59 精霊魔術
「氷結魔術」
「「ギャアアアアアアアア!!」」
上空から氷の雨を降らし、モンスターが次々と串刺しになっていく。
風魔術によって空を漂うミリアリアは、モンスターの断末魔を聞きながら額の汗を拭った。
「ふぅ……ふぅ……疲れた。まだ終わらないの?」
終わりのない殲滅戦に、ため息を吐くミリアリア。
その様子から、疲労が蓄積されているのが窺えた。
それもその筈、ダルにモンスターの足止めを任されてから、彼女はぶっ続けで広範囲の魔術を繰り出している。いくら桁違いの魔力を保有しているミリアリアであっても、休み無しでの戦闘は身体に堪えた。
このままでは体力と魔力が尽きるのも時間の問題だろう。
ミリアリアも考え無しに魔術を行使していた訳ではない。
魔力の消費を極力抑える為にも創意工夫を行っていた。
地面を氷漬けにする事で機動力を削ぐ。氷の坂道を降ろうとすれば転倒するし、進行を妨げられるからだ。
土魔術で落とし穴を作り、滑り落ちてきたモンスターを罠に嵌める。身動きを取れなくしてから、攻撃魔術で一網打尽にしていた。
その場その場で臨機応変に対応し、色々な方法でモンスターを駆逐していく。
それが出来たのも、ダルと鬼遊びをした成果だろう。結局今日までダルに触れることは叶わなかったが、その過程で得られるものは多かった。
常に頭をフル回転させ、数多の選択肢から考えられる最善の一手を選択する。追う側だけではなく、追われる相手の身になって考えもした。
癪ではあるが、鬼遊びのお蔭でミリアリアの手札が増えたことは間違いないだろう。
いや、増えたのは手札だけではない。
山の中を駆け回る鬼遊びにより、彼女の基礎体力も大幅に上がっていた。基本的に動かない魔術師でも、意外と体力は馬鹿にできない。
体力を消費すれば思考力も低下してしまうし、体力の底が尽きていれば魔力が残っていようが魔術を発動できなくなってしまう。
ここまで大量のモンスターの相手を可能にしていたのも、旅を始めてからの体力作りと鬼遊びの成果だった。
「今はなんとかなってるけど、いつかは限界も来る。いくつか取り逃がしたし、強力なモンスターも出始めてるのがキツい」
いくらミリアリアが優秀な魔術師であろうとも、この数のモンスターを全て捌き切るのは不可能だった。
下位の雑魚はまだしも、離れている所にいる中位のモンスターを一度に相手をするのは至難である。何匹か足止めできず町へと向かわせてしまった。
終わりが見えない戦いに、ミリアリアも焦りを抱いていた。
このままでは先にこちらの魔力と体力が尽きてしまう。精霊たちが力を貸してくれれば魔力も節約できたのだが、生憎精霊たちは多くのモンスターの悪意に脅え隠れてしまっていた。
それに加え、時間が経つごとに凶悪なモンスターが増え始めているのも厄介だった。
恐らくダルは原因を突き止めているだろうが、未だにモンスターが現れているという事はまだ解決していないのだろう。
何者かから邪魔されている可能性がある。
それも、ダルが手こずるような手強い相手がだ。
しかしダルのことだ。誰であろうと負けはしないだろう。
(うえぇ……なんでダルが勝つって確信してるんだろ。キモチワル)
ダルに対し、いつの間にか強い信頼を抱いている自分に辟易している時だった。
上空から高濃度の魔力を感知し、慌てて振り返る。
風を切り裂きながら凄まじい速度で迫ってくるのは、大きな翼をはためかせた竜だった。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「なんでここに飛竜が!?」
普段滅多に驚かないミリアリアが驚くのも無理のない話だ。
ワイバーンは上級の迷宮に出てくるようなモンスター。
手足は短く、翼が巨大で機動力が高い竜種だ。
純然たる竜には劣るが、歴とした竜である事に違いはない。
竜の鱗は鋼より硬く、魔術耐性も高い。膨大な魔力を保有しており、火属性と風属性が付加された攻撃は全てを灰燼に帰す威力を誇っている。
そしてワイバーンの真骨頂は機動力にある。その巨体からは考えつかないほど空を縦横無尽に動き回ることができるのだ。『空の王者』とも呼称され、空中戦で右に出るモンスターはいないと言われている。
文字通り化物の出現に、ミリアリアは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
ここにきてワイバーンの出現。勝算はあるが、体力と魔力が消費した今の状態で勝ちを拾えるかは五分といったところだろう。
「氷結魔術」
「ゴアアアッ!!」
小手調べに氷の散弾を打ち放つも、ワイバーンは軌道を変えて回避する。
やはり動きが疾い。これでは上級魔術を放っても避けられてしまう可能性がある。残り少ない魔力を無駄にする事はできない。確実に当てられる機会を作らなければ。
「ガアアアッ!!」
「くっ!!」
ワイバーンは翼をはためかせ、風属性が纏った突風を放ってくる。不可視ほどでもないが見え辛く、広範囲かつ疾いため回避は不可能。
なのでミリアリアは眼前に魔力障壁を展開して身を守るが、衝撃が重くて吹っ飛ばされそうになる。
なんとか暴風を凌ぎきったミリアリアは、反撃の一手を繰り出した。
「疾風魔術」
幾つもの斬撃波が多方面から飛び交う。
ワイバーンは風の斬撃から免れようと宙を舞うが、ミリアリアが放った斬撃波は獲物を捕らえる獣のように追尾した。
風属性中級魔術アサシン・ウインドは、風の斬撃を術者によってコントロールできる。ワイバーンが風属性に精通しているのは百も承知だが、風属性を得意としているのはミリアリアも同じ。専売特許の魔術なら、例え竜種にも引けを取らない。
「まずはその羽を奪う」
ミリアリアの狙いはワイバーンの翼にあった。
機動力の要である翼さえ無くしてしまえば、後は袋の鼠。最悪、ダメージを負わせて機動力を削げればトドメの上級魔術で倒せる。
そんな策略を考えていたのだが、ワイバーンは彼女の予想を一歩越えていた。
「ゴアアアアアアアッ!!」
「吐息でアタシの魔術を焼き払った!?」
竜種の最大の武器は、強靭な肺と膨大な魔力の合成によるブレスだ。
肺の中で火炎を生成し、炎と風が合わさった魔力波を一気に解き放つ。灼熱の吐息は、ミリアリアの風魔術を焼き払ったのだ。
ミリアリアが驚いている間に、ワイバーンは再び暴風を放ってくる。ミリアリアは咄嗟に魔力障壁を展開したが、それが悪手だった。ミリアリアが身動きを取れない間に魔力を充填し、間髪入れずブレスを放ってくる。
ミリアリアが考えていた策略を、そっくりそのままやられてしまったのだ。
「氷結魔術!!」
この状態で回避は間に合わない。
ミリアリアは己が持つ最大級の上級魔術で応戦するが――、
「くっそ――ッ!!」
十分に魔力を練られなかった上に、火炎と氷では属性的に相性が悪い。吹雪は火炎に押し込まれ、ついに打ち負けてしまった。
魔力障壁でダメージを軽減したが、直撃してしまったミリアリアは身体を燃やされ落下してしまう。
「痛い……それにまた燃やされたし。本当最悪……魔力ももう無いし」
魔神の魔術によって身体を丸焼きにされた記憶が甦り、悪態を吐く。
今の上級魔術と、落下による衝撃を殺すために使用した風魔術によってついに魔力が底を突いてしまった。
もうミリアリアにワイバーンと戦うだけの余力は残っていない。後はもう自分以外の誰かに任せるしかないだろう。
(本当にそれでいいの?)
己自身に問いかける。このまま諦めてしまっていいのだろうかと。
ダルはミリアリアを信じてこの場を任したのだ。
その信頼を裏切っていいのか?
それに、ミリアリアが動かなければモンスターはどうなる。まだモンスターは現れ続けているし、ワイバーンは健在だ。
それらが一気に町へ襲い掛かってしまう。今も懸命に戦っているだろう、アテナの元へ。
なによりも、ここで諦めたら後でフレイに何を言われるか分かったものじゃない。
へっ、やっぱりお前はダメエルフだったなと馬鹿にされる未来が目に浮かんでくる。ダルやアテナはまだしも、フレイに馬鹿にされるのだけは勘弁ならない。
「けどアタシにはもう方法がない……」
魔力も底を尽き、体力の低下で思考する事もままならない。打つ手が何もないのだ。
なにか良い手はないかと焦りを抱いていた時、不意にダルと鍛錬した時の話を思い出す。
『瞑想って知ってるか?』
『めちゃくちゃ簡単に言えば、頭ん中をリラックスさせて集中力を高める方法だ。魔術師はパーティーの中で一番冷静でなくちゃならねぇ。どんな事態に陥ってもな。でも、そんなこと言われたって非常時には戸惑っちまうもんさ。
そうならない為にも、普段から心を静かにして集中力を上げる鍛錬をする必要があるんだ』
『それと瞑想には、僅かだが魔力の回復効果がある。エルフであるお前なら、普通の奴と比べて効果はさらにあるだろう。
なっ? 騙されたと思ってやってみねーか』
「これだ、これしかない」
ミリアリアは閃いた。
というよりも、何故今まで忘れていたのだろうか。
瞑想をすれば、僅かだが魔力が回復できる。いや、僅かどころではない。世界と同調することができれば、莫大な魔力を扱うことが可能だった。
しかし、同調にはリスクがある。集中力を極限まで高めなければ世界を感じることができないし、同調できたとしても蓋を閉めることができるかどうか。失敗すれば身体が木端微塵になってしまうだろう。
それでも、やらない訳にはいかない。
「すうぅぅぅ~~はぁぁぁ~~」
ミリアリアはその場に座ると、瞼を閉じて身体をリラックスさせる。ダルとの鍛錬を思い出しながら、呼吸を整えた。
次第に、頭の中が透明になっていく。
無の境地に足を踏み入れた。
すると段々、感覚が鋭敏になっていく。風の匂い、大地の感触を鮮明に感じ取れた。それだけではなく、世界に溢れる魔力さえ感じ取れる。
「お願い、アタシに力を貸して」
ミリアリアは同調し、世界に語りかける。すると、地面から魔力が注ぎ込まれてきた。
まるで地面から水分を吸収する木の根のように、魔力が流れてくる。
世界がミリアリアに応えてくれたのだ。いや、応えてくれたのは世界だけではない、脅えて隠れていた精霊たちも楽しそうに彼女の周りを飛び回っていた。
莫大な魔力がとめどなく流れ込んでくる。
ありがとうとお礼を述べ、ミリアリアは蓋を閉め同調を解いた。
枯渇していた魔力は復活し、瞑想した事で頭も冴えわたっている。さらには精霊たちも力を貸してくれる。
「行こう」
体力、魔力、思考力が回復したミリアリアは、精霊を連れて空へ舞う。
未だに飛び交っていたワイバーンが、彼女の存在に気付いて咆哮を上げた。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
大気を肺に貯め込んだワイバーンは、灼熱のブレスを放ってくる。
対しミリアリアは、両手を掲げて迎え撃つ。
「精霊魔術」
暴風が巻き起こる。
精霊の吐息は轟音を響かせながらブレスと衝突するが、刹那の拮抗すらなく吹き飛ばした。それだけに終わらず、暴風は真っすぐ突き進んでワイバーンに強襲した。
「ガァアアアアアア!?」
暴風に晒され、ワイバーンは悲鳴を上げながら山に激突した。絶命したかは分からないが、気絶したのは間違いないだろう。
脅威を払ったミリアリアは、山から下ってくるモンスターに手を向けながら口を開いたのだった。
「アタシがいる限り、もうアテナのところには行かせない」