65 ダル 追憶2
「ダル、グゲ、ゲゲゲ」
「うぃ~」
俺と数匹のゴブリンは、じっと息を潜めて草むらに隠れている。
何故そんな事をしているのかといえば、今日の飯を狩るためだった。
少し離れた場所に獣がいて、俺たちは獣を狩るために作戦を立てていた。
「グゲ!」
「――ッ!?」
ゴブリンの合図と共に、俺達は一斉に草むらから飛び出る。突然現れた俺達に驚く獣は、尻尾を巻いて逃げ出した。
俺達は逃げる獣を追いかけるが、中々追いつかない。だがそれでいいんだ。
何故なら俺達の役目は捕まえることではなく、誘導であるからだ。
「「ゲゲゲッ!」」
「ッ!?」
逃げ回る獣の眼前から、待ってましたと言わんばかりに仲間のゴブリンが飛び掛かる。
ゴブリンに捕まった獣は必死に逃げようと暴れ回るが、俺達も加勢したことで無事仕留める事ができた。
「ゲゲー!」
「「ゲゲーー!」」
「えー!」
獣を狩ったゴブリンは雄叫びを上げる。俺も真似るように、大声を上げた。
老いたゴブリンに拾われてから、早くも三年が経つ。
勿論正式な月日は分からねぇよ。なんとなくの体感と、身体の成長度合いからそんぐらいだろうと推測しているだけだ。
約三歳になったガキの俺は身体も大きくなり、とっくのとうにハイハイを卒業して、ゴブリンと同じように森を駆け回っていた。
食べ物もモンスターの乳ではなく、ゴブリンと同じように獣肉や木の実を食べている。まぁ俺の場合、肉系は焼いて食ってるけどな。
一度ゴブリンと同じように生の肉を食ってみたら腹を壊して死ぬ思いをした為、年老いたゴブリンが肉を焼いて食わせてくれたんだ。
俺を真似して他のゴブリンも肉を焼いて食べるようになり、一時焼き肉ブームになったのだが、味に飽きたのか焼くのが面倒になったのか、すぐにブームは終わってしまった。
三歳にもなると、俺にも自我が芽生えてくる。
自分で物事を考えられるようになったんだ。
そうなってくると、疑問も生まれてくるようになる。
“自分とゴブリンは、違うのではないか”ってな。
第一に違うのは外見だった。
初めて川に入った時、ふと水面に映る自分の顔に戸惑ってしまう。
なんだこの顔は、ゴブリンと全然違うぞってな。
顔の形も違うし、肌の色が違う。全くもって別の生き物だった。
ペタペタと目や口や鼻を触って、俺は俺という生き物を認識していく。
それで分かったんだ。
俺はこういう姿で、ゴブリンとは違う生き物だってのがな。
第二に違うのは、言語だった。
ゴブリンは基本「ゲヘヘ」とか「グゲゲ」としか喋らない。何故か俺を呼ぶ時は「ダル」と言っているけど、それ以外はほとんどが「ゲゲ」だ。
でもそれで、ゴブリン達はしっかりと意思疎通していた。
例えば彼等が「今日怠いな。狩りサボっちゃう?」「おっいいね! バックレちまおうぜ!」と会話していても、俺からしたら「ゲゲゲ」と言っているようにしか聞こえない。
恐らくゴブリンには言語という概念が無いのだろう。
土や水といった単語も、ゲゲで全部通じるんだから、しょうがないっちゃしょうがない。
どんなに理解しようとも、ゴブリンの言葉を理解する事は不可能だった。
それは当然だろう。だって俺は人間で、ゴブリンはモンスターなのだから。
言葉による意思疎通ができないのは厄介だった。
だから俺は、“見て覚える”ことにしたんだ。
肉の食い方、獣の狩り方、暇潰しの遊び方。
様々な事柄を全て、見て覚えようとした。
だってしょうがねぇじゃん。
ゴブリンは必死に説明してくれようとしているが、ゲゲとしか言ってねーんだもん。
だから俺も、口に出すのは「あー」とか「げげ~」とかそんな感じの言葉だ。
言葉で理解できないのなら、身体で見て覚えるしかない。
でも、それは別に難しいことじゃなかった。
言葉に頼らなくって、生物は仕草で意思疎通ができるんだから。
仕草だけじゃない。感情もそうだ。
笑ったり泣いたり怒ったり、愛情だったり。
表情や雰囲気を感じ取ることができれば、何が言いたいのかは大体分かることができる。
俺はゴブリンとは違う。
それでも俺にとって、ゴブリンは大切な仲間だったんだ。
◇◆◇
「ダル……」
「あ~い」
「グゲゲ、ゲゲ」
ある日。
俺を拾い育ててくれた老いたゴブリンと一緒に居た。
今なら分かるが、老いたゴブリンは群れのボスで、決定権は全て老いたゴブリンにある。そして老いたゴブリンは、他のゴブリンから愛されていた。
三年経った今、老いたゴブリンは更に老けてしまっている。
身体は細くなり、食べ物もろくに食べられない。まともに立ち上がる事すらできなくなっていた。
本人も、そして俺や他のゴブリンも薄々勘付いてはいるだろう。
老いたゴブリンの命が、もうそれほど長くはないという事に。
「ダル」
「うぇ?」
ちょっと来いといった意味で、老いたゴブリンが指を動かす。近寄ると、座っている老いたゴブリンに引き寄せられ、抱っこされてしまった。
老いたゴブリンは細腕で俺を軽く抱き締めると、優しい手つきで頭を撫でてくる。
そして、ダル……ダル……と何度も名前を呼んでくるんだ。
俺は何も口に出さず、されるがまま。
そうされるのが気持ち良かったからだった。だから安心して、老いたゴブリンに身体を任せる。
俺はゴブリンではない。きっと違う生き物だ。
だけど俺にとって、老いたゴブリンは俺を拾って育ててくれた、紛れもない親だった。
だから俺も老いたゴブリンが大好きだったし、親愛を抱いていた。
老いたゴブリンに拾われて、俺は幸せだったんだ。
ああ、いつまでも幸せな時間が続けばいいのにと、そう願っていた。
しかし俺は、幸せもあれば不幸というものがある事を、この後すぐに知ることになる。
「ゲゲッ!」
「グゲゲッ!!」
縄張りに帰ってきたゴブリン達が、血相を変えて叫んでいる。
何を言っているのかは分からねぇが、その切羽詰まった態度から何を伝えたいのかは理解した。
敵だ。敵が現れたんだ。
それも、仲間のゴブリンが慌てる程の強敵が。
すぐに縄張りに居た他のゴブリンが集結し、敵を倒しに向かおうとする。
勿論俺も行こうとしたのだが、
「ダル! グゲ、ゲゲ!」
「ぃえ?」
老いたゴブリンが俺の腕を掴み、大声を上げて何かを言ってくる。
指をさしている仕草から、どこかへ逃げろと言っているのは察せられた。
しかし俺はゴブリンの仲間だ。俺だけ逃げる訳にはいかない。
だから年老いたゴブリンの腕を振り払い、他のゴブリンと共に強敵を倒しに向かったんだ。
「ぁ……え?」
会敵した時、俺は目を見開いた。
敵は四人いたのだが、その姿が俺と似通っていたからだ。
「ねぇ見て、ゴブリンの中に子供がいるよ!?」
「クソ、畜生共め! あんな子供まで攫いやがって!」
「森の調査でゴブリンの巣を探していたら、まさか子供を見つけるとはな……」
「無事みたいだけど、早く助けてあげよう! 子供が可哀想だ!」
その四人は、俺の知らない言葉を発していた。
だけど、なんとなく分かる。人間としての本能かは知らないが、あの四人と俺は同じ生き物だってことがな。
今となって分かるが、あの四人は冒険者だったんだろう。
調査かなんかでこの森に訪れ、人間の子供を攫ったゴブリンと出くわしたんだ。
別に俺は攫われた訳じゃないが、人間の言葉を話せない為、当然理由を伝えることができない。
ここにいるゴブリンは、俺の仲間だってことをな。
「おらぁ!!」
「死ねゴブリン共!」
「ゲギャ……」
「ギャアアアア!?」
茫然とする中、ゴブリンは冒険者に襲い掛かる。
だが冒険者は剣や盾に鎧を装備し、その上魔術を使えるモンスター殺しのエキスパートだ。
モンスターのカテゴリーでは低級に分類されるゴブリンが束になっても敵うはずがなく、あっという間に殺されてしまった。
本当にあっという間だった。信じられなかった。
俺を育ててくれて、共に日々を過ごした仲間が、ほんの一瞬で殺されてしまったんだ。
「う……う……うぁああああああ!!」
「なんだこの子!?」
「やめて、私達は貴方を助けたいのよ!」
「もしかしたら洗脳されているかもしれない。眠らせてみる」
目の前で仲間を殺された俺は、居ても立っても居られず怒りのままに立ち向かった。
だが、なんの力もない三歳のガキがどうこうできる筈もなく、俺は簡単に捕まってしまう。
その途端、身体に力が入らず急激に眠くなってしまった。
「もしかしたらゴブリンの縄張りがあるかもしれない。今のうちに潰しておこう」
「保護した子供を帰すのが先じゃない? このまま連れて行くのは危険よ」
「いや、大丈夫だろう。この子供はもう眠らせたし、俺が守っている」
冒険者は俺を担ぐと、そのまま進行してしまう。
そして縄張りを発見すると、残っていたゴブリンを殲滅した。
俺は眠りを堪えるために、唇を噛んでいた。
だけど、あのまま眠っていた方が良かったのかもしれない。
眠ってさえいれば、仲間のゴブリンが殺される光景を見ずに済んだのにな。
「こいつが最後か」
「うぅ!! ぁあ!」
「おっと、眠ってたんじゃねぇのかよ? おい、ちゃんと睡眠魔術を掛けたのか?」
「おかしいわね……ちゃんと掛けたはずなのに」
「まぁいい、さっさと殺して帰るぞ」
そして冒険者は、最後に残っていた老いたゴブリンに手をかけようとしていた。
そうさせまいと身体を捩るが、冒険者に止められてしまう。
やめろ、やめてくれ!
どうかその人だけは殺さないでくれ!!
その人は俺の……俺の大切な親なんだ!!
そう叫んでも、俺の言葉は冒険者に届かない。
彼等には単なる喚き声にしか聞こえなかっただろう。
「ダル……グゲ」
「ぁ……ああ」
俺の親は、最後に俺の名前を呼んで、笑顔を浮かべたままその首を刎ねられた。
「ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
最愛の親を殺された俺は慟哭し、気力を失った瞬間に魔術の効果が訪れ、涙を流しながら眠りに落ちてしまったのだった。