94 ダル 追憶12
「何かおかしいさね」
「あん? 何がおかしんだよ」
俺達は引き続き上級のダンジョンを攻略していた。
二日間迷宮の中で過ごしながら奥へ進み、ようやく最奥の手前辺りまでに辿り着いたんだが、そこでクレーヌが何かに気付いたように足を止めてしまう。
怪訝そうな顔を浮かべるクレーヌに問いかけると、彼女は周りを見渡しながらこう答えた。
「精霊を全く感じられないさね。それに何だか奥から嫌な気配が漂ってくるんだよ。なぁダル、今回はここで引き返さないかい?」
「マジかよ……」
眉間に皺を寄せながら提言してくるクレーヌに、俺はどうしたもんかと頭を掻いた。
やっとここまで来て、後は迷宮主を倒して踏破できるってところまで来たのに、ここで撤退するのは正直勿体ねぇ。
けど、あのクレーヌが真剣に引き返さそうなんて言ってくるのは今まで滅多になく、俺は迷ってしまった。
進むか退くかの決断を迷っていると、イザークが強い声音で言ってきた。
「ふざけた事を抜かすなクレーヌ、ここまで来てそれは無いだろう。予感は予感に過ぎない。このダンジョンを踏破すれば、ワールドワンはゴールドランクに昇格するんだぞ」
「……」
「おいダル、まさか引き返すつもりじゃないだろうな。お前は世界一の冒険者になるんだろ? だったらこんな所で躓いている場合じゃないだろ」
イザークの言う事も尤もだ。
俺は世界一の冒険者になる。そんなデッケエ夢を掲げている男が臆す訳にはいかねぇ。クレーヌには申し訳ねぇが、ここは進むしかねぇだろ。
覚悟を決めた俺は、パーティーリーダーとしての判断を皆に告げた。
「行こうぜ。ただし、マジでヤバそうならすぐに引き返す。それでいいか?」
「……」
「はぁ、アンタが決めたならワタシは構わないよ」
「流石ダルだ。早く行くぞ」
俺達は進むことに決め、そして最奥に辿り着いた。
だが、そこに迷宮主の姿はどこにも見当たらなかった。
「何で迷宮主が居ねぇんだ。誰かに倒されちまったのか?」
「いや……ここの迷宮主が倒されたという報告は受けていない」
迷宮主がどこにもおらず頭を捻る。
先にどっかのパーティーに倒された可能性を考えたが、イザークがそうではないと否定してくる。
じゃあ何で迷宮主が居ねぇんだよ……。
いったいどうなっているんだ? と困惑している時だった。
「よぉ人類、お前等の命を貰うぜ」
「「――っ!?」」
突然不気味な声が聞こえ視線を向けると、そこには人の形をしたナニカが立っていた。
(な……何だこいつ!?)
そいつを見た瞬間、全身から身の毛がよだつ。
青白い肌。瞳は赤黒く網膜が黒く染まっていて、額の上に一本の長い角。二メートルを越える巨躯に、はち切れんばかりの筋肉。
不気味かつ恐ろしい外見もそうだが、注目すべきところはそこではない。
なにより、奴から感じられる刺すような冷たい魔力量が半端ねぇ。ただそこに立っているだけなのに、はっきりと分かるほどの膨大な魔力が肉体から滲み出ていた。
なんなんだこの化物は……。
人間なのか? 亜人なのか?
未知の敵に息を呑んでいると、険しい表情を浮かべたクレーヌが口を開いた。
「逃げるよ、ダル。あれはヤバいさね」
「ヤバいって、アレがなんなのか分かんのか?」
「アレは魔神さね。迷宮が気まぐれに生み出す、正真正銘の怪物だよ」
「魔神……」
冒険者からの話や、読んだ本で存在だけは知っている。
魔神は迷宮から生み出される化け物で、単体で国を亡ぼせるほどの力を秘めているとかなんとか。ただの空想だと思っていたが、まさか本当に存在していたのか。
そんな怪物が俺達の目の前に現れるなんて……クソったれ、どうなってんだよ。
戦わずとも分かる。俺達じゃ勝てない。戦ったら殺される。
ここはクレーヌが言う通りに、まともに戦おうとはせず逃げた方が賢明だろう。
「お前等! 全力で逃げるぞ!」
「逃がすと思うか?」
「――がはっ!?」
「イザーク!!」
一瞬だった。踵を返し逃げようした刹那、瞬く間に距離を詰めた魔神がイザークを蹴り飛ばし、イザークが壁に激突してしまう。
倒れるイザークは反応が無い。恐らく気絶してしまったのだろう。
嘘だろおい……不意打ちとはいえ、あのイザークがたった一撃で昏倒するほどの威力なのか? ふざけんじゃねぇぞクソったれ。
「よ~し、“後は殺してもいいんだったよな”」
「クソ……」
軽く肩を回しながら俺達を見据える魔神に、俺は剣を構えながら悪態を吐く。
逃げる暇を与えてくれないってんなら、魔神と戦って勝つ以外に生きる術はない。
「ダル、やるのかい?」
「やるしかねーだろ。勝てるか分からねぇが、勝たなきゃ俺達は皆殺しだ。だったら戦うしかないだろ。いくぞクレーヌ、アイシア! 二人共覚悟を決めろ!」
「うん……ダルが戦うなら私も戦うよ」
「こうなったら仕方ないさね。やるだけやってやろうじゃないか」
覚悟は決まった。
俺達が生きるには魔神を倒すしかない。なら、死ぬ気で足掻くしかねぇだろ。
こんな所で終わる訳にはいかねぇんだ。
世界一の冒険者になるという夢を果たすまで、俺は死ぬ訳にはいかねぇんだよ!!
「ほう、魔神であるオレと正面から戦おうってのか。面白い、つまらん面倒事を熟すだけだと思っていたが少しは楽しめそうだ。喜べ下等種共、魔神であるオレが特別に相手をしてやろう」
「行くぞ!」
「火炎魔術!」
「聖光魔術!」
俺が魔神に駆け出すと同時にクレーヌが火炎の竜巻を、アイシアが光の矢を放つ。
それに対し魔神は特に回避行動は取らず、邪魔な虫を払い除けるように拳を振って攻撃魔術を吹っ飛ばした。
「そんな小手先の魔術がオレに通用すると思ったのか?」
「おおおお!!」
「ハハハ! お前は中々筋が良いじゃないか!」
呑気に笑ってんじゃねぇぞクソが!
こっちは全身全霊で剣を振るってんだよ。それなのに、俺の剣は奴の腕に全部弾かれちまってるじゃねぇか。
単純に肉体の硬度が硬いってのもあるだろうが、魔力を身体に纏ってやがる。濃密な魔力が壁となり、刃が歯を通らねぇんだ。
「そらそら!」
「くっ!」
「イイなお前! オレの攻撃をここまで凌いだ奴は初めてだぞ! ただの遊びと思っていたが、中々どうして面白いじゃないか!」
五月蠅ぇな、こっちは紙一重でやってんだよ。
魔神の拳撃に対し、攻撃の初動を見極めることでギリギリ躱し、又は受け流し続ける。
こいつには技術がない。
ただ闇雲に拳を振るい、蹴りを放ってくるだけのチンピラ程度の攻撃だ。だが如何せん、一撃一撃が尋常じゃなく疾い。それに恐らく威力もヤバいだろう。一撃でもまともに喰らってしまえばあの世行きだ。
(まだかクレーヌ! もう持たねぇぞ!)
俺の攻撃力では魔神に有効打を与えれないことをクレーヌは分かっているだろう。
だから開幕に牽制した後、最大級の魔術を放つ為に魔力を練り上げている筈だ。俺の役目は準備を整えるまでの時間稼ぎだが、これ以上は耐えきれねぇ。
「これならどうだ!」
(――やべぇ!!)
「聖光魔術」
さらに速度を上げた魔神の攻撃に対応できず、左からのアッパーに顔を消し飛ばされる寸前、アイシアが魔術によって目くらましをしてくれた。
そのお蔭で照準がブレ、俺の左頬が僅かに抉れただけで済む。
助かったぜアイシア!
「小癪な真似をッ」
「いいよダル! 下がりな!」
高位魔術を放つ準備がようやく整ったか、クレーヌが後方から指示してくる。
アイシアの目くらましを受けた魔神はまだ目がやられている。クレーヌの攻撃が通るように、この隙に少しでも纏っている魔力の壁を削ってやる!
「戦爪!」
「グォ!?」
剣に魔力を纏わせ、全力で振るう。
魔力を帯びた斬撃波が魔神に襲いかかり、奴をのけ反らせた。その間に、俺は攻撃に巻き込まれないようクレーヌとアイシアがいる後方まで下がる。
「やれ、クレーヌ!」
「火炎魔術!!」
「――ッ!?」
翳したクレーヌの右手から、凝縮された超高熱の熱線が放たれる。
空気を焦がし、地面を焼き尽くしながら飛来する熱線は魔神を捉えた。
「グォオオオオオオオオオ!?」
クレーヌの最大火力である上級火炎魔術。
その破壊力を凄まじく、いくら魔神とて無事ではすまないだろう。
頼む……頼むからこの一撃で終わってくれ。
だがしかし、俺の懇願が果たされることはなかった。
「ハァ……ハァ……侮っていたぞ。下等種の分際でここまでの高位魔術を扱えるとは思ってもみなかった」
「クソったれ、あれを喰らってまだ生きてんのかよ!」
クレーヌの魔術が直撃した魔神は、肉体の損傷が激しいように見える。
実際息も上がっているし、確かなダメージは入っているのだろう。が、死に至らせるほどではなかった。
奴はまだまだやる気だ。
「いいだろう、オレが本気を出すに相応しい“敵”であると認めてやる」
魔神の魔力が今まで以上に跳ね上がった。
余りにも強大で、奴の気迫に当てられた俺は恐怖によって身体が縛られてしまう。
「死ね」
「しまっ――」
瞬きをした刹那、目の前に魔神の姿があった。
すでに拳を振り抜いており、今からでは防御が間に合わない。
「結界魔術」
死を彷彿させる拳が俺の顔面を捉える間際、間一髪クレーヌの結界魔術によって防がれた。
「聖光魔術!」
「ちょこざいな!」
「きゃあ!!」
「アイシア!」
後方からアイシアが光線を放つが、魔神が空に拳を振るう。
ただそれだけの風圧で魔術が掻き消され、アイシアが吹っ飛ばされてしまう。
「このオレを前にして目を逸らすとは愚かだぞ」
「がはっ……」
「ダルッ!」
一瞬だけアイシアの方に視線を逸らしてしまった直後。
魔神が放った拳により、ドテッ腹を穿たれてしまった。衝撃と激痛に呻く俺を、魔神は汚いゴミを払うかのように投げ捨てた。
「ぁ……が……」
「お願いクレーヌ、少しだけでいいから時間を稼いで!」
「アイシア……アンタ何するつもりさね!」
「いいから早く!」
地面を転がる俺は、力尽きたように大の字になった。
風穴が空いた腹からは止めどなく血が溢れ、手足の感覚が急速になくなっていく。
(俺……死ぬのか……)
もう悟っちまった。
この傷ではもうどうにもならない。仮に奇跡的に生きられたとしても、魔神にトドメを刺されて終わりだろう。
(これで……終わりかよ)
世界一の冒険者になる夢を掲げて冒険者になった。
世界を見て回り力をつけ、最高の仲間を集めて王都にやって来た。
後一歩でゴールドランクに辿り着けるまでいったのに、まさか魔神と出くわすとはな。
運が無いにも程があるだろ。
クソ、こんな所で終わりだってのかよ。
(すまねぇ……ウルド)
意識が遠くなり、命の灯が消えかけたその時だった。
「ダル!」
「ァイ……シア」
俺の手を握って、アイシアが懸命に声をかけてくる。
悪いなアイシア……俺について来てくれたのに、お前まで死なせるハメになっちまった。
心の中で懺悔していると、突如アイシアの身体が暖かい光に包まれた。
「大丈夫、ダルは死なせない。貴方にはまだやる事があるから」
「な……にを……」
この状況に於いて訳のわからない事を口にするアイシアに困惑すると、彼女の身体を包む暖かい光が俺に移ってくる。と同時に、身体に活力が戻ってきた。
「おい……何してる」
「はぁ……はぁ……聞いてダル。私はダルが好き、大好き、愛してる」
愛を囁くアイシアの身体を包む光が弱くなっていく。
いやそれだけじゃない、肉体自体も徐々に霞んでいき、握られている手の力も弱くなっていく。
「おい、何してんだよアイシア! やめろ、やめてく――っ!?」
アイシアがしようとしている事になんとなく気付いた俺は慌てて止めようとするが、彼女の唇によって口を塞がれてしまう。
驚いていると、アイシアはそっと顔を離し、花のように明るく笑って、
「貴方が叶える夢を隣で見ることはできないけど、忘れないで。私はずっと、ダルの側に居るからね」
最後にそう言い残し、アイシアは消えてしまった。
「アイシアーーーーーーーーーーーーーー!!」
彼女の名を叫ぶ。
その刹那、俺の身体から膨大な魔力が解き放たれた。腹の傷もいつの間にか塞がっており、信じられないほどの力が全身に漲ってくる。
「ハッハッハ! 先程の高位魔術といい、この硬い結界といい、貴様ただのエルフじゃないな!」
「くっ、もう持たないさね!」
「退いてくれ」
結界を張って魔神の攻撃にずっと耐えていたクレーヌに近付き、一言。
するとクレーヌは俺に視線を向け、目を見開いた。
「ダル……アンタ……」
「魔神は俺が殺る」
そう言って、腰に差してある鞘から黄金の剣を抜く。
森の泉でアイシアが俺に渡した剣。人も物もモンスターすら斬ることができなかった役立たずの飾りの剣。
だけど今、この剣は使える筈だ。
理屈じゃない。俺に使えと剣が訴えてくるんだ。
「バカな…あの傷で何故生きている。それに何だ、その魔力量は。下等種如きが耐えられる量ではないぞ。貴様……いったい何をした!」
黄金の剣を構える俺に、魔神は酷く狼狽していた。
奴の問いかけに答えることはせず、俺は地面を駆け出して魔神に斬りかかった。
「何だこの威力と速度は!? 先ほどまでより格段に上がっているぞ!」
すまないアイシア。
お前が俺に何をさせようとしたのか、何をしてくれたのかは分からない。
「バカな! このオレが押されているだと!? 魔神であるこのオレが下等種如きに力負けしているというのか!?」
だけどこれだけは分かる。
お前は自分を犠牲にして俺を生かした。俺の弱さがお前を殺してしまったんだ。
「はぁぁああああ!!」
「グォォオオオオ!?」
振り抜いた剣が魔神の腕を斬り飛ばした。
この力は俺の力じゃない。お前が自分の命を引き換えにしてくれた力だ。
そうなんだろ、アイシア?
「調子に乗るな下等種! 魔神であるオレが負ける道理などないわ! 全魔力を練った衝撃波でこの地ごと吹き飛ばしてくれる!」
俺から距離を取った魔神は、腰を落として拳を弓引く。
その拳に、全身の魔力を集約させていた。必殺の一撃をもって俺を殺す気なんだろう。
それに対し俺も剣を振り上げ、魔力を全開まで練り上げた。
「闇魔轟掌波ッ!!」
放たれた拳から漆黒の衝撃波が生み出される。
轟々と唸りを上げて全てを飲み込まんと向かってくる衝撃波に対し、俺は涙を流しながら黄金の剣を振り下ろした。
「覇軍……戦爪ぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
超高密度の魔力を乗せられた斬撃波が、漆黒の衝撃波を真っ二つに斬り裂きながら突き進む。
拮抗など毛頭なく、斬撃波はそのまま魔神に辿り着き、奴は腕を伸ばして防御するが、
「バカな……このオレが……魔神であるこのオレが負けるなどあってたま――」
悲鳴すら上げられず、魔神は斬撃波に呑み込まれて跡形も無く消滅した。
そこにはもう何もなく、戦っていたのが嘘のように静寂に包まれる。
「ぅ……く……アイシア……アイシア……アイシアァァアアアアア!!」
最愛の女を失った俺は彼女の名前を叫んだ後、魔力を解放した反動なのか意識が飛んで気絶してしまったのだった。