54 リュウ(前編)
俺はリュウ。
山の麓にある小さな町外れに生まれた、なんの力もないガキだ。
俺の家は貧乏だった。
親父はろくに働かず、朝から酒に浸る毎日。取るに足らないことですぐにブチ切れ、俺やお袋に暴力を振るっていた。
お袋は小さな俺を抱えながら、親父の気が晴れるまでずっと我慢している。
そんなクソ親父とは真逆に、お袋は朝から晩まで男がするような重労働をしていた。子供ながらに、この環境がおかしいと気付いていた。
何度もお袋に聞いた。何故、あのクソったれな親父に尽くすのか。どうして見捨てないのか。
するとお袋は決まってこんな事を言う。
「いつかきっと、あの時のお父さんに戻ってくれるから。それまで私が支えるの」
親父は名のある冒険者だったらしい。勇ましく、逞しく、豪快で、かっこ良いところに惚れたそうだ。
しかし、迷宮探索の時に片足を失ってしまって冒険者を引退してからは、何もやる気が起きず、今のような状態が何年も続いてしまっている。
お袋はあの頃の親父に戻ってくれると今でも信じているそうだが、俺からしたら心底どうでもよかった。
俺はかっこ良い親父の姿を一度も見ていなければ、働きもせず酒に溺れているかっこ悪い姿しか知らないからだ。
さっさとくたばってくれとしか思えない。
家に居ても親父に殴られるだけなので、お袋が仕事から帰ってくるまでは外に出て時間を潰していた。
だがあのクソ親父のせいで、俺は町で腫れ物扱い。周りからは白い目で見られ、同じ世代のガキ共には罵詈雑言と共に石を投げられる。勿論反撃するが、多勢に無勢で毎回ボロカスにやられていた。
そんなクソったれな生活が続き、気付けば七歳になっていた。
まずお袋が死んだ。過労死だった。
そりゃそうだろう。ろくな飯も食えず、親父に暴力を振るわれ、怪我を負いながら重労働をしていたら身体にガタがくる。逆に言えば、よく何年も保った方だと感心しちまうぐらいだ。
それからすぐに親父も死んだ。自殺だった。
家に帰った時、首を吊ってやがったんだ。死ぬのなら他の場所で死んでくれればよかったのによ。
ガキの力じゃ片付けるのも一苦労だったぜ。
何故、あのどうしようもない親父が自ら命を絶ったのか。
お袋が死んで正気に戻ったのか、己の罪を嘆いたのかは分からないが、理由なんてどうでも良かった。
心の底から清々したぜ。これでやっとあいつから解放されたんだからな。
一人で生きていく事になった俺は、町の外に出てスリや泥棒をして生き延びていた。
こんな小さなガキ、しかも悪い評判が出回っている俺を働かしてくれる所なんてなかったからな。食い繋いでいくには仕方のないことだった。まぁ、罪悪感なんてこれっぽっちもなかったけどな。
相変わらずガキ共が突っかかってくるが、全て返り討ちにしてやった。
しっかりと飯を食い出してからは身体も丈夫になったからな。それに親父からどう暴力を振るえば痛みと恐怖を与えられるのかはこの身をもって思い知らされていたから、それが喧嘩に役だった。
もうガキの中で俺に歯向かう奴は居なかった。
一人でだって余裕に生きていける。そう浮かれていた時だった。
「おい、今盗っただろ? その手の中を見せやがれ」
「あっ? 何も盗ってねぇよ。触んじゃねえ!」
「いいから出せ!!」
いつものように盗みをしていたら、下手扱いてバレちまった。
そこからどんどん大人が集まり、俺は袋叩きにされちまう。
「ろくでもないクズが! 親父も親父ならそのガキもクズだったな!!」
「がはっ」
「死ねクソガキ! お前がいて迷惑なんだよ!!」
(はっ、結局俺もあの親父と同じ末路かよ……)
ボロボロに殴られて、もう意識も遠くなっていたその時。
大人達の怒声を断ち切るように、しゃがれた声が聞こえてきた。
「これこれ、大の大人が寄ってたかって子供一人を痛めつけるとはいただけんの」
「パイさん……」
「こいつがいけねーんだよ! このガキは人から金を盗み、店から品を盗ってやがんだ! 被害があるのは俺達だけじゃねぇ! 懲らしめてやらねーと!」
「ほう、懲らしめるか。それにしては、死ねとか物騒な言葉が聞こえた気がするんじゃがの。ワシの気のせいじゃったか?」
「うぐ……そ、それは……」
「……どれ、ではこういうのはどうじゃろ。その子はワシん所で預かろう、被害に遭った分もワシが代わりに出す。だから今回はワシに免じて許してくれんかのぉ」
「まっ、まぁ……パイさんがそう言うんなら……」
「ちっ。おいクソガキ、今日のところはパイさんに免じて許してやるが、次はねーからな」
なんだ……何がどうなってやがる。
いきなりヨボヨボの爺さんが現れたと思ったら、大人達がぞろぞろと消えて行っちまった。
急変する事態に困惑していると、爺さんはぶっ倒れている俺を小さな身体に背負いながら、
「お主、名はなんという?」
「り……リュウ……」
「リュウというのか、ナウでイカした名前じゃな。因みにワシはパイという。リュウ、お主は今日からワシの弟子じゃ、よろしく頼むぞ」
弟子? 弟子ってなんだ?
この爺さんが何を言ってんのか全く理解できなかったが、その背中はあたたかく、お袋におぶられていた時のように安心感があり、俺は身体を預けて眠ってしまったのだった。
◇◆◇
「ここは……」
目を覚ましたら知らない部屋にいた。嗅いだことがない、変な匂いが鼻を擽る。
「起きたか、具合はどうじゃ?」
きょろきょろしていると、ヨボヨボの爺さんが声をかけてくる。
誰だこいつ……と警戒したが、大人達から俺を助けた爺さんだったと記憶が甦る。確か名前はパイって言ったっけか。
「ここはどこだ」
「ここは木影流の道場じゃよ」
「どう……じょう……?」
聞いたことない言葉だった。首を捻っていると、爺さんが勝手に説明してくる。
道場とは、武術を極めるための武芸者が集まり、寝食を共にして切磋琢磨する場所だそうだ。
そしてこの爺さんは、木影流という幾つもある流派の内の一つの師範。要は道場で一番偉い奴ってことだな。
そしてここには、爺さんに教えを請いに沢山の弟子がいるらしい。
「リュウも今日からワシの弟子じゃ」
「勝手に決めんじゃねーよ。誰がそんなもんになるか」
「これをやろう。これは道着といって、武芸者が着る服じゃ。かっこ良いじゃろ?」
「話を聞けよジジィ。俺は絶対に弟子なんかならねぇからな、それにその服ダセーから」
爺さんは俺を弟子にすると言って聞かなかったが、俺は頑なに断った。
それから俺は、道場で静かに暮らす日々を送っていた。
この道場には沢山の弟子がいて、俺のようなガキから成人まで歳の幅が広い。そいつらは全員ダサい道着を着ていて、朝から晩まで働きながら、武術の鍛錬に励んでいる。
弟子達は仲が良くて笑顔が絶えず、仲間というよりは家族のような関係に見えた。
俺がいたあのクソみたいな家族よりも、家族らしく見えたんだ。
弟子達は新入りの俺に声をかけてきたり構ったりしてきたが、全て無視を決め込んで自ら殻に閉じこもる。働きもせず、鍛錬もせず、ただ飯を食ってぼーっとしているだけ。
何故かといえば、あの輪の中に入るのが恐かったのかもしれない。ドブネズミみたいに暗い溝穴で生きてきた俺からしたら、明るい外で自由に舞う蝶のような生き方に恐れを抱いていたんだ。
俺なんかが居ていい場所じゃない……ってな。
弟子達も次第に構わなくなり、声をかけてくるのは爺さんだけになった。
いや、一人だけいたか。空気も読まず、人の懐にずかずかと踏み入ってくる奴が。
「ねぇ、一日中何もしないと飽きちゃわないっすか? リュウも一緒に鍛錬するっすよ。その方が絶対楽しいっすよ」
そいつは変な喋り方で、変な外見の女の子だった。
名はメイメイ。歳は俺と同じ。頭の上に白くて丸い耳があり、尻の上から黒くて丸い尻尾が生えている。いわゆる獣人族っていって、人間じゃなかった。
獣人族は町の中で時々見かけていたが、ほとんどが冒険者だった。獣の特徴があるだけで、人間となんら変わりないらしい。
「リュウ、一緒に掃除するっすよ。身体を動かした方がいいっす」
「……」
「好き嫌いは駄目っすよ。ちゃんとこれも食べないと」
「うるせぇ」
「リュウも鍛錬やらないっすか? 面白いっすよ」
「俺に構うんじゃねえ!!」
メイメイはしつこかった。どれだけ俺が無視しても、知ったことかと言わんばかりに構ってくる。
いい加減しつこかったから、俺も我慢できずに問いかけた。
何で俺なんかに構うんだよってな。そしたらメイメイはこう言ったんだ。
「だってリュウはもうアチキの家族っす。家族と仲良くなりたいと思うのは当たり前のことっすよ」
「俺が……家族?」
その言葉を聞いた時、ぽっかり空いていた胸が熱い何かで塞がれた気がしたんだ。
こんな俺を……ろくでもねー俺なんかを本気で家族だと思ってくれるのか……ってな。なんだか、意地を張っている自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
その日から、俺はダセー道着に袖を通した。
朝早くに起きて、弟子達に交じり雑巾がけや庭の掃除、風呂焚きなどの雑務を行う。鍛錬にも交ざった。
すると、俺を避けていた弟子達も再び声をかけてくるようになる。今度は俺も無視せず、自分からも積極的に話をするようにしていた。
気付けばあっという間に溶け込んで、俺も木影流の家族になった。
「なあメイメイ」
「ん? なんすか?」
「あのよ、お前に言いたいことがあるんだ。あ……あ……」
「あってなんすか。モジモジして気持ち悪いっすよ」
「う、うるせぇ!! やっぱやめた!」
「え~なんなんすか~」
ありがとう。その一言が出ず、俺は伝えることができなかった。
だから心の中で告げるんだ。
ありがとよ、メイメイ。
お前のお蔭で、俺は今凄く楽しいんだってことをな。