40 パイ師範
「おいクソエルフ、テメエいい加減自分で歩けよ」
「ムリ……もう一歩も歩けない」
「ミリアリアではないが、かなり勾配が厳しい坂道だな。本当にこんな所にダルの知り合いがいるのか?」
「まぁな。フレイと勝負した時にちょろっと言っただろ、少しの間武術ってのを教えてもらったって。その人がこの先にある道場にいるんだよ」
俺たちは今、町から少し離れた山道を登っていた。
石でできた勾配のキツイ階段に、ミリアリアはすぐにダウンしてしまいフレイに背負ってもらっている。
流石にこの階段を自分で歩けというのは酷なので、体力も力もあるフレイに担いでもらっているんだ。
何でこんな長い山道を登っているかというと、何年も前に世話になった人に挨拶をしたかったのと、その人にこいつらを紹介したかったんだ。
「おっ、見えてきたぜ」
「んだよ、小っちゃえ道場だな。町で見たのと全然違うじゃねぇか」
「そう言ってやるな、あれでも結構な数の門弟がいるんだぜ」
長い長い階段を登りきると、小さな道場が見えてくる。
あの道場に、俺もしばらく世話になっていたんだ。数年ぶりに来たが、外観も全然変わってねぇな。
フレイの言う通り、町の方にちらほらと建っていた道場とは違って立派でもなくみすぼらしい感じがするが、あれでも昔はそれなりの数の門弟がいた。
というのもあの道場はかなり古くから存在し、木影流という歴史ある流派なんだ。木陰流を習得したくて、遠いところから訪れる武芸者もかなりいる。
「爺~さ~ん、いるか~」
「……いないみたいだな」
「っかしいなぁ、出かけてんのか?」
道場の前まで近寄り声を張るが、一向に返事が返ってこない。
中から声も聞こえてこないし、人がいる気配もない。怪訝に思いながらガラガラと扉を開けて中を覗いてみると、人っ子一人おらずもぬけの殻だった。
「ンだよ、誰もいねぇじゃぇか。ダルの知り合いっていう爺さんも、もうくたばっちまったんじゃねぇか」
「おいフレイ、不謹慎だぞ」
「いや、フレイの言う通りだ。爺さんも結構歳いってたし、ぽっくり逝ってもおかしくはねぇよ」
そうか……門弟が一人も居ないのも、爺さんが死んじまったなら頷ける。
人が消えて、道場だけが残ったんだろう。
いや……でも待てよ、放置されている割には綺麗じゃないか? 床にも埃が溜まってる感じもしねぇし。
「ほお、二人とも良い尻をしておるなぁ。うむ、やはり若い女子の尻は揉み応えがあっていいのぉ」
「「――っ!?」」
不意に聞こえたしゃがれた声に、誰もが驚愕する。
振り向くと、ミリアリアよりも小さな老爺がご満悦な表情を浮かべてアテナとフレイの尻を揉みしだいていた。
「誰だテメエ――っ!?」
フレイが怒声を上げながら、振り向き様に裏拳をほおる。だが拳は空を切り、そこにいた筈の老爺はクルクルと宙を舞いながら室内の中心に静かに降り立つ。
はっ、何だよ全然生きてるじゃねーか爺さん、心配して損したぜ。それに相変わらず気配を消すのが上手ぇな。全く気付かなかったぞ。
「ほぉ、中々活きが良い娘じゃな。ワシそういうの嫌いじゃないぞ」
「なんだこのエロ爺……オレの攻撃を躱しやがったぞ……」
「あの身のこなし……只者ではないな」
爺の軽やかな動きにアテナとフレイが吃驚する中、俺は久しぶりに爺さんと挨拶を交わす。
「まだ元気そうじゃねーか、安心したぜ爺さん」
「んん? お前さん……もしかしてダルか?」
「ああ、久しぶりだな」
「おお~見違えたぞい。あの生意気な小僧が憎たらしいダメ男になりおったな」
なんだその表現、もっとこう他にあるだろ。渋くてカッコイイとかダンディな男とかよ。
……自分で言ってて悲しくなってくるな。
「ダル、この老人が私たちに紹介したいと言っていた人か?」
「おう、パイっていう爺さんでな、この道場の主で木影流の師範だ」
「こんなヨボヨボでちんちくりんなお爺さんが凄い武芸者なの? 全然そうは見えないんだけど」
結構厳しいこと言うじゃない、ミリアリアちゃんよ。
まぁお前の言う通り、爺さんは腰も曲がっていてミリアリアより背が小さい。髪はなくハゲていて、白い顎髭がさらりと胸の辺りまで伸びている。
良くいえば顔つきは優しく温厚そうだが、悪く言えば締まりのないエロガッパだ。こんな爺さんが師範と言われてもピンとこないだろう。
でも実際は、この爺さんはマジでただの爺さんじゃねぇんだぜ。
「ンなことァどうだっていい、無断でオレのケツを触った代金を払ってもらうぜクソジジイ」
「これ、神聖な道場の場に土足で上がるでない。そこで靴を脱いでから上がるんじゃ」
「ああん!? 一々脱がなきゃなんねーのかよ、面倒臭ぇな」
文句を垂らしながらも律儀に靴を脱いでいくフレイ。
こいつの事だからそんなの知ったこっちゃねぇ! と構わず土足で上がると思ったが、そんな事はなかったようだ。うんうん、大人に成長してるじゃないか。
お兄さん嬉しいよ。
フレイに続き、俺たちも靴を脱いで道場の中に入る。
理由は特に知らないが、そうしないといけないらしい。俺も初めて訪れた時は注意されたっけか。
昔を懐かしんでいると、フレイが歯を剥き出しにしながら爺さんに向かって勢いよく突っ込む。
「オレは相手がジジィだからって容赦しねぇぞ!」
「おっとっと、危ない危ない」
言葉通り容赦なく拳を放つが、紙一重で躱されてしまう。
フレイも負けじと連続で攻撃を続けるが、ひらひらと落ちてくる柳の葉の如く、爺さんの身体に一撃も当たることはなかった。
それどころかあの爺さん、回避しながらフレイの尻を揉んでやがるぞ……。
「中々筋がええ拳打じゃの~、肉も引き締まっていて最高じゃ。ワシとしてはもう少しプリっとしてる方が好みじゃがの」
「クッソ、全然当たらねぇ!? つーかジジイ、なにどさくさに紛れてケツ触ってやがる!!」
「良い運動になったの、ありがとさん」
「がはっ!?」
直後、フレイの身体が背中から床に叩き付けられる。
本人含めアテナ達三人は爺さんが何をしたのか分かっていないようだったが、俺には見えていた。
フレイが拳を放った瞬間に、回避しながら服の裾を摘まんで投げ飛ばしたんだ。
相変わらず常人離れした技だよ……普通あの体格差があったら投げることすら不可能なのに、爺さん簡単にやってのけてしまう。
己の力は一切使っていない。ただフレイの力を受け流して己のままに操っているだけ。まさに達人技の域だ。
投げ飛ばされたフレイは身体を起こすと、手で顔を隠しながら唖然と呟く。
「……何が起こったのか全然分からねぇ、気付いたら床に倒れてやがった。ダルにやられた時と一緒みたいだった」
「そりゃそうだ、俺があん時使った武術ってのは爺さんに教わったもんだからな。まぁ、ちょっとかじった程度の俺なんかよりも爺さんの方が練度は全然高ぇだろうがよ」
呆然とするフレイにそう教えると、フレイはがばっと立ち上がって再び構える。
「おいジジイ、もう一回だ! もう一回やらせろ」
「あっちょっと無理、腰がヤバそう」
「はぁ!?」
死にそうな顔を浮かべて腰をトントン叩く爺さん。
あんたも老いたんだなぁ。技術は健在だったが、身体の方は流石に歳には勝てないってか。