第70話 個人的な目的
「クスクス、私のサインなんかでそんなに喜んじゃってばっかみたーい。ねえ、恥ずかしくないの?」
「美咲ちゃーーん!! ありがとう!!」
「まあ、そんなに喜んでくれるならまた次も書いてあげないこともなくもなくもないわね!」
そう言ってCDを受けとった若い男性は号泣しながら離れていき、列が一人分進む。ざっと二十人くらいか。
場所は東京の某有名CDショップの地下ステージ。ステージと言ってもあくまでイベント用のものだ。業界用語風に言うならば定員数十名~百名程度の小さな『ハコ』である。
例えばCDを新しく発売するアーティストがゲストで訪れて数曲披露したり、設営のしかた次第で握手会やサイン会をしたり。今回の美咲の場合は後者だ。
今朝のニュースでナツキも見かけた曲は美咲が先日発売したシングルCDの表題曲で、そのCDの中に抽選券が入っている。その抽選券をハガキに貼って応募し、当選した者にはお渡し会チケットが届く。当選者は自身が購入したCDを持ってここCDショップ地下ステージに来て、美咲とちょっとした会話をしながらサインを書いてもらい改めてCDを手渡してもらう。故に『販売会』や『握手会』や『サイン会』ではなく『お渡し会』なのはそういうことだ。
次に順番を迎えたのは高校の制服を着た女性だった。ナツキはもちろん美咲よりも年上のはずなのだが……。
「私の方があんたよりカワイイのにこんなところまで来るなんてね! クスクス、女として恥ずかしくないのかしら」
(同性ファン相手にも結構キツいこと言うんだな)
「で、でも、来てくれて……ありがとね」
「キャアアーーーかわいいぃぃぃぃ美咲ちゃん次のCDも絶対買うねーーーーー!!」
絶叫しながら女子高生も列を離れていった。
なるほど、下げてから上げた方がグッとくるものなのか、と今後の人生で一生使わない知見を得たナツキ。それ以降も美咲は続々と列を捌いていく。全員に対して小馬鹿にするような言葉をかけつつ、その後に感謝の言葉や甘い言葉を与える。
(一種のプロレスのようなものか。美咲があくまで『そういうキャラクター』であることをファンもわかっているから本気で不快な気持ちになることはないし、思いの通じ合うファンに対して美咲もつい愛情のこもった本音が出る。アイドルとファンの信頼関係、理想の姿なのかもしれないな)
アイドルや芸能人に詳しくない割にナツキも色々と考察していた。
さて、ではさっきからブツブツ考え事をしているナツキはどこにいるのか。それは会場の一番後ろの壁である。一緒にタクシーで来たはいいが、ナツキ自身は関係者ではないので裏口から美咲と楽屋に入り、ということはできずチケットを係員に見せて他の参加者同様、表の入口から入場した。
だが他の参加者のように別に美咲に会いに来たわけではないので列に並ぶことはなく、こうして壁に寄り掛かっているのだ。
(邪魔にならないようにしているのに、やけにファンたちの視線を感じるんだが……)
実はこの後ろの方で壁に寄り掛かり腕を組むというのははアイドルライブなどで『彼氏ヅラ』と呼ばれる行為なのだが、如何せんそうした分野には疎いナツキはよくわかっていない。
しばらくぼんやり眺めていると列の後ろにワナワナと興奮している男性がいた。目を凝らせば、それは昨日の帰りに会った透だった。
(黙っていれば好青年、なんて思っていたが撤回だ。黙ってもあんなにニヤついていたら変人だろう)
ナツキのクラスメイトが聞いたら変人代表のお前が言うなとツッコミが入りそうになるが、そんなナツキに言われても仕方ないほど透の頬は緩みきっている。
「あんたはたしか音無透だったわね! クスクス、敵を目の前にしてこんなことしてていいのかしら?」
「うん! 良いよ! 僕の得点で良ければ全部あげる!!」
「い、いや、さすがに自分の力で稼ぐわよ……」
タダでもらえるならもらっておきたい、と思わないでもないが、あまりに透がハイテンションなので美咲も軽く引いていた。しかしそこはプロのアイドル、すぐに表情を作り直し、CDにサインを書いて透に手渡す。
「はい。まあ一応敵同士なんだし? そのときはそのときで改めてよろしくね」
「感激だよーー!! 美咲ちゃんありがとう!!」
美咲の両手を包むように握った透は腕を上下にブンブンと振る。さすがに後ろの人の迷惑になってはいけないという理性的判断ははたらいたのか、ものの二、三秒で透も列を離れていった。
そして壁に寄り掛かるナツキを見つけた透は、おーいと手を振りながら近づいてきた。
「やあ。探したよ。こんなところにいたんだね」
「ああ、まあな」
やっぱりアイドルが関わらなければ爽やかでおっとりとした好青年だ。普段は同年代の男子しか目にしないナツキからすれば透の落ち着きにはある種の大人っぽささえ感じる。
「昨日言ったことは本当だったんだな」
「この試験のことかい?」
「ああ。昨日は俺と出会ったのに戦うことはしなかった。さっき美咲に言っていたこともだ。得点を全て譲渡してもいい、っていうのは本気だったんだろう?」
「うん、まあね。僕個人としては目的はもう果たせたから」
「そ、そうか」
そこまでファンとして美咲を想っているのか、と感心四割ドン引き六割な心中になる。そのとき、携帯電話の音が鳴った。ナツキはそれが自身の設定した音楽ではないのですぐに透のものだと判別できた。
「おっと、暁くんちょっと失礼するね」
そう言ってポケットからスマートフォンを取り出しナツキに背を向け数歩離れる。
「もしもし……ああ、そうなんだ。それは残念……うん、うん、わかった。ありがとう。いいや、きみだけでもよくバレずに抜け出したね。さすがは身代わりを作る能力だ。……ああ、わかった。うん。そこで落ち合おう。そっちは僕がなんとかするから。……それじゃあ」
聞き耳を立てるのも悪いと思い、ナツキは再度ファンに対応する美咲を見た。大したものだ。一人一人に対してきちんと違う言葉をかけている。笑顔は絶やさず、サインを書くペースもまったく落ちない。
「暁くん、申し訳ないけど僕はここで失礼させてもらうよ。僕の友人がちょっと警察のお世話になっちゃったみたいでねえ。ほら、ああいうのって身分を証明できる第三者とか迎えとかいるだろう?」
「物騒だな。大丈夫か?」
「あー平気平気。別に誰か被害者がいる感じのじゃないから。ちょっとした勘違いだよ。冤罪、的なね」
(大学生ともなるとそういうことあるんだな……)
ナツキの知る大学生は数年前の夕華や姉のハルカくらいのものなので、世間一般の男子大学生がどういう生態なのか想像つかない。ただ、たしかにニュースで酔って暴れる大学生をまれに見かけるので、そういう類なのだろうと思うことにした。
じゃあね~と透は地下スタジオを出た。ふわふわとした後ろ姿を見送る。
列はもう非常に短くなっている。この分だとあと十五分と言ったところか。
それからも美咲は手際よく、それでいて全員に全力に、一生懸命に応対していった。とうとう列は最後の一人になっていた。二十代か三十代くらだろうか。スーツ姿の女性だ。
「クスクス、一番最後になっちゃうなんて可っ哀想~」
「ええ、でもよかったわ」
「そうね。でも最後まで待ってくれてありがとう。……あんた、CDは?」
「ないわよ」
「え?」
様子のおかしい最後の一人に美咲も困惑する。その女性はかけていた眼鏡を外して言った。
「だってこのチケット、偽物だもの」
「キャァッ!」
「美咲ッ!?」
美咲の悲鳴を聞いてそちらを見やると、カバンから出したスタンガンを美咲の脇腹に突き立てる女の姿があった。