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第68話 ダカーポ~始めに戻る~

 チュンチュン、という小鳥のさえずりが私の目覚まし。白いレースのカーテンを勢いよく開ければ朝陽が眩しい。うーんと声を上げて伸びをする。



「昨日と違って朝から快晴ね!」



 ベッドの布団をしっかり畳んでリビングに行く。一人暮らしにしてはだだっ広い部屋。寂しさを紛らわせるために買ったサボテンがベランダにあるので水やりをする。



「う~寒」



 太ももの真ん中あたりまでしかないショートパンツとノースリーブシャツでは朝は少し冷える。身体をさすりながらすぐにリビングに戻った。

 リビングの中心に鎮座するテーブルやソファ。そうだ、昨日は初めて我が家にお客さんが来たんだった。

 ソファに座って縫い直したクッションに顔をうずめると、どこか安心感のある香りがした。



「……くんくん……これがあいつの香りなのね……」



 身体が熱い。ソファの上でごろんと横になる。ほんのちょっと時間だったけど、昨日は私が運んで(あいつ)はここで寝ていた。いま私も同じところで、あいつの匂いを嗅ぎながら……。



「……って、これじゃあ私が変態みたいじゃない!」



 変態は私じゃなくて(あいつ)の方だ。そう言い聞かせて首をぶんぶん振る。

 リビングの掛け時計が鳴った。ああ、ちょうど七時だ。

 キッチンに行き、冷蔵庫から透明なボトルを取り出す。前日の晩から準備していた野菜スムージーだ。暗い緑色のそれをコップに注いで、一気に飲み干す。


 

(うう……にがっ)



 美味しい物じゃない。腰に手を当てて身体を後ろに反らすようにして流し込んだ。

 いつもツーサイドアップにしている赤いロングヘアもほどいているし、ブラジャーもしていないから胸も揺れ放題。それに、苦い飲み物のせいで顔を顰めてひどい表情。

 こんなみっともない姿、ファンの子たちにも(あいつ)にも絶対に見せられない。



(でも裏でしてる努力は絶対に見せない。かわいくない姿も絶対に見せない。それがプロだもの)



 アイドルはどんなに苦しくても笑顔を崩しちゃいけない。ファンを不安にしちゃいけない。

 正直、歌って踊るなんて無茶に決まってる。プロのシンガーもプロのダンサーも片方だけを極めてそれでやっとなのに、その両方をステージで行おうなんて烏滸がましいにもほどがある。でもその無理を通すのが私たち偶像(アイドル)の使命でもある。


 リビングにマットを敷いて軽くストレッチとヨガをする。スタイルの維持も必須。どんなに立派なダンスをしても綺麗な身体でないとステージ映えしない。


 開脚したまま床にお尻をつけて、腕を頭の上で通し上体を捻って倒す。それと同時に息を深く吐く。

ちょっと痛いけどその姿勢で五秒キープ。なんだか二の腕がプルプル震えてるけど無視!


 そんな感じで十五分くらい。ちょっとした運動でも汗をかくので、朝シャワーを浴びる。本当は半身浴もしたいけど、それは時間のあるオフの日だけのお楽しみ。今日は火曜日で学校があるので我慢。


 ドライヤーで髪を乾かしているときだった。洗面所に置いていたスマホが鳴る。画面にはマネージャーの名前が表示されていた。なんだろう。



「もしもし?」


『美咲、おはよう。今日なんだけど、学校にタクシーを寄越した方がいいかしら? 悪目立ちするのが嫌なら電車で向かうルートもあるから時刻表とか乗り換えとか後で送るけれど……』


「ちょ、ちょっと待って。今日はお仕事ないはずでしょう?」



 当たり前だ。星詠機関(アステリズム)の試験に合わせて可能な限りお仕事もレッスンも日程をずらしてもらったんだから。



『何言ってるのよ。今日だけはCDお渡し会があるって伝えたじゃない。応募券からさらに抽選でふるいにかけるから人数はそう多くないって言ったら美咲がだったら大丈夫、って』



 あー……。たしかに何週間か前の私はそんなことを言ったかもしれない。いつもの自信満々な態度が裏面に出てしまった。



「うう……そうだったわね……。わかったわ。正門から少し離れたところにタクシーをつけておいてもらっていいかしら」


『ええ。了解したわ。それと美咲、髪を乾かすときはパンツくらい穿いた方がいいわよ』


「えっ!? なんでわかったの!?」


『だってマネージャーだもの。担当するアイドルのことは本人よりもよくわかってあげてないと』



 それじゃあ切るわね、と言ってマネージャーからの電話は終わった。今の事務所は自分にはもったいないくらい環境が整っている。マネージャーはもちろん他のスタッフさんも一緒にレッスンしている子たちも、みんなみんな私のことを大切に思っていることが伝わってくる。

 

 もっと頑張らなきゃ。私は大好きなファンのために、事務所のみんなのために、トップアイドルになるんだから。


 そしてそのためには……。



〇△〇△〇



「ナナさんも帰るなら帰るって言ってくれればよかったのにな」


「ナナは昔からそうよ。猫っぽい、って言うのかしら。自由気ままで、ふらっとやって来てはふらっといなくなって」



 結局、昨日ナツキが帰ってきたときにはナナはいなかった。一応夕飯は多めに作ったので、こうしてポテトサラダが今日の朝食になっている。


 ジメジメとしていた昨日一昨日とは打って変わってカラっと晴れた火曜日。せっかくの洗濯日和だが、放課後は美咲のお渡し会とやらに行かなければならないので外で干すときにはもう夜になっているかもしれない。


 テレビでは朝のニュース番組が放送されている。ちょうどエンタメコーナーで、音楽ランキングが流れていた。どの楽曲も世間ではヒットしているのだろうが、こういった歌謡曲には疎いのでよくわからない。



(鎮魂歌(レクイエム)とか狂詩曲(ラプソディ)とか輪舞曲(ロンド)とかは詳しいんだがな)



 音楽用語はかっこいいカタカナ語が多いので中二病としては義務教育である。他にもアリアとかダカーポとかセレナーデとか。

 

 順位が上っていけば知っている曲が出てくるだろうか、などと考えたが特にそういうこともなく。第二位まできたがまったくピンとこない。


 しかし、第一位、と若い男性アナウンサーが元気よく紹介し始めたその楽曲は聴き覚えがあった。



『第一位は、雲母美咲さんでサマーホワイトパウダーでした! 発売から二週連続の一位ランクインとなります! 梅雨の陰鬱とした気分を吹き飛ばす、とても軽快で明るい楽曲は十代、二十代を中心に絶大な支持を得ています。夏が待ち遠しい、SNS上ではそうした意見が多く寄せられていますね!』



 すぐにわかった。あの出会った日、美咲が空き教室で練習していた楽曲だと。

 相変わらず平凡な詞に平凡な曲。その評価はテレビで流れているミュージックビデオを観ても変わらない。同様に、美咲の高い表現力と歌唱力もあのときと同じで疑いなく本物だった。



「芸能活動をしながら学業も疎かにしないなんて雲母さんはすごいわね」


「夕華さんでも知っているということは美咲ってやっぱり有名人なのか?」


「美咲?」



 夕華が冷たい視線をナツキに送る。ナツキが他人を、それも年齢の近い異性を下の名前で呼ぶなどめったにない。それに歳が近いといっても、仮にも相手は同じ中学校の先輩。多少の知り合い程度なら相応の呼び方をするはずだ。それなのにどこか親しげ。怪しい。夕華の女の勘がそう告げる。

 夕華のジト目に耐えかねたナツキが言い訳をする。



「い、いや、向こうの方から絡んできてだな。俺としては別にアイドルなんて興味なかったんだが……」


「『なかった』ねえ……。そう。過去形なの」


「うっ……」


「はぁ。まあいいわ。私としてもナツキに友達が増えるのは嬉しいことだもの。ナツキが学校にいる時間を少しでも幸せだと思ってくれるなら私も幸せな気持ちになるわ」


「それは教師として?」


「両方よ」



 教師以外に何を指して両方なのか、という野暮なことは尋ねない。

 夕華は食べ終えた朝食の皿をキッチンに下げながら言った。



「でも雲母さんがすごいのは本当よ。たぶん定期試験で学年トップ十位から落ちたことはないんじゃないかしら。それに、ほら、色々あって事務所の移籍やソロデビューがあったでしょう。去年はかなり大変そうだったわ」


「ふーん、そうなのか」



 事務所の移籍にソロデビュー、か。あまりアイドル業界には詳しくはないがそういうのはよくある話なのだろうか。

 音楽どころかもはや芸能界そのものに疎いナツキにはそれがどれほど大変なことなのか想像がつかない。



「というか、夕華さん詳しいんだな。去年も一昨年も今の三年は担当学年じゃなかっただろう?」


「私の担当学年なんてよく覚えてたわね……。職員会議でね、議題に上がったことがあるのよ。雲母さんが少しでも芸能活動に専念できるようにって。お仕事で授業を欠席するのは仕方ないとしても、例えば効率的に復習ができるようなプリントとか問題集とかを各教科の先生たちが手作りする、みたいな形でね」


「英語科で夕華さんも関わっていたのか」


「ええ。だって、一生懸命に頑張っている生徒を放っておくことなんてできないもの。私たち教師は生徒のみんなの今後の人生を一生背負ってあげることはできない。でもこれからの人生を自分一人で背負えるくらいに強くなるお手伝いならできるわ」



 てっきり若い新米教師だからとプリント作りなどの雑用を押し付けられたのかと思ったが、杞憂だった。

 自分が好きになった空川夕華という女性はそういう人間だ。あまり人前で表情には出さないが、どこまでも生徒想いで優しい人。昔から変わらない。



「そうか。そうだな。夕華さん、ありがとう」


「なんでナツキがお礼を言うのよ」


「なんとなくそういう気分なんだ」


「なにそれ」



 クスリと夕華が笑う。


 もっと生徒の前でも笑えばいいのに。そうすればあなたの想いも努力も生徒たちにちゃんと伝わるのに。

 と、思っていても口には出さない。いつだったかクラスメイトの男子が言っていた。空川先生はクールだと。たしかにそうだ。学校ではほとんど笑わず、ややもすれば怒っているようにすら見えるかもしれない。


 それでも胸の内に秘めた生徒たちへの想いは誰よりもホットだ。みんなが気が付かないなら自分だけはよく見てよく気が付こう。誰も感謝しないなら自分が感謝しよう。



(だって、きっと夕華さんは感謝されたくてやってるわけじゃないだろうからな)



 だからこれは自己満足だ。しかし自己満足上等である。中二病が自己に満足せずして他に誰が満足する?

 そんな中二な自己愛が今日だけは不思議と誇らしかった。

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