第60話 本当に能力者は実在する
美咲の緑色の瞳が淡い光を帯びる。
エメラルドを思わせる翡翠の眼。それはすなわち五等級の能力者の証明。
美咲が手を叩くと同時に、旧校舎の窓ガラスが甲高い音を立てて割れていく。美咲のいる地点から順に、放射状に遠ざかるようにバリン! バリン! バリン! ……と一枚ずつ。
猛々しく舞い上がる彼女の赤い髪は燃え盛る炎を思わせる。
(窓が割れた!? 外からか!?)
本当に能力者がいるなどとは思っていないナツキがそう判断したのは、割れた窓ガラスが廊下に、つまり手前に飛び散っていたからだ。普通は内側から割れば破片は外側に、逆に外側から割られれば破片は内側に飛び散るはず。
直後、脳みそがグワングワンと揺さぶられた。平衡感覚を狂わされたナツキは頭を押さえたまま膝を突く。
窓ガラスにもたらされた現象と自身の身体の状態。二点を結びつけ、ナツキは一つの解を導き出した。
「これは……超音波か…………」
絞り出すように呟いたナツキの苦しそうな姿。美咲はそれを見下ろし、一拍を置いてからにんまりと笑った。
揺れる視界の中でも、その妙な間に違和感を抱く。
「クスクス、みっともないわね。無能力者の分際でさっきまでイキっちゃってたのにださーい。私の能力がわかってもあんたには何もできないものね!」
「能、力……?」
割れた窓から叩きつけるような雨が入ってくる。 学ランを通して染みてきたその雨水がナツキの皮膚を冷やす。
耳を通して頭を劈くような痛みが消えることなく迸り続けている。今にも頭がかち割れてドロドロと脳みそがこぼれ落ちそうだ。
美咲は降りかかる雨も気にすることなくナツキのもとまで歩いてきた。見下ろした美咲が言う。
「負けを認めなさいよ。そうすればたぶん決着がついたって判定されてこの機械が色々と通信してなんやかんやしてくれるはず」
(や、やっぱり機械音痴なんだな……)
なんやかんやってなんだ。突如襲い掛かった謎の現象や痛みに苛まれながらもついツッコミを入れてしまう。
ナツキはフラつきながらも懸命に立ち上がり、不敵に笑う。
「私の目的は点数だけなんだから。別にあんたを痛めつけたいわけじゃないわ。だから……」
「お気遣いどうも。ククッ、だが……こんな面白いものを前に見ているだけなんてできるわけがないだろう!」
目の前で起こるまったくの意味のわからない現象。自分の頭脳では解明できない非科学的かつ理解不能な出来事。
そう、それはまるで長年ナツキが夢見てきた本物の超能力のようで。
「そう……。残念だわ。じゃあ、やられちゃえ!」
美咲はその緑色の両眼で、窓から廊下に入って来る雨の雫を見つめる。降り注ぐ雨粒が廊下に触れた瞬間、床の木板を捲り上げながらナツキは壁に叩きつけられた。
「ぐはっ!」
壁で大の字になったナツキはほどなくして力なく床に倒れた。うつぶせになりピクリとも動かない。
美咲が自分のスマートウォッチの画面をタップすると地図からデジタル数字盤に切り替わる。そこに書かれた『六九』の数字。忌々しいほどに低いそのスコアは朝起きたときから変化がない。勝ったら相手から十点奪えるはずなのに、そうなっていない。
つまり、ナツキのスマートウォッチは依然として彼のバイタルを正常なものとして見做しているということ。
美咲は膝を高く上げ、うつぶせのナツキの後頭部に狙いを定める。足裏で踏みつけてやろうとしているのだ。鼻の骨くらいは折れるかもしれないが死にはしないだろう。
しかしそんな自分の行いから目を背けるように美咲はぎゅっと目を瞑る。
(能力を使うんじゃなくて、私が直々に手を下す。これが私の、この試験への覚悟……!)
勢いよく振り下ろされた美咲の足。いまにナツキの顔は床にめり込み戦闘不能になるだろう。
一秒。二秒。三秒。
おかしい。いつまで経っても足裏に人間の後頭部の感触はない。いいや、それどころか自分の足首を掴む五本の指。
美咲はおそるおそる目を開ける。
そこにいたのは、振り下ろされた美咲の足首をうつぶせのまま力強く握りしめるナツキだった。
〇△〇△〇
(ククッ、クククククッッ!! 最高だ! 間違いない! それ以外に考えられない! 説明がつかない!美咲は本物の能力者だ! 俺の妄想は妄想じゃなかった……! 現実だったんだ。異能力による超常現象。能力バトル。心理戦に駆け引き。この世界には実在する。本当に能力者は実在する!!)
脳内では尋常でないほどのアドレナリンが分泌されていた。当然だ。長年の夢、というよりも夢想、それが現実になっているのだから。たかだか身体の痛みくらいでそんな幸福な瞬間を手放してなるものか。
空気を押しのける音が聞こえる。ああ、俺の頭を踏み抜こうとしているんだな。感覚が今までにないほど鋭敏になっている興奮状態のナツキはすぐに察知した。
故に、顔を上げるまでもなく美咲の足を受け止めた。見えなくてもわかる。視認の時間すらもったいない。
(なあ、俺)
こんなところで這いつくばっていていいのか?
よくない。せっかく目の前に本物の能力者がいるんだから。その能力をもっと振るってくれ、もっと見せてくれ。もっと、もっとだ。もっともっともっと!
(……俺の妄想が妄想じゃないって、それを全身全霊で教えてくれ!!)
ナツキは握った足首を強引に押し返す。たたらを踏みながら美咲が数歩後退した隙に立ち上がる。
まだフラつくが関係ない。口元は笑いを抑えきれずにんまりとつり上がってしまう。ナツキは自身の右眼を隠す眼帯をひったくって放り投げた。
煉獄を象徴する赤い右眼が晒される。
「くっ……無能力者のくせにしぶといのね…………ちょっと待って、あんた、その右眼……」
後ずさった美咲は真正面からナツキの眼を、右眼を見つめる。真っ赤な真っ赤な右眼。真紅の右眼。
赤が示すのはたった一つ。能力者の頂点。最強にして最恐。ヒトに身に収まり切れないほどの超越的な力。歩く災害。他者の追随を許さないほどあまりに圧倒的な存在。
「ククッ、改めて自己紹介させてもらおうか。俺は神々の黄昏を暁へと導く者、黄昏暁。右眼に封じられた煉獄の箱庭の炎が世界の終焉を焼き尽くす……!」
何も恥じることはない。何も笑われる必要はない。ナツキは今まで自分を嘲笑してきた同級生たちを一人ずつ思い出し、頭の中の煉獄の炎で焼き尽くしていく。だって、本当に『能力』は存在するのだから。
美咲とて自分より高位の能力者に今まで会ったことがないわけではない。その中にはナナのような三等級もいたし、人生で一度だけ二等級の能力者を見かけたことだってある。
しかし、この体験は初めてだった。片眼とはいえ間違いなく赤。そんな赤い眼で見つめられては、芸能界でいくつもの大舞台を経験し常人より肝が据わっている美咲とて思わず足がすくんでしまう。それはなぜか。
人は赤い瞳の能力者に最大級の畏れと敬いを込めてこう呼ぶからだ。
『一等級』と。
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