第63話 聖剣なんていら……いる
「ふーん。初日から面白い結果になってるね」
星詠機関日本支部の屋上の端に腰を下ろしたナナは、夕陽を眺めながら地上七十メートルの位置で足をぷらぷら揺らし手元のタブレットを眺めた。
画面上の表には現在の所持得点順で全二十三名の名前と得点が書かれている。表のひとりひとりの欄は等級に対応した色塗りがされており、ざっくりと能力の強さも比較できるようになっている。
一等級の赤、二等級の青、三等級の紫、四等級の黄、五等級の緑、六等級の橙。
といっても今回の試験に二等級以上の者は参加していないのだが。つけたすならば、何も色が塗られていない者が一名。そう、無能力者のナツキである。ただし登録名は『黄昏暁』なので表でもそのように表記されている。
さて、上は三等級から下は無能力者まで。能力の強さにのみ着目した場合かなり幅があり、必然的に上位の能力者であるほど有利だろう。
だがしかし。表上のトップ二名は以外な者たちだった。
現在第二位、所持得点:九〇、黄昏暁。無能力者。
現在第一位、所持得点:一八〇、夏馬誠司。六等級。
参加者の中でも特に能力が貧弱な二人が上位を独占している。夏馬にいたっては当初の宣言通り地図で位置を確認できる上位半分を一人ずつ撃破していっており、十一人から夏馬本人とナツキを除いた計九人が既に夏馬に敗北している。初日にして得点を九〇から一八〇へと伸ばしていた。
夏馬はこのままあと五日間サボり続けて五〇点を削られても一三〇点残る。正直なところそれだけのアドバンテージがあればほぼ通過は決まったも同然だ。とはいえ初日に上位半分を全員倒せばこの減点を回避できるとナナ自身が約束しているため、もしこのまま夏馬がナツキを撃破すれば一八〇点がキープされる。
画面を指でスライドするとページが変わり、表から地図になった。そこでは赤い点がもう一つの赤い点へと急接近している。ナナはナツキのことを思いながら呟いた。
「だからって負けるなよ、暁……」
ビルの屋上から飛び降りたナナは落下しながら空中でテレポートし姿を消した。
〇△〇△〇
「ほう、俺の名を覚えていたか。律儀な男だな」
ナツキ眼帯を付け直している。故に美咲以外の全員からは無能力者と思われているはずだ。にも拘わらず夏馬は一切油断せず侮らずナツキにも相対していた。美咲が苦笑いを浮かべる。
「あんな喧嘩売るような真似しておいて忘れろっていうほうが無理な話よ」
「そうだな。挑発の意図があったことは否定しない。しかしそうすることで俺と戦いたいと思う者が増える方が俺としては手っ取り早い。どうせ俺が勝つのだから時間をかけるのは無駄だ」
浅黒い肌に剃り上げた頭。岩のような体躯。夏馬には発言を裏付けるだけの巨大なオーラがあった。ナツキと美咲の二人は威圧感を肌で感じる。
夏馬は腰の後ろに手をやって『それ』取り出した。
『それ』の持ち手は銃。銃身の部分は長さにして五十センチ近くあり、それでいて弾やリボルバーを入れるほどの太さもなければ撃鉄が収まるほどの厚さもない。板のように薄い銃身以上に特徴的なのは銃頭に張られたワイヤー。『それ』は銃身とワイヤーが交差する見た目からこのような名を冠された。
(クロスボウか……!)
「本当は銃の方が扱いには慣れているのだがな。いかんせん銃刀法に触れてしまう。少し痛いだろうが致命傷になるところは狙わん」
既にワイヤーの弦には矢が番えられていた。
弓矢以上に高威力、かつ銃火器ほど扱いに専門知識がいらない手軽さ。二十世紀の初頭までは実戦において使用されていた。
夏馬はまるでスナイパーが狙いを定めるように脇を閉めながらクロスボウを持つ両腕を上げ、持ち手に顎を乗せる。細めた目の視界にはナツキと美咲が映る。
(番えられた矢は一本。狙えるのは俺か美咲のどちらか一方のみ、か……)
極限まで引かれて張りつめられた金属ワイヤーの弦。夏馬が引き金を引くやいなや、ワイヤーは弛み、長さにして三十センチはあろうかという金属製の矢が放たれた。
鏃は空気を切り裂き、凄まじい速度でナツキたちを襲う。狙いはナツキか、美咲か。
(ど、どうしよう……)
生まれて初めて見る、人を害するためだけに作られた武器。美咲は足がすくむ。動けない。
頭ではわかっていたし覚悟もしていた。星詠機関に入るということは、自由を得る代わりにいくつもの危ない目に遭うだろう、ということを。
銃や刃物はもちろん、凶悪で残忍な能力者が自分より遥かに強大な能力を振るってくることもあるだろう。怪我だってたくさんして、もしかしたら取返しのつかないことに……死んでしまうことだってあるかもしれない。
もし実際に入ることになっても、自分ならそれくらい耐えられると思っていた。でも今の自分はどうだ。相手がこちらを死なせまいと気を遣っている状況でさえ、身体が震えて動けない。
当たり前だ。どれだけ頭で理解して自分に言い聞かせても、実戦の肌を刺す濃厚な死や害意の気配は普通の生活を送ってきた一般人にとって平気なわけがない。
たしかに美咲は芸能人だ。いくつもの大舞台を経験し、尋常でない緊張感を乗り越えてきただろう。ナツキに対してそうであったように能力者と戦う際も肝が据わっていた。だからと言って、本物の命の奪い合いを経験してきた者が放つオーラに当てられていつも通りでいるなんて不可能。
美咲は音楽が好きだった。アイドル歌手という仕事だからでも音に関する能力を持っているからでもない。どんな音にも誰かの想いが籠っていて、世界にあふれるたくさんの音を自分の耳で聴き、読み、味わうことが好きだったのだ。
でも空気を裂いて自分のもとへと迫る矢から鳴る音は、ひどく冷たかった。あんまりだ。どんなにこの音に触れようとしても、自分を痛めつけ打ち倒そうとする意思しか感じ取れない。
(だめ、怖い……)
ここで夏馬に敗れても死にはしないし、持ち点が十点減らされるだけだ。それも一等級(と思っている)という強大な相手から偶然拾ったラッキーな十点。ここで痛めつけられるくらいならそんなもの失ってもいいじゃないか。
いいや。自分には目的がある。どうしても星詠機関に入らなければならない理由がある。だったら、持ち点で不利な自分がそんな簡単に諦めて失点していいわけがない。
相反する二つの気持ちが美咲の心中でぶつかりあい、ふくらみ、思考を奪っていく。
避けろ、避けろ、避けろ、目の前まで矢が迫っているぞ。
そんな脳のSOS信号も受け付けない。足が動かない。
怖い。怖くない。痛いのは嫌だ。失点は嫌だ。避けろ。どうやって? わからない。何もわからない。
取り留めもないことを考える間にも、どんどん矢は近づいてくる。近づくにつれ恐怖が大きくなる。恐怖が大きくなれば頭の中はもっと混乱して、もっと頭の中がぐちゃぐちゃになる。その間にさらに矢は迫る。恐怖が大きくなる。混乱する。矢が迫る、恐怖が……。
最低な悪循環。
兵士や戦士であれば真っ先に何を優先すべきかという『切り捨ての思考』を身に着けるが、所詮は能力をもった一般人でしかない美咲にそんな技術は望むべくもない。
(ああ、そうよ、矢は一本なんだから、私じゃなくて暁が撃たれたらいいんだ……それがいいわ……その隙に私は逃げて、それで……)
結果的に、誰かに押し付けて現実逃避するという安易な方法に逃げてしまう。だってその方がラクだから。
少なくとも自分はこの恐怖と苦悩から助かるから。ああよかった。全部うまくいくじゃないか。
美咲の翡翠のような緑色の瞳から光が消えていく……。
そんな美咲を隠すように、一つの人影が立ちふさがった。
「はぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」
人影の正体はナツキ。一歩大きく踏み込んで、閉じられた傘を下から斜め上へと逆袈裟に振り抜く。さながら傘で代用した抜刀術。
黒い傘によって横薙ぎに払われた矢はナツキたちから遠く離れた地点に落下し、カランカランとアスファルトに金属が転がる音が響いた。
「あんた、どうして……」
「ククッ、中二病にとって雨傘は剣なんでな」
傘を肩に担いだナツキは後ろの美咲に振り向いてニヤリと笑った。