第47話 筆記試験開始
いまだナナの胸の余韻で頭がポワポワしているナツキは目の前に試験の解答用紙の紙束がテレポートされたことに気が付かない。
この部屋で試験を受ける全員がナナという三等級の能力者の強さに感嘆していた。とはいえ今は試験が最優先、意識を切り替えてカリカリとペンを走らせている。
試験開始から数十秒、ようやくフリーズしていたナツキの理性が元に戻り始めてきた。いけないいけないと首をブンブン振る。
(これは……テストか?)
筆記用具は持ってきてないぞ、と思ったのも束の間、なぜか机の上にはボールペンが置いてある。顔を上げると壇上のナナがウインクしながらグッと親指を突き立てている。
事情はよくわからないがこれを用意してくれたのはナナなのだろう。
幸い、ナツキは自身の学力に自信がある。中学校では学年首席だが、それ以降の範囲が出題されても充分に対応できる。
(ククッ、姉さんの狙いがわからんな。こんなものを俺に受けさせて何がしたい?)
とかなんとか思いつつ、氏名欄に『黄昏暁』と書き紙束の一枚目を読み始める。
頭の良い者ほどテストのときに嫌だ嫌だと言っていながら、いざ試験が始まると揚々と解き始め高得点を取るものなのだ。
(どれどれ。『第一問 火を起こす能力者に対して有効な能力を説明せよ』だと?)
なんだこれ。と、思わず心の中で呟く。最初の何文字かの時点では化学の問題かと思ったが全文読んだら全然違った。この部屋の連中、こんな問題のために真剣に対策してたのか?
(まあ、これはあれだな。引っ掛け問題だ。ゲームなんかだと火や炎に強いのは水なんだろうが、それは悪手だ)
ナツキはボールペンを走らせ始める。
(基本的に火力がわからない限り水はやめておいた方がいい。全部水蒸気になって、真白な煙の中で紛れられたらふいうちを喰らうだけだからな。これは引っ掛けだ。別に答えがたった一つだとは思わんが……そうだな、例えば空気。燃焼という現象は燃焼物と空気が必要だ。このどちらかをなくすことが手っ取り早くて安全かつ確実だろう)
選択肢問題でも語句解答問題でもなくて、自由に説明させるタイプの問題。こういうのは選択の正しさ以上に説得力のある主張ができているかどうかがポイントになる。その意味では答えの数は無限大だろうし、出題者からすれば同じような解答ばかり読むより少し変化球気味な方が飽きずに採点できるだろう。
それをふまえてナツキは自身の思考を文章化していく。
(『第二問 時間停止の能力者に対処せよ』か……。二問目からいきなり重たい問題だな)
古今東西、時間に関する能力は強化キャラの代名詞だ。主人公かラスボスに多い。
(だが、抵抗の難しさは描写の難しさでもある。下手すると一方的な展開になるからな)
ナツキは中二病である。様々な漫画、アニメ、ゲーム、ラノベの影響を受けてきた。
故に、自身の中に蓄積されたあらゆる作品を辿ることができる。自分を形作る、血肉のような存在。
目を瞑ると、脳内空間にはたくさんの書籍やディスクが散らばっていた。『時間停止の能力が登場するもの』と念じると、それらは急激に数を減らしていく。さらにナツキは『時間停止が打ち破られるもの』と念じると、目の前には数冊のラノベと漫画、二十枚ほどのディスクが残った。
(そうか……ククッ、なるほどな。そうだよな)
基本的に真正面から打ち倒す手段はない。もちろん、能力の発動のインターバルの隙を狙うだとか遠くから狙撃するだとか、裏技じみたものばかりだ。
その中もいくつか面白いものがあった。
(時間を止めたところでどうしようもない状況に追い詰める、か)
例えば海の底やマグマの中や宇宙の果て。時間を止めたところで解除した瞬間に死ぬ。とはいえこれらも、そもそもどうやってそんな強い相手を過酷な環境に追い詰めるかという問題がある。
(だが、そう、例えばトラップならどうだ)
相手が警戒しないもの、空気や雨、雪、あるいは食べ物に毒を仕込む。そうすれば、時間が停止した世界で気が付かないうちに相手の身体に毒がまわって勝手に自滅する。
最も単純なアイデアで言えば、例えば落とし穴。底の深い落とし穴から、時間を止めるだけの能力でどうやって上がってくる?
ナツキはそうした自身の中二知識を組み合わせて包括的に解答の文章を組み立てていった。
こういった類の能力に関する問題が、十枚程度の紙に合計二十問。解答欄を大きくとっているのでA4一枚に二問しか掲載できていないが、記述という形式を考えたらそれも仕方がないだろう。
(ククッ、俺としてはこうやって考えるだけでも楽しかったな)
これも何かのイベントなのか、或いはサブカル系の地域サークルの入部テストなのか。わからないが、中二な自分にここまで刺さる問題ばかりを用意した面白い企画を紹介してくれた姉のハルカに少しだけ感謝する。さすが弟の趣味をよくわかっている。
さっさと解き終えたナツキは頬杖をついてボォーッとしていた。本当は色々と中二な妄想をしているのだが、他人の頭の中などわからない。もし突然テロリストがこの部屋に入ってきたらどうしよう、などと妄想していることを知るのは当のナツキ本人ただ一人。
それに周囲の人たちの試験前のあの真剣な様子を見ると、あまりキョロキョロするのもよろしくないように思えた。下手にカンニングを疑われて牛宿に絡まれても面倒だ。
すると、壇上のパイプ椅子に座るナナと目が合った。ナナはにこりと笑って、大きな胸の前で小さく手を振る。他の人たちの集中を削がないようにこっそりと。
同じようにかわいらしく手を振り返すことができればいいのだが、生憎そういうの『かわいらしい』のがナツキは得意じゃない。無視するわけにもいかないのでとりあえず力強く頷いておいた。
(ふうん。さすが暁。おそらくこの部屋にいる受験者の中で一番最初に解き終えたね。あの首肯はきっと合格して星詠機関に入るっていう自信の表れ)
ナツキの頷きの解釈を違えるナナ。
ところで牛宿と言うと、不正がないように部屋の中を見回っている。ナナがナツキに手を振っていることまでは気が付かないが、ナツキが手の動きを止めていることは後ろからでも目立っていたのですぐにわかる。
どれだけ解けているか見てやろうじゃないか、と牛宿はすたすたと最前列に行き、ナツキの解答を後ろから覗く。といっても見えているのは最初のページの第一問と第二問。
(まず第一問。受験者の八割が水と書いている。これは減点ではないが加点もされない。そして何人かはなんでもありなチート能力を書いていて、それは間違いではないがセンスに欠ける。よって減点。さて、このガキは……)
長机と長机の間の通路で腕を組み解答用紙を見下ろす。
(ほう、空気か。なに、『燃焼の三要素は可燃性物質と発火点温度と酸素である。能力の有無に拘わらず自然環境に常に存在し新しく用意する必要がないのは酸素なので、逆にそれらを掌握してしまえば燃焼反応は起き得ない』か。くそっ、ガキのくせにさすがは二十一天の弟か)
続いて第二問に目を向ける。
(私が思うにおそらくこの第二問が最も難問だったろうな。試験前に馬鹿どもが科学の専門書ばかり読んでいたのはこの山張りか。案の定こねくり回して相対性理論がどうのこうのと書いているが圧倒的にナンセンス。くだらない。実戦からほど遠い理論を振りかざしても早死するだけだ)
幻覚を操る能力であるが故に、牛宿という男はそうした能力への柔軟な理解があった。
或いは星詠機関のメンバーとして積んできた長年の経験がそうした意識を形成したのか。いずれにしろ能力者との戦闘経験がない大半の人間は、たとえ能力という大きな力を手にしても感性や知識が一般人と大差ないままなのでどうしても堅苦しくつまらない解答になる。
(ほう、面白いじゃないか……)
自分を虚仮にしてきた相手だということも忘れて思わず入り込んでナツキの解答を読み進めていく。そうしたのめり込む自分にハッと気が付いた牛宿は軽く咳払いし気持ちを落ち着けた。
(これも血筋か? このガキ、少なくとも理論はズバ抜けている)
およそ二百人の能力者が受けているこの星詠機関・新設日本支部採用試験。
一次試験の筆記を通過するのは精々二十名程度だろうな、というのが牛宿の感覚的な目算だった。