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第52話 水vs氷

 スピカが放ったオレンジカクテルの円盤は瞬間で冷凍された。彼女の能力は『流体操作』である。故に固体である氷になっては能力による干渉の範囲外だ。まるで電池切れにでもなったかのように空中で静止し、直ちにゴトリと落下した。



「何をやっている! テメエは最強の傭兵なんだろ!」



 格上の能力者相手に無茶を言うクライアントだ、と犬塚は頭を掻く。とはいえ、水の能力に対して氷の能力の相性が良いのはたしかだ。それだけで等級の上下関係は逆転する。



(だが、それをこの嬢ちゃんがわかってないとも思えん。なのになんだその余裕の表情は。さとり世代ってやつか?)



 大きな物音や怒鳴り声がしたため他の客たちも何事かと最奥のソファ席の方に視線を向けるが、金ピカ男が『見世物じゃねんだぞ!』と叫びながら数発発砲すると、皆逃げるように店を出た。演奏家たちも楽器を放置したまま立ち去っておりジャズ音楽は中途半端なところで終わってしまっている。


 銃弾はカウンター席の向こうにある色とりどりの酒を瓶ごとかち割り、破片が床に飛び散る。店主でもあるバーテンダーは悲鳴を上げながら守るように頭を抱えてカウンターの後ろでしゃがみ隠れた。


 

「おいおい兄ちゃん、一般人に手ぇ出すのは筋違いだぜ」


「う、うるさい! さっさとその女を捕まえてみせろ!」



 能力が本物か確かめるだとか最初の仕事だとか、金ピカ男が犬塚に言ったことは全て建前だ。プライドだけは無駄に大きいために口には出さないが金ピカ男はほんのわずかな時間でスピカの美しさに骨抜きにされていたのだ。

 上玉などとスピカ本人に対しては言っていたが、内心それどころではない。この女を手に入れられるなら持ってる宝石を全部差し出してもいい、くらいには思っている。プライドが邪魔をして口が裂けてもそんなことは言えないが。



(ったく、とんだ貧乏くじを引かされちまったな……)



 犬塚はクライアントである金ピカ男を見て悪態をつく。が、仕事が仕事。対価をもらうならばきっちりこなすのがプロだ。



「嬢ちゃん、あんたがこのアホな兄ちゃんの女になってくれるってんなら俺は手を引けるんだがな」


「私は国際法に基づいてイヌヅカ、あなたを逮捕するためにここに来ているのよ。他の人間の事情なんて関係がないでしょう」


「カッ、違いねえ。さっぱりした嬢ちゃんだ。だが……」



 犬塚はソファから立ち上がる。まるで山が動いたかのように周囲の空気感がガラリと変わった。



「嬢ちゃんの能力はとことん俺と相性が悪い。わかってんだろう?」



 犬塚が座っていたソファ席を出発点とし、壁や床に薄く白い氷が張られていく。空気中のわずかな水分さえもスピカに使わせまいと、水蒸気──気体の水──すらも凍らせ、店内の気温が一気に下がった。


 まるで冷蔵庫にいるようだ。自身の吐く息が白くなったことに驚く金ピカ男と、それほど広い範囲に干渉する異能の力が存在するのだと目の当たりにし狼狽えるボディガードの男たち。

 能力者であるスピカは眉をひそめるのみに留めているが、流体の中でも液体を操ることに特化しているスピカとしては相性の悪さは否定しがたい事実であった。


 スピカはポケットから拳銃を取り出し、片膝をつく安定した姿勢から犬塚の足を狙った。この距離ならばまず外さない。



「極東を出てから数十年、鉄砲の対処なんざ飽きるほどしてきたさ」



 犬塚の膝のあたりに雪の結晶のような形をした氷が展開されると、容易く銃弾を弾く。

 両手をポケットに突っ込んでいた犬塚は片方を出すと高らかに掲げた。空気中の水分が掌に集まり凝固して二メートルはあろうかという氷柱が出来上がる。



「嬢ちゃん、ちょいと痛いだろうが我慢してくれよ!」



 陸上の槍投げのように上半身を後ろに捻って勢いよく氷柱を投げる。先ほどの短い氷柱と違い能力で飛ばすのではない。その傷だらけの身体に蓄積された経験と筋肉、膂力。死なせるのはクライアントの要望に反するので、狙うのはスピカがそうしたように足。


 空気を切り裂き貫き、鋭く整形された氷柱がスピカに迫る。

 スピカも相手の会話が聞こえていたため、即死させる場所は狙わないだろうということは判断できる。必然的に頭部や胸部は安全だ。であれば、後方に退(しさ)るだけでも被害は格段に落とすことができる。


 しかし。銃のエイムを合わせるために重心を下げていたスピカは、高速で射出された氷柱の速度に対応できない。転がるように後ろに倒れる間もなく、氷柱は自身の到達してしまうだろう。


 では、スピカはどうしたか。

 銃を仕舞うことなく依然構えた姿勢のまま、銃口を床に下げて発砲した。



(とうとう自棄になっちまったか)



 犬塚がスピカの若さ故の弱さに同情したその瞬間。


 ボォォォォッッッッーーーー!!!!


 と轟音とともに炎の柱が出現した。氷柱は直径一メートルほどの炎の柱に突っ込んでいき、全て溶けて水となった。もちろん、いくら大きな氷柱とはいえその程度の量の水では炎の柱の勢いは止まらない。

 店内の気温が急激に上がり、壁や天井に張っていた氷や霜が溶け始める。

 犬塚は冷や汗を抑えられない。



(ど、どうなってやがる!? 嬢ちゃんは水を操る能力のはず、それなのに……)



 いいや、ちょっと待て。本当に操れるのは水だけか? 自分よりも格上の二等級の能力者が、たったそれだけ?


 犬塚の視界の端に映り込んだある物が、彼の疑念を確信に変えた。

 それはカウンターの向こうで割れて飛び散った大量の酒瓶。そこから床に線を引いたかのように(いろどり)豊かなカクテルが床を伝ってスピカと犬塚の間に流れてきている。カラフルなカクテルが混ざり合って床に細い虹がかかっている様相を思わせる。



(そうか、水を操れるなら酒を操れても不思議はない。そこに銃で火種を作りアルコールに引火させたのか……)



 それだけでここまでの炎は起きるわけがない。人生経験に裏打ちされた状況を見極める犬塚の眼が瞬間的に分析を行いスピカの能力に迫った。



(アルコールの可燃性蒸気は空気より重たい。だから嬢ちゃんはしゃがんだままでいたのか)



 正確には、ガスや空気のような目に見えないものを操るには尋常ではない集中力と体力を要する。そのために立たずにいた。

 バーテンダーの近くにはカクテルグラスだけでなくショットグラスも置いてあった。ならばこのバーにはカクテルだけでなくウォッカやテキーラのような度数の高い酒も当然あるはずだ。スピカはカウンターの後ろからとにかくアルコールを手繰り寄せ、可燃性蒸気を一か所に集めていた。


 圧縮された可燃性蒸気は犬塚たちが会話している間も透明なままそこにあった。圧縮を続け、圧縮を続け、圧縮を続け……。暴発直前の大きな可燃性蒸気の塊。その大爆弾は、銃で軽く刺激し着火するだけで絶大な炎を巻き起こす。



「あなたみたいなアウトローの能力者と私たち星詠機関(アステリズム)の一番の違いがわかる? それは状況に応じて作戦を練ることができる柔らかい頭脳よ。能力の大小も相性も使い方次第でいくらでも覆るの」



 炎の柱が静まった店内でスピカがそう言った。金ピカ男も、侍らせていた女たちも、後ろに控えていたボディガードたちも、皆唖然としている。



「もうアルコールは店の床、天井、壁、全てに巡らせているわ。選びなさい。投降するか、私以外ここで全員消し炭になるか」



〇△〇△〇



「お疲れ様です」


「ええ、ありがとう」



 バーの外では運転士の男が待っていてスピカを出迎えた。投降した犬塚はスピカによって昏倒され、星詠機関(アステリズム)の拷問部、もとい諜報部によって連れ出されていた。

 諜報部。書類上はジュネーブ本部の中のひとつの部署となっているが、実際はこうして世界各地の能力者関連の事件の手伝いや後処理をするので組織内では『支部を持たない支部』と言われている。


 運転士の若い男は無言でスマートフォンをスピカに手渡した。



「もしもし」


『スピカ様、こちらも終わりました』


「そう。それで?」


『はい。四等級の以下の能力者が合わせて十二名、サブマシンガンとアサルトライフルがそれぞれ百丁あまり、あとは大量の弾薬やその他軍事物資を押収しました』



 ニューヨーク支部の職員は、事務仕事をする者とこうして能力者の起こす事件を取り締まる者とでおおよそ四対一の比率。

 電話の相手である若い女性も、民間軍事会社ダイイングドッグの拠点を強襲したスピカの部下である。

 リーダーの犬塚牟田だけは特に強力な能力者として知名度があったのでスピカが担当し、拠点の方は数名の職員が向かっていた。


 人数、等級、相性などで不利になることも日常茶飯事だ。だが、そこはスピカが犬塚に言っていた通り「覆す工夫」を全員心がけている。スピカが関与していない日本支部の採用において筆記試験が自由記述になっているのも、組織全体がそうした工夫を凝らせる人物を求めているからに他ならない。



『あの、ひとつ気になる点があって』


「報告して」


『押収した書類の中にダイイングドッグの名簿があったんです。首謀者のムタ・イヌヅカはスピカ様のところにいますよね。それをふまえて、こちらで倒した人数が一名足りないんです。でも、書類に名前も顔写真もなくって』


「……たしかに向こうの書類上のミスかもしれないし、或いは所属していたけど足を洗った、みたいなことも考えられるわ。だけどその情報はそっちでも全体で共有しておいて。あとは諜報部に引き継いで帰投していいけれど、もしもその途中で誰かに襲われたら迷わずに私に連絡するように。いいわね」


『はい! わかりましたスピカ様! それじゃあ失礼します』



 そう元気に返事をして電話は切られた。もちろんその妙な一人の人物のことは気になるところだ。だが、スピカの興味と疑問は他に向いていた。



(イヌヅカほどの有名な指名手配能力者を表舞台に引っ張りあげたこと、新規参入の民間軍事会社でありながらビジネスとして成立している人脈、大量の武器を用意した資金、バックには何かいる……)



 もしかしたら、その『何か』が今しがた報告にあった情報のない何者かと関係しているのかもしれない。

 本部への報告書に書くことを頭の中で整理しながらスマートフォンを運転士に返す。



「ちょっと酔っちゃって。夜風に当たりたいから、あなたはもう帰っていいわよ」



 本来はアメリカであっても十七歳にアルコール摂取は認められていないが、国連に属する国家に対して超法規的である星詠機関(アステリズム)では組織内のルールに反していなければ飲酒程度、特に問題はない。


 敬愛するスピカのその言葉に、苦笑いを浮かべて若い運転士は言った。



「何を言ってるんですかスピカ様。何時間でも何十時間でも待ってますから。帰るときは連絡してください」



 部下の言葉に感謝を示すようにスピカは軽く微笑んだ。

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