55 リュウ(中編)
十歳になった。
弟子生活にも慣れて、すくすくと身体も成長している。メイメイは相変わらずチビのままだったけどな。
まだまだ半人前もいいところだが、武芸者としても少しずつ強くなっていた。元々喧嘩ばっかりしていた俺にとって、身体を動かす鍛錬は性に合っていたんだ。
一日の生活は今までと変わりなかったが、道場の風景は変わっていた。模様が変わった訳じゃなく、弟子の人数が減っているんだ。
というのも、兄弟子達は成人すると、次々に道場を出て行っちまう。いや、道場というかこの町から出て行っちまうんだ。
その理由は主に、さらなる強さを求めての事だった。
パイ爺さんは身体を鍛えたり、武術の構えや型を教えてくれるが、木影流の技を教えてくれる訳じゃなかった。
だから兄弟子達は、今よりももっと強くなる為に町を出て武者修行の旅に行っちまう。
それ以外では他の流派に移籍したり、武術とは関係のない道を歩んだりしている。折角仲良くなった家族が居なくなってしまうのは寂しいが、兄弟子達が決めた事だから見送るしかなかった。
あれから新しい弟子も増えず、木影流は徐々に風化していってる。
俺は素朴な疑問を爺さんにぶつけた。
「なぁ爺さん、何で木影流の技を弟子達に教えてくれねーんだ? 兄弟子や他の流派の弟子に聞いたんだけどよ、爺さんは凄腕の武芸者だったんだろ? 木影流だって凄ぇ流派だったそうじゃねーか。
そんな凄い技があんのに何で教えてくれねーんだよ。爺さんが木影流を教えれば、兄弟子達だって道場を出ていかなくてもいいのによ」
「うぅ……あのリュウがワシや木影流の事を心配しれくれるようになったとはの。長生きしてみるもんじゃ」
「う、うるせぇ……茶化すんじゃねえよ。早く言えって」
「ふむ、何で技を教えてくれない……か。ワシは随分前から弟子に技を教えることはやめたんじゃよ。この世界を生きていく上で、技など必要ないからの。
一人で生きていく力を身に着けてくれればそれで十分なんじゃよ。木影流は、お前さん達が飛び立っていく為の巣なんじゃ」
飛び立つ為の巣……か。
木影流の弟子は、俺を含めてほとんどが訳有りの子供ばかりだった。今日を生きるのも困難な子供を、爺さんが拾ってきたり引き取ったりしている。
俺やメイメイもそうだし、他の弟子達も同じような境遇だった。
どちらかというと、この道場は孤児院に似た場所なんだ。
そして、爺さんが俺たちの親代わりを担っている。だから仲間というよりは、俺達は家族のような関係だった。
純粋に木影流を教わりたい武芸者も時々訪れるが、爺さんが技を教えてくれないと知るとすぐに出て行っちまうしな。
「もし、リュウが大人になってもっと強くなりたいと望むのなら、その時はここを出ていけばよい。それまではここで基礎を固め、土台作りの鍛錬に励むがよい」
「……分かったよ」
納得できなかったが、今はそれでよしとした。
時が経てば、爺さんの考えも変わるかもしれないしな。
◇◆◇
ある日、爺さんが四人の冒険者を連れてきた。
どいつもこいつもかっこ良い防具を身に着け、煌びやかな剣や盾を携えている。中でも目を惹かれてたのは、ダルという冒険者だった。
親父がろくでもない冒険者だったし、町に来る冒険者は迷惑な奴等ばかりだったから、俺は冒険者というものに嫌悪を抱いていた。
だがダルは、気さくで俺達子供にも優しく、他の冒険者とは醸し出す雰囲気が違った。上手く言えねぇが、全身からエネルギーが迸っているというか、ギラついてたんだ。
そして何より、純粋に強かった。
爺さんは普段、俺達弟子とは組手を行わない。だがダルにだけは、自ら組手を行っていた。
目にも止まらぬ激しい攻防。次元が違う二人の組手に、俺は今まで生きてきて初めて興奮した。
(凄ぇ!! ……なんだこれ、凄すぎるだろ!!)
「完敗だぜ。まさかこんな小っさい爺さんに負けるとは思わなかった」
「ほほ、つい武芸者としての血が騒いでしまったわい」
最後にはダルを投げ飛ばした爺さんが勝ったが、紙一重の戦いだったように思える。
爺さんがこんなに強かったのかと驚くよりも、俺は真っ先にダルの強さに感動した。それは俺だけじゃなくて、弟子全員が感じたことだろう。
ダルを気に入った爺さんは、弟子にならないかと誘う。
ダルは嫌だと断っていたが、爺さんの押しに負けて少しの間道場に居座ることになったんだ。
ダルの他にもアイシアという綺麗なお姉さんも毎日来るようになり、野郎共が鼻の下を伸ばしていたが、俺は眼中になくずっとダルにくっついていた。
「なぁダル、また冒険の話をしてくれよ」
「またかよ、しょうがねぇなあ。そうだな~じゃあ海賊船と戦りあった時のことを話してやるか」
ダルの冒険の話は新鮮で、とにかく楽しく、俺は何度も冒険の話をせがんだ。
ダルも満更ではなく、しかも意外と話を盛り上げるのが上手くて、いくら聞いても飽きることがない。
「俺の夢は世界一の冒険者になることだ。やっぱ男なら、でっけぇ夢を持たなくちゃな」
「すげー……世界一の冒険者か。なら俺は、世界一の武芸者になる!!」
ダルは夢までもかっこ良い男だった。
しかも口だけじゃなく、実際に強い。俺なんかじゃ足下にも及ばないのは勿論だったが、兄弟子達もダルには敵わなかった。
それにダルは日を追うごとに型を覚え、あっという間に練度を上げていってしまう。俺が何年も鍛錬してやっと身に着けた型を、一瞬でモノにしてしまったんだ。
周りは凄い凄いと感心していたが、俺は逆だった。その才能の差に打ちのめされちまったんだ。どれだけ鍛錬を重ねれば、ダルの強さに届くんだってな。
十日と少しが経ち、ダルはまた冒険の旅に出た。
別れの時、メイメイはうわんうわん泣いていた。俺と一緒で、メイメイもダルのことをアニキと呼んで懐いていたからな。悲しむのも無理はない。
俺もダルと別れるのは寂しかったが、それよりも大きな焦りを抱いていた。
もっともっと強くなりたいってな。
◇◆◇
十四歳になった。
身体もさらに大きくなり、もうすぐ俺も成人になろうとしていた。
ダルが旅立ってから俺はより一層強さを求めた。嫌いな食べ物だろうが身体づくりの為に腹いっぱい食べ、血反吐を吐くような厳しい鍛錬を己に課す。
木影流の弟子の中でも、兄弟子を含めほとんど負けることはなかった。たまに行う他流派との試合形式の組手でも負けることがなかった。
だが、何故かメイメイには負け越してしまう。あんな小さな身体で非力な筈なのに、俺の攻撃を受け流してしまうんだ。それは恐らく技術と、常鋼の練度があいつの方が勝っているからだろう。
戦い方に関しても、俺が剛でメイメイが柔、相性はよくなかった。メイメイに負ける度に、自分の弱さに苛ついていた。
こんなんじゃ駄目だ。あの頃見た爺さんとダルの領域には全然近づけていない。
だから俺は、飽くことなく強さを求め続けた。
弟子の中でも年長になったが、あれから新しい弟子はそれほど増えていない。兄弟子達もみんな道場を出ていき、木影流も徐々に廃れていっちまった。
このままでは本当に木影流が終わってしまう。
俺はこの頃になってやっと、危機感を抱くようになったんだ。
このまま何もしなかったら駄目だ、俺がなんとかしなくちゃってな。
ある日の夜。
俺は爺さんと二人きりで話をしたいと言った。
「なんじゃリュウ、改まってワシと二人で話がしたいとは。彼女でも紹介してくれるんかの? まさか彼女通り越して嫁さんが出来たんか?」
「爺さん、頼む。俺に木影流の技を教えてくれ」
爺さんのふざけ話を無視し、俺は頭を畳につけて真剣に頼む。
本気の態度が伝わったのか、爺さんも真面目な声音で返してきた。
「以前にも言ったろう、弟子には生きていく力を身に着けて欲しいだけで、技を教えることはないんじゃ」
「そんな理由で納得できるかよ! 今の道場を見てみろ、弟子もいなくなってみすぼらしくなっちまってるじゃねえか! このままじゃ本当に木影流が潰れちまうんだぞ、爺さんはそれでもいいってのかよ!?」
「それでええよ。ワシは木影流になんの未練もない」
「爺さんはよくても俺が嫌なんだよ!! 俺を育ててくれたこの場所も、木影流も潰れて欲しくねぇんだ!!」
「リュウ……お前、そんな事を考えておったのか」
ああ、そうだ。
俺だって考えたさ。めちゃくちゃ迷ったさ。このまま木影流に居ても、これ以上強くなれない。この町を出るか、他の流派に移籍するしかないってな。
けどどうしてもできなかったんだ。
俺を拾ってくれた、ここまで育ててくれた爺さんと木影流を捨てる事なんでできなかった。
クソ親父から生まれ、町の連中からも煙たがられ、最悪な日々から救い出してくれた爺さんに恩返しがしたい。
ただそれだけなんだ。
「頼む爺さん、俺を木影流の正当な弟子にしてくれ。爺さんから技を教えてもらって、もっと強くなって、俺が木影流を引き継ぐ。それでもっと大きくして、どの流派よりも有名にするから!!」
「……」
必死に頼み込むも、爺さんは反応を示さなかった。
そのままの状態が続くと、やがて爺さんは深いため息を吐く。
「あれはもう十年以上も前のことじゃ。木影流の名は武芸者に知れ渡っており、弟子の数も今とは比べものにならない程おったよ」
「なんで昔話なんか……そんな事より俺は――」
「まぁ聞け。あの頃はワシも弟子達に木影流の技を教えておったよ。己が磨き上げてきたものを、包み隠さず全てな。それが武芸者として……武術の伝道者として当然のことじゃと思っておった」
爺さんは「じゃがそれが間違いじゃったんじゃ」と言うと、後悔に打ちひしがれるような顔を浮かべて、
「弟子の中に、一際才がある者がおった。そやつはきっと、木影流を継ぐ者だろうとワシは信じておったんじゃ。じゃがそやつは、心の中に狂気を孕んでおった。
ある日ぱったり姿をくらましておったら、そやつは次々と武芸者を殺めておったんじゃ」
『何故じゃ!? 何故こんな真似をする!?』
『何故って? 愚問ですよ師範。力とは元来、他者を壊すもの。僕はその理に従っているまでです。師範なら僕の気持ち、分かってくれますよね?』
「っ……」
「分かるはずもないじゃろうて。ワシは武芸者として高みに行って欲しくて教えたんじゃ。武術は決して人を殺める道具ではない。弱きを助け、悪を挫くものなんじゃ。それをあやつは、勘違いしておった」
「その武芸者は……どうなったんだ?」
恐る恐る問いかけると、爺さんは泣きそうな顔で呟く。
「ワシの手で引導を渡した。殺しはせず、再起不能までに落とし込んだ。改心して欲しいと願いながらの。じゃがそやつは、すぐに自らの手で命を絶ってしまったんじゃ」
『なんで……どうしてこんな事になってしまったんじゃ!!?』
「ワシは恐れた。ワシが教えた技が、人を殺す道具に成り果て、弟子さえも殺してしまったんじゃからの。その事があって、ワシは弟子に木影流の技を教えるのをやめたんじゃ。
最低限、世に出ても生きていける力を身に着けるだけでいいとな」
それが……弟子に木影流の技を教えない理由だったのか。
正直驚いちまった。爺さんにそんな過去があったなんてな。
でも過去は過去だ。
俺には一切関係ない。
「それでも俺は木影流を継ぎたい。爺さんの技で、木影流として強くなりたいんだ!!」
「すまぬ、リュウ……それだけは出来んのじゃ」
「くっ……!! この、分からず屋が!!」
必死に頼み込んでも、爺さんは首を縦に振ることはなかった。
それから俺は雑務と鍛錬をサボり、町に出ては無意味な時間を潰していた。
そんな時だ。
いきなり俺に喧嘩を吹っ掛けてきた馬鹿共がいやがったのさ。
「おい兄ちゃん、ちょっと俺たちと遊んでくれよ」
「俺たち破天流なんだけどよ、技を試したくてしょうがねーんだ。だから相手になってくれねーか」
「破天流……? ああ、最近噂になってる流派か」
その名前は聞いたことがある。
ここ最近、破天流と名乗る武芸者が道場破りをしては金品を奪っているらしい。道場破りっていうよりは道場荒らしだな。
その武芸者は道場を奪い、そこを拠点にして次々と弟子を引き入れ、勢力を拡大させていた。だがその弟子共がろくでもねー奴等で、町で悪さをしているそうだ。
(噂は本当だったって訳だな)
俺に絡んできたこいつらは、どう見ても武芸者とは思えない。道着を着ているだけのチンピラだ。
「いいぜ、丁度俺も憂さ晴らしをしたかった所だ。相手になってやるよ」
「ははっ! イキってんじゃねぇぞガキが!!」
「泣いて謝っても許さねーからな!!」
ちょっと煽っただけで破天流の武芸者共は喚きながら襲い掛かってくる。
本当に武芸者なのかと疑うほど大したことがなく、一瞬で決着がついた。
「ぐぇ……」
「くそ……こいつ強ぇぞ……」
「お前らが弱すぎんだよ」
地面に這い蹲る破天流を見下ろしながら、俺はため息を吐く。
多少スッキリはしたが、この程度じゃ全然満足できない。
どうせならもっと強い武芸者と戦いたかったぜ。
「喧嘩を売るなら相手を考えろよ」
そう言って踵を返した時だった。
不意に、誰かから声をかけられる。
「そこの君、ちょっとお話いいですか?」
「あ? ――っ!?」
振り返ると、俺は驚愕した。
声をかけてきたのは糸目で細身な男。黒い道着を纏っているから武芸者なんだろうが、そいつから放たれる異様な雰囲気に圧倒されてしまう。
「なんだお前……」
警戒している俺に、糸目の男は身の毛がよだつような薄ら笑いを受かべながらこう言ってきたのだった。
「私は破天流師範、タオロンと申します。以後お見知りおきを」