奪ってゆく。

 もはや望みも尽きかけたと思ったその時、それは視界に映った。

 荒波に揉まれながらも浮き続ける、白く塗装された宇宙船。軍との交戦前にアンカーが曳航していた、今回の「獲物」だ。表面はところどころ焼け焦げた形跡があるものの、浮かんでいるということは内部に気密が保たれている区画が残っている証拠だ。

 言葉を発する前に、体が動いていた。全身の筋肉が躍動する。生きる力すべてを振り絞り、ひたすらに泳いだ。呼吸がうまく出来ず、少し水を飲んだが、苦しくとも足を止めずに水を掻いた。

「がはっ――ハア、ハア、ゴホッ」

 手の先に新たに掴んだ、金属の確かな感触。浮かぶ宇宙船の上によじ登り飲み込んでいた海水を思わず吐き出す。荒く肩で呼吸をするが、息が整わない。体が冷えているのか、被弾による痛覚は幸い少ないが、ひどく疲れているのを実感する。

 麻痺していた感覚が、徐々に戻ってくる。海水の冷たさから逃れたかと思えば、今度は吹き付ける強風が体を冷やした。

「はあ、はあっ、クソッ」

 唇を震わせながら、両手を使って気密弁を回し、扉を開く。圧力差によって感触は固く、開くとともに密封空間に僅かな空気が流れ込んだ。

 この宇宙船はおそらく乗員の長期滞在を想定していないタイプだ。救助要請を発信してから救援部隊到着までの生命維持はできるかもしれないが、問題は通信系がやられていることだ。

 宇宙船が大気圏に突入すると、暫くの間通信が不能になる。正常に突入できていれば通信系は再び使えるようになるが、この宇宙船はおそらく廃棄躯体。大気圏で燃え尽きさせようと投入されたはずで、通信アンテナはじめ、船殻以外は損傷が激しかった。

「ちくしょう、寒いな」

 雨風をしのげても、冷え切った体は温まらない。船内を見回す。――あった、緊急用の生命維持装置。これがどんな代物かは知らないが、起動すれば今よりマシになるだろう。きっと宇宙の技術で体が温まって、傷も治療され、腹は――満たされないか。ガイドの表記に従って、装置の起動を行う。設置されたボタンを押すのではなく、ぶら下がった紐を引っ張って起動するようだ。なんとも宇宙らしくないと思ったが、電子系がやられたときでも起動できるようにアナログな仕掛けなのだろう。ぶら下がった紐の硬い感触を気にせず、思い切り引っ張った。

 体が温まって疲れが取れる――などと期待した俺が馬鹿だった。引っ張った紐の先についていた金属製の袋から溢れ出したのは白く煙るガスだ。ひんやりとした冷気が足元を覆い尽くした。

「おいおいおい生命維持ってそういうことかよ!」

 凍りついて動かなくなる足元を見ながら苛立ちを隠せずに叫んだ。このガスは体を急速冷凍して長期休眠状態にする仕掛けだ。こんな誰もいないところで一人で凍りついているのでは死ぬのも時間の問題だ。そしてこのアナログ装置、起動したが最後、止める手段はなさそうだ。

「ちくしょおおおおお!こんなところで死んでたまるかよおおお!」

 手を伸ばしたのは、もう一つの緊急装備。強制脱出装置だ。もう腰のあたりまで凍っているが、どうせ死ぬなら一か八かだ。

 スイッチを覆うガラスを拳で叩き割り、レバーを掴んで回し引く。

 直後、衝撃とともに強烈な重力負荷が全身を襲った。爆裂ボルトによって宇宙船から切り離された居住区画が、脱出用ロケットで空高く舞い上がったのだ。

 居住区画にある唯一の窓から最後に見えたのは、みるみるうちに遠のいてゆく海面だった。

「絶対死なねえ、絶対死なねえ、生き延びてやる!生きて――」

 暗転した視界、遠のく意識の中、ざぶんという着水音のみが脳裏に響いていた。



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