105 ダル追憶(13)&アイシア
「ここは……」
気がつけば俺は、ベッドの上に寝ていた。
全身には包帯が巻かれているし、めちゃくちゃ痛ぇ。
あれ、何でこんな風になってんだっけか。
記憶が曖昧で、何があったのか思い出そうとすると、
「そうだ……魔神を倒して……あっ、アイシア! ぐっ!?」
「おや、ようやく起きたさね」
「大丈夫か、ダル」
「クレーヌ……イザーク……」
アイシアがどうなったのかと興奮して上体を起こすと、痛みが襲い掛かってくる。
丁度その時、部屋にクレーヌとイザークが入ってきた。
「俺はどれだけ眠ってた」
「んー、三日ぐらいかね」
「そうか……アイシアは……」
懇願するように尋ねると、イザークは顔を背け、クレーヌは瞼を閉じて静かに首を振る。
そうか……やっぱりアイシアはもうこの世に居ないのか。
いや、本当は分かってんだ。彼女が俺を助けてくれたことも、目の前で消えてしまったことも。
だけど、それでも縋ってしまう。
本当は生きていてくれて、また笑顔を向けてくれるんじゃないかって。
「くそ……アイシア……ッ」
やるせなさに拳をぐっと握り締め、悲しさに瞼から涙が零れ落ちる。
俺がもっと強かったら、アイシアが死ぬことはなかった。
俺の弱さがあいつを殺したんだッ。
後悔に苛まれていると、イザークがふと話を振ってきた。
「ダル、これからどうする? まだ世界一の冒険者を目指すか?」
世界一の冒険者……か。
はっ、好きな女一人守れねぇ奴が、そんな大層な人間になれる訳ねぇ。
「無理だ……俺にはもう、そんな夢を抱き続ける力はねぇ」
流石にもう心が折れちまったよ。
育ての親も目の前で殺された。世話をしてくれた姉貴分も殺された。人生や冒険者としての在り方を教えてくれた師も俺の為に死んじまった。
振り返れば失ってばかりだ。
それでも立ち止まらず前に踏み出せていたのは、世界一の冒険者になるという師の夢を追いかけようとしたから。
でも……アイシアが死んじまって、ポッキリと夢も心も折れちまった。
何もやる気が起きねぇ。
それこそ、世界一の冒険者なんてもうどうでもよかった。
「そうか、ならワールドワンは俺が引き継ぐ。構わないか?」
「ああ……勝手にしてくれ」
突き放すように告げると、イザークは部屋を出て行き、追いかけるようにクレーヌも立ち去る。
「アイシア……ッ」
部屋で一人になった俺は、最愛の人を想いながら涙を流し続けていた。
◇◆◇
「ぐっ……ぁ!」
「どうしたんだい! しっかりしな!」
目を覚ました次の日、突如身体を襲う激痛に苦しんでいた。
何だよこれ……身体が熱くてぶっ壊れちまいそうだ。
「はぁ……はぁ……」
「魔力が身体から溢れてるさね……このままじゃマズい、待ってなダル!」
俺の異変に気付いたクレーヌが、部屋を覆うように結界を張ってからどこかへ行ってしまう。
このまま死ぬのか……まぁそれならそれでいいかもな。
アイシアの所にいけるなら死んだって構わねぇ。けど、俺は死ななかった。
死の淵を彷徨っていたのだが、クレーヌが作った腕輪を両手首につけることで痛みが治まったんだ。
体調が安定した後、クレーヌにどういう訳か尋ねる。
「俺の身体はどうなっちまったんだ」
「魔力が暴発していたさね。それこそ、魔神に匹敵するような膨大な魔力がね。それを封じ込める魔道具を急いで作ったって訳さ。ワタシに感謝しな」
「魔力が増えたって事か? 何でそんな……」
「多分……アイシアの魔力だろうさね。アンタの身体には、本来の器にアイシアの魔力が加わっちまっている。器以上の魔力量に耐えられず身体が悲鳴を上げ、アンタは死ぬ寸前だったんだよ」
「そうか……」
話を聞いて腑に落ちた。
魔神から致命傷を受けた時、アイシアが俺の手を握った途端に傷が治って活力が戻った。
それだけじゃなく、魔神を屠るほどの力が溢れてきたんだ。
多分あれは、アイシアが自分の命を引き換えに魔力を俺に譲渡したのだろう。
「これはワタシの予想だけど……アイシアは普通の人間じゃ――」
「言うな……アイシアはアイシアだ。それでいいだろ」
「ああ……そうさね」
被せるように否定すると、クレーヌは小さく頷いた。
「その腕輪、外すんじゃないよ。少しの間なら大丈夫だとは思うけど、長時間外していたら身体が耐えられず崩壊するさね。それに、周囲の人間にも影響を及ぼしちまう。強い冒険者なら耐えられるだろうけど、並みの冒険者や一般人じゃ気絶……下手したら死ぬかもね」
「分かった……色々とありがとな、クレーヌ」
「ダル、アンタこの先どうするさね」
クレーヌの質問に俺は「さぁな」と呟いて、
「適当に生きるわ」
「そうかい、何でもいいけど死ぬんじゃないよ。アンタを生かしてくれたアイシアの為にもね」
「……ああ」
その後、身体が回復した俺はクレーヌに別れを告げて王都を去った。
「こんなもんでいいか」
パッパと叩いて手に着いた土を払う。
ちょっと不格好だけど、まぁこれで勘弁してくれや。
「アイシア……」
王都を去った後、俺はクラリスに戻ってきていた。
俺とアイシアが結ばれた場所。あいつが好きだと言っていた丘の上にある綺麗な花畑に、彼女の墓を作ろうと思ったからだ。
岩を削ってそれっぽくし、アイシアの名前を刻む。
その上にあいつが好きだった花の冠を乗せると、腰に差していた黄金の剣を墓の後ろに突き刺した。
「今すぐ死んでお前に会いに行きてえけど、そしたら怒るもんな。だからまぁ……生きてみるよ」
それからの三年間、俺は惰性の日々を送っていた。
初級の迷宮でその日の小銭を稼ぐと、俺みたいな“終わってる冒険者”と酒を酌み交わし、ケチな金額でギャンブルをしたりと、腐りきった毎日を過ごす。
そんな俺を、上を目指す冒険者達は蔑んだ眼差しで見ていたっけな。
時おり思い出してはアイシアの墓参りに行き、その度に悲しさが甦る。
何度も何度も何度も死のうと思ったけど、アイシアがくれた命を無駄にできないと、死ぬことができなかった。
そんな、死んでいるのも同然な日々を淡々と繰り返している時。
あいつと出会ったんだ。
「すまない、少しいいだろうか?」
「あん?」
ギルドにある酒場でいつものようにツレ達と飲んでいると、不意に声をかけられる。
振り向くと、金色の長髪に凛々しい顔立ちの少女が立っていた。
「誰だお前」
「私はアテナだ」
アテナと名乗る少女に、俺はぶっきらぼうに問いかけた。
「あ~そう。で、何の用だよ」
「私のパーティーに入ってくれないか」
「はっ?」
予想だにしない言葉を放たれ、呆然としてしまう。
今こいつなんて言った? パーティーに入ってくれとか言わなかったか?
「ぷっ、ぎゃはははは!」
「良かったじゃねぇかダル! こんな若い子に誘ってもらってよ!」
「羨ましいね~! よっ、色男!」
酒飲み仲間達が、可笑しそうに笑いながら俺の背中を叩いてくる。
そら~笑いたくもなる。だって意味わかんねえし。
そこらにまともそうな冒険者が居るのに、どうして“終わっている冒険者”なんかをパーティーに誘うのか。どう考えてもふざけてるぜ。
「悪ぃけど、他を当たってくれ」
冗談じゃねぇと、鼻で笑いながら断った。
今更まともな冒険者になるつもりなんてねぇ。ましてやガキのお守りなんてゴメンだね。
アテナは「また来る」と言い残して、ギルドから立ち去った。
「何だったんだ?」
「さぁな、俺が知るかよ」
何か訳ありなんだろ。
じゃなきゃ、こんな人間を誘おうなんて思う筈がねぇ。
どうでもいいさ、俺には関係ねぇことだ。
「私のパーティーに入ってくれ」
「あのよぉ、これで何回目だっつの」
と思っていたのだが、アテナはあれから毎日俺の所に来ては壊れた機械のようにパーティーに入ってくれと勧誘してくる。
最初は笑ってけむに巻いてやったが、余りにもしつこくてウザったいアテナにブチ切れた俺は、机に酒を叩きつけながら怒鳴った。
「いい加減にしろよテメエぶっ殺すぞ! 何度言えや分かんだ!? テメエのパーティーには入らねぇって言ってんだろうが!!」
今まで適当に返事をしていたから諦めなかったのかもしれない。
ならはっきりと言えばアテナも諦めてくれるだろうと本気で断ったんだが、アテナは諦めるどころか真剣な顔でこう言ってきやがった。
「私の夢を叶える為には貴方の力が必要なんだ」
「夢だと!? はっ笑わせんな! どんなチンケな夢か知らねぇが、だったら言ってみろよ! どうせ大した夢じゃねぇんだろ!?
「私の夢は“世界一の冒険者になる”ことだ」
「――っ……」
「ぶははは! なんだよそれ!」
「世界一ぃぃいい? そんな事言う奴初めて会ったぞ!」
そいつが放った言葉に、酒場に居た奴は全員声を上げて笑った。
冒険者になったばかりの新米が何をほざいているのだと。そんな大それた夢を抱いているとか馬鹿なんじゃねえかと。皆して笑っていやがった。
(おい嘘だろ……俺以外にも居たのかよ)
だけど、俺は笑えなかった。
いや、俺だけは笑ってはいけなかった。だってその夢は、かつて本気で俺が成し遂げようとしていたものだったからだ。
「なぁダル、お前もそう思うだろ?」
「本気なのか?」
ツレからの問いを無視して、俺は真剣にアテナに問いかける。
すると彼女は、一切合切躊躇せず口を開いた。
「ああ、本気だ。私は世界一の冒険者になる」
「いいぜ、テメエのパーティーに入ってやるよ」
「本当か!? う、嘘じゃないだろうな!?」
「ああ、嘘じゃねぇよ。かったりぃけどな」
「ありがとう!」
嘘じゃないと聞いて喜ぶアテナを、俺は昔の自分を重ねるように見ていた。
なぁアテナ、お前は知らないだろうけどよ。
お前の言葉に、俺は心の底から救われたんだぜ。
◇◆◇
「ここは……あの世か?」
気が付くと俺は、青空の下に咲いている花畑の上に立っていた。
空気が澄んでいて、人の気配もなく、どこか浮世離れした場所。
なんとなく、この場所はあの世だと察した。
「あ~あ、ついに死んじまったか~」
バタンと、花の上に背中から倒れる。
自分でも結構タフな方だと思っていたが、流石にあの傷じゃ生き残れなかったのだろう。
まぁ、やれるだけの事はやったさ。
それにもう疲れたわ……風も気持ちいし、このまま寝ちまおう。
「ダ~ル」
「はっ?」
瞼を閉じて眠りにつこうとした時、ふと名前を呼ばれる。
その声にパチッと目を覚まして身体を起こし、声が聞こえた方に振り向けば、
「アイ……シア」
「よっ、久しぶり」
アイシアが、えへっと微笑みながら呑気に手を上げていた。
そんな、嘘だろ。何でお前が……。
「アイシア!」
夢でも幻でも何でもいい。
居ても立っても居られず立ち上がった俺は、アイシアの元に駆け出す。
そして、思いっきり彼女の身体を抱き締めた。
「アイシア!」
「うん、私だよ」
「会いたかった! ずっとお前に会いたかったんだ!」
「うん、私もダルに会いたかった」
「こうしてお前を抱き締めたかった!」
「うん、私もダルに抱きしめられたかった」
「ごめん、俺が弱かったせいでお前を死なせちまった! 本当にごめん!」
涙を溢れさせながら謝ると、アイシアは指でそっと涙を拭き取ってくれて、
「ううん、私の方こそダルに謝らなきゃならない事があるの」
「お前が俺に? んなもんねぇだろ」
「それがあるんだよね。まだ言ってなかったんだけど、ダルはこの世界の人間じゃないんだ」
「はぁ?」
頓珍漢なことをぶっこまれて首を傾げる。いきなり何言ってんだこいつ。
言葉の意味が分からず困惑していると、アイシアは続けて話す。
「いずれ訪れる厄災に備えて、聖剣の担い手を召喚しようとしたの。そしたらこの世界じゃない人間、それも産まれたばかりの赤ん坊が召喚されちゃった。
その上、本当だったら私の所に召喚される筈だったのに、位置がズレたのかその赤ん坊は辺境の森に召喚されちゃったんだ」
「赤ん坊……辺境の森って……」
アイシアの話を聞いて混乱する。
俺だって気にはなっていた。赤ん坊の俺が、モンスターが蔓延る深い森の中に捨てられたことを。親が捨てるにしても、わざわざそんな危険な場所に行く必要はねぇしな。
だからアイシアが言っていることは辻褄が合う。
まぁ……あんま信じてねぇけどな。大体なんだよ、この世界の人間じゃないって。なら他にも違う世界があるってのか、アホらし。
「なんてことしちゃったんだ~! ってすっごく焦ったんだけど、なんとその赤ん坊はモンスターに拾われて、すくすくと育っていきました」
「お前……」
「それでね、その子は色んな人と触れ合って、時には笑って、時には怒って、悲しい事とかも沢山あったけど、ついに私と出会ってくれたんだよ」
「ずっと……ずっと見てたのか?」
「あれ、言ってなかったっけ」
「バカ……言ってねーよ」
あはは~と惚けるアイシアに、俺はため息を吐きながら質問した。
「えっ何、お前ってアレなの? 神様なの?」
「そうだよ! って言いたいところなんだけど、神様というより神様の使い? って感じかな~」
感じかな~じゃねぇよ……。何でそんな軽いノリなんだお前。
「つ~かよ、何でそんな大事なこと俺に言ってくれなかったんだ。厄災だとか、聖剣の担い手? とかよ。もっと早く言ってくれたってよかったじゃねぇか。それこそ森で会った時とかよ」
「厄災が訪れるのはもっとずっと先だったからさ、それまではダルの夢を応援したかったんだ。世界一の冒険者になるっていう、かっこよくて素敵な夢をね」
「アイシア……」
「まっ、その前に死んじゃったんだけどね~」
えへへと笑うアイシア。
そうか……お前はずっと俺を見守ってくれていたのか。俺の隣で、俺の夢を応援してくれていたのか。
イザークと戦っている時も、お前が俺に力を貸してくれたんだろ?
ありがとな、アイシア。
俺は頭をガシガシと掻いて、大きくため息を吐くと、
「まぁいいや、もう死んじまったんだから考える必要もねーだろ。行こうぜアイシア、天国でも地獄にでも連れてってくれよ。あっ、できれば天国にしてくれるとありがてぇけどな」
そう言ってアイシアの腕を引っ張るが、何故か彼女はその場から動かなかった。
「どうしたんだよ」
「ごめんね、一緒には行けない。ダルには帰る場所があるもの。仲間が貴方を待ってる」
「そんな事言うなよ! 俺はお前と――っ!?」
唇を塞がれ、言葉を遮られる。
目を見開いていると、アイシアはそっと俺から離れ、
「これだけは覚えておいて。私はずっとダルの側で見守っているから」
「アイシア……」
「愛してるよ、ダル」
「ああ、俺も愛してる」
そう告げると、徐々に視界が狭くなっていく。
意識が薄れかかっていると、アイシアが「あっ」と何か言い忘れたような顔を浮かべて、
「言っておくけど、浮気はダメだからね!」
「はは……」
何だよそれ。最後の別れの言葉がそれかよ。
まぁ、それもお前らしいか。
じゃあな、アイシア。




