第44話 紛らわしい
乗り換えを繰り返すこと二回。電車に揺られながら数十分。
ところで、ナツキが住んでいるのは埼玉県だ。日本の首都である京都からはかなりの距離があるが、東日本の中心地で副首都でもある東京都、通称『東京』からはほど近い。
そんな埼玉県と幕張のある千葉県は隣接している。そして横長の埼玉県と縦長の千葉県とでは場所によって大きく距離が変動する。埼玉県でも東側に住むナツキにとって幕張が東京湾近くにあったのは幸いした。
(それにしても幕張メッセか。話にはよく聞くが実際に行くのは初めてだな)
様々なイベントが実施される幕張メッセ。しかし長年友人がいなかったナツキにそのようなイベントに行く用事があるわけもなく、実物を目にしたことすらない。
改札を出て、デッキの階段を降りる。ポケットからメモ用紙を出して姉ハルカのお手製の略地図を見るが、手描きの迷路のような線ではいかんせん位置関係がわからない。
とりあえず紙を一八〇度回して駅が背になるようにする。現実世界の自分と向きを揃えて、地図の道をなぞるようにいざ出発。
汗を拭いながら歩き、角を曲がった回数が片手の指を超え始めたとき。地図の印によれば場所はここなのだが……とキョロキョロとあたりを見渡す。
(いや、どう考えても違うだろ)
目の前に聳え立つのはタワービルだ。話によく聞く幕張メッセとは程遠い。
タワービルは鏡のように周囲の風景を反射し映し出すガラスで四面覆われていた。最上階まで見上げるには随分と首を後ろに倒す必要がある。それほどに高い。
(大体、二十階立てくらいか?)
幕張は幕張新都心に代表されるように千葉県の中でも屈指の都会である。当然、企業が入っているオフィスビルや商業施設・娯楽施設など豊富なのだが、ナツキの前にあるタワービルはその中でもとりわけ高い。
(どうする? 一旦戻るか? この地図を見て理解してもらえるとも思えんが、誰かに道を尋ねるという手もある)
歩道で逡巡し、まごついていると、ビルの自動ドアが開いて中から女性が出て来た。
銀色の骸骨が描かれた半袖の黒いTシャツに、ライダースパンツ、肩にかかるかかからないかくらいのショートヘア。
ロックバンドのボーカルでもやっていそうな若い女性だ。ポケットに手を入れ、颯爽とどこかへ行こうとしている。
このときナツキは妙なシンパシーを感じた。同じ真黒な衣服、社会にあまり受容されなさそうな格好。
一見すると怖そうではあるが、そこは元々物怖じしない性格のナツキだ。それに年上の女性との会話には慣れている。というわけでメモ用紙を握って声をかけることにした。
「あの、スイマセン」
「あん?」
慣れない敬語はなんだかカタコトだ。
振り返ったその女性は目つきが悪く、太陽に照らされて両耳のピアスがきらりと光る。近くでよく見ると端正な顔立ちではあるのだが、服装はもちろん濃いマスカラや真っ赤なルージュ、両目につけている紫色のカラーコンタクトが一層彼女の顔立ちのキツさを際立たせている。
「ここに行きたいんデスけど、場所ってわかりマスか?」
カタコトの敬語に加えて作り笑いの薄ら笑い。普段のナツキを知る夕華やスピカや英雄が様子を見たら笑いを堪えられなかったことだろう。
「アンタ、その変な喋り方疲れない? もっと自然体で生きないと疲れるよ。人生は一回キリなんだからさ」
さっぱりとした性格の人だ、というのが第一印象だった。わざわざ初対面の相手にここまで言い放てる者は多くない。それに中学生の自分を子ども扱いしない姿勢も非常に好感が持てた。
「ククッ、それはすまないことをした。一応は表の世界の礼儀を守ろうと思ってな。話のわかる相手で助かった」
「なんだ、やればできるじゃないか。今のアンタ、ホント良い顔してるよ」
腰に手を当ててニッと笑う女性。改めて見ると非常にスタイルが良い。身長はナツキよりずっと高いが、その女性は自分を見下すことなく会話してくれている。
その真っすぐさに気を良くしたナツキはメモ用紙を見せて尋ねた。
「この場所に行きたいんだが、少々迷い人になってしまってな。わかるか?」
紙を受け取った女性はじっとそれを眺めた。それから目を細め、ナツキの眼帯をしていない左眼をしっかり見つめて言った。
「アンタ、これどこで手に入れた?」
「姉からこの場所に向かうよう言われたんだ」
「姉貴の名前は?」
「田中ハルカだ。それがどうかしたのか?」
すると女性は得心がいったように晴れやかな表情になってナツキの肩をボンボン叩く。
「アンタ、ハルカの弟だったのか! ハハッ、通りでアタシに平気で話しかけてくるわけだ。普通の男はアタシみたいな物騒なナリした女には話かけてこないからね」
その女性は嬉しそうにナツキの頭をくしゃくしゃ撫でる。いきなりのことに何が何やらなナツキ。
「自己紹介がまだだったね。アタシは北斗ナナ」
ぼさぼさになった髪もそのままにナツキも自己紹介をする。
「ククッ、俺の名前は黄昏暁。よろしく頼む、北斗」
「やめてくれよ、ハルカの弟にそんな風に呼ばれたら背中がかゆくなる。ナナでいいよ。……それにしても、フフッ、暁か。良い名前じゃないか。ハルカの……いいや、二十一天のハダルの弟が夜明けの名前を冠するなんてとんだ皮肉だね」
(ちょっと待て、まさか姉さんも中二ネームを持っていたのか……?)
「さあ、暁、行くぞ。一人足りないからアタシが探しに行こうとしてたんだ」
「がふっ!?」
ナツキは首をナナの腕でぐっと挟まれた。そしてそのままビルの中へと引っ張り入れられる。ヘッドロックされては抜け出せない。甘ったるい香りがナツキの鼻腔をつく。おそらく煙草だろう。煙草の煙は苦手だが、この香りはそう悪い気はしなかった。
腕で挟まれナナの脇腹のあたりに密着して抑え込まれているせいで、ナナの胸が顔に当たりまくっている。煙草の香りと女性の香り、タイプが真逆な二つの香りが混ざり合ってねっとりと鼻から脳へと浸透しクラクラする。
引っ張られながらナツキはぼんやりと思った。
(あれ、幕張メッセは……?)
〇△〇△〇
その日、海浜幕張駅は人気アニメの音楽イベントということで大きな大きな熱狂に包まれていた。
幕張メッセの最寄り駅は海浜幕張駅だ。
改めてハルカが送ったメモ用紙を見てみよう。
『幕張駅』
『海浜幕張駅』ではなくて、『幕張駅』
そもそも千葉県に縁がないナツキと夕華に気が付けというのが酷な話。ハルカが示した場所は最初から幕張メッセではない。アニメの音楽イベントではない。
全てナツキの勘違い。せっかく好きなアニメのイベントということで楽しみにしていたが、その意思に反し、彼は姉の思惑通りの場所へと導かれたのだった。