第94話 飛んで跳んで
休日をナナと過ごした翌日。今日は終業式だ。いつものように夕華よりも遅れて登校する。依然として睡眠不測気味で、あくびが止まらない。
七月ともなると早朝からして気温が高く学ランにマフラーという格好は暑苦しくて仕方がない。腕の包帯は汗を吸ってしまうので午前と午後とで二巻分用意しておかなければならないし、眼帯も内側が蒸れる。さらに蝉の鳴き声が三割増しで暑く感じさせた。
「テストの方は満点だろうが、成績はどうだかな……」
終業式の後は各科目につき一コマ分の授業時間を使う。テスト返しをし、正答率の低かった問題を解説し、生徒から質問があればそれを答え、最後に夏休みの宿題を配布する。
国数英理社の主要五科目で五コマ、音楽美術技術家庭科の副科目を短時間でローテーションして合わせて一コマ。他にも学期末は学校の大掃除があり、終業式もふまえると最終的な下校時刻は普段よりも遅くなるだろう。昨日のように丸一日休みを与えられているので、生徒も大っぴらには文句を言えない。
通学路を眠たそうに歩きながらそんな今日一日の予定をおさらいし陰鬱な気分になった。どうせ満点なのに一科目にそんなに時間をかけるのは馬鹿らしい。退屈な時間を過ごさねばならない。そうなることが予想されて。
そのときだった。ピロロロとポケットのスマートフォンが鳴る。
「もしもし」
『アタシだ。暁、今どこにいる?』
「登校中だ」
『そうか……そうだったね』
電話の主は北斗ナナ。今学期の最後の学校があるという話は昨日しているので、連絡を寄越すのは妙だ。出会ってからさほど長いわけでもないが、どこか切羽詰まった声色であることが読み取れる。
ナツキにとってナナは姉の友人であると同時にプライベートも親しい。かつ、能力者の先輩であり星詠機関日本支部では上司にあたる。この後学校に向かうよりも面白い体験ができるのではないかと嗅ぎ取ったナツキは登校の予定をかなぐり捨てた。
「何かあったのか?」
『暁の家の近くに大きなショッピングモールがあるだろう。そこで野良の能力者が暴れてるっていう情報が入った。アタシはちょっと手が離せそうにないし、他の連中は東北の別件で出払ってるし、頼めそうなのは暁と美咲くらいなんだけど……』
「わかった。今すぐに向かう。位置情報はメールで送っておいてくれ」
『でも、終業式って……』
「ククッ、どうせ退屈なだけさ。それにさっさと済ませて向かえばいいだけの話だ」
『……わかった。よろしく頼むよ』
こうした指令をもらうのは一度や二度ではなかった。正式に星詠機関日本支部に入ってからまだ二、三週間ほどになり、もう幾度となく能力者絡みの事件や騒動に派遣されている。そうした荒事をこなせる人材を引き入れることこそが先の採用試験における実技試験の目的だったのだから。
担当するのは主に関東・中部地方よりも東側。西側は京都から授刀衛という聖皇のお抱え能力者集団が遣わされるのでナツキたちの管轄外だ。
(ククッ、能力者と戦っていれば何か掴めるものがあるかもしれんしな)
それに、能力の覚醒を待ち望むナツキにとってはまだ見ぬ能力者との接触は渡りに船である。今は少しでもサンプルを集めたいし、新しい刺激を受けることは精神的にプラスに作用するはず。故にナツキは嬉々とした表情で送られてきたメールを開き、踵を返してショッピングモールへと向かう。
〇△〇△〇
「この……当たりなさいよ!」
赤い髪をツーサイドアップにした少女、雲母美咲はやけくそ気味に引き金を連打する。しかし、宙を飛び回る男には当たらない。
ナツキがショッピングモールに到着したとき、既に美咲が対象者と応戦していた。人払いが済んでおらず店内にはまだ客が残っており、異常な様子に気が付いた者たちが悲鳴をあげている。学校によっては夏休みが始まっているのか子供の姿も多く見られた。
ショッピングモールは三階建てと屋上駐車場で構成されていて、どちらかと言えば横に広い建物だ。おおよそ五メートルおきにブランドブティックやレストラン、本屋などがテナントに入っている。
建物の中心部分は一階から三階の天井までが見上げられるように吹き抜けになっていて、各階はエレベーターとエスカレーターで接続されている。建物全体は漢字の『回』を横に引き延ばしたような構造というわけだ。
一階にいる美咲は吹き抜けの一番上、つまり三階の天井付近を浮遊している男に発砲し続けるが、やはり当たらない。駆け付けて到着したナツキは美咲に状況を尋ねる。
「空を飛ぶ能力……いや、鳥になる能力か?」
「ナナさん曰く変化できるのは鳥だけじゃないかって! ああもう! 当たれってば!」
ただ浮いているのではなく、背中から羽毛に覆われた一対の翼が生えている。フォルムだけ見れば天使のよう。だが茶色く筋張った様子は猛禽類の羽を想起させる。バサリバサリと揚力を生み出しながら器用にも人体を宙に浮かせていた。
悔しそうにぴょんぴょん飛び跳ねている美咲。彼女が手にしているのは本物の実銃ではない。たしかに見た目はメタリックシルバーの拳銃そのもの。ところがその内部は大きく異なる。
通常、銃は圧力を加えて薬莢の火薬を燃焼させ、さらに腔圧を高めてバレルから弾を発射させる。いわば内部は発火装置と圧力装置の組み合わせと言えるだろう。しかし、美咲の銃にはそのどちらも存在しない。
あるのはたった一つ。指向性スピーカーだ。平たく言えばこの銃そのものが一個のスピーカーである。引き金に連動してスピーカーから音が発せられ、バレル内で音に指向性が施され、周囲に一切の影響を与えることなく音波を狙った場所に衝突させる。
音を増幅させる能力を持つ美咲にフルオーダーメイドで特注された専用音響兵器だ。ある種の空気砲であり、故に非殺傷。さらに人間に当たった場合は音波によって脳を揺さぶられ、三半規管を損傷するとその場に立っているのも困難になる。
「美咲、いつもみたいに俺を飛ばせるか?」
「え、ええ。クスクス、この私に任せなさい!」
ナツキは地団駄を踏むように、床にドンと足で激しく音を立てる。すると、美咲の能力によってナツキの足裏下の空気が瞬く間に増幅され、クレーターを作りながら空高く打ち上げられた。
弾丸のように一階から三階まで駆け抜ける。その間に、ナツキもポケットから銀色の筒のようなものを出した。陸上のバトンをひと回り大きくしたようなそれを強く握ると、握力に反応して中から折り畳まれていた刃が展開され、真っすぐに固定される。
折り畳まれていただけあって部分部分に繋ぎ目がある。カッターのように小さい刃同士が連結されてあるだけなので耐久性は低いが持ち運び安さからナツキは愛用していた。美咲の銃とは違い、申請すれば誰でも支給される星詠機関の一般配給品である。
地上十メートルまで飛び上がったナツキは空中にて視点の合っていない男を真正面に捉える。
「ククッ、あまり高いところまで行くと神の逆鱗に触れるぞ?」
バベルの塔になぞらえながら、ナツキと鳥男の空中戦が始まった。