第88話 覚醒の兆しを探せ
「うっ……ぐぁぁぁぁぁッッ!! 左腕がッ……燃えるように熱い! この封印を解いてしまったら世界は…………!」
眼帯をした少年は包帯できつく封じられて左腕を右手で握りしめながら、両膝をつき苦悶の表情で顔を歪めている。
「クソッ……! 出てくるな! 万物を灰燼に帰す気か……!?」
煉獄の焔をこの身に宿し、しかし平和と安寧のために一般人に身を窶して幾星霜の時を経た。腕の疼きは太陽と月が廻る度に増していき、もはや抑え込むことは困難。赤い右の瞳から魔力の奔流が全身を駆け抜けて左腕に集中していく。血管を焼き切らんばかりに内側に封じ込められたものが暴れ始めて熱を帯びる。
そして頽れたその少年が声を震わせれば、天恩のように凍てる空気の波濤が彼を包み込んだ。
同時に、ガチャリという音が谺する。
「ただいま。……ナツキ、何やってるの」
帰宅した空川夕華が扉を開けてリビングに入ってきたとき目にしたのは、四つん這いの姿勢で腕を握りながらブツブツと独り言を呟く少年──田中ナツキの姿だった。
学校教師である自分の教え子でもあり、親友の弟でもあり、今は同居人でもある中学二年生の男子。どこにでもいる十四歳。……ただし、中二病。
肩にかけて持っていたバッグを床に降ろし、買い物袋を四人掛けのダイニングテーブルに置く。
「ちょっと、エアコンの温度は下げすぎよ」
リモコンを適当に操作する。ナツキを冷やす空気の勢いが弱まっていった。
「叫んでたら暑くなってきたんだ」
「普通は家で叫ばないわよ」
「ああ、どうやら俺は異常らしい。ククッ、月明かりが狂わせるんだ」
「期末テスト、ちゃんとできた?」
「華麗にスルーしたな……。だが、うん。当たり前だろう。今回も全科目満点だ」
「そう。でも無理しずぎちゃダメよ。テスト期間だからっていうのはわかるけど最近ずっと夜更かししていたでしょう?」
「バレていたか……」
ナツキは立ち上がるとキッチンに向かい、茶碗に米をよそってダイニングテーブルに並べていく。続いて鍋から赤いスープをおたまで掬う。ロシアの代表的な料理、ボルシチだ。酸味の強いトマトスープに豆やキャベツの甘味が溶け出して階層的な味わいがある。ナツキも夕華もお気に入りの料理なのでこうして頻繁に食卓に並ぶのだ。
「ええ。部屋の電気がついていたもの。私はずっと良い成績を取るナツキを本当に尊敬するし誇りに思うわ。でも根を詰めすぎて身体を壊したら元も子もないのよ?」
心配するように自分を見つめて気遣う言葉をかけてくれた夕華に対して、ああ、と生返事をしてしまった。理由は二つある。第一に、心配をかけてしまったから。第二に、実は勉強をしていたわけではないから。
家着に着替え、結っていた髪を下ろした夕華が戻って来てから食卓につく。いただきます。二人は向かい合わせに座って夕食を取るのだった。
〇△〇△〇
「うーむ……」
ナツキは自室にて、机に向かい難しい顔をして腕を組む。
黒いクロスが敷かれた学習机。スタンドライトの先端には赤いセロハンが貼ってあるので、ぼんやりと赤くナツキの顔を照らしている。それだけでは手元が見えず結局部屋の電気をつけているのでスタンドライトの役割としては本末転倒なのだが。
そんな机の上には一冊の黒いノートが置いてあった。
修正液を使ったのか黒い表紙には白い文字でタイトルが記されてある。
『Dead Sea Scrolls』
死海文書を意味する名を冠したノートを一ページめくる。そこにはナツキの手書きの文字でびっしりと文章が書かれていた。
『神々の黄昏を暁へと導く者。俺の眼には真っ赤な焔が宿っている。煌々と燃え盛る炎は──』
そう書き出されたノートには、ナツキが毎朝洗面所の鏡の前で赤いカラコンをしながら語っている内容をはじめ、様々なことが書き記されていた。
文字だけではない。一つ仕上げるのに二時間かかった複雑な魔法陣や、レオナルド・ダ・ヴィンチで知られるウィトルウィウス的人体図。他にも北欧ルーン文字の一覧表であったり、好きなゲームの詠唱呪文であったり。
一定の年齢以上で似た経験のある人がこのノートを見れば顔を抑えて頭を抱えながらこう呼ぶことだろう。黒歴史ノート、と。
〇△〇△〇
さて、目下現在進行形で中二病なナツキにとってそのノートはまだ黒歴史になっていない。色々と異能や魔法のことが書いてある。『学校の連中は大衆に追従する奴隷だ。俺は違う。なぜなら異端だから……』『俺は死ぬことが怖くない。死後の世界すら支配してみせよう』等々、尖った痛いポエムも書いてある。でも、それらを黒歴史と呼ぶのは中二病を卒業した者だけだ。
今もこうしてナツキはノートを開き、思いついたことや目に留まったかっこいいものを書き残している。
だが、あるページからその内容は若干の雰囲気の違いがあった。
音を増幅させる能力、黒煙を出す能力、コピーして倍増させる能力、電気や雷を操る能力、などなど……。
なにせ、それらはナツキの妄想ではない。彼が体験した現実だ。実際に目にした本物の能力。
国連の内部に存在する世界的な能力者の組織、星詠機関の日本支部に所属することになってからナツキはさらに数多の能力者と出会った。もちろん、採用試験以降も組織の一員として能力者と戦闘をした。今のところほとんど怪我もせず、能力者相手に対等に渡り合うことができている。でも。
ナツキの中には二つの想いがあった。自分を煉獄の能力者だと信じて疑わない自分。それから、本当は無能力者なのだと自覚するつまらない自分。以前アクロマ・ネバードーンとの戦闘で命の危機に瀕したとき、後者のつまらない自分を強く意識するようになった。だって、真実として自分は能力なんて持たないんだから。
でも周りは敵も味方もバンバン能力を使ってくる。能力者の組織に入っているのだから当たり前のことなのだが、自分以外の全員が能力者だというコミュニティに身を置くと、胸の奥底から沸々と湧き上がる思いがあった。
(どうして俺は能力が覚醒ない……?)
ナツキが深夜まで起きて自身の経験と知見を組み合わせながらレポートのようなものをノートにまとめていたのは、この深刻な悩みのためである。
どうやったら能力を手に入れられる? 能力者たちの共通点は? 覚醒のファクターは? 自分にその素養は?
せっかく能力などというファンタジーやSFの産物が現実に存在することを知ったのに、まるで自分だけつんぼ桟敷にされたようで。世界に取り残されたようで。きっと誰よりも強くそんな世界を望んでいたのは自分なのに。
先日の美咲と戦闘を通して能力の実在を知ったときに抱いた高揚感と昂奮。その大きさの分だけ今のナツキを襲う無力感と焦燥感も大きくなっていく。
欲しい。能力が欲しい。火を操ったり空を舞ったり斬撃を飛ばしたりしたい。
足掻くように頭を悩ませたまま、解決策は見つからずに朝を迎えるのが日課になってしまっているのだった。
ブックマークが増えておりました。ありがとうございます!
また、今回から第三章ということになります。よろしくお願いします。