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第91話 エカチェリーナ

 ネバードーン財団はロシア帝国に拠点を置く企業群である。特定の産業分野でしか活動しない普通の会社と違って、守備範囲は非常に幅広い。

 たとえばネバードーン重化学工業は鉄鋼や石油を扱う。たとえばネバードーン自動車はワゴン車やジープ、果ては戦車に至るまで大型車を多く生産している。たとえばネバードーン電子が作るスマートフォンはことロシア国内に関してはシェア一〇〇パーセントを誇る。こんな調子でネバードーン繊維、ネバードーンテクノロジー、ネバードーン物産、ネバードーン造船、ネバードーン観光……などなど。


 世界で最も有名な一族のひとつで、現財閥の当主であるブラッケスト・ネバードーンの総資産はEU加盟国の国家予算の総計を上回るとも言われている。また、当主の長男であるクリムゾン・ネバードーンは未だ当主の座こそ継いでいないものの、ロマノフ王朝の王女と婚姻しロシア皇帝クリムゾン・ロマノフ・ネバードーンとしてロシアという国家の最高権力者にまでなっている。


 ただし。

 これらは全て、表向きの姿。



〇△〇△〇



 当主様はご子息やご息女を争わせて、勝ち残った者にその座を譲ることにしている。

 そんな噂がまことしやかに軍部で囁かれ始めたのはいつからだろう。宿舎の一室でベッドに横になりホットミルクを呷る二十代そこそこの若い男性、アンドレイ・アヴェルチョフは甘ったるさに顔をしかめながらそんなことを考えていた。

 窓の外ではしんしんと雪が降っている。寒さをしのぐためにウォッカの十杯や二十杯用意したいところだが軍の規律として昼間の飲酒は禁止。無駄に頭が冴えて仕方がない。つまらないことにまで頭が回ってしまう。



(まあ、ネバードーン家の当主サマが誰であろうと俺たち帝国軍人の一番上の上司が皇帝陛下のクリムゾン様であることに違いはねえんだけどな)



 故に、誰が次の当主になるかなど一介の軍人には意味のない議論なのだ。

 無論、このブラッケストの『子供達』による権力闘争が様々な形で波及し星詠機関(アステリズム)と対立する原因にもなっているのだが、そんな国際情勢など北の大地で暮らす一般兵士でしかない彼にしてみれば知ったことではない。


 コンコン。不意に部屋の扉がノックされる。たとえ休暇や休憩の最中であっても召集がかかれば向かわねばならないのが軍人というもの。すぐさま襟を正して黒い上着を羽織りボタンを留め、ブロンズの髪を軍帽に入れて敬礼しながら扉を開く。



「遅くなって申し訳ありません! アンドレイ・アヴェルチョフ一等兵であります!」


「なに、そう固くなるな。今日は非番だったのだろう? 休暇中にすまない」


「いえ! ロシア帝国軍人たるものクリムゾン陛下のように万事苛烈が信条であります!」



 気の良さそうな上官はしわがれた顔で苦笑いを浮かべる。アンドレイはこんなに声を張り上げるような人間ではない。発声もまた軍人、と割り切っているだけだ。上官もそれを知っているのか、息子ほど年の離れたアンドレイの肩に手を置き、そう肩肘張るなと伝える。



「出動の命令じゃあない。ただエカチェリーナ様がお前をお呼びなのだ」


「エカチェリーナ様が……?」



 ロシア帝国ロマノフ王朝では、男児は生まれなかった。その代わり二人の麗しい姉妹が生を受け、姫として育てられた。しかし二人の性格は真反対。

 姉のアンナ・ロマノフはお淑やかで慈愛に満ちた聖母のような女性で、現皇帝クリムゾン・ネバードーンの妃となった。

 妹のエカチェリーナ・ロマノフは厳格で力強く男にも負けない腕っぷしで、帝国の軍部省大臣兼、陸軍元帥兼……ともかく、色々と肩書や役職はあるが帝国の軍人としてトップに立った。


 しかし、そうなると自分のような下っ端をどうして呼びつけるのかという疑問が出てきてしまう。身分的にも階級的にも雲の上のような人だ。もちろん、全体に向けて演説しているところが見たことがあるが個別に会話したことなどない。



「わかりました。すぐに参上いたします」



 どうせ断るという選択肢はないのだ。さっさと部屋に戻り登城の準備をしよう。



〇△〇△〇



 下級兵士が普段は寝泊まりしたり訓練を積んだりする宿舎。そこからエカチェリーナが住まう城までは馬で十五分ほどだ。ただしそれは、雪が積もっていない日の話。

 何もロシアは年がら年中降雪があるわけじゃない。()()のサンクトペテルブルクでは温暖な日は観光客も含め半袖の人ばかりのことだってある。高緯度にあると言っても季節の廻りはきちんと存在し、暖かい日はそこそこ暖かいし寒い日は凍えるほど寒い。それにしても平均気温や最高気温、天候等のデータを見れば国際的には極寒の雪国扱いされるのだろうけれど。


 というわけで宿舎から城まで徒歩で来た。常人ならば息の切れる距離でも行軍訓練もしているために軍人ならば大した疲労はない。

 城とは言っても、皇帝クリムゾン・ネバードーンや王妃アンナ・ロマノフが住まう首都の中心にある王城のことではない。

 実際は数代前の女帝が建てた小宮殿で、クスコヴォと呼ばれている。ロシアの西端に位置するサンクトペテルブルクよりもさらに西、北欧との境界ギリギリという最前線にエカチェリーナが詰めていることについて、兵士たちの間では姉妹不仲説やら根っからの軍人説やら根も葉もない噂が飛び交っていた。


 雪をかぶった木々の自然のアーチをくぐると、湖畔の傍にその城は佇んでいた。ロココ様式の建築はバロックと違い派手さに欠ける一方で上品かつ優美な印象を与える。穏やかに、漂うように降る白い雪すら装飾の一部かと思わせるホワイトとペールグリーンの屋根や壁はいつ見ても圧倒される。


 正面の扉の前には衛兵がおり、要件を伝えると室内に通された。中に入ると城勤めしているであろうメイドが案内してくれた。ワインレッドのカーペットはうるさすぎることなく温もりを演出していて、曲線を多く使った柱は華麗で繊細。だからこそ、ところどころにあしらわれている金色の装飾はゴテゴテし過ぎず落ち着きを感じる。



「アンドレイ・アヴェルチョフ一等兵、参上いたしました!」



 礼をして立ち去るメイドに一言感謝を述べてから、扉の前で敬礼して名乗りを上げる。フルネームと階級。軍のマナーだ。



「入れ」



 芯の強さや意思の固さを感じさせる声だった。女性の割に張ってもキンキン響かない、そんな不思議な声。



「失礼します」



 殺風景な部屋だった。もちろん寝泊まりする部屋は別にあり、ここは書斎か執務室かそんなところなのだろう。だが、とても王家の娘がいる場所とは思えない、無骨で硬派な部屋なのだ。

 だからだろうか。軍服を纏うエカチェリーナという女性は宝石のように美しく見えた。



「突然呼びつけてしまってすまなかったな。雪は平気だったか? あとでメイドに紅茶を用意させよう」



 アンドレイのくすんだブロンズヘアとは違い、きらきらと輝くのが目に見えるほどに眩しく綺麗な金髪。戦いの邪魔にならないように肩口で切り揃えているのだろうが、手入れを欠かしていないことははっきりとわかる。

 身体に目を向けると、軍服の下でもなお隠しきれない女性らしさと怜悧な顔つきがアンバランスだ。それ故に引き込まれるような危うい魅力がある。()()()で射抜かれたアンドレイが思わず『軍人の精神力がなかったら惚れていたかもしれない』と感じるほどの美貌。凛々しさと麗しさが両立した立ち姿は腰に提げたロングソードも相まって聖女のようでもあり騎士のようでもあり。きっとその両側面を内包するのが王族というものなのだろう、痛感させられた。



(これが王族か。生き物として、種として、完全に出来が違えぜ)



 そして軍部のトップだけあって圧力が凄まじい。歳は自分とそう変わらないか、もしかしたら自分より歳下だったかもしれない。前皇帝の娘で現皇帝の義妹だけあって報道は頻繁にされているはずなのだが、特に愛国心があるわけではないアンドレイの記憶の箱の中にはそんな情報はいちいち残っていなかった。

 こうして個室で相対するだけで気圧されてしまう。王族というのは単なる血筋だけでなく放つオーラにも現れる。そんなオカルトめいた言葉が脳裏をよぎるほどに。



「お気遣い感謝いたします!」


「ここは二人きりだ。敬礼は解いてくれも構わんよ。ああ、二人きりだからといって変な気は起こさんでくれよ。この国を守る大切な兵士を直接手にかけたくはないからな」


「そ、それは、承知しております!」


「おっと、冗談だよ冗談。せっかく緊張をほぐそうと思ったのだが逆効果だったかな。まあいい。これ以上きみに精神的負担を強いるのも忍びない。早速だが本題に入ろうか」

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