第75話 だって無能力者だもの
「あんたも知っての通り、この国で能力者になると京都から授刀衛の構成員が来て資料おしつけてくるでしょう?」
いや、知らんが。
いきなり知らない用語が出てきた。話の腰を折るのも悪いので曖昧に相槌を打っておく。
「そこにも書いてあったように、この国は能力者が国外に行くことを絶対に許さないわ。……先の大戦の影響かしらね。国連に入ってない大国、日本とかロシアとかって外国との関係が特殊なのよ、たぶん」
「お、おう」
「国連の下部組織である星詠機関なんて大戦でのことを踏まえたら日本とは犬猿のはずだし。外国で引き抜かれて敵国戦力の増強につながられても困るし。そんな感じで日本人の能力者は絶対に海の向こうに渡ることができないわ。作ろうとしたこともないけど、パスポートなんて申請がまず通らないはずよ」
「ということは、星詠機関の日本支部に入りたがる人が多いのは……」
「ええ。あの組織、超法規的だから。日本国籍の能力者でも外国に行ってよくなるわ」
「なるほど。旅行したい国でもあるのか?」
ナツキとしては自然な問いかけだったのだが、美咲は俯き、表情に影を差した。
数秒の沈黙。チクタクという掛け時計の針の音だけがカップから立ち上る湯気に吸い込まれる。
「……今の事務所ね、実は最近移籍したばっかりなの」
ぽつぽつと美咲は語り始めた。
事務所の移籍、ナツキは今朝の夕華が話してくれたことを思い出す。
『でも雲母さんがすごいのは本当よ。たぶん定期試験で学年トップ十位から落ちたことはないんじゃないかしら。それに、ほら、色々あって事務所の移籍やソロデビューがあったでしょう。去年はかなり大変そうだったわ』
あのときは軽く流してしまったが、『大変そうだった』というところはたしかに少し引っかかるかもしれない。
「私がデビューしたばっかりの頃……って、あんたが知るわけないわよね。先週まで学校にこの雲母美咲がいることすら知らなかったのに!」
「それは、すまん……」
「クスクス、冗談よ。これからの私を見ててくれるなら許してあげる。……それでね、まだ私が中学に上がったばっかりの頃に最初に入った事務所がその、あんまり良いところじゃなくって」
「それはその、所属してる人への扱いか?」
「そんなところよ。私はそのとき十三歳で、十六歳の娘と十八歳の娘と三人ユニットを組んでデビューすることが決まったの。歌も踊りも私が一番上手だったから、あたしがセンターでね。でも……いざデビューするってなった当日に、突然私はユニットから外されることになっちゃって。表向きの理由は、私だけ中学生だからっていう形でね」
「そんな、理不尽な」
「今思い出してもほんっとムカつくわ! あの二人、年下の私にセンターを奪われるのが嫌だったのよ。でも二人ユニットならどっちも対等になるからそういう不満は出ない。むしろ、正反対にキャラ分けしたときにキャラが立つのは二人ユニットだしね」
「でもどうして。実力では勝っていたんだろう」
「十六歳の娘の方は親がテレビ局の重役で、コネね。十八歳の娘の方は事務所の社長と寝たらしいわ。その社長も別件で逮捕されて今は塀の向こうだけれど」
「そうか、だから俺が姉さんのコネだと疑って怒ってたのか」
「まあそんなところよ。それで、その後は出会いに恵まれて今の事務所に移籍したわ。私の実力をきちんと評価してくれて、ソロでも充分に音楽業界のトップを狙えるって背中を押してくれて。本当に感謝してる」
美咲は頬を緩ませ、胸に手を当てる。
たしかに、マネージャーは本当に親身になって美咲に接していた。もしも典子がレンガの壁を展開していなかったら、それこそ身を挺してでも美咲を庇っていただろう。レンガの壁を叩き引っ掻いてボロボロになったマネージャーの手を見て、どれだけ彼女が美咲を真剣に思いやっているのかを察した。
「それでね、今度、海外公演をしないかって話になって。今の事務所って前いたところほど最大手って感じでもないから、海外の現地エージェントからそういう話を持ち掛けられるなんて初めてなんだって。私の話なのに、マネージャーも社長も後輩もみんな自分のことみたいに喜んでくれてね。……クスクス、ほんっとおかしいんだから。マネージャーは最近私に隠れて英会話教室に通ってるし、この間は来客にずぅーっと私のことを自慢する社長を見かけちゃったし。もう、ばかみたい」
涙ぐみながら、強がるように、それでいて嬉しそうに美咲は話す。マネージャーたちのことになると滔々と言葉が紡がれる。前の事務所と違って今の事務所は本当に幸せな居場所なのだろう。
大好きな人たちが、自分を大好きだと思ってくれる人たちが、喜ぶ姿を見せられたら。……裏切りたくない。芸能界のことなどわからないが、自分もきっと海外公演を成功させたいと思うに違いない。
「そういうことだったのか……。だったら、負けられないな」
「……うん」
「ククッ、まあ安心しろ。最強の能力者であるこの黄昏暁がお前の夢を手伝おう。ノアの方舟に……じゃなくて、大船に乗ったつもりでいてくれ」
中二病は夢想する。人に馬鹿にされても夢を見る。だからだろうか。夢を抱く人の手助けをしたいと強く思う。美咲が話してくれたこと。海外公演と大切な人たちの笑顔。その夢を叶える手伝いをしてやりたい。
「クスクス、なにそれ、私しらなーい。……でも、ありがとね」
〇△〇△〇
「だがナナさん日本人だろう? なのになぜ星詠機関に所属できているんだ。日本にないということは海外なんだろう」
「だからこそすごいんじゃない。あの北斗ナナって人と、もう一人の試験監督の……なんだっけ、そうそう、牛宿っていう男の人。能力者が海外にいるっていうのは二つのことを意味するわ。海外にいた普通の人が海外で能力に目覚めてそのまま日本に帰ってこないっていうパターンがまず一つ。それから、日本で能力者になっても授刀衛を振り切れるくらい強いっていうパターン」
(そういえばそうだな、あの牛宿という男。やつも能力者ということは俺が見たランスは疲労ではなく牛宿の能力か)
美咲は知る由もないことだが、夏馬は数少ない前者の例である。傭兵として海外の戦場にいた際に能力が発現し、今回をきっかけに日本に帰ってきた。
「ところで授刀衛ってなんだ」
「え、ほら、能力が発現したときに会いに来た連中よ。聖皇陛下の直属の能力者集団。あんた、ちゃんと資料に目を通した?」
「……そうだったな。読んでない」
というか届いてない、そんもの。だって無能力者だもの。
それはともかく。やはり能力者の組織なるものが世界中に複数存在する。少なくとも星詠機関と授刀衛とやらで二つ。その事実の方に気がいった。
異能力者の組織。まったく甘美な響きだ。これほど中二心をくすぐるものもない。
ふと、掛け時計を見ると時計は午後の七時十五分を指していた。
「もう遅いな。そろそろ帰るとするか」
「まだ七時じゃない。もうちょっとくらいいなさいよ。そ、それに、お夕飯は私が作ってあげるし……」
「ほう、それはアイドルの手料理か。興味深い」
「でしょっ! だったら……」
「だがすまない。家に待たせてる人がいるからな。夕飯担当の俺だけが外で済ますというわけにもいかん」
まだ夕華は帰宅していないので、家で待っているというわけではないのだが。
まさか自分も世話になった教師の話をしているとはつゆほども思わない美咲は仕方ないといった風に肩をすくめた。
「そうね、おうちの人がいるなら仕方ないか。でも絶対またうちに来なさい。この雲母美咲が存分に料理の腕を振るってあげるんだから!」
「ああ。楽しみにしておく」