第49話 お持ち帰り
「終わりだ。ペンを置きなさい」
壇上で牛宿がマイクを使って全体に伝える。ぐったりとうなだれる者、自信満々に腕を組む者、静かに回収を待つ者、様々である。
さて、ナツキはというと。
「ぐかぁー……」
寝ていた。
いかんせん長すぎたのだ。ナツキが全問解き終えてから、およそ二時間。特に何かするでもなく、部屋を出たりスマホを使ったりするわけにもいかず、気が付けば机に突っ伏して寝ていた。
星詠機関の職員であるナナや牛宿からすれば、採用試験受験者の大半は『能力者』というより『能力を持っている一般人』でしかない。他方、ナツキは一般人でありながら常に自分が『能力者』だと言い聞かせて生きてきた。煉獄の炎を抱く漆黒の能力者、などなど。
刷り込み続けた自意識だけではない。この場にいる誰よりもアニメ、漫画、ゲーム、ラノベに接してきた。
言うなれば、脳内にカンニングペーパーがあるようなもの。他の受験者が五分間考えて導き出すものを『〇〇という作品で△△というキャラがこんな戦い方をしていた』という一秒間の思考で辿り着く。時間も労力もまったく使わずに解答できるナツキが他者より圧倒的に早いのも道理であろう。
ナナがパチンと指を鳴らすと全員の解答用紙が目の前から突然消え去った。別室で採点をするにあたり、場所をわからないようにしておくのは受験者の能力を用いた不正への対策だ。試験中は監督のナナと牛宿が目を光らせているため能力の使用はすぐにバレるが、終了後の不正までは対処しきれない。その点、ナナのテレポート能力は試験において相性が良いと言えるだろう。
もちろん寝ているナツキは目の前から紙が消えたことを知らない。
「合格者は次の実技試験に進んでもらう。結果は後日連絡するので今日は解散だ」
牛宿の言葉に、二百人近い受験者たちがぞろぞろとまばらに部屋を出て行く。エレベーターは複数本あるのでそれくらいの大人数でも捌くのにさほど時間はかからない。
牛宿も受験生たちと一緒に廊下に出るが、エレベーターではなく同フロアの別部屋に向かったため人込みには巻き込まれることはなかった。
広い広い大きな部屋で、ナツキとナナの二人きり。
ナナは壇上を降りて寝ているナツキに近づく。
ツンツン。
眠っているナツキの頬を指でつつくと、まだまだ大人になりきっていない中学生であるナツキの頬にナナの指が柔らかく沈んだ。
長く伸ばしている爪でナツキの肌を傷つけてしまわないように気をつけながら、再びツンツン。それから頭を数回撫でる。で、また頬をツンツン。また頭撫で。頬ツン。頭撫。ツン。撫。
これが延々繰り返しても一切飽きないのだ。ナナは自身の胸の奥底から溢れる母性が止まらず、このままナツキを抱っこして自宅にお持ち帰りしたくなるがそこは大人の理性でぐっとこらえる。
そして何十度目かの頬ツンをしたとき。
むにやむにゃとナツキがわずかに微睡む。
(起こしちゃったかな)
ナナが申し訳なさそうに眦を下げたときだった。
「……夕華さん…………」
それは、ナナにとってもう一人の友人の名前。
ハルカと高校時代に知り合ったナナは当然ながら夕華とも出会っていて、非常に親しかった。芯の真っすぐ通った強くて優しい奴、というのが当時の夕華に対するナナの印象だ。
タイミングが合うときは必ず三人で一緒に下校していたし、休み時間も自然と三人で集まっていた。弁当を食べるときもいつも三人。ただ、音楽に傾倒していた当時の自分は夕華のように放課後ハルカの家に行くという機会はなかったので幼いナツキと会うことはなかったが。
その点、ナツキがハルカの弟であるならば夕華と知り合っていてもなんら不思議はない。ハルカと夕華が幼馴染であることももちろん知っていたので、きっと夕華はもっと幼い頃のナツキとも触れ合っていたのかもしれない。
そうやって考えていくうち、無性に気持ちがムカムカしてきた。ああ、これが嫉妬か、とナナはすぐに自覚する。
だからといって夕華のことが嫌いなわけでない。ナナにとって、ハルカがそうであるように夕華も大切な友人だ。それに変わりはない。
友情は友情、これはこれ。そのあたりはしっかりと彼女も弁えている。でも。
べチン!
ナナは寝ているナツキの背中を強く叩いて強引に起こした。
「痛っ! って、ナナさんか。ククッ、せっかく俺が意識を異世界に飛ばしていたというのに……」
「周り見てみなよ」
ぐるぐると首を左右に一往復。そして目の前には紙もペンもない。
「そうか、終わったのか。起こしてくれたのには感謝するが叩かなくたってよかっただろう」
「うっさい。ばか」
そう言ってナナはそっぽを向いた。
何か怒らせることを言ってしまったか? とナツキは思案するが、特に何かした覚えはない。眠っていたことを咎めている様子もない。理由がさっぱりわからない。
(相変わらず女心は難しい……)
テストの方がずっと簡単だ。リアルな人間の感情と違って答えがあるのだから。
ナナがどうして怒っているのか。わからないことをうんうんと悩んでも仕方ない。でも、子供のように頬を膨らませてそっぽを向くナナの姿は、ミュージシャンのような服装や高い身長、両耳に開けたピアス、そういう怖い見た目の割にとてもとても可愛い。
「怒ってるナナさんも可愛いな……」
「っ!?」
しまった。考えていたことがつい口をついて出てしまった。
ナナは顔を真っ赤にする。
やってしまった、もっと怒らせてしまったと、とナツキはひどく後悔する。女性とはいえ、かっこいい格好をしている人に対してかわいいと伝えるのはたしかに無礼なことなのかもしれない。
「その、すまない……。ナナさんを怒らせるつもりはなかったんだ。俺はかっこいいナナさんが大好きだから」
まずは『かっこいい』ということを殊更に強調する。これで可愛いと言ってしまった二つ目の問題はクリア。
そっちは原因がはっきりしていたから簡単だった。大変なのは一つ目の問題。なぜ自分が起きたときナナは不機嫌だったのか、という問題。
「どうして俺が起きたときナナさんが怒っていたのか俺にはわからない。謝って許してもらえるならいくらでも謝ろう。もし俺にできることがあるなら、なんでもする」
「っっ!?!?」
ここまでナナは自分に世話を焼いてくれた。姉のハルカの友人であることを抜きに、ナツキはそんなナナに非常に好感を持っている。中二な自分を一切馬鹿にすることなく、出会い頭に『自然でいていい』と言ってくれたナナのことが。
だから怒らせたままにはしておきたくない。自分に責任があるなら自分が解決したい。ナツキはそういう高い意識でナナにこのように言ったのだ。
では、当のナナはというと。
(今『大好き』って言った? アタシの聞き間違いじゃなくて?)
完全に気が動転していた。心の中は大パニック。
(『なんでもする』って何なのよ。アタシの言うことなんでも聞いてくれるの? なんでも……? ほんとになんでもいいの……?)
『大好き』『なんでもする』というナツキの言葉がナナの頭の中でハウリングしリフレインする。
いわゆる、女性がなりたいと思うかっこいい女性。ナナの見た目を一言で表現するとこうなる。女性としての綺麗さはそのままに、長い脚を目立たせるライダースパンツや美しいフェイスラインを際立たせる黒い肩あたりまでのショートカット。裏での努力をまったく見せない、手入れが完璧に行き届いた白い肌や質の良い黒髪にスタイル抜群の体型。
にも拘わらず、恋愛経験のないナナの心はナツキの言葉にすっかり翻弄されかき乱されていた。そのあたりは、そこらへんの女の子と少しも違わないのだ。
(あー決めたわ。アタシ、もう絶対に暁をお持ち帰りする。決定。好き。大好き)
大人の理性はどこかへ行ってしまったらしい。
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