53 タオロン
パイ爺さんのところに世話になってから十日が経った。
この期間でアテナ、フレイ、ミリアリアの三人はかなり成長していた。
アテナは情動を会得しつつある。
これには俺も驚いた。あいつの性格的に怒りの感情を表に出すことは真反対だからもっと手こずると予想していたんだが、予想を覆しできるようになっていた。
完成にはまだ足りないところもあるが、自分のモノにするまであと一歩のところまで迫っている。
受け流しの鍛錬も引き続き行っているが、こちらの方は既に完璧といっていいだろう。やはりあいつは才能の塊、星の原石だ。
流しと情動を組み合わせることができれば、アテナはさらに高い領域に辿り着くことができるだろう。
ミリアリアも十日前までとは比べ物にならないほど成長している。
山の中を駆け周りながら鬼遊びをすることで、体力と俊敏性が格段に上がった。それと同時に咄嗟の状況判断能力や、魔術の多様性も向上している。
日が経つにつれ、俺から逃げる時間も長くなっていた。お蔭でこっちも本気を出さなきゃいけなくなっちまってる。
大人げないから負けてやってもいいんだが、ミリアリアは手加減したらすぐに気付くだろうし、プライド的にも俺から手加減されたら嫌だろう。それでモチベーションが下がっても仕方ねぇしな。
瞑想もいい具合になってきた。
今ではすぐに頭を空っぽにして集中を高めることができるし――ミリアリアは普段何も考えていないってのもあるが――、場所を選ばず鬼遊びの最中だってできるようになっていた。
同調に関しては慎重に行っている。
俺でもどんな事故が起きるか分からないからな。もし失敗したらミリアリアの命が危うくなってしまう。流石に命懸けの鍛錬となると慎重に慎重を重ねなきゃならねぇ。
少ない時間の中でやっている割には、ミリアリアは段々と同調もできるようになっていた。
恐らく、精霊に愛され魔力との親和性が高いエルフだからこそ可能なのだろう。俺が知っている中で、唯一世界と同調できるっつうか同調を教えてくれたのもエルフだったからな。
もし本当に同調を己のモノにできるようになれば、ミリアリアは魔神にも負けない魔術師にだってなれるだろうぜ。
フレイに関しては俺自身が見てねぇから実際の所はよく分からねえ。
木影流の仮弟子になり、メイメイと共に鍛錬に励んでいるそうだ。あのフレイが雑巾がけや掃除をしている所を見て内心で笑っちまったぜ。
いつブチ切れてやめてやるって言い出すかと思いきや、案外真面目に取り組んでいるらしい。フレイも精神的に大人になってきたって事だ。
パイ爺さん曰く、楽しみにしておけってよ。
ああ、凄く楽しみにしてるよ。フレイは今まで、単純な膂力だけで金級近くに登り詰めてきた。
そんな力馬鹿な奴がだ、もし受け流しや武術といった戦闘技術を覚えたらどうなると思う?
木影流の武術に類まれなパワーが掛け合わされば、それは単なるプラスではなく何倍にも跳ね上がるだろう。そうなれば、あいつは誰にも負けない格闘戦士になれる。
正直言って、フレイがどれだけ成長しているのかが一番楽しみなんだよな。
俺の想像を遥かに越えていて欲しいぜ。
「なあ、まだメイメイの奴帰ってきてねえよな?」
「ん? ああ、そういえば見てねえな。なんだ、まだ帰ってきてねぇのか?」
「そうなんだよ。あいつ用があるからってオレに先行ってろって言ってたけどよ、ちっとも戻って来ねぇんだよな。お蔭で夕飯はオレだけで作るハメになっちまった」
「うぇ~、それちゃんと食べられるの?」
「文句があンなら食わなくてもいいぞクソエルフ」
夕方頃。
山での鍛錬を終え、俺とアテナとミリアリアは道場に帰って飯時までまったりしていた。
結構前にフレイが買い物から帰ってきていたが、そういやそん時メイメイは居なかったな。
もう随分経っているが、まだ帰ってきてないのか……。いくら用があるからってこんなに時間がかかるものなのか? それも、真面目なメイメイが飯作りをサボってまで。
何かあったんじゃないか? そう考えたのは俺だけではないらしく、アテナが怪訝そうに口を開いた。
「フレイじゃあるまいし、メイメイに何かあったのではないか? 皆で探しに行った方がよくないか?」
「なんで一々オレを馬鹿にすんだよテメエらは……。チッ、探しに行くならオレ一人でいい。テメエらはここで待ってろ」
「大丈夫か?」
「ガキじゃねえし、心配すんじゃねえ。とっとと見つけて戻ってくるぜ」
そう言って、フレイは踵を返してメイメイを探しに出て行った。
あんな態度でもメイメイを心配していることが伝わってくる。弟子同士仲良くなって良い事だな。
と、そんな呑気なことを思っていた時だった。
メイメイを探しに行った筈のフレイが、血相を変えてすぐに戻ってきた。それも、ズタボロな身体のメイメイを抱えて。
「アテナ、ミリアリア! こいつに回復魔術をかけてくれ!!」
「「これは――!?」」
傷だらけのメイメイを目にし、俺たちは驚愕した。
打撲だろう、身体が全身腫れていた。この酷い腫れ具合は罅だけじゃなくて骨もいっちまってるな……。
中でも一番重傷なのは腹の傷だ。何かで抉られたかのような傷跡で、かなり深い。それに血も多く流しちまっていて危険な状態だ。
「「回復魔術!!」」
「フレイ! バッグから回復薬全部持ってこい!」
すぐにアテナとミリアリアが、メイメイに回復魔術を施す。同時にフレイが持ってきたポーションを全身にぶっかけた。メイメイの身体が緑色に発光し、表面の傷が癒え、腹の傷も塞がっていく。
息も正常になってきたな……峠は越えたか。
「はぁ……はぁ……疲れた……」
「これで一先ず安心だろう。だが油断は禁物だ。失った血は元に戻せないし、私達の回復魔術では骨折まで治らない」
「いや……よくやってくれた。二人共お疲れさん」
ぐったり倒れるミリアリアと、額の汗を拭うアテナに労いの言葉をかける。
二人がいたお蔭でメイメイを助けることができた。この傷ではポーションだけじゃヤバかったからな。
「なんじゃ騒がしいのぉ~何事じゃ――め、メイメイ!?」
騒ぎが気になってやってきたパイ爺さんが、メイメイの酷い姿を目にし狼狽する。
危うい状況だったが、アテナとミリアリアのお蔭で無事に済んだと伝えると、ほっと安堵の息を漏らした。
「アテナ、ミリアリア、それにフレイ、メイメイを助けてくれて感謝する。ありがとのぉ」
「いえ、当然のことをしたまでですから」
「それにしても、一体誰がこんな真似をしたんじゃ……」
「フレイは何か知ってるか?」
「知らねーよ。階段を降りた先にこの状態で倒れてたんだからな。他には誰もいなかったしよ」
他には誰にもいなかった……か。
格闘だけならフレイと同等の実力があるメイメイが、こんな酷いやられ方をしてるっつう事は、大人数に囲まれたか相当な実力者だったんだろう。
そしてメイメイに対し個人的な恨みがある。いや……メイメイではなく木影流に……か?
「こんにちは。いや、もうこんばんは、ですかね」
「「――っ!?」」
思考を巡らせている時だった。
突如背後から誰かの声が聞こえ、振り向くと道着を身に纏った男が立っていた。
短い黒髪に、顔は糸目で面長。背は高いが線は細い。
だが筋肉がないという訳ではないだろう。
黒色の道着を着ているから武芸者なんだろうが……武芸者にしては怪しい雰囲気を醸し出していた。
(なんだこいつ……全然気配を感じ取れなかったぞ)
いくら考え事をしていたとはいえ、ここまで接近されて気付けなかった。足音を消していたのか?
なんにせよ、この糸目野郎……相当デキるな。
「いきなり現れて何だお前、何の用だ」
「ああ、申し遅れました。私、破天流の師範をしているタオロンと申します。今日は木影流に用があって参りました」
「破天流の師範って……こいつが!?」
「おや、私と破天流も随分有名になりましたね。見知らぬ方々にも名が知れているとは」
成程な、噂の破天流の親玉はこいつだったのか。
それにしても図ったタイミングで現れてくれるじゃねぇかよ。疑われるのも怖くねぇってか?
よし、少しカマをかけてみるか。
「タオロンっつったか。テメエよくこのタイミングで顔を出せたな。メイメイをやったのは自分だって言ってるようなもんだぜ」
「おや、話が全く見えませんね。私はメイメイという人物を存じ上げないのですが」
「しらばっくれんじゃねーぞテメエ!!」
スましているタオロンの態度に苛立ち怒声を放つフレイだが、奴は一向に知らぬ存ぜぬの態度を貫き通している。
ほぉ……そういう感じでくるのか。何を企んでるのか探ろうとしたが、その前に眉間に皺を寄せた爺さんが問いかける。
「それで、お主はなんの用なんじゃ?」
「ああ、そうですね。本題に入りましょうか。といっても簡単な話ですよ、木影流の看板を譲って頂きたい」
「道場破りという事かの」
「端的に言えばそうですね。こんな小さくて臭くて弟子もいない道場でも、それなりに名はあるみたいですから。いい加減目障りだったんですよ。
それにウチにいる弟子達が木影流のことを気にしているみたいですから、この際消えて貰おうと思いましてね」
「どの口が言っている。弟子を唆したのは貴方と聞いたぞ」
タオロンの話を聞いたアテナが、珍しく怒りをあらわにして尋ねる。
アテナの言うことは尤もだ。メイメイから聞いた話では、タオロンがリュウや木影流の弟子達を誑かしたと聞いている。
それを言うに事欠いて、さも自分の弟子が迷惑してるんです~みたいな発言しやがって。
タチが悪いぜこの糸目野郎。
「心外ですね、彼等は自分から私の流派に移籍してくれたんですよ。どこかの師範が何も教えてくれない無能だからってね」
「断ると言ったら、どうするんかの」
「それなら実力行使をするしかないでしょうね。といっても、私も鬼ではありません。ヨボヨボの老爺を痛めつけるのはこちらとしても心が痛みますから。
こういうのはどうでしょう。お互いの弟子同士を戦わせ、負けた流派が看板を明け渡すというのは。まぁ、“木影流にまだ弟子が居ればの話ですがね”」
「「……ッ」」
クソったれ、どうみても確信犯じゃねーか。
木影流の弟子がメイメイだけしかおらず、そのメイメイが戦闘できる状態じゃないことを知っての上で言ってやがる。
「クズめ。ダル、こいつ殺してもいい?」
「気持ちは分かるがやめておけ」
タオロンのふざけた申し出にキレるミリアリア。
お前が全力を出せばこの糸目なんか相手にもならねーが、これは木影流の問題だ。
部外者の俺達が出る幕じゃない。
そう――俺達は木影流の部外者だ。だが一人だけ、そうでない者もいる。
「もし居ないのなら、大人しく看板を譲って――「オレがやってやる」
タオロンの話を遮り、フレイが申し出る。
突然立候補してきたフレイを、タオロンは糸目を開眼して怪訝そうな眼差しで睨めつけた。
「関係のない者は黙っていて欲しいんですがね」
「関係なくねーよタコ。この格好を見りゃ分かんだろ。オレも木影流の弟子なんだよ」
「デマカセならよしてくださいよ。痛い目に遭いたくなかったら余りでしゃばらない方が身の為ですよ」
「あ? テメエから言ってきたんだろーが。それとも逃げんのか?」
「……」
睨み合うフレイとタオロン。
一拍置いた後、奴は小さなため息を吐くと肩を竦めた。
「いいでしょう。では明日の正午、場所はこの道場で」
「望むところだ」
「今の内に金目の物を隠しておいた方が賢明ですよ。明日にはこの道場含め、全て私達破天流のものになるんですからね。では、失礼します」
そう言って、踵を返し去っていくタオロン。
終始鼻につく野郎だったな。塩持ってこい塩、玄関に撒いてやる。
「フレイ、これはワシらの問題じゃ。お前さんが無理して関わらなくてもよいんじゃぞ」
「何ふざけたこと抜かしてんだジジイ。メイメイはもうオレの仲間だ。仲間がやられて黙っていられる程お利口さんじゃねーんだよオレは」
「フレイ……ありがとう、恩にきる」
「んで、勝算はあんのか? メイメイを負かした相手だぜ、お前でも勝てるか分からねーぞ」
そう尋ねると、フレイは寝ているメイメイを見つめながらこう言った。
「ハッ、戦る前から勝てるか勝てないだとかどうでもいーんだよ。ぶっ殺す! ただそれだけだ」
はは……なんとまぁ頼りになる言葉だよ。
でもまぁ、今のお前ならどんな相手にだって勝てると思うぜ。俺だけじゃなく、アテナもミリアリアもそう思ってる。
頑張れよ、フレイ。
◇◆◇
漆黒が空を覆い尽くす中。
破天流道場にて、師範のタオロンが誰かを待っていると、不意に怪しげな女が現れる。
全く気配を感じさせず現れた女に、タオロンは背筋に冷や汗をかきながら声をかけた。
「お待ちしておりました、セリーヌ様」
「あらぁ、その名で呼んじゃ駄目って言わなかったかしら、タオロン」
「も、申し訳ございません、『艷公』様」
慌てて言い直すタオロンに、怪しげな女――『艷公』は手をひらひらさせて、
「まぁいいわぁ。それで、首尾はどうなっているのかしら? 上手くやれてるの?」
「盤石となっておりますよ。町はもう破天流に染まっておりますからね。後は仕上げにかかるだけです」
「ふ~ん、やるじゃない。あの方もお喜びになるでしょうね」
「あの……『艷公』様、上手くいった暁には、私を『七凶』の末席に加えていただけるのでしょうか」
「そうね~今回の件が上手くいったら、そうなる可能性もなくもないわ~。私からも口添えをしてあげる」
「あ、ありがとうございます!!」
「頑張ってねぇ。一つ言っておくけど、もししくじったらどうなるか、分かっているでしょうねぇ?」
「はい、心得ています」
「それならいいわ、じゃあねぇ」
そう言って、忽然と姿を消す『艷公』。
一人になったタオロンは、三日月のように口角を上げて嗤った。
「あと一歩だ、あと一歩で私も『七凶』になれる」
闇は密かに動き出す。
ダル達に、大いなる悪意が降りかかろうとしていた。