第84話 無力な自分を憎悪して
「武器を生み出す能力」
アクロマの眼が黄色に切り替わり、その右手には刃渡り八、九十センチほどのロングソードが現出した。黄色ということは四等級の能力。武器といっても本人が構造を理解しているようなシンプルなものしか精製できない。剣やこん棒や槍などなど。銃はもちろん弓ですら精密な再現は不能である。
もしナツキがこれを知っていたら、アクロマが日本人の容姿でありながらなぜ最も手に馴染むものとして西洋剣を召喚したのか疑問に思うところだろう。
「さっさと能力を使いな……よッ!」
言い終えると同時にステージ上から飛び降りてナツキに肉薄する。木刀は木だ。金属でできている本物の刀剣と打ち合って平気である道理はない。アクロマがナツキを両断しようと振り下ろした西洋剣の軌道に合わせて側面を撫でるように当てると、刃は空を切っていった。
そのまま手元、剣道で言えば籠手に相当する部位にナイフを向ける。大振りな木刀と小回りの利くナイフ、二刀流を存分に利用したナツキのカウンターだ。
アクロマの眼が再び黄色く光る。
「土を操る能力!」
アクロマの身体とナイフを遮るように床が盛り上がり、リノリウムのタイルを突き破って高さ一メートルほどの土の壁を形成した。
隆起は一か所に留まらない。同じくらいの高さで、今度は壁ではなく土の槍。山奥の住宅で畳を貫いてタケノコが生えてくるように、床を貫いて円錐──工事現場などで見かける赤いコーンのようなもの──がナツキの足元から飛び出てきた。バックステップを踏んで回避しても、さらに回避した先で同じように足元から土槍が。また退いて、生えて、下がって、生えて……。
ナツキはせっかくの攻勢のチャンスをアクロマの能力の使用で阻まれた。二人の間にはまるで柱のように何本もの土の円錐が並んでいる。
「ククッ、その能力も見覚えがあるぞ」
「そりゃそうだよ。そもそも僕は能力の蒐集が目的で星詠機関日本支部の採用試験なんていう意味不明なものに参加したんだから。日本という大国で無所属の能力者がこれだけ一か所に集まるんだ。コピー能力者としては行かない手はないよね。覚えてない? 僕、暁くんの肌にも随分と触れたと思うんだけど」
そう言われて思い返してみれば、月曜日に夏馬誠司と戦いを終え美咲の邸宅に寄った際の帰り道。そこで出会ってナツキに入場チケットを渡したとき、手や肩をかなり触られた記憶がある。そう、火曜日に美咲のイベントに参加したときも、一歩間違えれば危ないファンになってしまうほどの勢いで美咲の手を取っていた。
(最初からこいつはまともに参加する気がなかったということか……)
アクロマの眼が紫色に切り替わる。
「あ、今『最初からまともに参加する気がなかった』って思ったでしょう? つい読心の能力を使っちゃったよ。いやね、日曜日の時点では少しはやる気あったんだよ。だって戦わないと相手が能力者かどうかわからないし。うーん、でもそこらへんは素人だよね。ちょっと近づけば簡単に接触できちゃう。だから月曜あたりにはもうやる気なかったってわけ。得点を譲渡してあげてもいいっていうのも本気だよ。こんな試験、全然興味ないし」
彼はくすりと笑いながら今週の行動を振り返る。同時にナツキも辻褄がいった。彼の一見無気力にも思える態度の正体はそもそも美咲たちのように勝ち抜くことが目的ではなかったことにある。
「はい、おしゃべり終了。まだまだいくよ! カマイタチを起こす能力!」
アクロマの握る西洋剣は砕けて粒子にように消え去った。空いた手を振るうと一陣の風が吹き荒れ、ナツキを襲う。
風は目に見えないのでほとんど直感。動物本能的危機回避能力。横っ飛びして回避。
さっきまでナツキが立っていた床がタイルが捲れ上がっている。アクロマは何度も何度も腕を振るい、さっき自身で作った土槍や土壁も切り刻みながら空気の刃をナツキに飛ばす。
「うーん、もう一回分の時間切れか。切り替えていこう。つぎつぎ! 光弾を放つ能力!」
アクロマの眼が緑色に切り替わる。すなわち五等級。それは以前、アラスカの雪山で運転手の殺害に用いた能力だ。アクロマの指先からピンポン玉ほどの大きさをした黄色い弾が放たれナツキを襲う。一個や二個ではない。マシンガンのように何十何百発と。
姿勢を低くして客席を走って避けるが、あくまで屋内なので壁が行き止まり。そう自由自在に移動できるわけでもない。壁には無数の穴が開いてしまっている。
「ふーん。随分と粘るじゃないか。だったら……」
アクロマの眼が橙色、六等級に切り替わり。両手を突き出すと黒煙が噴き出す。たちまち、武道館のホール内全体を満たしていく。
(これは夏馬誠司の能力か……!)
視界が奪われた。だが黒煙は穴から抜けていっている上、ナツキは入口の扉を開け放ったままにしていたのでじきに黒煙は晴れるはずだ。とはいえ。あのときは大したことない能力だと思っていたがこうして室内で使われると厄介である。もちろんスモークで代用できてしまうくらいには貧弱な能力であることに間違いはないのだが。
警戒すべきは、ギリギリ見える自分の半径およそ一メートル弱。腕を広げて煙を払い辛うじて視界を確保できる距離。飛び道具を使ってくるのか、バレないように近づいてくるのか。いずれにしとこうした攪乱攻撃のときこそ集中を切らしてはならない。
(こない、だと?)
しかしながら。思いのほかアクロマからの攻撃はない。だからといって警戒は切らないが拍子抜けだ。待てど暮らせど何も来ない。
自然と黒煙が晴れたとき、アクロマの姿は再びステージ上にあった。美咲が縛られ座る椅子のすぐ横だ。美咲の目隠しは外されている。どうして。
と、思った瞬間、そんな遠くのことよりも、目の前に迫るものに全身の危機反応がアラームを鳴らした。
紫色のアクロマがステージ上で腕を高く上げている。
「さあ、美咲ちゃん。よく見ておくんだよ。……引力と斥力を操る能力」
号令をかけるように腕を前方へ振り下ろす。
(おいおい、これは無理だろう……)
音楽ライブの会場だけあって天井にはいくつもの照明がある。一般家庭にもあるような小さいものから、それ一つで莫大な電気代を使うであろう象の頭より大きいものまで。
他にも、さっきへし折られていった土槍の尖った先端。竜巻で巻き上げられ隅に寄っていた客席の椅子の残骸。
それらがすべて空中、天井近くまで浮遊していて。アクロマの号令とともにすべてが一斉にナツキへと降り注いだ。
後ろは壁。ナツキはそこで、さっきの光弾の連射が自分の立ち位置を逃げ場のない方へと追い込むためのものだと悟った。
前? 横? 無意味だ。視界いっぱいに、この武道館という国内最大の音楽会場のオブジェクトというオブジェクトが一面に浮遊し、そして自分に迫ってきている。
目視してわかった。正確には降り注いでいるのではない。さっきアクロマは引力と斥力と言った。斥力とはすなわち反発し遠ざかる力のこと。重力を無視して浮遊していたいくつもの物体がその能力によるものだろう。
じゃあ引力は? 文字通り引っ張り合う力。何と何が引っ張り合う? その答えは……。
(俺か……)
総重量の計測にトンという単位を持ち出さねばならないほどに大量の物体。ほんのついさっきまでどこに避けるかなんて考えていたがまったく無意味。そんなことをしても自分との引力がある限りどこまでも付いてくるだろう。
人間など容易くスクラップにし臓物を圧し潰し血液を噴射させ筋肉をぺちゃんこにし骨を粉々に砕いて肉体の原型を崩壊させ誰かわからなくなるほどの重量で圧殺する。
これはさすがに無理。ああ、俺死ぬんじゃん。
あれだけ美咲に大口を叩いたのに。
逃げても意味がない、とわかった瞬間。初めてナツキの中で「諦め」が生まれた。
生き残ることへの諦め。それもある。美咲を助けることへの諦め。それもある。音無透……アクロマ・ネバードーンを倒すことへの諦め。それもある。
でも一番の諦観は、もっと個人的なもの。こんな命懸けの瞬間までそういうことを考える自分に思わず自虐めいた笑いが浮かぶほどだ。
(あーあ。今にも死にそうだってのに、魔法や能力のひとつも俺は目覚めないんだな)
結局、自分にチートな力なんてなかった。妄想は妄想。夢は夢。ただの凡人として生まれて凡人として死ぬ。大切に想った人は救えなくて、大切に想った人は家に残して。
無力さが嫌になる。ただの痛い中二病が本物の能力者に勝てるわけがなかったんだ。そうだ、無理なものは無理。一体誰が責められようか。無力は無力なりにここまでそこそこ頑張ったじゃないか。
さっきの土槍の先があと数ミリで眼球を貫く。頭上の照明はきっと頭蓋骨を砕いて脳漿をぶちまける。
調子に乗った無能力な中二病の末路がこれか。
遠くから美咲が自分の名前を叫んでいる気がする。
ごめん、助けられなかった。血の盟約を違えてしまった。美咲の眼が光を宿す。いいや、無駄だ。もうこの距離まで迫られては今から美咲が能力を使っても何も間に合わない。
──無力な自分が勝手に死ぬのは良い。でも、俺が無力なせいで美咲に辛い顔をさせてしまっている。きっと俺が死んだら夕華さんも、姉さんも、英雄も、スピカも、そして美咲も、みんな悲しむのだろうな。
絶命の直前まで、そんなことを考える。大切な人たちを悲しませてしまう無力な自分への憎悪が止むことはなかった。
──
力って本当にそれだけかな、と内なる彼は考える。
この間の反動が残っているので、今回死んだら次はもう助けられない。残念ながらお陀仏だ。都合よく『こっちの力』を貸してやることは、もうできない。
力って何だ。筋力や腕力? 知力? 財力? 或いは強大で絶対的な異能力。どれもこれも正解だろう。
力というのは一個じゃない。どこかで欠けても別のどこかで補えばいい。外部のもので補ったって、補ったのは当のそいつ本人なんだからそいつの力だ。補えるだけの力を持っていた、ただそれだけの話。
その意味において。
真白な空間で少年は思う。
僕は意外と人間的魅力ってやつに優れているぞ、と。
──
ピカリ。ドンッ。
一筋の雷が武道館の天井を穿つ。
昨日、初めてレビューをいただきました。心の底から嬉しくて飛び上がりました。また、そのおかげかブックマークも今朝と昨日だけで多くの方にしていただき、本当に感謝しています。
また、誤字報告もいただきました。とてもありがたいことで、助かります。修正しておきました。
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