処刑人の晩餐
薔薇の花が咲き乱れた石造りの城の裏庭。人気のない、密やかなその場所に、金色の鎧を着込んだ男がいた。
男は、鋼の長剣の切っ先を浅黒い肌をした中年の男に向ける。男は、両手を腰の後ろで縛られ、剥き出しの地面に座り込んでいた。
「エルジス・ファーロン。言い残すことはあるか?」
エルジスと呼ばれたその男の衣服は薄汚れていて、ところどころ破れている。
エルジスは、無造作に伸ばした長い黒髪を揺らし、首を横に振る。
「あると思うか? 処刑人にまで堕ちた、この私に」
返り血を浴び続けたエルジスの肌は、炎症を起こしひどくただれていた。同じように腫れてむくんだ光のない瞳は、うつむいたまま地を歩く蟻を見つめている。
「働いた。そうさ、馬車馬のように働いたさ! 巣へ餌を運ぶこの蟻たちのように、国家権力という巨人に踏み潰されまいとしながらっ!」
エルジスが声を張り上げても、鎧の男は身じろぎ一つしない。そばを歩く蟻たちは、素知らぬ顔で餌を運んでいた。
「それがこの様だ。今更この世に未練はない。誰かに、会いたいとも思わない。第一、もう誰にも、合わせる顔がないんだ」
エルジスは充血した目頭から涙を流した。雫を受け、一匹の蟻が溺れたように足をばたつかせる。鎧の男は一瞬視線を落として思案するような素振りを見せ、続きを促す。
「かつては、私もお前のような剣士だった。悪党どもと戦い、己の正義を貫いた。だが、この国は私の正義を利用した。私に、国に歯向かう者を殺すよう仕向けた。気づいた時にはもう、手遅れだった」
エルジスの涙がかれるころ、彼の足元には染みができていた。蟻たちはそのわずかな水分を求めて群がる。鎧の男は、エルジスの独白の続きを求めた。
「正義の執行人は、いつしか処刑執行人に挿げ替わっていた。今まで築き上げてきた名誉も、貫いて来た正義も、すべて失った」
染みに群がっていた蟻たちは、それが単なる水とは違うことに気が付き、首をかしげる。
「辞めればいい話だって? はっ、無理だったよ。そのころ、私には妻と息子がいた。続けるしかなかった。処刑人は、報酬だけは大きかったしな。だが、世間が二人を私と同じように白い目で見始めると、二人は家を出て行った」
蟻たちには、地面の染みの出どころがわからなかった。空から落ちた雨とも違うその染みの源が。
「残ったのは、燻った炎だけだったよ。復讐心という炎だけが、私を動かした。私を貶めた国家を、私から去った二人を、ひたすらに憎んだ。付き合いを続けてくれた数少ない仲間たちにも、その怨嗟をこぼし続けた」
戸惑っていた蟻たちが不意に頭を上げ、エルジスを見据える。
エルジスは深い諦観の溜め息を、蟻たちに吹きかける。諦観の矛先は、自身に向けられていた。
「誰もいなくなったよ。私の誕生を祝う日に、並べた豪奢な晩餐を、一人で眺めていて気づいた」
エルジスは、突きつけられた剣の切っ先に喉元を差し出す。
「殺してくれ。復讐の炎も、孤独に凍てついた心も!!」
鎧の男は鋼の剣を振り上げ、エルジスの首を切り落とした。
噴水のように血が噴き出し、蟻たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
鎧の男が苦虫を噛み潰したような顔で立ち去り、血が乾くと、エルジスの亡骸は、蟻たちによって巣に運ばれて行った。