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第45話 やたら長いマフラーを好むのは何故なのか

 ナツキの手を引いてぐんぐんと建物内に入っていく。大きなタワービルだけあってエントランスだけでも横幅は三十メートルあった。受付には二名の女性が、そしてエントランスから奥のエレベーターへの道には黒いスーツを着た屈強な二名の男性が。

 

 大理石の床にナナのブーツのヒールがコツンコツンと響く。彼女は顔パスなのか、黒スーツの男たちはナツキがいても何も言わない。

 さすがにエレベーターに乗り込むときにはヘッドロックは解かれた。新鮮な空気が杯を満たすことが嬉しいような、柔らかい感覚がなくなって悲しいような。

 ナナは二十階のボタンを押した。それより大きい数字はないのでこのビルはちょうど二十階建てなのだろう。

 


「ナナさん、なんで肩を組んでるんだ?」


「ハルカの弟ってことはアタシの弟みたいなもんだろ。だったら姉弟のスキンシップだよ」



 上昇するエレベーターの中で、なぜかナツキと肩を組むナナ。彼女は半袖なので視界の端にはナナの白い腕が見える。

 まあ姉弟という表現も間違いではないだろうな、とナツキは感じた。見たところナナの年齢は夕華や姉のハルカと同じくらいだ。だったらいいか、と腕を肩に引っ掛けられたままでいる。

 正面のドアは灰色一色だが、それ以外の四方のうち三方向はガラス張りだ。まるで縦長のチューブを通って吸い上げられているような感覚になる。



(高所恐怖症の人はエレベーター乗れないだろう。階段使うのか?)



 さすがにそれはハードだな、と脳内でツッコミを入れていると、チン、と到着を知らせる音が鳴りドアが開いた。



「さあ、到着だ。他の連中はもう揃ってるよ。まあ時間には間に合ってるからセーフかな」



 他の連中とは何だ、と疑問を口に出そうとした瞬間、またもや頭をわしゃわしゃと撫でられた。



(撫でるの好きなのか……?)



 何はともあれ姉のハルカからもここに行けと言われ、ナナもそのハルカと親しいときた。であれば、わけがわからないとはいえこの場所が今日の自分の目的地なのだろう。



(まあアニメのイベントはまた今度行けばいい)



 そう自分を慰めて、ナツキはナナとともにエレベーターを出た。

 明るい絨毯の廊下は横に長いが、エレベーターを出てすぐのところにいきなり扉があったので、このフロアに他に何の部屋や施設があるのかまではわからない。

 ナナが観音開きの大きな扉を開けてその中へと入っていき、ナツキもその後ろをついて行った。



〇△〇△〇



 そこは講演会場、あるいは大学の大教室や講堂のような場所だった。部屋の真正面には大きなホワイトボードがある。さらに、隣同士が一席空くように座っても一列に三人座れる長机が、左右と真ん中に三つ。つまり計九人。それがホワイトボードの前から部屋の一番後ろまで二十列はある。


 ナツキたちが開けたドアは部屋の前と後を半分に分断する通路のような場所だった。後ろ半分はホワイトボードを見えやすくするため高くなっていて、長机の数だけ段差になっていて小さな階段を形成している。後ろに行くにつれ高くなる傾斜のある部屋だ。



(ざっと二百人はいるか?)



 見渡す限り人、人、人。

 てっきり塾か予備校が実施している模擬試験か何かかと思ったのだが、自分より明らかに年齢が上の者も多くいる。というか大なり小なりほとんど年上だろう。わずかだが白髪交じりの者さえもいる。



(これは何の集まりだ?)


「まあ空いてるとこに座ってよ。……って、込みすぎだね。あ、ほら、最前列は空いてるよ」



 ナナに腕をぐいぐいと引かれて、とりあえず最前列に座った。幸い空調はきちんと効いているようで、馬鹿みたいに厚着しているナツキもかなり涼しい。


 壇上、ホワイトボードのすぐそばにはパイプ椅子がある。

 そこにはピシッとアイロンがかけられた紺色のスーツを身に纏った三十代ほどの男性が足を組んで座っていた。やや長めな髪をオールバックにしていて、細い眼鏡は髪型も相まってインテリヤクザのようだという印象を加速させた。



「暁、時間まで余裕あるからそれまではゆっくりしてていいよ」



 そう言って、ナナは席に着いたナツキの頭を三度(みたび)撫でた。言葉の端々から世話焼きなところが見て取れる。その上、他人(ひと)の頭を撫でるのが好き。非常に姉御肌だ。


 ナナは言い終えると壇上へ上がった。スーツの男が嫌味ったらしく声をかける。



「試験監督の我々に時間の余裕があるとお思いで?」


「仕方ないだろう。あと一人を探しに行ってたんだから」


「来られなければ自己責任です。違いますか?」


「ハッ、随分とお堅いを考えを持っていらっしゃる。前途有望な若人を助けようっていう気概はないのか? なあオッサンよう」


「これだから口の悪い人間は嫌いなんです。口が悪い者は思考も野蛮。そう決まっている。日本に支部を作るにあたって世界中の支部から星詠機関(アステリズム)の日本人に声がかかったから来てみたものを……。北斗、あなたのような人間と一緒に仕事をすることになって私ががっかりです」



 壇上ではナナ達が口論をしているが、部屋の中でそれをわざわざ注視している者は少ない。皆、何か書物を食い入るように読んだり瞑想したりしている。


 ここまでナナに対して世話になり好印象を抱いているナツキとしてはこの男性の物言いが気に入らなかった。そこには間違いなくナナへの侮蔑の意思がある。だが当のナナ本人はどこ吹く風だ。

 だから、これはナナのためではなく純粋に完全に自分のため。



「ククッ、口では立派なことを言っていながら性根が腐っている貴様と、口は悪いが思いやりを持っているナナさん。本当に野蛮なのはどっちだろうな」



 最前列真ん中の長机の右端の席で頬杖をついたナツキが言い放つ。壇上の男に聞こえるようにハッキリと大きな声で。

 ナナは一瞬キョトンとした顔をすると、髪をかき上げて痛快に笑った。



「ハッハッハッ、こりゃ傑作だ! 牛宿(うしやど)、アンタ一本取られたな」


「ガキ。それは俺が試験監督だと知っていての態度か?」



 言外に、知らなかったのなら謝れば許してやる、くらいの意味なのだろう。そう読み取ったナツキは、しかし牛宿と呼ばれた男の口調が崩れてきていることを見抜いたためになお畳みかけた。



「ククッ、俺だったら立場や肩書を笠に着て圧力をかけてくるような奴と仕事はしたくないものだ」



 それを聞いたナナは腹を抱えて笑っていた。涙を指で拭いながら内心思う。



(やっぱり暁はハルカの弟だ! こんなカワイイこと言ってくれるイカした野郎ほかにいない!)



 自分より二十以上は年下であろうナツキに虚仮にされ、完全に頭にきた牛宿。眼鏡の奥で彼は紫色の眼をほのかに光らせながらパイプ椅子から立ち上がった。



「ガキが……。一度痛い目を見ないとわからないようだな。あまり大人をナメるなよ」



 牛宿の手に、黄金色をした巨大なランスが現れた。ランスは槍と違って、手元が太く先に行くにつれ細くなっている、刃が円錐状の剣のような武器だ。


 なぜそんなものが現代日本にあるのか。なぜそんなものを目の前の男が持っているのか。なぜ何もない空間に突然そんな大質量のものが現れたのか。


 湧き上がるいくつもの疑問を飲み込むようにして咄嗟に立ち上がろうとした。

 あんなもの振るわれたら自分の命はない。回避しても周囲の人々が無事である保証はない。だったら、受け止める。


 牛宿の手にランスが顕現してからこの思考を終えるまでが〇.五秒。しかしそのわずかな時間で、牛宿は陸上競技のやり投げのようにランスを後ろに引き数メートル先のナツキに投擲しようとした。巨大な金属塊であることを忘れさせるほど軽々とランスを操る牛宿の姿にナツキは冷や汗が溢れる。

 間に合わない。


 最悪、自分が盾になろう。身体を貫けば勢いを殺せるかもしれない。カッとなったとはいえ煽るような真似をしたのは自分だ。ならばその責任を取るのも自分。自分の尻は自分で拭く。


 ところで。

 ナツキはいつも季節外れのマフラーをしている。暗い色の長いマフラーを口元が軽く隠れるようにゆるりと巻くのは中二病ならば『あるある』だ。

 それだけ長いと地面で引きずってしまって汚れてしまいそうになる。もちろんそのあたりはナツキもわかっていて、長さの調節をしている。


 しかし、それは立って歩くときの話。席について椅子に座っているとき、突然立ち上がろうとしたとして。床まで垂れているマフラーをうっかり踏んづけてしまうことを誰が責められようか。



「な、なんだと!?」



 怒りに染まっていた牛宿の表情が驚愕に変わる。


 結果として。

 ナツキは立ち上がろうとしたが自分のマフラーを踏んづけた。床に固定されたマフラーの端に首を引っ張られ、通路に転げるようにすっころんだ。

 そして、牛宿の放ったランスを躱してしまったのだった。

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