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第71話 乱戦

 その女は列の最後尾だった。つまり現在、この会場にいるのはその女、今日の主役の美咲、ナツキ、合計わずか三人だ。

 美咲の悲鳴を聞いてスタッフらしき数名の男女が入って来た。いわゆる『剥がし』をしないように美咲が事前に頼んでいたのでマネージャーも会場スタッフも皆バックヤードに控えていたのだ。


 その女──高橋典子(のりこ)は、バッグからレンガを取り出す。オフィスカジュアルなバッグとごつごつとした裸のレンガはどうも不釣り合いだ。それに、レンガは本来複数用意して積み上げたり並べたりするものであって、一個だけを持っていること自体が不自然。


 高橋典子がレンガを掴み、スタッフたちの方へと投げる。その瞬間、典子の眼が紫色の淡い光を宿した。



「増えろ!」



 金切り声とともに典子が叫ぶと、たった一個だったレンガは空中で二個に、二個になったレンガが四個に、四個が八個に、十六個に、三二個に、六四個に……と分裂するように倍々に増えていく。


 そして、出来上がったのは会場を分断するように立ち塞ぐレンガの壁だ。裏口やスタッフ用扉を覆い囲うようにして建造されたレンガ壁の向こうからスタッフたちの叫び声や殴りつける声が聞こえる。



「美咲! 大丈夫!? 今すぐそっちに行くから!!」



 信頼するマネージャーの声が届き、スタンガンで意識が飛びかけていた美咲は床に手をついてなんとか起き上がる。しかしレンガ壁は天井まで隙間なく積み上げられていて、マネージャーたちスタッフがこちら側に来ることはできない。


 ナツキは走って美咲のもとへ向かおうとするが、本来CDを手渡せるほどの至近距離だけあって典子が美咲に追い討ちをかけるわずかな時間に間に合わうわけもない。



「美咲! 能力を使え!」


「わ、わかったわ!」



 美咲の眼が緑色の光を宿す。と同時にナツキは両耳を塞いだ。美咲が手と手を合わせてパチンと音を鳴らすと、その音がたちまち増幅された。

 空気の波がスタンガンを振りかぶる典子を襲い、ステージ端の壁まで吹き飛ばした。典子は頭を抱えてフラフラしている。三半規管が超音波で揺さぶられ機能不全を起こしているようだ。


 耳を塞いでいたナツキと、同じ音程を口から発して増幅させることで相殺させていた美咲は被害がほとんどない。要はイヤホンのノイズキャンセリングと同じ仕組みである。

 


「こ、小娘が……」


「あんたも能力者ね……。私のファンを装うなんてなめた真似してくれるじゃないの」



 互いに一撃をぶつけ合い、身体にはダメージが蓄積されている。

 幸いにして美咲はナツキも含めて二対一なので人数有利は取れている。相手の女の眼は紫なので三等級、自分よりもはるかに格上だが、ナツキがいるならば問題ではないだろうという安心感があった。



(さっきのレンガ、あれがこの女の能力か? レンガを増やす能力か)


 

 そんなピンポイントの能力があってたまるか。おそらく何か別の能力があって、それを利用した結果なのだろう。



(私の能力でこの壁を壊したらマネージャーたちもこっちに来られるけど……。たしかに参加者は法を犯せないから、スタッフさんたちを傷つけることはできないわ。でも最悪の事故、万が一っていうことはあり得る。流れ弾で、私たちのうちの誰かの能力が傷つけちゃうかもしれない。だったらむしろこの壁は残しておいた方がいいわね)



 一度敵と距離が開いて冷静に戦況分析をする余裕が生まれた。

 だが相手もそんな隙は許さない。典子はバッグから何か細い物を取り出して美咲に向かって投げた。それはペン。学生や会社員が普通に持っていそうなどこにでもある黒いボールペンだった。ペンはあらぬ方向へと飛び、美咲ではなく天井にぶつかった。



「クスクス、外しちゃってだっさーい!」


「増えろ!」



 ペンの軌道を見て典子のミスを悟った美咲は挑発するが、当の典子はそんな態度など意にも介さず、再び金切り声を上げた。


 増えろ。さっきもレンガを投げたときに発していた。これがきっとあの女の能力を見破るヒントになる。

 その刹那、ナツキの中に蓄積されたいくつもの作品のデータが照合され彼女の能力を特定した。間違いない、あの女の能力は──



「美咲! そこを離れろ!」


「え? ええ!」



 ナツキに言われるがまま、美咲はステージ上でバックステップを踏む。さすがダンスレッスンも積んでるだけあって、それだけで二メートル以上は離れることに成功した。



「チッ、余計なことを……」



 典子が悪態をついたのとほぼ同時、天井付近にあったペンの本数が一本から二本、二本から四本、八本、十六本、と倍々で増えていく。最終的に、都合一〇四万八千五百七十六本。膨大な数のペンが針のむしろのように落下した。文字通りの針千本、いいやそれ以上だ。

 たしかに所詮はペン、非殺傷ではあるだろう。しかし滝のように降り注ぐプラスチックがそれだけの量となれば、重さだけでも人間の一人くらい圧し潰すことは容易い。

 

 ステージ上で自分の背丈ほどの高さにまで積まれたペンの山を見て美咲はゾッとする。ナツキが声をかけてくれなければ自分はアレの下敷きになっていた。



「美咲、あの女の能力は物体の数の倍化、或いは無制限の複製だ。能力自体に殺傷力はないかもしれないが、今みたいに何か物体を増やされたら面倒だ。あいつが何か手に持ったときはまず警戒してくれ」


「え、ええ。わかった。それとありがとう。助かったわ」



 美咲のもとまでたどり着いたナツキはポケットからバタフライナイフを出し、手の中で器用にくるくると展開しながら美咲にアドバイスする。それが聞こえていたのか典子は舌打ちをする。



「チッ……。こんな能力ね、私みたいなしがないOLには何の役にも立たないのよ。さっきみたいに他の人にチケットを見せてもらって複製するくらい。まあ小銭稼ぎくらいならできるけど……っと、お喋りが過ぎたわね」



 たしかに典子の姿はやつれた独身女性、服装も安物のスーツで、化粧も地味で華やかさは欠片もない。職場にいてもほとんど口を利かなさそうな暗いイメージ。手入れのされていない長い黒髪を前髪ごと後ろで結んでいる。

 華やかさの象徴とも言うべきアイドルの美咲とは皮肉にも対照的だった。



(そう、そんなつまらない私の人生なんだから、ちょっとくらいご褒美があってもいいじゃない……)



 ナツキは無能力者ということになっているから今まで知らされたことはないが、美咲を含め参加者の中には星詠機関(アステリズム)の所属すること自体よりも副次的に獲得できるある特別な権利のために競い合っている。典子もまたそうしたクチだった。


 典子が再びガサガサとバッグを漁る。彼女の能力の性質からして、複製するにも複製元となる物体が必要だ。そして戦闘に備えてそれに適した物をバッグに数多く仕込んできている。レンガなどというOLらしからぬアイテムもまたその一つだった。



「さあ、くらいなさい!」



 また何かが放り投げられた。それだけで典子にしてみれば大質量兵器となる。即効性はないが、ものの三秒ももらえればその数は二の五乗にまでなるだろう。


 能力の概要を把握できているナツキと美咲も身構える。基本的に質量の大きすぎるものを弾くことは困難なので、回避がより良い対処か。


 ここで、ナツキは改めて敵の様子を確認する。地味な容姿、そして先ほどの発言。



(ちょっと待て、もし複製が永続的ならなぜあの女はカネを増やす人生を送らなかった?)



 倫理的な抵抗があった? それもあるかもしれない。だとしても、ここまでやつれてまで拘るだろうか。

 生活が苦しくなればOLなどやらずに札束の複製を繰り返せばいいだけなのに……。



(あの女の複製能力は時間制限がある可能性が高い)



 とすれば、スタッフたちを抑えているレンガ壁もそのうちなくなるだろう。その意味ではある種のタイムリミットが典子には存在する。ということは自分たちは逃げ続けているだけで問題ない!


 どうせ相手の狙いは自分たちだけなのだからいっそ出口から美咲を連れて出てしまおうか、そこまで考えたときだった。

 シュパパパパパと鋭い音を上げてスタジオの壁に切れ目が入り、ドスンと倒れる。くり抜かれた壁と砂煙から、一人の男が入って来た。



「おっ、もうやっとるなあ。せやせや、やっぱバトルロワイヤルの醍醐味は乱入やもんな!」



〇△〇△〇



 四十代ほどの角刈りの男性。何回洗濯にかけたのかわからないほどヨレヨレでダボダボなタンクトップにジャージのズボンという服装。それに加えて手首にはナツキや美咲、典子らと同じスマートウォッチがつけられていて、参加者であることは判別できる。

 ただし特異な点が二つ。眼の色が黄色いことと、両手の爪が三、四十センチはあろうかというほど長いこと。



(ただの長い爪、じゃないか……。防音機能もあるはずのこの壁を斬り裂くくらいには鋭利)



 この男の乱入に遮られて典子の投げたリップクリームは倍化されることなく落下して床を転がる。

 ナツキの推理通り、この中年男性──日吉(ひよし)善五郎(ぜんごろう)の能力は『刃物よりも鋭利な爪を生やす』というものだった。金属くらいならば軽々と両断する。両手合わせて最大十本の爪を伸ばせるわけだが、しかし扱いの難しさから今は左右一本ずつの計二本しか伸ばしていない。



「地図上にアカテンが二個あるっちゅうことは三人のうちの二人が上位者ってわけやな。まあええわ、一人ずつ順番に倒したる」



 そう言って善五郎は両腕を広げて典子の方へと走り出した。この場にいる四人のうち、能力の強さで言えば三等級の典子、四等級の善五郎、五等級の美咲、無能力者のナツキ、という順番なのだが、美咲がナツキと一緒にいるのに対して典子は一人だ。各個撃破をするのであればそちらを先に狙うのは道理。


 軽快にジャンプしながら迫るも、典子も強引に身体を捻って避ける。空を切る善五郎の爪が床に叩きつけられ、地震が起きた後のアスファルトの地面のように断裂を作った。

 それを引っこ抜き善五郎は再び典子に迫るが、既に典子の目の前には鉄板の壁が出来ている。一メートル四方ほどの鉄の壁は、しかし目を凝らせばところどころ繋ぎ目があることが見て取れる。縦二十センチ、横三十センチ、倍々に増やされる前はただのノートパソコンだったようだ。



(どうする、この隙に離脱するか?)



 ナツキは自身の手首にあるスマートウォッチの画面を見る。そこには『VS高橋典子』『VS日吉善五郎』と表示されていた。つまり戦闘開始判定は受けているので、ここで逃げてもその一日戦闘しなかった際のペナルティであるマイナス十点は与えられない。


 おそらく美咲の画面にも同じものが表示されているだろう。それに、参加者は互いに競い合ってはいるが悪人というわけではない。周囲の一般人を無闇に傷つけるようなテロっぽい真似はしないだろう。無理に典子や善五郎の相手をする必要はない。



 だけれども。



「ま、俺がこんな面白い異能の世界を目の前にして黙って逃げられるわけがない!」



 なんせ長年憧れて妄想してきた異能バトルが現実としてこうやって行われているのだ。そんな夢のような時間をみすみす手放すことなどできない。



「美咲、能力をごく小規模で使うことは可能か?」


「小規模ってどういうこと?」


「つまりだな、音の増幅による空気の波を、いつもみたいに爆発的にするんじゃなくてもっとミニマムにまとめるんだ」


「たぶんできないことはないけど……。それって何の意味があるの? 相手にダメージを与えるには音波の増幅は大規模の方がいいじゃない。今までだって私はそうしてきたわ」



 実際に警察や軍で使われる音響兵器は音波に指向性を持たせているが、所詮は五等級でしかない美咲では四方八方に増幅させることしかできない。まさに池の水面にできる波紋のような同心円状。


 自分にまで被害が及ばないように小さい音波に留めれば相手への攻撃にならないし、相手に強烈な一撃を入れられるほどにしようと思ったら自分にまで被害が及ぶ。つくづく使い勝手が悪いが故に五等級。

 音階を聞き分ける優れた耳とその音階を発声できる優れた歌手としてのセンスのおかげで自分への音波だけは相殺しているが、この能力を持つのが美咲ではなかったらとても実戦で使い物にならない。



「そうだな。美咲が一人で戦うんなら、自分にまで音波の被害が及ぶとしても大規模にしなければ攻撃にならず意味がない。だけど今は違うだろう。俺という共闘相手がいる」


「それって……」


「俺の音を聞いてみる気はないか?」

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