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悪役令嬢&ご令嬢物語

わたくしのせいではありませんでした

「ルビディア・セイロンアール侯爵令嬢。貴方との婚約は解消させて欲しい」


 物心ついた頃から慕っていたケビン殿下にそう告げられたのは何故なのか。

 婚約者として至らないところがあるのならば直せばいい。

 それがどんなに辛くとも、わたくしはやり遂げる自信があった。

 ケビン殿下と共に過ごせるのであれば、わたくしはそれ以上を望みなどしないのだから。

 

 けれど現実は残酷だ。


 婚約の解消はわたくしの落ち度ではなかった。

 ケビン殿下の婚約者として、家柄も容姿も教養も何もかもわたくしには備わっていたのだから。


 わたくしの家はセイロンアール侯爵家だ。

 お父様は外交官を務め、グレイお義兄(にい)様はケビン殿下の兄上であるブラディン王太子の側近だ。

 

 王子妃教育の厳しい先生方からもルビディアであればなんら問題はないとお墨付きを頂いていた。


 紅蓮姫と呼ばれていたお母様によく似た容姿は、侯爵家に仕えるメイド達のおかげで毎日爪の先まで磨き抜かれ、美しいと評された。

 

 けれどそれでも、ケビン殿下の婚約者として隣に並び立つには不足していたのか。

 別れを切り出されて、涙を堪えることが出来なかったことが悪いのか。

 

 ……わたくしが存在していたことが悪かったのか。


 いつの頃からか、王宮に見知らぬご令嬢が訪れるようになった。

 ユリアナ・アンリーシュ男爵令嬢。

 小柄で、明るいアッシュグレイの髪色はふわりと柔らかく、光の加減で太陽のように輝く金色の瞳が美しい令嬢だった。

 そのご令嬢は王宮で働く自身の父親に忘れ物を届けに来たが、広い王宮だ。

 迷ってしまったところをケビン殿下に出会い、助けてもらったのだという。


 時折王宮で見かけるようになった彼女の隣には、いつでもケビン殿下がいらした。


 男爵令嬢であるユリアナはその身分からは到底想定出来ないような洗練された仕草で、目上のわたくしにカーテシーを披露した。

 無論、それは王子妃として教育を施されたわたくしよりも幾分も劣るものだった。

 けれどわたくしはその仕草を見た時から、胸の痛みが止まらなかった。


 男爵令嬢らしく平民のような仕草であったなら、特に気にも留めなかったのかもしれない。

 それなのに彼女は王宮に通うようになり、どんどん所作が美しくなっていく。

 何故なのか考えたくなかった。

 隣に並ぶケビン殿下の、彼女を見つめる優しい瞳からも目をそらし続けた。


 だから。

 逃げ続けた現実を突きつけられて、わたくしは耐えることが出来なかったのだ。

 もっと早くに気づいて覚悟を決めていられたなら、これほどまでに絶望せずに済んだのに。


 わたくしに落ち度があるわけではない。

 ただ、ケビン殿下が、心から愛する人と出会ってしまっただけなのだ。


 そう、心の中で思い続けようとも、わたくしはどうしても自分の至らなさを責めずにはいられなかった。

 もしも、彼女のように愛らしいドレスを好んでいたなら。

 もしも、彼女のような魅力を持っていたなら。

 もしも、彼女のように、殿下の前でだけは貴族らしくない、本当の笑顔を向けていたなら。


 もしももしももしも。


 いつしか思考は堂々巡りを繰り返し、わたくしは、気づけば刃物を自身の身体に突き立てていた。


◇◇◇◇◇


「ルビディアお嬢様。本日は隣国より取り寄せた香りのよい紅茶をご用意させて頂きました」


 侍女のバデラがそう声をかけてくるが、わたくしはベッドの上から力なく首を振る。

 泣きそうな顔の侍女の姿を見ると胸が痛むが、もうわたくしにはどうすることも出来ない。


 最愛のケビン殿下から婚約解消を伝えられたあの日。

 わたくしは、自分の感情を律することが出来ず、涙をこぼしたばかりか、自死を選んでしまった。

 非力なわたくしではナイフの刃は心の臓に届くことはなく死に至ることはなかった。


 殿下の婚約者としてあるまじき失態。

 侯爵令嬢とだけ見てもありえない愚行は、我が家の家名を大きく傷つけた。

 だというのに、家族も使用人たちも、皆優しい。

 自死を選びながらも死にきれなかったわたくしには、何の価値もないというのに。


「ルビディア、紅茶を飲むことすら、辛いかい……?」

 

 義兄(あに)のグレイがいつの間にかベッドの側に来ていた。

 意識がぼんやりとして、定まらないことが増えた。

 きっと、わたくしはもう長くない。

 けれどそれでよいと思う。

 ケビン殿下のお心を繋ぎ止めることも出来ず、惨めにも生き延びてしまった。

 社交界では、お義兄(にい)様も噂話の的にされているようだ。


『ルビディア様が王家に嫁ぐから、後継ぎとして引き取られたのに』

『彼女はもう他家に嫁ぐことなど出来ないわ。胸の傷は一生治らないそうよ』

『婚約者とも不仲になられたとか。お可哀想に』


 社交界でそのように噂されているのだとメイド達の話し声から伝わってきていた。

 声に気づいたバデラがすぐにメイド達に注意してくれたけれど、きっとお義兄様はわたくしのせいで誹謗中傷の的にされているのだろう。


 わたくしが存在していることが悪いのだ、何もかも。

 この世界からわたくしという存在が消えてしまえば、きっと噂も消えてくれるだろう。

 あの日からわたくしは食事を受け付けなくなった。

 早くこの世界から消えてなくなりたいという思いがそうさせているのだろう。


「ルビディア……っ」


 わたくしの手を握りしめ、お義兄様は泣いていた。

 その手を握り返すことすらもう出来ない。

 ごめんなさい、お義兄様。

 わたくしは、早く消えてなくなりたいのです。

 全部、全部、わたくしが悪いのです。

 どうか泣かないで。


◇◇◇◇◇◇


 ふと気が付くと、わたくしは見知らぬ場所にいた。

 いえ、見知らぬ、という言い方は不適切だ。

 朱塗りの屋敷には見覚えがある。

 そう、マドラム王国だ。

 小さな頃、義兄に連れられて視察という名の観光に行ったのだ。

 我が国とは城の作りも服装すらも違う異国に、幼い日のわたくしは胸をときめかせた。

 けれど何故だろう。

 小さな頃に来ただけの場所なのに、まるでいま住んでいるかのようだ。

 マドラム王国独特のマドラム服と呼ばれるそれは、薄い布を何枚も重ねて作るドレスで、わたくしは今それをまとっている。

 部屋の中は知らないはずなのに知っている、そんな奇妙な感覚にとらわれる。


「アディさま、どうされまして?」


 不意に黙ってしまったわたくしに、侍女が首をかしげる。

 黒髪が美しい侍女に何でもないと微笑んで、内心困惑する。

 アディ・ジュレ伯爵令嬢。

 それが自分の名前だと認識してしまっている。

 わたくしは、ルビディア・セイロンアールだというのに。

 側に控える侍女のことも当たり前のように思っているが、わたくしの侍女はバデラで、彼女は黒髪ではなく銀髪だ。

 ふと、部屋の中をもう一度見渡すと、本棚の中で赤い背表紙の本がやけに目についた。

 よくある恋愛小説のようだ。

 侍女に下がるように命じ、わたくしはページをめくる。

 読み進めるにつれ、わたくしは指の震えが止まらない。


『悪女ルビディア』


 愛し合う殿下と男爵令嬢の恋を邪魔する公爵令嬢は、わたくしだ。

 公爵家の権力をもって、男爵家を取り潰そうとするがうまくいかない。

 悪女ルビディアは殿下を愛するあまり醜い嫉妬に身を任せ、手にしたナイフをヒロインに突き立てる。

 あわや命の火が消えかける男爵令嬢は、けれど王子との真実の愛の力で一命を取り留めるのだ。

 二人の美しい愛の力に敗北を悟ったルビディアは、二人の前から姿を消す。


 これは、この物語は、わたくしのことでは……?


 男爵令嬢たる彼女を害したことはない。

 ナイフで刺したのは自分の胸だ。

 けれど、あまりにも酷似していた。


 わたくしは、物語の中にいたの……?

 

 わからない。

 悪女を排し、王子と男爵令嬢が幸せに微笑んで物語は終わってしまった。

 本の中のルビディアのその後は描かれていない。

 描かれていないということは、どこかで、亡くなったのだろうか?

 それとも、『生きている』のだろうか。

 

 わたくしは、死んで、アディに生まれ変わったの……?

 いえ、そんなはずはない。

 いまこの場所がまるで現実のように感じているが、これは同時に現実ではないと感じてもいるのだ。

 誰か別の人の記憶をたどっているような、違和感。


 ならばわたくしは何だろう。

 ルビディアは悪女で、物語の中の悪役で、最初から、そう決まっていた存在……?

 わたくしの努力も想いも、最初から決められていて、だから、『わたくしのせいではない』の……?


 くらりと眩暈を感じる。

 椅子に座っていることすら困難で、わたくしはそのまま床に崩れ落ちた。


◇◇◇◇◇◇

 

「ルビディア!」


 視界がぼんやりとする中で、お義兄様の声が響く。


「グレイお義兄さま……」

「目を覚ましてくれてよかった……っ」


 力強く抱きしめられる。

 わたくしの部屋の中には、侍女のバデラとお義兄様だけでなく、見知らぬローブ姿の女性もいた。

 目が合うと、榛色の瞳を細めて柔らかく微笑まれる。


「あぁ、ベルトナが気になるんだね? 彼女は治癒術師だ。ルビディアが目覚めないから、彼女についていてもらったんだ。どこかまだ苦しい所はあるかい?」


 お義兄(にい)様がわたくしを抱きしめたまま尋ねる。

 手を握り返すことさえ出来なかった腕に力を籠め、わたくしはお義兄を抱きしめ返す。

 その行動に、お義兄様は目を見開いた。


「えぇ、どこも、痛くはありませんわ」


 それどころか、とても気持ちが軽いのだ。

 あれほど消えてなくなりたいと願い、事実消えかけていたはずなのに。

 わたくしはきっと、一度死にかけたのだろう。

 先ほどまで見ていた夢は、きっと、ただの夢ではない。

 あれは、わたくしの前世と呼ばれるものに違いないのだ。

 侍女たちが以前話していたのを聞いたことがある。

『人は死の淵に立った時、窮地に陥った時などに生まれ変わる前のことを思い出すことがある』と。

 この世界は、わたくしがアディとして生きた前世の世界にあった物語の中なのだ。

 

『わたくしのせいではない』


 ケビン殿下に婚約解消を伝えられた時から必死に思い込もうとしていたそれは、けれど本当に思い込むことなど出来なくて、だからわたくしがすべて悪いのだと思って消えたかった。

 けれど、いまは心の底からそう思えるのだ。

 物語の中の悪役として生まれ変わってしまっていただけなのだ。

 最初からそうなる運命だったのだ。

 

「紅茶は飲めそうかい?」


 お義兄様が、やっと抱きしめる腕を緩めてくれた。

 いまなら、食事をとることが出来る気がする。

 頷くと、すぐにバデラが紅茶を用意してくれた。

 そっと口を付ける。

 優しい香りと共に、身体の中に温かさが染みわたっていく。


「……っ」

「お義兄様?! 紅茶が零れてしまいますわ」

 

 わたくしが飲めたことに、お義兄様は再びわたくしを抱きしめる。 

 

「二度と、死を選ばないでくれ。俺には、お前が必要なんだ……っ」

「お義兄様……わたくしは、不出来な義妹です。それでも、必要として下さるのですか」

「ルビディアは不出来なんかじゃないっ、自慢の義妹だ。お前以上に立派な淑女は存在しないし、大切な存在はお前だけなんだ。二度と離さない。どんな手を使っても、守ってみせる。絶対だ」


 青い瞳に剣呑な光さえ浮かべて、お義兄様はわたくしを見つめる。

 とくんと心臓が跳ねた。

 婚約を取り消されるような悪役でも、必要としてくれる。

 ケビン殿下とユリアナ様が結ばれ、ルビディアが悪女である物語はもう終わったのだ。

 ならばこれから先は、お義兄様を支えて生きていても、良いのではないだろうか。


「ありがとうございます。わたくしも、これからは、グレイお義兄様の為に、精一杯生きてゆきますわ」


 王子妃教育で得た知識や教養は、いまもわたくしの中にある。

 次期侯爵であるお義兄様を支えていく上で、それらはきっと役に立つだろう。

 いいえ、必ず役立って見せる。

 わたくしは、わたくしを想ってくれるお義兄様に抱きしめられながら、そう心に誓った。


◇◇◇◇◇◇

 

「うまくいったようで何よりです」


 俺がルビディアの部屋から出ると、共に連れ立っていたベルトナが微笑む。

 頷きたいが、声のボリュームは抑えてもらいたい。


「静かに。ベルトナの声はよく響く。彼女に聞こえたらどうする」

「防音魔術は展開済みですよ」

「ならいいが。これからのことだが、報酬は倍払う。受けてくれるか?」

「倍でなくとも受けますとも。他ならぬあなたからの頼みですし、悪をのさばらせて置くのは胸糞悪い」


 軽く鼻を鳴らして嫌悪感をあらわにする彼女は本当に貴族らしくない。

 だからこそ王宮ではフードを目深にかぶり、王宮魔導師団に所属しているというのにその顔を知るものがごく僅かだ。

 

 アディ・ジュレ伯爵令嬢などというものは存在しない。

  

 俺とベルトナで作り出した架空の存在だ。

 ベルトナは幻術と精神感応に長けている。


 ケビン殿下の企みのせいで、ルビディアは生きる気力を失ってしまっていた。

 すべてを自分のせいだと、存在していることが悪いのだと嘆き、何度も命を絶とうとしていた。

 意識が朦朧としだしていた彼女は覚えていないだろうが、ケビン殿下の前で胸を刺しただけじゃない。

 窓から身を投げ出そうとしたことも、カーテンで首を吊ろうとしたことすらあるのだ。


 治癒術師を招き治療したことも一度や二度ではない。

 けれど彼らでは身体の傷は癒せても、心の傷を癒すことは出来なかった。


 食事すらとれなくなった彼女を救うにはどうしたらいいのか。

 眠れぬ夜を過ごす俺に別人の記憶を提案してきたのはベルトナだ。

 意識が朦朧としているルビディアに、偽の記憶を――そう、前世の記憶というものを作り上げ、植え付けた。

 まずはメイド達に言い含め、前世や生まれ変わりという噂話をルビディアの前でさせた。

 偽の記憶はただの夢だと思われぬよう、ルビディアが幼い時に訪れたマドラム王国を舞台にした。

 幼いルビディアが憧れたマドラム王国の衣装を取り寄せベルトナに着せ、ルビディアと感覚を共有させた。

 すべてを自分のせいだと思い込む彼女に、彼女のせいではないのだと何度も意識を刷り込んだ。

 それと同時に、生きているのだと、死んでなどいないのだとも吹き込んだ。


「あなたへの想いも、刷り込むことが出来ましたのに」


 ベルトナはあきれたように言うが、本気ではないことはわかっている。


「それは最初に断っただろう。俺は、彼女が生きて、笑って、幸せに過ごしてくれればそれでいいんだ」

「えぇ、えぇ、存じていますとも。ですから……ケビン殿下をこのまま放置するはずがない」


 榛色の瞳をすっと細めるベルトナに、先ほどまでのふざけた気配はない。

 俺はそれにこくりと頷く。


 今回の事件は、すべてケビン殿下の下らない野心が引き起こしたものだ。

 そもそも、いくらルビディアが婚約解消にショックを受けたからといって、感情を制御出来ずに涙をこぼし、そればかりか王族の前で刃物を手にして自身の胸に突き立てるなど、ありえないのだ。


 彼女は淑女として常に感情を抑え、穏やかに微笑んでいられるのだ。

 隣国の王女にその美貌に嫉妬されて手に熱い紅茶を零されても、ルビディアは一切表情を崩さず、穏やかに微笑んでいたぐらいだ。

 手袋の下は火傷して赤く腫れあがっていたというのに。


 そもそも、なぜ抜き身のナイフが手の届く距離に置かれていたのか。

 果物を切り分けるための小さなナイフだったとはいえ、不自然だ。

 

 小さな違和感を放置せず調べ上げた結果行きついたのは、ケビン殿下の企みだ。


 ユリアナ・アンリーシュ男爵令嬢。

 彼女はただの男爵令嬢ではなかった。

 この国の三大公爵家の一つジレネッタ公爵家の血縁者だ。

 髪色が全く違うからぱっと見の印象ではわからないが、光の加減で金色に光る瞳は、ジレネッタ公爵家によくあらわれる特徴だった。


 現ジレネッタ公爵の父、つまり前ジレネッタ公爵と、平民の娘との間に生まれた子、さらにその子から生まれた娘がユリアナだ。

 若かりし頃の前ジレネッタ公爵はよくお忍びで平民のふりをして城下町で遊んでいたらしい。

 そんな時、ユリアナの祖母と出会い、恋に落ちた。

 ユリアナの祖母はお忍びで来ていた貴族とは知らずに付き合ってしまっていたが、真実を知って身を引き、身重の身体で行方をくらませた。


 前ジレネッタ公爵は親の決めた婚約者がいる身でありながら平民の娘であるユリアナの祖母を本当に愛していたが、ついぞ結ばれることはなかった。

 月日が経ち、公爵の地位を長男に譲り、領地へ戻る途中でユリアナの祖母を見つけたのは、運命のいたずらなのだろう。


 前公爵夫人はすでに亡くなっており、自由を得ていた前公爵は、ユリアナの祖母に何も出来なかった分、領地に戻るのを取りやめて王都に残り、娘とその孫であるユリアナを支援しはじめた。

 慈善事業やその他もろもろの仕事に隠し、こっそりとなされたその行為に、ケビン王子がいつ気付いたのかはわからない。

 前ジレネッタ公爵は自身が愛に生きられなかった分、孫娘であるユリアナには、愛のある結婚を望んでいるのは想像に難くない。

 ユリアナが望めば、それこそ王子との結婚も望めるように、万難を排するだろう。

 そう、それは第一王子ブラディン殿下を排して、第二王子であるケビン殿下を王太子にすることが出来るほどの権力でだ。

 ユリアナが望むこと。

 それを、前ジレネッタ公爵は陰から叶えて行っているのだから。


 王宮は、たかが一介の男爵令嬢がおいそれと歩き回れるような場所ではない。

 一度ならず何度も出入り出来るのはなぜか。

 男爵令嬢では到底得られない知識と教養を持っているのはなぜか。

 

 注意深く観察し、調べ上げて得た真実は、最愛の義妹にとって残酷過ぎる事実だった。


 ケビン殿下が義妹(いもうと)からユリアナに乗り換えたのは、王位の為だ。

 侯爵家であるセイロンアール家よりも、前ジレネッタ公爵の後ろ盾を欲したのだ。

 

 あの日、義妹が自死を選んだ日。

 ケビン殿下が描いた筋書きは前世の本としてルビディアに見せたものが真実だ。

 嫉妬に狂ったルビディアが、ユリアナをナイフで刺し傷つける。

 そのことをもって、ルビディアの有責にし、婚約解消ではなく破棄する心算だったのだ。


 ご丁寧に、薬まで使われていたこともわかっている。

 普段のルビディアなら、どれほど辛くとも、その場で感情を激しく乱すなどありえなかったのだ。

 ケビン殿下の誤算は、ルビディアがユリアナを害するのではなく、自らの命を絶とうとしたことだろう。


「同じ目に遭わせてやるよ。ケビン殿下には、ルビディアと同じ想いを味わって頂く」


 第一王子であるブラディン王太子は、ケビン殿下よりもおっとりとしていて、穏やかな人柄だ。

 剣の腕も勉学も、何もかもケビン殿下より劣っていると言わざるを得ない方でもある。

 正妃ではあるものの伯爵家出身の母を持つ王太子よりも、側妃でありながら侯爵家出身の母を持つケビン殿下を王太子にと推す声もある。

 だからだろうか。

 ケビン殿下が身の丈に合わない野心を抱いてしまったのは。 


 権力の為に自分を慕う人間を陥れる。

 そんな男を王としてあがめる気はない。

 人によっては、その程度の腹芸も出来ない男に国王は務まらないと思うかもしれない。

 けれど俺には到底受け入れられないことだ。

 愛する義妹を犠牲にされたのだから、なおのこと。


「ベルトナ。前ジレネッタ公爵邸へ。そこの使用人として潜り込め」


 こくりと頷く彼女に、俺は嗤う。

 まずは前ジレネッタ公爵に幻覚を見せ続けよう。

 ユリアナが不幸になる未来をだ。

 王子に見初められ、虐げられる夢などはどうだろう?

 ルビディアの時と同じように、そう、使用人達から予知夢の夢を匂わせておくのもいいだろう。

 孫娘を陰ながら溺愛している前公爵にとって、ケビン殿下はユリアナにとってまさに最悪の結婚相手と映るだろう。


 ユリアナ自身を害することも思い浮かんだが、それは思いとどまった。

 調べ上げた時にわかった事実として、彼女もある意味被害者であったからだ。

 男爵令嬢が王子の誘いを断ることなど出来ないのだから。

 自身の出自がまさか公爵家にあるなどとも知らず、真面目で礼儀正しい令嬢だ。

 あの日も、ケビン殿下に呼び出されてついてきただけだった。

 ユリアナの目の前で婚約解消をケビン殿下がルビディアに言い渡すことなど想像もしていなかったようで、義妹が倒れた時すぐに駆け寄り、拙い治癒魔法をそれでも自身の魔力が切れるまで精一杯施したこともわかっている。

 

 だから、義妹を傷つけたのはユリアナもだが、彼女ではなく、報復は元凶であるケビン殿下一人に背負ってもらう。

 我が侯爵家の後ろ盾をなくし、目当てのジレネッタ公爵家の後ろ盾すらも無くす彼が、どう落ちていくのか。

 自死を選ばせることが出来れば、最高なのだが。



 ――数年後。

 一人の王子が発狂した。

 自死を選ぶほどに衰弱したものの、辛うじて生きながらえてしまった彼は、幽閉された塔の中で自分こそが王に相応しいのだと呟き続けながら涙を流した。

 

◇◇◇◇◇◇


「ねぇ、お義兄様、今日はアップルパイを焼いてみましたの。ご一緒にいかが?」

「おいおい、義兄ではなく、グレイと呼んでくれといつも言っているだろう? 夫婦なのだから」

「あ、ごめんなさい、つい癖で」

 

 わたくしは、頬が赤くなるのを感じる。

 大好きな義兄様と結婚したのは、一か月ほど前だ。

 ユリアナ様と結婚すると思っていたケビン殿下は、なぜかそうはならなかった。

 ここ数年で心を壊し、北の塔で過ごしていらっしゃるとか。

 彼に対する愛情はもうない。

 お義兄様が長い月日をかけてわたくしを深く愛し、癒してくれたから。

 けれどケビン殿下は婚約者としてだけではなく、幼馴染でもあったので、いつか元に戻ってくださることを願うばかりだ。


「では、改めて名前を呼んでくれるかい?」


 悪戯っぽく微笑むお義兄様に、わたくしも微笑んで名前を呼ぶ。

 あぁ、わたくしは、本当に幸せだ。

 

読んで頂きありがとうございます。

もしよかったら、下の☆評価で応援いただけたら嬉しいです。


2022/10/16


誤字報告ありがとうございます!

とんでもない間違いをしておりました。

ケビン→グレイ。

本当にありがとうございます・゜・(ノД`)・゜・。


追記

誤字だけでなく、表記ゆれのチェックもありがとうございます。

 

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