100 イザーク(中編)
ダルの仲間になってから二年の時が過ぎた。
元からダルと行動を共にしていたアイシアと、俺の後から仲間に加わったクレーヌ。この四人で世界各地を旅していた。
共に旅をしていれば、誰がどんな人間なのかは嫌でも分かってくる。
森の魔女と呼ばれていたクレーヌは美しいエルフだ。
魔術に長けており、戦闘系の高位魔術は勿論、水を作り出したり土魔術を使って簡易的な宿を造ったりと、旅に役立つ便利な魔術まで扱える。
そのお蔭で、野宿の旅でも大分快適である。
だが、性格の方は少々面倒だ。何百年も生きているからか、一々俺達を子供扱いしてからかってくるのは正直ウザい。
ダルは一見お調子者に見えるが、意外としっかりしている。
炊事、動物の解体、山菜の見分け方、商人との値切り交渉、危機管理能力。この歳で生きる上で必要な術を全て身に着けていた。
騎士として生きてきた何もできない無能な俺とは違い、ダルは何でもできる。
しかしダルの凄いところはそこではなく、目を惹かれるのは戦いの才能だった。
剣術、体術、魔力操作、どれをとっても一級品。にも関わらず、ダルの才能は月日を重ねるごとに磨かれていった。
俺も成長しているが、ダルの速度には遠く及ばない。
間近でその才能を見せつけられる度に、俺は強い劣等感を抱いていた。
アイシアは今まで出会ってきた中で一番美しい女性だった。
騎士の家系に生まれた俺は、幼少の頃から社交界などで貴族の令嬢と顔を合わせている。しかし、気品ある令嬢と比べてもアイシアは飛び抜けて美しかった。
それは外見に関わらず、内面も美しいからだろう。
天真爛漫で動物達に愛される彼女だが、どこか神秘的な面も持ち合わせている。そんなアイシアを見ていると、否が応でも心を引き寄せられてしまうのだ。
そう……俺はアイシアを好いていた。
が、既にアイシアの心にはダルが居る。それはダルも同じだ。ここまで一緒に旅をしてきて、嫌と言うほど分からされた。
だから俺はこの想いを胸の奥深くに仕舞いこんだ。
世界各地を旅して、多くの経験を得た俺達は地方都市クラリスに辿り着く。
その時、ダルが俺達に宣言したんだ。
「俺達のパーティーを結成しよう」
「「パーティー?」」
「ああ。パーティーを結成して、ダンジョンを攻略しまくって、ランクを上げて一気に名を上げるんだ」
冒険者は基本的に迷宮を攻略することを生業にしている。
今までは成長と経験を目的として旅をしており、冒険者としての活動は全くしてこなかったが、ようやく本腰を入れるという事だろう。
世界一の冒険者になるという夢を叶える為に。
それは俺としても望むところだった。
「ついに時が来たということか……いいだろう」
「パーティーかぁ、なんかワクワクしてきたね!」
「名前は考えてあるのかい?」
クレーヌの質問に、ダルは「勿論」と頷き、
「“ワールドワン”。世界一の冒険者パーティーに相応しい名前だろ?」
世界一か、確かに世界一の冒険者を目標とするならそれくらいの名でないと相応しくないだろうな。
「ふっ、センスが無いダルにしてはまともな名前だな」
「カッコイイじゃん! ワールドワン賛成!」
「それじゃあ、ワールドワンの結成を祝って今日は乾杯でもするかい?」
「ああ、俺達が世界一の冒険者になるという偉業の始まりだ! 今日は飲んで飲んで飲みまくるぞ!」
俺達はワールドワンを結成した。
パーティ結成の宴会で、珍しく酒に酔うダルは自らの過去を俺達に話してくれた。ダルの過去は想像に絶するものであり、俺達三人も固唾を呑んで聞いていた。
(強いな……)
最初に思ったのは、よく人生に絶望しなかったな、ということだった。
育ての親であるモンスターを殺され、シスターに裏切られて世話になった少女も殺され、冒険者としての師は己を庇って死んだ。
失ってばかりの人生で、どうして絶望しなかったのだと。
俺がダルの立場だったら、絶望して生きる気力すら起きなかっただろう。
だがダルはこうしてこの場にいる。
改めて、こいつは俺とは違う人間なのだと気付かされたんだ。
「ここでやる事はなくなった。次は王都に行こうぜ」
ワールドワンは瞬く間に迷宮を踏破していき、個人とパーティー共にシルバーランクに昇格した。
上級の迷宮も踏破してクラリスでやる事がなくなった俺達は、その名を世界に轟かせる為に王都に向かうことになった。
「おや、アンタ達なんかよそよそしいね。もしかして……」
「ま、まぁな。俺達付き合うことになった。隠しとくのも何だし一応報告しておくわ」
「えへへへ」
(そうか……)
王都に向かう当日の朝。
ダルとアイシアの様子がおかしいと感じたクレーヌが問うと、ダルがアイシアと結ばれたことを報告してくる。
恐らく、昨日二人で出かけた時に愛を確かめ合ったのだろう。
いつかこうなる日が来ることは分かっていたが、実際に現実をつきつけられるとこんなにも心が苦しくなるものなのか。
ドロドロとした黒い感情が、胸をぐちゃぐちゃにかき混ぜてくる。
今にも吐き出してしまいそうな気持ちを理性で抑え込む。
照れ臭そうにしているダルと、幸せそうな笑みを浮かべているアイシアの二人に、俺はこう告げた。
「おめでとう、心から祝福するよ」
その時俺は、いったいどんな顔をしていたのだろうか。
◇◆◇
「流石に王都のダンジョンはレベルが違ぇな」
「そうだな。一度休憩を挟んで、次こそ踏破しよう。それで俺達もゴールドランクだ」
「ああ、こんな所で止まってられねぇ。もっと駆け上がってやろうぜ」
王都に辿り着いた俺達は中級迷宮を踏破してから上級迷宮に挑戦していた。
だが順調とはいかず、ワールドワンは初めて足を止めてしまう。それでも、次の攻略で踏破できる見通しがあり、そうすればゴールドランクにも昇格するだろう。
「よっしゃ、景気づけに皆で飲みに行くか!」
「悪いが俺は用事がある。三人でやっておいてくれ」
ダル達にそう言って、俺は一人抜け出した。
ただあの場に居たくなかった。しょうもうない理由だ。
「ちょっと待ちなね、イザーク」
「クレーヌ……」
呼び止める声に振り向けば、クレーヌがそこに居た。
「俺を追いかけてきたのか? 何のようだ」
「アンタね、避けるにしても露骨だよ」
「突然何を言い出すんだ。避けてる? 俺が?」
「しらばくっれるんじゃないよ。ここの所ずっとダルとアイシアを避けてるじゃないか」
「はっ、何を言い出すかと思えばそんな事か。避けてるんじゃない、二人の時間を作ってやってるんだ。気を遣ってやってるんだよ」
鼻で笑いながらそう告げるが、クレーヌは射抜くような目つきで「い~や」と俺を見ながら、
「気を遣ってる訳じゃないさね。イザーク、アンタはあの二人と居るのが嫌で逃げているんだよ」
「何故俺が逃げていると断言できる」
「だってアンタ、アイシアの事が好きなんだろ?」
「――っ!?」
図星を突かれ、目を見開く。
驚いた……何故分かったんだ。
「馬鹿にするんじゃないよ、伊達に長生きしてないさね。アンタは隠しているようだったけど、アンタがアイシアの事が好きなことぐらい見てりゃ分かるさね。まぁ、あの二人は気付いていないようだけどね」
「……」
ちっ、これだから年寄りは苦手なんだ。
何でも分かった風に上から物を言ってくる。本当に煩わしい。
「ああそうだ、俺はアイシアを好いている。だからあの二人と一緒に居ると気分が悪い。これで満足か?」
「イザーク……」
「それだけならもう行くぞ」
そう言って踵を返す俺にクレーヌが問いかけてくる。
「アンタ、このままでいいのかい? その気持ちを隠したまま、あの二人とやっていけるのかい」
「じゃあどうしろと言うんだ! あの二人はもう恋人同士になっている。今更何をしたって無駄だろう!」
「アイシアに好きだと一言言えばいいさね。ずっと隠していても辛いだけだよ。フられるのは分かっていても、その方が溜め込んでいるよりも気持ちが楽になる。ワタシ達はこの先もずっと居るんだからね」
「勝手な事をほざくな! そんな惨めな事誰が出来るか!」
「イザーク!」
これ以上追及されたくなかった俺は、クレーヌに怒鳴り逃げるようにその場から立ち去る。
(言えば気持ちが楽になるだと? そんな事お前に言われなくても分かってる!)
時が経てばアイシアへの想いは薄れていくと思っていた。
だが時が経てば経つほど、この想いは募り募っていくばかり。それも今は嫉妬の愛憎に変わってしまっていた。
何故俺を見てくれない。
何故ダルにだけ幸せそうな笑顔を向けるんだ。
こんなにも苦しいことなど生まれて初めてだ。
確かにこの想いをアイシアにぶつければ、楽になれるかもしれない。
だがそんな情けないことなどしてたまるか。勝ち目のない戦いに挑むほど惨めなものはない。
「はぁ……はぁ……くそ、何をしているんだ俺はッ」
自分への怒りに苛立ち、ドンッと壁を叩きつける。
気付けば薄暗く人気の無いところに居た。まるで、賑やかで明るい所には居たくないと無意識の内に避けているように。
「あらあら~、こんな所でどうしたのかしら~?」
「――っ!?」
突然背後から女に声をかけられた。
気配も全く感じられずに背後を取られた俺は、距離を取って剣に手を伸ばす。
「誰だ貴様」
「嫌ねぇ、そんな恐い顔しないで欲しいわ。私はただ、貴方とお話がしたいだけなのに」
「貴様のような怪しい女と話すことなど何一つない」
女は黒い長髪、肌を多く見せる衣装を纏っていた。
不気味に口角を上げる様子は魔女のようで、俺は最大限に警戒した。
「つれないわねぇ。でもいいのかしら、このまま仲間の所に戻っても貴方は辛いだけよぉ」
「っ……出まかせを抜かすな。それ以上喋るとその口叩っ斬るぞ」
「辛いわよねぇ。絶対に実らない恋、愛しいあの人は他の男に夢中で貴方には目を向けてくれない」
「……」
聞くな……耳を貸しては駄目だ。
分かっているのに、何故俺は剣を抜かずに黙っているんだ。
「その男はずっと貴方と対等だった。だけど気付けば、彼は遠い存在になってしまうの」
そうだ……武闘大会で出会った時は俺とダルは対等のライバルだった。
だが旅を続けていく内に、ダルは類まれな才能を磨いていった。成長速度は天井知らず。強者達と戦う度に技を習得し、誰もがダルの才能を認めた。
俺もそうだったように、光輝く才能には誰もが目を惹かれる。
そんなダルとは違い、俺は成長しなかった。
全く成長しなかった訳ではない。この二年で確実に強くはなっているが、ダルの成長速度と比べれば亀にも等しい。
気付いた時には、ダルは既に俺の遠く前を歩いていた。
「でも、貴方は必死に虚勢を張るの。自分が弱いことを認めたくないから」
本当は分かっている。
ダンジョンの攻略が遅れているのも、俺がダルの力に追いついていなからだ。
クレーヌはパーティーでも優れた魔術師。アイシアは戦闘向きではないが、機転が利いて役に立つ魔術も使える。
ワールドワンにとって、俺はお荷物で足手まといの存在になりつつある。
今はまだいいが、きっとこの先俺の居場所はなくなってしまうだろう。
「可哀想にねぇ、自分が初めて好きになった娘はライバルに夢中。どんな事があっても手に入ることはない」
そうだ……アイシアは俺の物にならない。
仮にダルが死んだとしても、彼女はずっとダルを愛し続けるだろう。
「手に入らないのなら、いっそのこと全部消してしまえばいいじゃない」
「――っ!?」
「おっと危ない」
いつの間にか隣に居た奴は、俺の鼓膜に囁く。
今度こそ剣を抜いて斬り払うが、読んでいたのか紙一重で避けられてしまう。
「何者だ貴様! 何故俺のことを知っている!?」
「あらあら、自己紹介がまだだったわねぇ。私は迷宮教団『七凶』が一人、『艶公』よ。どうぞよろしくね」
「迷宮教団だと!?」
その名を語る連中とは数回会敵している。
ろくな事をしておらず、俺達が奴等の目論見を挫いたんだ。何を目的としているのかは不明だが、怪しい連中だという事は確かである。
「迷宮教団が俺に何の用だ」
「貴方に是非、会って欲しい方がいるの」
「誰が貴様等などについていくものか。消えろ、さもなくば斬るぞ」
「いいのかしらぁ? このままだと貴方の人生は惨めなまま終わるわよ」
「……」
「うふふふふ、いい子ね」
◇◆◇
「ここは……城の中か?」
結局、『艷公』の口車に乗せられてついて行ってしまった。
空間転移魔術で連れて来られた場所は、城にある広間のような場所。薄暗くてよく見えないが、目の前の階段の先には玉座が鎮座されてあった。
「連れて参りました……『迷王』様」
(『迷王』だと?)
突然『艷公』が玉座に向かって跪く。
もしや迷宮教団の首領かと見上げた刹那、
「……」
「――っ!?」
『迷王』と目が合った瞬間、俺は無意識の内に跪いていた。
“アレ”は何だ? 本当に人間か? 薄暗くて姿はよく見えなかったが、これだけは理解できる。
アレは化物だ。
この世の物とは思えない。ただそこにいるだけで畏怖の重圧を与えてくる圧倒的なまでの存在感。身体が震え、尋常じゃないほどの汗が噴き出てしまう。
息をするのも憚られた。
生物としての格が違う。
この先俺が何をしたって、玉座に座っている者には歯が立たたないだろう。
カツン、カツン……と、床を蹴る足音が聞こえる。
近付いている。玉座から立ち上がり、『迷王』が俺に近付いていた。
足音は、俺の眼前で止まる。
「一つだけ問おう」
「……」
「力が欲しいか?」
「――っ!?」
顔を上げた俺は、『迷王』の問いにこう答えた。
「はい……欲しいです」
この時俺は。
悪魔に魂を売り、闇に堕ちたのだった。