第6話 真珠星
鼻歌で流行の音楽のメロディーを奏でながら、一人の少女が楽しそうに大通りを歩いていた。雑多な人込み、喧噪の中、リズミカルに動いている彼女の身体に合わせて腰まである白銀の長髪が揺れる。
ニューヨーク、マンハッタン。
世界の文化と経済を牽引するこの大都市にはあらゆる欲望が渦巻く。高層ビルにはいくつものモニターが設置され世界音楽ヒットチャートが流れており、ブティック、レストラン、書店や雑貨店に至るまで、世界の最先端が集結していた。
彼女は徐に立ち止まり、ワンピースドレスを着たマネキンに、バッグ、つばの大きな帽子、ネックレスが立ち並ぶショーウィンドウを眺める。店はレンガ造りの木看板でやや古めかしい。ペンキが擦れてところどころ剥離している。しかし飾られているものはどれも煌びやかで、最新の流行を的確に押さえていると言えるだろう。慣れた者はそういった情報からその店の主の技量やセンスを推し量ることができるわけだ。
しかしそれらの装飾品には目もくれず、少女はガラスに映る自身を見つめて満足気に言った。
「うん、今日も私は最高に綺麗ね」
大勢の通行人が、カフェでモーニングコーヒーを味わっていた客が、或いは運転席から顔を覗かせたタクシーの運転手が、皆そろいもそろって見惚れていた。
黒いハイソックスに黒いミニのフレアスカート、黒いローファー。そして黒いブラウスと黒いブレザージャケット。はっきり言って彼女の服装は黒一色でシンプル。言葉を選ばず表現するならば地味なのだ。
しかしながら。モデルのようなポーズをとっているわけでもないというのに立ち姿はこのファッショナブルかつ情報が氾濫する街においてもなおとりわけ際立っている。地味で真黒なコーデだからこそ、ダイヤモンドのように煌めく白銀のロングヘアやシミひとつない処女雪のような肌の美しさが一層目立っているのだ。
気が付いていないのか単に慣れているだけなのか。そんな周囲の熱い視線など一切気にも留めず彼女は店舗の中へと入って行った。
入店を知らせるドアベルを聞きつけた若い女性店主が奥から出てきた。若いと言っても、化粧っ気はなく、ところどころに予備のまち針が刺さっている野暮ったいエプロンにカーキ色のチノパンツ。小洒落たアパレル店員というよりも、一日中ミシンと布と糸と針と向き合っている職人のような出で立ちだ。
「ごめんなさい、ちょうど生地の裁断をしていたところなの。それにしても綺麗なお客様だわ。あなたならうちの店のどんな商品も似合うわね」
にこやかに笑いながら、少女はちょこんと首を傾げて店主の目を見据えた。
「そう言えば刃物を持って近づいても不自然じゃないと思った?」
身体の後ろで裁ちバサミを握っていた店主はわずかにビクッと震えたが、ハサミを見せるように腕を突き出しながら瞬時に困った表情を作った。
「あら、怖がらせちゃったわね。うふふ、お客様を不安がらせるなんてお店を預かる立場としては失格だわ」
店主はエプロンのポケットへと静かにハサミを仕舞い込んだ。少女は笑みを引っ込めて急に無表情に変わった。
「下手くそな芝居打つのやめなさいよ」
一秒にも満たないわずかな沈黙。
バンッ!!
一瞬のことだった。店主は苦虫を潰したような顔をしながら、エプロンのポケットから拳銃を取り出し、両手で構えて少女に発砲したのだ。
少女は踊るようにくるりと回りながらステップを踏み、銃弾は彼女に当たることなく後ろにある店のショーウィンドウを粉砕した。マネキンごと貫通しながら甲高い轟音とともにガラスが砕け散り、歩行者たちの悲鳴や絶叫がこだまする。歩道いっぱいに散らばったガラス片が日光を反射してきらきらと光る。
抵抗や反撃をしないばかりか武器を持っている様子もない少女に、店主の女は一気呵成に畳みかける判断を下した。
それゆえの異能力の行使。
店主の眼が仄かな緑色の輝きを帯びる。すると、少女の頭上にある吊り照明が引っ張られるように落下した。漏斗型のこの照明、重さにして数キログラム程度のものだろう。しかし尖った金属が天井の高さから人為的な力により重力以上の加速度で人に落下した場合、なおかつ電球のガラス部分が砕けた場合、人体への殺傷能力は格段に高いものとなる。
まさかいきなり天井から照明が落ちてくるとは思うまい。仮に気が付かれても構わないように銃を再度エイミングする。避けなければ死、避けても銃で後詰をして死。
必殺の二段構えに成功した店主は勝利を確信した。先ほどの口ぶりからして、あの少女は自分の正体に気が付いている。であれば、目立つリスクを負ってでも彼女をこの場で消すのが正道。身分や容姿などいくらでも替えが効くのだから、最悪この店舗を犠牲にしてもいい。
しかし少女はそんな店主の女の自信を嘲笑うかのように微笑んだ。一切見上げることなく手を真上に伸ばし、落下してきた照明を鷲掴むと、そのまま片足を軸にその場で一回転して店主の女に向かって照明を放った。
少女の腕力でボウリングの球ほどの大きさと重さである照明を勢いよく投げることはできない。そんなことは百も承知で、照明の落下の勢いで身体の回転に助走をつけることで砲弾のように飛ばすことに成功したのだ。
少女に対して直線的な弾道しか用意していなかった店主はただちに理解した。ここで発砲しても銃弾は飛んできた照明にぶつかるのみだということを。
遠近法によって接近する照明の後ろに少女のシルエットが隠れているので、照明が自分にぶつかるのを覚悟で相手を拳銃で打ち抜くということもできない。
店主の女は仕方なくバックステップを数歩踏み回避した。少女によって投げ返された照明は勢いを失い、床を転がる。
一度リセットされた戦況の中で少女が言った。
「まずは名乗りもせずに反撃したことを謝罪するわ。私は国連直轄異能力者管理機構、星詠機関に所属するスピカよ。バーバラ・ウィリアムズさん、あなたにはアメリカ合衆国の能力者に関するデータを奪取したとしてスパイ容疑がかけられている。で、私はそんなあなたを国際条約に基づいて逮捕する権限があるわけなんだけど、どうする? 自首する?」
(やっぱり国連の犬だったか……)
バーバラは苦々しい顔でスピカを見つめた。そうなると相手も能力者である可能性が高い。
たしかに同僚からは奴らが嗅ぎまわっているという忠告はあった。だが、バーバラは自分の諜報能力に絶大な自信があった。近所の店舗と諍いを起こしたこともないし、普通の洋裁店として地域住民もそれなりに足を運んでくれていた。悪目立ちはしていないはず。
無論、本業である情報集めで痕跡を残すようなヘマはしていない。バーバラの能力は重力操作。人体を沈み込ませるほどの規模は持たないが、微小な重力操作を細かく用いることで鍵開けに関してはアナログ・デジタル問わず高い精度を誇る。追手に見つかっても、先ほどスピカにしたようにちょっとしたオブジェクトならば動かせる。逃げきって確実に情報を持ち帰るという意味でも彼女は優秀だった。
「自首? するわけがないでしょ!!」
今は自分のプライドのことよりも現状を打開することだけを考えろ、と言い聞かせる。スピカを排除できればベストだが、最重要なのはこの場を離脱すること、生還して情報を持ち帰ること。眼前の敵に拿捕され情報を抜き取られるなどという最悪の結果だけは絶対に避けなければならない。そして排除が困難であることはこの数分の間でいやというほど痛感させられた。
銃で牽制しつつ距離を取り店のバックヤードに下がって裏口から外に出るのが現実的な策か。
パンッ! パンッ!
牽制で発砲し、リロードしながら、スピカから視線を切らないように気を付けてバックステップで二、三メートル下がった。やはり最初と同じようにスピカには当たらない。にも拘わらず、舞い踊るように数歩動くだけで、一切攻撃も防御もしてこない。
(もしかして、この娘の能力は戦闘向きじゃない……?)
さらに数発発砲するが、白銀の長髪を靡かせながら舞踏会のようにステップを刻むだけで難なく躱され、銃弾はスピカの後方にある歩道へと通り過ぎた。
このようなものがあるのもアメリカならではといったところか。銃弾は、日本ではあまり見ない背の低い消火栓や横幅二メートルはあろうかという公共ゴミ箱に当たる。
ともに金属でできている。跳弾した回数だけ耳障りな音が鳴った。やはり依然スピカから反撃の素振りはない。
おおよそ、害するものを自動で回避する能力。そんなところか。そうであればここまで躱され続けるのも一向に攻勢に出ないことも頷ける。
(そんな強力な能力相手に勝ち目はない。でも逃げるだけなら!)
と、バーバラは溢れ出る脂汗を抑え込み頭の中で最適な逃走ルートを模索する。
「逃げるだけなら、とでも思っているのかしら。ふふ、あまり優雅な思考じゃないわね」
バーバラは目の前のスピカにばかり気を取られていた。だから気が付くべくもなかった。
さっきの銃弾を受けて緩まっていた高さ二十インチほどの消火栓がとうとう水圧に耐え切れなくなり、外れかけていた蓋を弾き飛ばしながら勢いよく水を吹き出しているのを。
「私ね、美しくない行動は嫌いなの。だってどんなに綺麗な姿かたちをしてたって、内面や思考が美しくないなら台無しじゃない。能力で水を操れるなら水を持ち運ぶのが合理的? そんなのわかってるわよ。じゃあ私に樽でも持ち歩けって言うの? あり得ない。ナンセンスだわ。どんなものにも重視されるべき過程がある。その過程が最善であればあるほどより良い結果が得られるの。だからこれは私の我儘。得物はその場で調達するっていう、自分ルール」
照明器具が破壊され薄暗くなった店内。青く光るスピカの瞳が浮かぶ。
彼女の背後で噴水のように、否、空高く聳える巨大な柱のように水が吹き上がった。
大蛇のようにうねりながら水柱が店内に進入する。
「そんな、二等級の能力者なんて……」
勝てっこない。バーバラは直感的に理解した。たかだか五等級のちっぽけな重力操作などでは埋まらない差が自分とこの少女の間にはあるのだと。
そしてなぜスピカが武器を持っていないのか、その意図を理解した。そもそも必要がなかったのだ。肉食動物は牙を研がない。そんなことをせずとも草食動物など強靭な顎の一撃で粉々になってしまう。
動物的直感とは別に、人としての理性によってバーバラはさらに恐怖した。ちょうど銃弾が歩道にある消火栓に強い衝撃を与えるような位置取り。歩道の方に一度も目を向けることなく、二人の戦闘中の人間と外部のオブジェクトがちょうど一直線上にあるようにしたというのか?
もしそうだとして、この少女は一体いつからそうなることを予測していたのか。全てが彼女の掌の上だったとでも言うのか。
水の大蛇がスピカの周囲を蜷局を巻いて囲っている。まるで主を守るかのように。消火栓は水道管と繋がっているため、水は止めどなく供給される。スピカは満足げに微笑んだ。
「ここから先は逃げ場なしよ。さあ、踊りましょう。私と命懸けのダンスを!」
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