第86話 抜け殻
「お、終わったの……?」
「そうみたいだな」
何もなくなった客席でへたり込む美咲と、彼女を支えるように側に付いているナツキ。二人はただ唖然としていた。美咲は初めて見る高い等級の能力者同士のぶつかり合いに。ナツキは友人の初めて見る姿に。
胸を斬りつけられたアクロマは二筋の鮮血を吹き出してバタリとステージ上で倒れた。ピクピクと痙攣しているため依然として息はあるのだろう。
英雄は両手の小刀を空でヒュンッ! と切り血を払ってから鞘に納めた。宙に浮遊する残り四本に向かって空の鞘を同数投げれば、まるで機械か何かが自動で追尾するかのように空中で小刀たちは自ら鞘の中へと入っていく。
ステージからひょいと飛び降りた英雄はトテトテこちらに走って来る。
「黄昏くん、雲母先輩、ケガはありませんでしたか?」
「先輩って……。あんた、私たちと同じ学校? こんなかわいい子うちの学校にいたっけ」
「あ、えっと、はじめまして。二年の結城英雄って言います。えへへ、ねえねえ黄昏くん聞いた!? あの雲母先輩がボクにかわいいって!」
「あ、ああ、そうだな。その袴もよく似合ってるじゃないか。なんで女性ものかは訊かんが……」
「京都から直接こっちに向かったからそのままの格好だったんだ。でも良かった、黄昏くんに似合ってもらえて」
女子大学生の卒業式か、と言いたくなるほどに色鮮やかな袴。とはいえ高貴な黒がシックで全体のバランスを締めている。英雄はまるでスカートかのように袴の裾をつまんで、ナツキに見せるようにくるくるとその場で回ってみせた。
「なになに、あんたたち付き合ってんの?」
「やだなぁ雲母先輩、男の子同士で恋愛するなんて…………でも黄昏くんがどうしてもって言うなら……」
英雄の男の子という言葉で美咲の頭上にいくつもの疑問符が浮かんでいるのだが、当の英雄本人が気が付く様子もない。
美咲にとっては後輩との初邂逅。ナツキにとっては友人の意外な登場。そして三人でそんな他愛もない会話をしている、まさにそのとき。
パチリ。ステージ上で倒れ伏しているアクロマの眼が開く。それは彼が今日の朝の時点で自身に施していた能力。犬塚牟田の部下の一人がスピカの部下に襲撃されていながら、バレることなくアクロマと連絡を取ることに成功した理由もこの能力だ。
それは身代わりの能力。発動条件は本人の意識の喪失。アクロマの背中がピキピキと音を立てながら罅割れ、まるでセミやチョウがサナギから孵化するようにもう一人のアクロマが姿を現した。
抜け殻となった元のアクロマの肉体からは水分が消失し肉の質感もなくなっていく。ヘビの脱皮のように。
「ちょ、ちょっとあれ!」
美咲が指す方を振り向き事態を確認した英雄は焦った様子で『──雲耀ッ』と唱えてステージ上に瞬間で移動するが、その手はもうアクロマに届かない。なぜなら。
「テレポートッッ!!」
ナナからコピーした転移の能力で、たちまち姿を消したのだから。英雄の手が何もない空間を掴む。そこに残るのはカサカサと揺れる乾いたアクロマの残り滓だけだった。
〇△〇△〇
「ハァ、ハァ、ハァ、この僕が……たかだか二等級程度の相手に負けるなんてな……へへっ、でも決めたよ。次は彼女を手に入れるゲームをしてみよう。彼女も暁くんにご執心みたいだしうまくやれば……」
「うまくやれば、なんですか?」
ここはアクロマ・ネバードーンという三十代の西洋人が来日し通りすがりの若い男子大学生の容姿をコピーして音無透として日本で生活するにあたり拠点としていた高層マンションの最上階だ。ワンフロアを丸々買い取り壁をぶち抜いているため、この部屋だけでもおよそ五〇〇平米、おおよそ学校の体育館ほどの広さがある。
生きるのに必要な最低限の飲食物を納めた冷蔵庫、革のソファ、壁に埋め込むタイプのテレビ。それだけの殺風景な部屋。白い天井と黒い床は眩しく、過去に彼が他人を招いた気配など一切ない。
では、今アクロマに話かけたのは誰か。
壁に手をつき身体を支えていたアクロマはおそるおそる後ろを振り返る。ゆっくりと。充血した紫色の眼をかっ開いて。
「中々座り心地の良いソファだ。もしよろしければどこで購入したのか尋ねても?」
足を組んでソファに座るその男にはどこか見覚えがあった。間違いなく自分はどこかでこいつに会っている。しかし思い出せない。
男性にしてはやや長めな髪をオールバックに、銀縁の細い眼鏡、アイロンがきっちりかけられている紺色のスーツ。そうだ、筆記試験のとき……!
まるでインテリヤクザを連想させるその男は続けて言った。
「北斗はこう言っていました。テレポートは非常に神経をすり減らすと。世界と相対する能力だと。故に、体調が悪かったり大怪我を負っていたりする場合は跳び慣れた場所にしか転移できないと。大当たりでしたね。それとも、採用試験受験者の全プロフィールから音無透という人物が怪しすぎると真っ先に言い当てたハダルに感謝すべきでしょうか」
「な、なにを……」
男はソファから立ち上がる。眼鏡をクイと押し上げながら、その手に巨大な黄金のランスを現出させて。
「野蛮なあなたには名乗る必要もないでしょうが、私はもしかしたら上司になっていたかもしれない男だ。せめて冥途の土産に教えましょう。星詠機関日本支部、牛宿充。監督者としてあなたの処罰に来ました」
〇△〇△〇
「なるほど、そういうカラクリだったのね」
ニューヨーク支部の自室で書類に目を通すスピカは溜息をつく。なんとかナツキに会うため日本に行ってやろうと日本支部の資料を集められるだけ集めた中でわかったことをまとめていたのだ。
「人類史上初の高位人工能力者の身柄を確保して授刀衛に置くっていうのがまず一つ。それから、二十八宿……強力な能力者を輩出してきた名門の家系で授刀衛の幹部候補のような立場にあった二人の能力者を日本国内に呼び戻すのが一つ」
資料の中にはナナや牛宿についてのデータもあった。
北斗ナナ。本名、斗宿ナナ。
牛宿充。本名、牛宿充。
本来は日本を、というより聖皇を守るため授刀衛に入り二十八宿として中心に立っていたはずの二人は、どういうわけか出奔して星詠機関に所属した。かの国がどれほど能力者の国外流出に厳しいか知っているスピカとしてはどうやって抜け出たのか気になるところだが、それよりも注目したいのは聖皇と星詠機関の外交取引の部分だ。
日本支部ができるという噂はニューヨーク支部でも広まっている。そして表向きは、活動が活発化するネバードーン財団やその他能力者集団の鎮圧について授刀衛の手が届かない東日本・北日本を任せたい、というもの。
だが実態はどうだ。その代償として結城英雄の身柄を明け渡したばかりか、授刀衛にとって重要な二名の能力者が日本という土地に呼び戻され縛り付けられた格好となっている。
こうして振り返って考えてみれば得が大きいのはあちら側。すべては聖皇の掌の上だったということだ。恐るべき外交手腕である。
「ということは、あのとき私たちの戦いを覗いていたんでしょうね」
ナツキ、スピカ、英雄、グリーナー・ネバードーンの四名が一堂に会した先日の騒動。何らかの方法で忌むべきあの男が目にするだろうというのは想定していたが、まさか授刀衛にも筒抜けだったとは。
思い返せば、あの後あまりにあっさりとグリーナーの身柄は星詠機関によって輸送された。聖皇はそこに一切干渉してこなかった。
当然だ、その代わりに結城英雄というあまりに革新的な個体を手に入れたのだから。出涸らしとなったネバードーンの末端など気にも留めていなかっただろう。
「シリウスの奴がどこまでわかってるのか知らないけど、これじゃ聖皇に一本取られたどころじゃないわよ……」
事態はますますややこしくなった、とスピカは頭を抱え、椅子の背もたれに身体を預けて天を仰いだ。
「いつになったらアカツキとまた会えるのかな……」
誰に問いかけるでもなく放った言葉はひとりきりの部屋で反響し、消え入るのだった。