第66話 偶像崇拝
「ククッ……今のは効いたな……」
倒れるナツキはゴロンと寝返りをうち、あおむけになって空を見上げる。美咲の能力のおかげで夏馬を撃破できたものの、それは同時にナツキ自身も同じだけのダメージを受けたことを意味していた。
頭はクラクラと、耳はキンキンと、意識はフラフラと。強烈な音波を身体に鼓膜に神経にくらい、起き上がる体力もない。
「ちょっと! 暁、大丈夫!?」
「いいや、大丈夫じゃなさそうだ……明けの明星が明滅しているのが見える……」
「まだ夕方なんだから見えるわけないじゃない! 待ってて、救急車を……」
「よせ……」
「なんでよ! あんた死にかけじゃない!」
「バレたらマズいだろ……」
(病院になぞ搬送されたら必ず自宅か緊急連絡先の夕華さんの携帯電話かどちらかに連絡がいく。ただでさえ退院したばかりなのにこれ以上は夕華さんに心配かけることはできない……)
「ばか、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
(たしかに私の自宅の情報がファンの人たちにバレたら大変なことになるわ。でも自分の身体が大変なときにまで私のことを気遣うなんて……)
音波攻撃は脳や神経にくる。うまく頭が回らず言葉が出てこないナツキ。二人の間に表現の齟齬が生じていた。
(なんか最近、頻繁にぶっ倒れている気がするな)
無能力者が能力者たちの戦いに混じってその程度で済んでいること自体が奇跡のようなものなのだが、ナツキとしては能力者の存在を知ったのは今日が初めて。スピカや英雄も能力者ではないかという考えにはまだ至らない。
ここ数週間で何度目かの気絶、ナツキは諦めて意識を手放した。
〇△〇△〇
「はぁ、はぁ、なんで、私が、こんなことを……」
息切れした美咲はぐったりとした顔で床に倒れ込んだ。
リビングのソファではナツキが眠っている。自宅前で倒れた彼の腕を肩にかけて、自宅まで引っ張ってきたのだ。歌って踊れるように体力づくりをしているとはいえ、意識のない人間は脱力していて運ぶには随分と骨が折れる。
美咲は救急箱や水の張った洗面器とタオルを持ってきた。何度も地面を転がったのでナツキの学ランは泥だらけだ。ソファが汚れる分には買い替えれば済む話なので気にしないが、寝ているとき詰襟を着ていては首元が窮屈だろう。美咲はナツキのマフラーをほどき、学ランの金色のボタンを一つずつ開けていく。
手や顔の汚れを濡らしたタオルで拭いていき、手首には湿布を張る。擦りむいていたところはガーゼを当てながら傷薬を塗り絆創膏を貼った。
「うっ……」
傷に染みたのか呻き声を漏らすナツキ。美咲が心配そうに見下ろす。
「ど、どこか痛いの?」
「せ……背中……」
(そういえば夏馬誠司から私を庇って、そのまま転がったんだっけ……)
そのときに背中を強く打ちつけたのかもしれない。打撲は早く処置しないと青アザになってしまう。
(何度もダンスレッスン中に床にぶつかってケガしたっけ)
自身の経験から打撲傷について詳しい美咲がナツキの背中に湿布を貼ってやろうという考えに至ることに何の不思議もない。
意を決し、学ランの下の白いワイシャツのボタンにも手をかける。ワイシャツの下には白いランニングシャツを着ているようなので、それもめくり上げた。
(あとは暁をひっくり返してうつ伏せにしたら背中が見えるわね)
だが。ひっくり返す前。あお向けで上裸になったナツキを美咲はしみじみと見つめていた。
(これが私を庇ってくれた男の子の身体なのね……きゃっ、意外とカタい……!)
初めて見る親以外の異性の身体に興味を示した美咲はナツキの腹筋をなぞるように指先でまさぐった。ツンツンとつついたり、ぐりぐりと回したり。
健康的な身体作りはアイドルにも必須で、ムキムキにするわけではないが軽い筋トレもする。専門のトレーナーやジム、器具などを事務所が保有しているのだ。それくらいしないとステージ上で何曲も歌いながら踊り続けることなどできない。
故に、ある意味で機能美への興味、という側面が強かった。美咲としては下心があるわけではなく、先ほどの夏馬との近接戦闘を見てナツキの洗練された肉体に興味がわいていた。
もっと詳しく観察したい。
その一心で、ソファで横になるナツキに馬乗りになり手のひら全体を使いながらナツキの素肌を触っていく。腹筋を起点にし、脇腹、肋間筋、そして胸筋。ナツキの胸に倒れ込みそうなほど近づいて、身体をこねくりまわす。
「……何してるんだ」
「へ?」
上半身がスースーして寒い。それが覚醒を促した。
目を覚ましてみれば、美咲が赤いツーサイドアップを振り乱しスカートがはだけるのも気にせず騎乗位になってペタペタと腹や胸を触っている。前かがみになってこちらに倒れこんでいるので、美咲の胸がナツキの腹に当たって潰れて形を変えていた。
まったく意味のわからない状況。
「ち、ちちちちち違うのよ! 別にあんたの身体になんて全っ然興味ないんだからっ! 変態!」
顔を真っ赤にしてぶんぶんと腕を振り、違う違うと主張する美咲に溜息が漏れる。
「わかっている。手当してくれていたんだろう?」
「そ、そうよ! 感謝しなさい! あの雲母美咲が直々に看病してあげたんだからね!」
「ああ。それについては感謝する。だが、その、降りてくれないか? 色々と当たっている……」
ナツキに跨る美咲は自身の、そしてナツキの下半身をゆっくり見つめる。そして再び茹でタコのように赤面しながら急いで離れるのだった。
〇△〇△〇
「俺の得点も九〇から一〇〇に戻っている。美咲の得点が今朝の俺との戦闘も合わせて六九から八九になっていることを踏まえると、夏馬誠司を倒した判定は俺と美咲の両方に入ったことになるな」
「え、ええ。そうね。……うぇ、にが」
だったらブラックコーヒーなぞ飲まなければいいのに、と思うが口には出さない。
あの後きちんと背中に湿布を貼ってもらい、そのついでに今後の相談をすることになった。美咲が茶菓子を持ってきて、何か飲み物を用意してくれるというので希望はあるかと言うからブラックコーヒーと伝えたら何故か張り合って美咲も同じものを自分で用意し……。その結果がこれである。
テーブルの上にある透明なシュガーポットを無言で美咲の方へと押し出す。こういうのは見ないふりをするのがマナーだろう。なんとなく、無理をしてでも人前でカッコつけたい気持ちはわかる気がした。他ならぬ中二病がそういう生き物なのだから。
「そ、それにしても美咲も上位半分に入れてよかったじゃないか。この状態をキープできれば合格なのだろう」
二人が手首に装着しているスマートウォッチの画面上では、地図に二つの赤い点が重なっていた。この場にいるのはナツキと美咲の二人、つまり美咲も八九点というスコアで上位半分に入れたということだ。
それもこれも夏馬が他の上位得点者を軒並み倒して十点ずつ削ってくれていたからなのだが。なお、美咲邸の前で伸びていた夏馬の姿はいつの間にかなくなっていた。地図上の赤い点がないことからも、間違いなくここから立ち去ったのだろう。乗ってきていた迷彩柄のジープも同じくなくなっていた。
「筆記の点数が爆死してたときはどうしようかと思ってたけどなんとかなりそうで良かったわ」
「そうだな」
コーヒーを一口飲み、クッキーを一枚いただく。
「ねえ暁。私、あんたにお姉さんのコネだとか無能だとか言っちゃったでしょ。その……ごめんなさい!」
いきなり頭を深く下げてきた美咲の姿に思わず面食らう。
昔から『魔法も超能力もあるわけないだろう』と周囲から言われ続けてきたナツキとしては無能力者扱いされることには慣れていたし、姉のツテで受験したのもまた事実なので、どちらも目くじらを立てるほどのことではなかった。
美咲の頭に手を置く。炎のように赤い髪は、しかし触れてみると繊細でキメ細かい。
「なに、気にするな。それにさっきも言っただろう。アイドルとしてファンの笑顔のために演じるべき姿があるなら、それを貫き通せ。良いじゃないか、ドSキャラ。俺も嫌いじゃないぞそういうの」
中二病もにアイドルも似たようなものだ。
憧れる自分、理想の自分。なりたい姿を思い浮かべて、人前でその言動を演じきる。故にこれは『演じる者の先輩』としてのナツキなりの励ましとエール。
美咲のような言動をする少女ををメスガキと言うんだったか、とネットで見た知識を辿る。たしかに最近はアニメでもそういうキャラが多いし、アイドルファンへもウケが良いのかもしれない。嫌いじゃないというのも一応は本心だ。
顔を上げた美咲は驚いた表情を浮かべるが、すぐに綻ばせた。
「クスクス、何それ。バカみたいでおっもしろーい! ………………あんたって奴は、もう、ホントにおもしろいのね……」
(最後なんて言ったのかよく聞こえなかったが……。まあアレだな、アイドルと中二病に一つ違いがあるとすれば)
それは誰のためにそのキャラクターを演じるか、ということ。
中二病は自分のためだけに憧れの自分になる。アイドルは自分自身はもちろんファンのために憧れの自分になる。
(ククッ、俺なんかよりもずっと凄い奴だよお前は)
なぜだか嬉しそうな、幸せそうな、そんな朗らかな表情を浮かべている美咲を眺めながらそんなことを思うのだった。
〇△〇△〇
「そうなると、だ。下校時に話していた俺と組むって話はなしになるな」
「え? なんでよ」
「あれは美咲が楽して他の連中を見つけるために、地図上に表示されている俺という存在を利用するって腹だったんだろう? それを画策していた当のお前が上位者になって同じように地図上に表示されているんだから、俺と一緒にいなくたって敵は向こうからせっせてやって来るはずだ」
「うっ……バレてたか……。そうね。正直言うとその打算が九割、いいえ、十割だったわ!」
(全部かよ)
「でも気が変わったわ。さっきと同じ言葉を改めて言うわね。暁、私と一緒にいてくれない?」
「ククッ、ならば俺もまったく同じ言葉で返そうか。その提案、乗ってやる」
「ホント!?」
「ああ。闇夜の眷属は決して血の盟約を違えない。あと五日半、この俺が一緒にいてやる」
「そ、そう。まあ当然よね! 大人気アイドルのこの雲母美咲と一緒にいられて嬉しくない男がいるわけないものね!」
「ああ、さっき美咲も言っていたしな。恋愛的な意味じゃないから勘違いするなと。わかっている。美咲のような芸能人では、表を歩くにしても色々と行動の制約があるだろう。表立って能力を使えないような場面で強襲を受ける可能性もある。まあなんだ、護衛というわけではないが、しばらく近くにいてやる」
「べ、別にそこは勘違いしちゃってくれてもいいっていうか、ていうかむしろ勘違いしてほしって思ってなくもなくもなくもないというか……」
「ん? 何か言ったか」
「な、なんでもないわよ!」
「偶像がしっかり口を開けて喋らないでどうする。ファンが離れるぞ?」
「うっさいバカ!」
「ぶふぉ!? ……おい! クッションは顔に投げるものじゃないぞ! ……これは、天界から舞い降りた熾天使の翼?」
「ああーーっ! クッション破れて中の羽毛が出てきちゃったじゃない!」
「投げたのはそっちだろう!」
「うっさいバカ! アホ! 変態!」
「なっ……俺は変態じゃない!」
「バカとアホは否定しないの?」
「…………」
「…………」
「ぷっ……アハハハ、ほんっとあんたっておもしろいわね!」
「ククッ、お前の方こそ。偶像の美咲も嫌いじゃないが、実像の美咲もかわいいじゃないか」
ソファに置いてあったクッションは見るも無残な姿となり、ナツキと美咲の間には純白の小さな羽が雪のように舞い上がっている。そしてその真白な景色の中で見る美咲は、真っ赤な髪が映えてとても綺麗だった。だから、ナツキつい変なことを口走ったのだ。
かわいいと言われた美咲はつい無言になる。ファンからも他のアイドルからも事務所の大人からもずっと言われ慣れている『かわいい』という言葉なのに、どうしてこんなに胸の奥が甘酸っぱいのか。
おかしな空気の原因が自分にあると気が付いたナツキは上ずった声で逃亡を宣言する。
「い、いやあすまない。ククッ、アイドルの美咲ならそんなこと言われ慣れているよな。そ、そろそろ暗くなるしお暇させてもらおうか。コーヒーとクッキー、美味しかった。それじゃあ!」
床に畳んで置いてあった学ランとマフラーをひったくるようにして手に取り、急いで美咲邸を出た。
リビングにひとり残された美咲はぺたんと女の子座りでへたりこむ。突如訪れた静寂のなか、美しいツーサイドアップの髪に負けないくらいに顔を赤くして、呟いた。
「……もう、バカ……」
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