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第54話 真っ赤な少女を見ただろうか

「と、ところで英雄がどうしてここに?」


「あ、そうだった。黄昏くん、本当にごめんね。今週はずっとお昼一緒に食べられそうにないんだ。委員会の当番が回ってきちゃって」



 掌を合わせて肩をすくめ、申し訳なさそうに上目遣いを送る英雄。その小動物的なかわいさにナツキのクラスメイトたちは男女問わず目を奪われる。



「ククッ、そういえば英雄はたしか図書委員(ライブラリアン)だったな。わかった。頑張ってこい」


「うん、ほんとにごめん。それじゃあ行ってくるね」



 ふりふりと手を振って教室を出た英雄を見送り、ナツキは独りで購買に向かった。



〇△〇△〇



「とはいえ、結局ここが落ち着くな」



 パンを買ったナツキは旧校舎に訪れていた。

 英雄と知り合う前までは誰かと一緒に食事する習慣がなかったのでいつも一人だった。当時はその日の気分によって屋上や空き教室など食べる場所は変えていたが、英雄と出会ってからは毎日昼休みにこの旧校舎に来ていたので、一人でもつい足を運んでしまったのだ。


 本校舎のリノリウムとは違い床は木の板。経年劣化のため歩く度にギシギシと音が鳴る。

 英雄とは廊下に座り空き教室の壁に寄り掛かって窓の外の景色を眺めるのが常だ。どうせ誰も来やしないので、足を延ばそうが大きな声を出そうが文句を言う者はいない。


 ナツキはいつものように廊下にどんと腰を下ろす。外は大雨。絶え間ない雨が地面を叩き、窓を叩き、木々の葉を叩き。パンの袋を開け、雨音を味わいながらぼんやりと雨の景色を眺める。


 パンの一口目をかじりついたときだった。



「マ~マ~マ~マ~~マ~マ~マ~マ~マ~~」



 『マ』という一文字で、『ドレミファソファミレド』の音程。ナツキも音楽の授業でやらされたことのある、定番の発声トレーニングが背後の教室から聴こえてきた。


 どうして『マ』なのか。それは破裂音だからだ。破裂音とは発声の際に上唇と下唇が触れる音。子音の中でも濁音の『バ』と半濁音の『パ』を除けば『マ』行だけがこれに該当する。

 口をしっかり開いて顎を上下させなければ破裂音は出せないため、声楽の世界では発声だけでなく口回りの筋肉をほぐす目的でも使われる。要はスポーツのウォーミングアップみたいなものだ。



(誰かいるのか?)



 旧校舎は授業や部活動では使われていない。教室はほとんどが物置のようなもので、ガタつきが直らないもの捨てるに捨てられない机や椅子が雑多に並んでいたり、一年に一度体育祭に使う道具が放置されていたり。

 だから普通は旧校舎に人が来ることはない。ナツキと英雄は毎日それを身をもって知っていた。



「マ~マ~マ~マ~~マ~マ~マ~マ~マ~~」



 再び発声トレーニングが聴こえた。今度は半音高くなっている。


 このドレミファソファミレドの発声トレーニング、本来はピアノのリード伴奏がある。Cメジャー、つまりドミソの和音が冒頭に一度入り、最初のドの音を取るのだ。


 そして一度ドレミファソファミレドを終えたら、今度はこの九つの音をすべて半音ずらす。つまり一つ目の音が『ド』ではなく『ド♯』になる。普通はピアノのリード伴奏が最初のドミソの和音を半音上げることで発声者が音を外さないように手助けするのだが、この部屋の中にいる人物はピアノの音取りなしで、自力で半音ずつの調整をしている。


 並大抵のことではない。優れた音感を持っているか、或いは慣れでそれができてしまうほど熱心に練習を繰り返し身体に覚えさせているのか。



「よし。今日は湿度高いからよく声が出てるわね!」



 教室から、少女の嬉しそうに弾けた声が廊下に漏れる。



「採用試験とオーディションが重なってレッスンの時間取れないなんて予想外だったわね。でももっともっと頑張らなくちゃ。私は他の娘たちよりも才能ないんだから、いっぱいトレーニングしないとファンのみんなを笑顔にすることなんてできないわ」



 ラジカセか何かを持ち込んでいるのだろうか。雨のせい距離のせいかナツキにはやや割れて聞こえるが、間違いなく何かの音楽が流れ始めた。夏を思わせる爽やかで軽快なポップスだ。

 まったく聞き覚えはないものの曲調はアイドルかアニメソングを思わせる。前奏だけで、白い浜辺や青い海、晴れ渡る空がどこまでも広がっている情景が思い浮かんだ。



「浜辺~を走~る、キミ~の笑顔~眩しい~太陽~がボクを~照らす~」



 メロディーに乗せて、少女の歌声がナツキの耳に届く。歌詞を聞いてもいまいちピンとこない。英雄であれば流行っている歌謡曲など詳しいのだろうが……。にも拘らず、歌唱力が高いことはもちろん、鈴のようにかわいらしい声質に強い意思が籠っていて真っすぐに耳から心へと染み渡った。


 ナツキはパンを食べながら目を瞑る。すると、瞼の裏には少女が歌う通り歌詞の世界、情景が浮かんだ。

 まるで本当に海に遊びに来たかのような気分だ。気になる女の子と一緒に海に訪れ、眩しい太陽の下で水をかけあって楽しく過ごす時間がありありと脳裏に描かれた。


 四、五分経っただろうか。一曲目が終わる。それから数十秒後には二曲目が流れ始める。飲み物を持っているのだろうが、それにしても短スパンだ。今度は先ほどと違い、夏祭りの花火を思わせるしっとりとしたバラードだった。


 そんなハードペースで五曲が終わった。EP一枚分くらいにはなるだろう。いつまでも聴いていたいというナツキの思いに反して残酷に時は進む。昼休みももう残り少ない。音楽は止み、再びナツキの耳には雨音が響き始めた。

 ナツキは食べ終えたパンの袋を丸めてポケットに突っ込む。



(詩も曲も平凡でありきたりだが、如何せん歌い手の表現力が高いな。ククッ、なかなか良いものを聴いた。それに、聴き手へ感謝と愛情を抱いていることがよく伝わってくる)



 さて、そろそろ教室に戻るか、とナツキが立ち上がったとき。ガラガラと教室のドアが開いて中から少女が出てきた。まさに歩いてその場を去ろうとしていたナツキとぶつかってしまい、キャッ! と悲鳴を上げながら尻もちをつく。



「いった~、もう何よ……」


「すまない、大丈夫か?」



 ナツキは手を差し出す。


 炎のように真っ赤な髪を黄色いリボンでツーサイドアップにした、緑色の瞳の少女だった。

 学校指定の制服のスカートは折っているのか大半の女子生徒に比べてとても短く、髪色と同じく情熱的な赤いパンツがあられもなく晒されている。M字に開かられた脚から。



「ブーーッ!?」



 盛大に血を吹き出した鼻を咄嗟に手で押さえる。



(ク、ククッ、自分の血を見るのは久しぶりだな!)



 いいや、ナツキは割と頻繁に鼻血を出している。



「もう、なんでこんなところに人がいるのよ!」



 怒りながら自力で立ち上がった少女は埃を払うようにスカートをパンパンと叩く。

 少女はジト目でナツキを見つめて言った。



「あんた、そこで聞いてたわね。なになに、もしかして私のストーカー? (こっわ)~」


「そんなわけがないだろう。こっちは毎日ここで食事しているんだぞ」


「え、こんなところで? ボッチなの? クスクス、可哀想~」



 少女はナツキを小馬鹿にするように笑う。思わずムッとしたナツキもたまらず言い返した。



「ククッ、残念だが普段は友人と一緒だ」


「え~なに真面目に返してんのよ。そこは『ミサキちゃんがいるからボッチじゃないよー!』って野太い声を出すところでしょ。つまんないの」


「なんだそれ。知らん」


「ハァ!? 私のファンならライブで定番のやり取りでしょうが!」


「いや俺はお前のファンじゃない。というか初対面だろう」


「え、ちょっと待って、あんたこの学校の生徒よね? 本当に私のこと知らないカンジ?」


「何度言ったらわかる。お前のことなど知らない」



 信じられない、とばかりに唖然とする少女。

 ナツキはふと思う。自分と背丈がたいして変わらないが、何年生なのだろうか。自分は二年生なので、タメで話していい確率は三分の二。逆に三分の一の確率で相手は先輩なので、ぐちぐちと因縁をつけられるかもしれない。



(まあクラスメイトすら全員を把握しているわけではない俺が知っているわけもないだろう。学年すらわからん)


「あなたのハートにキラキラ奇跡! 真っ赤な一番星の、雲母(きらら)美咲(みさき)!」



 人気(ひとけ)のない旧校舎に響き渡る口上とともに、片足をぴょこんと上げて胸の前でハートを作る、美咲という少女。顔に浮かぶのは作った笑い。

 それを呆然と見つめるナツキは辛うじて絞り出す。



「いや、知らん」


「ハァァァァァァッ!!??」

昨日、なぜか普段の倍以上もの方々にアクセスしていただいたようです。本当にありがとうございます!!


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