第59話 誇張表現
週明けの月曜日。その日も朝から雨だった。
傘を差して登校するナツキの左腕にはスマートウォッチがつけてある。貸与なのか譲渡なのかはわからないが、折角もらったのだから使わないのももったいない。
それに、本来の用途であるバトルロワイヤルにもナツキは興味があった。今もスマートウォッチの画面では地図上にいくつかの赤い点が表示されている。
ところで。朝起きたらナナはもうベッドにはいなかった。夕華とナナと三人で朝食を取ったのち、いつものように夕華はナツキより早く出勤。その後にナツキが家を出る時間になってもナナはまだリビングでゴロゴロしていて、『夕華から鍵を預かったからそのうち勝手に帰る』、とのことだった。
校門を抜け、下駄箱で上履きに履き替える。傘は傘立てに。ナツキの傘は一見すると黒くて地味だが禍々しい赤いラインが入ったお手製なのでまず間違えられない。それどころか常人が使うには抵抗を覚えるほどの色のセンスなので、コンビニに放置していてもパクられないこと請け合いだろう。
ナツキや英雄たち二年生の教室があるのは二階。この中学校は学年とフロアが対応していて、一年生ならば一階、三年生ならば三階となっている。三年生が最上階なのは屋外の騒音によって勉強の集中を阻害させないための配慮だ。
下駄箱のすぐ近くにある階段を昇り廊下を数メートル歩けばナツキのクラスの教室。
ポケットに手を入れ、廊下の窓の外の景色を眺めながら向かう。どしゃぶりの景色を。
「ククッ、降りやまぬ永久の驟雨。暗雲が大粒の涙を……何事だ?」
ぶつぶつと矛盾した独り言を呟くナツキは、教室の前で何やら人だかりができているの見つけた。あたりは騒然としている。廊下にまで人が溢れていた。
(あれはうちの教室だよな。だがこの人数、他クラスの者もかなり混じってないか?)
自分の席へたどり着くにはこの人だかりを突破しなければならない。人込みを押しのけるようにし強引に押し通る。
「見ろよ! 本物の美咲ちゃんだぜ!」
「やっぱ生のアイドルはかわいいよなぁ」
「ああ。あの攻撃的な真っ赤な髪でドSキャラなのもたまらんわ」
「きゃっ! 今わたしと目があったわ!」
「でもなんで三年生の先輩がうちらの教室に?」
「さあ。誰かに用事があるのかな。でも私たちのクラスに雲母さんと親交のありそうな人なんていないよね……」
ひそひそざわざわと囁き合う二年生たち。どうやら雲母美咲という芸能人は本当に学校の人気者らしい。入学して一年と数カ月、ナツキにとっては新たな発見である。
(というか三年生って。俺より年上だったのか)
たしかに女子の割には背が高い方かもしれない。現に人込みの中にいても教室内の美咲の姿が確認できる。加えて、ツーサイドアップを白いリボンでまとめているあの炎のように鮮やかな赤い髪もよく目立つ。
(ふーん。まあ俺にはそんな人気者、関係ないがな)
孤高を気取りながら自分の席に行こうと一歩踏み出したとき。改めて昨日のナナの言葉が思い出される。
今日は月曜日。バトルロワイヤルとやらはもうとっくに始まっている。
(まずい……か!?)
別に何かで挑まれるのはいい。ただ、これだけ注目が集まっている中で話しかけられるのは面倒だ。
だがこれだけ他人の眼があっては勝手はできないだろう。そうだ。他人のフリをして堂々と教室に入ればいい。
そう言い聞かせて自分の席に向かった。俺は影だ、俺は影だ俺は影だ俺は影だ! 重ねて念じる。
そんな願いも空しく。教卓の前で腰に手を当てて立っていた美咲は、まるでセンサーに反応したかのようにぐるんと首を回転させ一瞬にしてナツキを発見した。
「やっと来たわね、暁! いつまで私を待たせるのよ! ちょっと聞きたいことあるから来なさい」
(やっぱりそうなるかぁ)
周囲でクラスの内外の人間がナツキの方を指でさしながら『あいつ美咲ちゃんとどんな関係だ』『なんであんな変人と』『美咲ちゃんが危ない!』と好き放題言っている。
ツカツカとこちらに歩いてくる美咲の立ち居振る舞いはまさに芸能人。これがいわゆるオーラというやつか。モーセよろしく人込みがぱっくり割れた。そのせいで同級生たちに囲まれる構図となり余計に目立つ。
「グウェッ」
美咲にマフラーをグイグイ引っ張られナツキは教室を出るのだった。
〇△〇△〇
「一限始まるんだが……」
結局マフラーを引かれたまま旧校舎までやって来てしまった。美咲と初め出会ったあの廊下。
ナツキは不機嫌そうに呟いた。ここに来るまでの間に朝のホームルームのチャイムが鳴ったので、自分は遅刻扱いになることは確定している。その上、担任の夕華にも余計な心配をかけてしまうだろう。何より教師姿の夕華を拝む貴重な朝の時間を奪われたことにゲンナリしていた。
旧校舎の廊下でぴたりと立ち止まった美咲はくるりとナツキの方に振り返り眉を吊り上げて睨みつける。
「そんなことより! あんたこれどういうことよ!」
「どういうことって?」
中学生が本分である学業に『そんなこと』はないだろう……などと思いつつ。
ナツキが手首につけているスマートウォッチと同じものを美咲ももちろんつけており、その画面をナツキに見せつけてきた。
画面上の地図には赤い点が一つ。
「これ! これよ! 私一人のときはなかった赤い点が学校に少し近づいてくるんだもの。びっくりしちゃったわ。この学校の生徒で実技試験に残ってたのはあんただけ。ということはあんたが上位成績者ってことになるでしょ!?」
ナナは言っていた。筆記試験の点数の上位半分は、地図を通して全員に位置が知らされると。それによって積極的に受験者同士がぶつかりあうようになっている。
言い換えればそれは美咲が上位半分に入れていないこと、ナツキが上位半分に入れているということを意味する。
「だから言っただろう。筆記試験は簡単だったって」
「ち、ちなみに何点だったのよ」
ナツキが自身のスマートウォッチの画面をタップすると地図から切り替わり、デジタル時計やストップウォッチのようなデジタル書体の数字が表示される画面になった。そこに書かれている数字は一〇〇。まさしく、ナツキは筆記試験で満点を記録していた。
「そんな……だってあんた言ってたじゃない! お姉さんのコネだって!」
「いや、コネって言い出したのはそっちだろう……。ただ姉さんに行くように言われただけだ。それに面白くないじゃないか。他人の力で勝ち取ってもな」
「じゃあ何、私は血縁だけじゃなくて実力でも負けたっていうの……? そんなの、そんなの……」
ナツキをキッと睨みつけるその眼にはじわりと涙が浮かんでいた。
窓の外では美咲の心を代弁するようにしとしとと雨が降っている。曇り空のせいで暗い廊下。相対する二人の間に重たい空気が流れる。
(そんなこと言われもな……)
じゃあお前は何点だったのか、などと聞くような無神経な真似をする気はないが、かといってここで美咲を無視して教室に戻るのも憚られた。
であれば、残された選択は一つ。
「筆記が実力の全てなわけないだろう。そのための実技試験とやらなんだからな。別に諦めるならそれでもいい。一生負け組としてめそめそ泣いていろ。だが、もしもこの状況を悔しいと思うなら……。かかってこい。相手になってやる」
こっちから挑発するように提案する。そうすれば妙な劣等感に足を引っ張られることなく挑むことができるはずだ。
美咲は制服の袖で目元をごしごし擦って言った。
「いいわよ! そんなに言うならボッコボコのギッタンギッタンにしてやるんだから。覚悟しなさい!」
(ククッ、元気が戻ったようでよかったじゃないか。で、中二病の集まりの実技試験というのは何だ。筆記試験は能力に関するものばかりだったからな。ということは……ゲームか?)
ソーシャルゲームアプリだったらこの場でダウンロードしなければならないから面倒だ。せめてWi-Fiのある場所に移動させてほしい。
法律がどうこうとか殺すなとか色々と物騒なことを言っていたのも比喩か或いは中二病特有の誇張表現だろう。
(俺もよく家で足の小指をぶつけたとき『ミョルニルの投擲攻撃を受けた!』と叫んで夕華さんに変な顔をされるからな)
ミョルニルとは古ノルド語で『砕くもの』を意味する。小指をぶつけただけで砕かれと言うくらいなのだから、きっとナナの説明も中二病らしい過剰な言い換えを行っていたに違いない。
と、ポケットからスマートフォンを出そうとした瞬間。
バリンバリンバリン!
廊下の窓ガラスが全て弾け割れた。
また一件評価が増えていました! 本当にありがとうございます!!