69 ダル 追憶3
「私はセシルっていうの。今日から貴方は私達の家族よ」
「……」
俺に名前を与えてくれて、育ててくれて、愛をくれたゴブリン。
大切な親と仲間を、冒険者に目の前で殺された俺は、色々あって教会に預けられた。
その色々ってのは、あんまり覚えてねぇんだよな。
魔術で眠らされて冒険者達に保護された俺は、森の近くにある小さな村で目を覚ます。
冒険者はあれこれ聞いてきたが、俺は言葉を理解できないし喋ることもできない。ただ沈黙するしかなかったんだ。
復讐しようとは思わなかった。冒険者を殺したところで、死んだ仲間が生き返る訳ではない。
それに、冒険者達が好意的に俺を助けようとしていたのはなんとなく理解していたしな。目を覚ましてからも、大分気遣ってくれていたし。
良い人達だった。ただ、巡り合わせが悪かっただけの話。
怒りよりも悲しみの方が強くて、復讐する気力がなかったってのもある。
親と仲間を失い、ただただ悲しみに暮れていた。
ゴブリンが居た森に戻ろうとも思わない。場所だって分からないし、戻ったところで仲間は誰一人として居ないからだ。
だから俺はベッドの上で死んだように黙りこくっていた。
しかし、いつまでも冒険者が面倒を見てくれる訳ではない。
彼等は村に依頼され、森の調査のためにやってきただけだからだ。依頼を終えれば、用が済んで村を出ることになる。
何も話さない小さな子供を連れて行くこともできないので、冒険者達は村にある小さな教会に俺を預けたって訳だ。
「貴方の名前を教えてくれないかしら」
「……」
「あらまぁ、困ったわね。名前を教えてくれないとなんと呼べばいいのかしら」
彼女はシスターのセシル。
温厚そうな顔立ちをした、五十代ぐらいの婆さんだ。身体は小さいが、腰は曲がっていないしめっちゃ動く働き者。
唯一のシスターで、実質彼女が一人で教会を運営している。
ぶっちゃけ、教会とは名ばかりで孤児院のような場所だ。俺みたいな身寄りのない子供を引き取り、大きくなるまで育てているらしい。孤児の数は大体十人ぐらいだ。
その数の子供を一人で育てるのはかなり苦労するだろう。俺だったらごめん被るね。
だが聖職者なだけあって、セシルは慈悲深い心で文句も言わず孤児を育てている。世の中にはいるんだな、こういうお人よしがよ。
十人もの子供をどうやって食わしているかっていうと、教会本部から与えられる資金でやりくりしているそうだ。後は冒険者や村人からの寄付金だが、そちらは微々たるものだろう。
「なぁ、お前なんて言うんだ?」
「一緒に遊ぼうよ!」
「……」
教会に引き取られた新人孤児の俺は、子供達に声をかけられるが全て無視を決め込んだ。何を喋っているのか分からないってのもあるが、単純にそんな気分じゃなかったんだ。
親と仲間の死に、胸にぽっかり穴が空いた感じがして、気持ちを切り替えることができなかったんだ。
「黙ってないでなんか言えよ!」
「そ~よ、名前ぐらい教えなさいよ」
シカトしていたら、不機嫌になった子供達に詰め寄られてしまう。
なんだこいつら、こっちは日々獰猛な獣をぶっ殺して喰っていた野生人だぞ。その首へし折ってやろうか。
そんな物騒な考えが浮かんでいると、実行する前に一人の女の子が仲裁してしくる。
「こ~ら、無理に聞いちゃ駄目でしょ。困ってるじゃない」
「だってよ~コレット、こいつずっと無視するんだぜ」
「そ~よ、折角わたし達が仲良くしようとしてるのに」
子供達からコレットと呼ばれる女の子。
歳は大体十二、三ぐらい。黒い髪を一房に纏め、愛嬌のある顔立ちをした可愛らしい女の子だった。そして彼女は教会の中での最年長者で、子供達のお姉さん役をしている。
コレットはむくれている子供達の頭に手を置くと、優しく諭すように口を開いた。
「皆だって最初は同じだったでしょ? だから無理に誘わないで、少し時間をあげましょう」
「「……」」
「でも、気遣ってくれたのよね。それは凄く良いことよ、皆が優しくて私も嬉しい。ただ、今日はまだ早かったかな。ほら、あっちで遊んでおいで」
「「は~い」」
コレットに言われた子供達は、たったったっと走り去っていく。コレットはふふっと微笑みながら子供達を見送った後、くるりと俺の方に向き、しゃがんで目線を合わせた。
「私はコレット、よろしくね」
「……」
「これでもお姉さんだから、何か困ったことがあったら私に言ってね。じゃあお仕事あるから、もう行くね」
にっこり微笑んで、コレットは立ち去っていく。そんな彼女の後ろ姿を、俺はぼ~と眺めていたのだった。
◇◆◇
「はいタッチ~! 今度はアンタが鬼ね」
「やられた~。い~ち、にぃ~、さ~ん……」
「たっち、あんた、おに……」
教会に預けられてから当分の間、俺は人間の生活に適応しようとしていた。
いつまでも塞ぎ込んだって意味ねぇし、やることがなくて暇だったからだ。恐らく、無意識の内に生存本能が適応しろと命令してきたってのもあるだろうな。
勿論ゴブリンの事は忘れていない。しかしいつまでも悲しむのも疲れるし、生き抜くために気持ちを切り替えた。
まずは言葉だ。
木の下で一人座り、庭で遊ぶ子供達を観察する。子供達が喋る言葉を繰り返し口に出しては、少しずつ言葉を覚えていく。
俺、私、貴方などの名称。セシルやコレットなど人の名前。服、フォーク、道具などの物の名前。立つ座る、食べる、タッチなどの動作。
口から出る名前と動作を結びつけ、それが何なのか、何を意味しているのかを理解し、少しずつ言葉を覚えていく。
言葉を覚えるのはさほど難しくなかった。
人間が話す言葉には意味があり、何を指し示しているのかが明確であるからだ。ゴブリンは「グヘヘ」とか「グガ」とか擬音みたいな言葉しか喋らないから、全くもって意味がわからねぇ。
それに比べれば、人間の言葉を覚えるのは比較的簡単な方だ。頭の構造が人間だから、ゴブリンの言葉よりも人間の言葉の方が受け入れやすかったってのもあると思う。
「動物じゃないんだから手掴みで食べないの。これはフォークを使って、こうやって食べるんだよ」
「……んぁ」
「そうそうそんな感じ! やればできるじゃない!」
手掴みでご飯を食べていたら、コレットに注意されてしまう。彼女はフォークの使い方を教えてくれて、拙い動きで真似たら褒めてくれた。
教会に預けられてからずっと、コレットは俺の身の回りの世話や、人間の生活の仕方を教えてくれた。
ご飯の食べ方、服の着方、道具の使い方など、普通の人間がする当たり前の事を教えてくれる。その辺の草むらでウンコしていたら、めちゃくちゃ怒られたっけ。
「ここがトイレで、オシッコやウンチはここでするのよ」って感じでな。
何も知らない野生児の俺に一から教えるのは大変だっただろう。だけどコレットは、嫌な顔一つせず優しく丁寧に教えてくれた。聖母って言えば大袈裟だが、懐が大きい優しい女の子だ。
彼女が居なかったら、俺はこんなに早く覚える事もできなかったし、素直に人間を受け入れることもなかっただろう。
コレットのお蔭で、俺は人間に成れたんだ。
「ダル……」
「えっ? 何か言った?」
「ダル。俺の名前。俺はダル」
言葉を覚えた俺は、初めて自分の名前を名乗った。
俺を拾って育ててくれた、愛すべきゴブリンが付けてくれた名前を。
「そう……貴方ダルっていうのね」
俺の名前を聞いて驚いたコレットは、優しい笑顔を浮かべた。
「ダルか……うん、凄く良い名前ね。皆にも教えてあげよ、皆もダルの名前を知りたがってるから」
「うん」
そんな感じで、俺は人間としての一歩を踏み出していたんだ。
明日も投稿予定です




