70 ダル 追憶4
「はいタッチ」
「ちきしょう~、やっぱダル速ぇよ~」
「へへ、お前等が遅いだけだよ」
鬼の俺が追いかけ、子供の背中にタッチする。
俺にタッチされた子供は、悔しそうにため息を吐いた。へへ、こちとら森の中を獣相手に駆け回っていた元野生児だぜ。足の速さじゃ負けねぇっての。
「鬼遊びじゃダルに勝てね~な」
「それじゃあ鬼隠れにしましょうよ。それならダルにも負けないわ」
「お~、なんでもいいぜ」
他の子供の提案により、鬼隠れをすることになった。鬼隠れってのは、鬼に見つからないように隠れるだけの遊びだ。じっと隠れているだけで走るわけじゃないから、これなら俺以外の子供にも勝ち目はある。
「ダル~、ちょっとこっち手伝って~」
「あ~い。ってことだ、コレットを手伝ってくるから、鬼隠れはお前等だけでやってくれ」
「え~」
「頑張ってね~」
洗濯物籠を抱えるコレットに呼ばれた俺は、子供達に悪いと言って彼女のもとに向かう。大量の洗濯物を、コレットと一緒に物干し竿に干していく。
「手伝ってくれてありがと。ごめんね、遊びの邪魔しちゃって」
「別に構わねぇよ。ちょうど飽きてきたところだったし」
申し訳なさそうに謝ってくるコレットに、平気だと返す。すると彼女は、なにがおかしいのかふふっと微笑んだ。
「もう、いっちょ前に気なんか遣っちゃってさ。ここに来た時はもう少し可愛気があったのにな~」
「コレットも昔は優しかったよ。今では小言ばっかりだけどな」
「い、言うじゃない……」
俺が教会に預けられてからあっという間に三年の月日が経ち、俺は六歳ぐらいになった。
言葉も完璧に覚え、人間の生活にも慣れた。
もう野生児のあの頃とは違う。
朝起きて、飯食って、掃除して、遊んで、寝て、仕事手伝って、遊んで、飯くって、寝る。
シスターセシル、コレット、子供達と一緒に、代わり映えのない平和な日々を送っていた。
相変わらず飯は朝と夕方だけの少ない二食だけで、貧困な生活だったが、それでも幸せを感じながら暮らしている。
三年経って、俺は少しだけ背が伸びた。満足に飯を食っていればもっと大きくなっていただろうが、それはまぁ仕方ない。
(コレットも、なんか綺麗になったよな)
鼻歌を口ずさみながら洗濯物を干すコレットの横顔を盗み見る。
三年前はあどけない少女だった彼女も、今ではすっかり大人の女性に成長していた。大人の目線から見たらまだまだ子供なのだが、ガキの俺からしたら十分大人に見える。
肉付きが良いとは言えないが、胸や尻もそこそこ出ているし、本当に綺麗になったと思うぜ。
「な~にダル、さっきからジロジロと見てさ。私に見惚れちゃった?」
「ば、バカ言ってんじゃねぇよ」
「ふふ、ねぇダル。私ね、ダルに言いたいことがあるの」
「言いたいこと?」
そう尋ねると、コレットは神妙な顔を浮かべて口を開いた。
「私ね、引き取られることになったの。その相手がさ、貴族っていうお偉い様なんだって」
「……は?」
彼女の口から出た言葉に驚愕する。
その後も何か喋っているが、呆然としてしまい何も耳に入ってこない。
引き取られるって……コレットが? それって、教会から出ていくってことだよな。
教会の孤児は、歳を重ねて働けるぐらい成長したら教会を出ていっているらしい。いつまでも残っていたって圧迫するだけだからな。
それか引き取り手が見つかれば、そのまま教会を去ることになっている。この三年の間でも、三人ほどの子供が引き取られている。
コレットもそれと同じだろう。しかし彼女は教会のお姉さん役で、シスター・セシルの手伝いをしている。今まで引き取り手も居なかったし、今後もセシルのもとで教会に居続けるのだと思っていた。
それなのに、ここにきて居なくなっちまうってのかよ。
「ダル、ダル聞いてる?」
「あ、ああ聞いてるぜ」
「私が居なくって、寂し?」
顔を覗き込んでくるコレットに、俺は動揺を隠しながら答える。
「さ、寂しくなんかね~よ。それより良かったじゃね~か、これでもっと良い暮らしができるぜ」
嘘だ。
寂しくないなんてことはない。離れてほしくなんかない。
だけど俺はその気持ちを必死に胸の奥に押し留め、コレットを心配させないように作り笑いを浮かべる。
「そっか、ダルは強いもんね。セシルおばあちゃんや子供達のこと、よろしくね。皆と仲良くしなよ」
「お、おう……任せとけ」
コレットは最後の洗濯物を干し終えると、踵を返して去ってしまう。
そんな彼女の後ろ姿を、俺は一歩も動けずただただ眺めていたのだった。
◇◆◇
「は~い、皆座って。ご飯を食べる前に、皆に話しておくことがあるの」
夕食時。
食堂に集まる子供達の前で、セシルがそう告げた。
突然話があると言われてキョトンとする子供達に、セシルが口を開く。
「コレットが引き取られることになったの。明日にはもうこの教会から出ていくことになるわ。だから今日がコレットと一緒に居られる最後の日よ」
「「ええ~~!?」」
セシルの話に、子供達は驚き絶叫する。
そんな中コレットが立ち上がり、皆に言葉を送った。
「私もすっごく迷ったけど、母さんが良い人だからって言うから行くことにしたわ。皆と離れるのは寂しいけど……こんな機会この先ないかもしれないから、引き取ってもらうことにしたの。ごめんね」
「や~~だ~~!!」
「コレットと離れたくないよ~~!!」
コレットが教会から居なくなると聞いて、子供達は泣き出してしまう。
そりゃそうだろう。子供達にとって、コレットは愛すべきお姉さんだからだ。悲しむのも当然のことだろう。
皆泣き出してしまい、ご飯どころではなくなっていると、セシルがパンと手を叩く。
「はいはい。悲しいのは分かるけど、笑って送り出してあげましょ。コレットも皆が喜んでくれるほうが良いと思うわ」
「うん……」
「しょうがないよね……コレット、おめでとう」
涙を流しながらも、子供達は無理やり笑ってあげる。それを見て、コレットも同じように涙を流していた。
コレットとの最後の夕食を共にして、小さな子供達はコレットと一緒に寝ていた。
次の日の朝、子供達が起きる前にコレットは教会から居なくなっていた。
恐らくだけど、別れを惜しまれずにいたかったのだろう。もし泣いて引き留められたら、出ていく決心が揺らいでしまうから。
「……はぁ」
コレットが引き取られてから大分日が経った。
俺はまだ彼女を失った喪失感に囚われ、らしくもなく塞ぎ込んでいた。それだけ、俺にとってコレットの存在が大きかったってことだろう。
「ちょっとダル、まだ落ち込んでるの?」
「ミリィか……ほっとけよ」
木の下で寝転んでいる俺に、同じぐらいの歳の女の子が険しい顔で声をかけてくる。
彼女の名前はミリィといって、ちょっと口が悪いわんぱくな女の子だ。喧嘩だって男の子に負けやしない。
「あんた、コレットにぞっこんだったもんね。落ち込むのも無理ないわ」
「別にそんなんじゃねぇよ」
「ならもっと元気出しなさいよ。あんたが遊びに加わらないと張り合いがないんだから。それにコレットだって、今頃楽しくしてるわよ、美味しいご飯もいっぱい食べてね。だからあんたが落ち込んでいたってどうしようもないのよ」
「……」
ミリィの言う通りだ。コレットは貴族に引き取られ、ここよりも幸せな生活を暮らしているだろう。良い服を着て、良い飯を食っている。
だったら俺も、いつまでも落ち込んでいるのは勿体ねぇ。それに、こんなところコレットに見られたら馬鹿にされちまう。
「私がいなくて寂しかったんだ」ってな。
俺は立ち上がり、尻に付いた土を払う。
「よっしゃ、鬼遊びするか」
「それでこそあたしのライバルだわ。ほら、さっさと行くわよ」
ミリィに励まされた俺は、子供達の遊びに加わる。
この頃からだろうな。女にゃ勝てねぇって思ったのはよ。
◇◆◇
「あれ……シスターまだ起きてんのか」
その日の真夜中。
尿意を催し目覚めた俺は、トイレに向かっている最中、セシルの部屋に明かりがついている事に気付く。
何をしているのか気になった俺は、足音を消して扉の前に張り付いた。
「他に目ぼしい子はいないか?」
「ったく、この前コレットを差し出したばかりじゃないか」
(シスターの他に誰かいるのか?)
どうやらセシルは誰かと話しているらしい。扉が僅かに開いていたので、その隙間からこっそり覗き込む。
部屋の中にはセシルの他に、黒い服を身に纏った男がいた。
「コレットは駄目だ。ご主人様の遊びに耐えきれず、舌を噛み切って死んでしまったよ」
「おやおや、貴族様の遊びには困ったもんだねぇ」
(――はっ?)
二人の話に絶句する。
コレットが死んだ? 舌を噛み切って? いったい何を言っているんだ、コレットは幸せに暮らしているんじゃないのか?
話の内容に脳が拒否してしまい、頭が全然回らない。
呆然としてる中、二人は会話を続けた。
「それじゃあミリィなんてどうだい。まだ小さいが、見てくれだけはいいさね。その代わり、金の方は色をつけなよ」
「守銭奴め。まさか神に仕える教会のシスターが、孤児を売買している極悪人なんて誰も思わないなだろうな」
「神様に祈ったっておまんまが食えるわけじゃないよ。所詮この世は金だよ金。こうやって美味い酒を飲めるのも、ガキ共を売って金にしてるからなんだよ」
そう言って、セシルは酒瓶をぐいっと煽る。
彼女の顔はいつも浮かべている慈悲深い笑顔ではなく、悪魔のように醜く嗤っていた。
(シスターが……子供達を売っていた……)
セシルの醜い顔を目にした俺は、やっと理解した。
こいつは慈悲深い敬虔なシスターの貌を被った、孤児を売買して私腹を肥やす悪魔だってことがな!!
「まぁいい、今度は壊れないようにしっかりと教育しておけ」
「はいはい、その代わり良い酒を持ってきてくんな」
(やばい、見つかる!)
黒服の男が身を翻し、こちらに向かってくる。
俺は慌てて移動し、息を殺して去るのを待った。
「行ったか……よし」
黒服の男が去ったのを確認した俺は、再びセシルの部屋に戻り、その扉を開く。
「お、おやダル、こんな夜更けにどうしたんだい? 腹でも空かせたのかい?」
「……」
部屋に入ってきた俺に驚いたセシルは、温厚な笑顔を作って問いかけてくる。
(もう遅ぇよ。もう遅ぇんだよババァ……)
今さら取り繕ったってな、お前が最低最悪の悪魔だってことはもう知っちまったんだよ。
俺はセシルを睥睨しながら、静かな怒りを乗せて声をかける。
「なぁシスター、コレットは元気に暮らしていると思うか?」
「コレットかい? そりゃ~そうだろうさ。貴族様に引き取られて、幸せな毎日を過ごしているに違いないよ」
「嘘吐くんじゃねぇよババア」
「へ……?」
「コレットは殺されたんだろーが!! その貴族様って奴によぉ!?」
平気で嘘を吐くセシルに怒鳴り声を上げる。するとみるみるうちにシスターは貌を崩し、悪魔に変貌させた。
「なんだいダル、今の話を聞いちまったのかい」
「ああ、聞いたさ。お前が教会の孤児を売って、金儲けしてそこにある酒を飲んだりしているのも、コレットだけじゃなくてミリィまで売ろうとしているのも、全部この耳で聞いたんだよ!!」
「くくく、くはははは!!」
悪魔は嗤う。可笑しそうに嗤った。
「そうかそうか、アタシとしたことがこんなガキ相手にしくじっちまうとはね。で、それを聞いてアンタはどうすんだい? 子供達に言うのかい? それとも村の人間に言うかい? シスターは悪い奴だって。
くくく、無駄なことさ。誰もアンタの言うことなんて信じないよ。私は長年教会で働いてきたんだ。アンタのような孤児一人よりも、アタシの言葉のほうを信じるに決まってる。今日のことは聞かなかったことにして、今すぐ部屋に戻りな」
「勘違いすんじゃねぇよ。俺はお前を殺して、コレットの仇を討つ」
「……は? アタシを殺すだって? は~はっはっは! たかが数年生きただけのガキがな~にを言ってんだい。それにコレットの仇を討つって……ぶふっ!
そういやアンタ、コレットにべったりだったね。なんだ、もしかして惚れてたのかい?」
「今すぐその薄汚ねぇ口を閉じろババア。お前の口からコレットの名前を聞きたくねぇんだよ」
「ははは! そんなに好きだったならコレットの最後を教えてやろうか!? あいつは女をいたぶるのが趣味の腐った貴族に買われ、身体の隅々まで嬲られ、それに耐えられずに自分から舌を噛み切って死んだんだよ!!」
「やめろ」
「さっきの男が言うには、泣いて懇願してたそうだ! 助けてもうやめて! 私を教会に帰してってなぁ! 大人しく壊れてしまえばいいものを、貴族様に逆らって死ぬなんて残念な末路だったね!!」
「やめろぉぉおおおおおおおおおおお!!」
我慢の限界を超え、俺は怒りのままにセシルに突っ込む。
だがセシルは俺の行動を読んでいたのか、いつの間にか持っていた酒瓶で俺の頭を叩きつけた。
「がっ!?」
頭に強い衝撃を受けた俺は、目が眩みうつ伏せになる。無防備な俺の身体を、セシルはおもいっきり蹴り飛ばした。
「がはっ!!」
吹っ飛んで扉に叩きつけられた俺は、意識が朦朧としてしまう。
なんだこのババア……見かけによらず強ぇじゃねぇか。
「はん、こちとらアンタみたいなガキに殺られるほど衰えちゃいないよ。それにやっぱガキだね、少し煽れば真っすぐに突っ込んできてくれるんだから」
「はぁ……はぁ……」
「さぁ、今すぐアンタもコレットがいるあの世に送ってやるよ」
セシルは下卑た顔を浮かべながら近づき、割れた酒瓶を振り下ろそうとしてくる。
その前に、俺はぺっとセシルの顔に唾を吐いた。
「うっ」
「おらぁ!!」
「ぐほっ!?」
一瞬の隙を見逃さず、俺はすぐさま立ち上がってセシルの腹を殴り飛ばした。
咳き込むセシルに近付き、さらに顔面を殴った。
「ぎゃ!?」
「残念だったなババァ。俺はそこらのガキとは違うんだよ。ちっちぇ時からゴブリンと一緒に獣やモンスターをぶっ殺してきたんだ。ここに来てからも、運動は欠かさなかったしな」
そう言いながら、セシルの身体に馬乗りになってマウントと取る。身動きを封じ、醜い面に拳を放った。
「ぐっ……ま、待ってくれ! アタシが悪かったよ! 謝る、謝るからもうやめてくれ! ほら、暴力はダメだってコレットも言っていただろう!?」
「うるせぇって言ってんだよ。コレットの名前を出させねーようにしてやる」
「ぎゃ!?」
それから俺は、セシルの顔面を殴る。
何度も何度も何度も。やめろと頼まれたってやめなかった。絶対にやめるつもりはなかった。
コレットが受けた痛みは、悲しみは、こんなもんじゃなかった!
「うう……や……やめ……」
何度も殴られたセシルは、声を掠らせながら懇願してくる。俺は割れた酒瓶を手に取り、振り上げた。
「死にたく……ない」
「あの世に逝って、コレットに謝れ」
振り上げた酒瓶を力の限り振り下ろし、セシルの胸に突き立てた。
「ぐあああああっ――……」
セシルは僅かばかりの絶叫を上げると、身体から力が失われ死に絶える。
「はぁ……はぁ……」
両手に染まる血を見つめながら、涙を流してしまう。
「ちきしょう……ちっきしょーーーーーーーー!!」
ごめんな、コレット。あの時俺が引き留めていられたら、お前を死なせずに済んだのに。苦しい思いをさせずに済んだのに。
仇は討ったぞ。
だから、お願いだから、どうか安らかに眠ってくれ。
教会に預けられてから、俺は最初で最後に、神様にそう祈ったのだった。