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第42話 知らない天井だ

「……ククッ、知らない(アンファミリア)天井だ(セイリング)



 目を開くとそこには覚えのない白い天井が広がっていた。薬品のような匂いがツンと鼻をつく。どうやらベッドに横になっているようだ。窓から風が吹くのを頬で感じる。白いカーテンがバサバサとはためくのを視界の隅に捉えた。



「私もここの病院に来るのは初めてね」



 返事があったことに驚きながら声のする方へ首だけ向く。横たわるナツキの視線の高さでは声の主の手元しか見えない。椅子に座り、膝の上でキッチンナイフを使ってリンゴの皮を剥いているその手元しか。

 だが世界で一番聞きなれた声をナツキが間違えるわけがない。



「おはよう、夕華さん」


「おはよう」



(スピカと一緒に工場に行って、英雄を見つけて、それから……)



 それより先のことは思い出せない。無理に考えると眼の奥の頭の深いところがズキズキと痛んだ。



「そうだ! 英雄は!?」



 叫びながらガバっと起き上がる。そんなナツキの口の中にフォークで刺したウサギ型のリンゴが入ってきた。



「ぐぁふっ」



 リンゴはシャキシャキと音が鳴るほど瑞々しい。夕華はナツキの口からフォークを引っこ抜いた。



「警察に保護されたわ。ナツキのお手柄ね。刑事さんたちが感心してたわよ。友達のために自力で犯人を捕まえるなんて立派だ、同時に自分たち警察は何もできなくて申し訳ない、ってね」


「そうか、そうなのか……」



 記憶にはないが夕華が言うのなら間違いはないだろう。まして警察まで出張っているとなるとそれ以上はもう自分に言うことはない。何より英雄の身の安全が一番だ。それがわかっただけでナツキはホッと胸をなでおろす。


 落ち着くと周囲が見えて来た。場所は病院か。中々大きな個人病室だ。ベッドの質はもちろん、見える範囲でも設備が立派だとわかる。


 普通の病室は花瓶の水を替えるにはトイレか共同水道まで行く必要があるが、ここは病室内に水道が設けられている。水道というよりもキッチンか。水場だけでなくIHコンロや冷蔵庫も確認できる。

 他にもトイレが部屋の中にあるなど、つくづく至れり尽くせりだ。病室というよりダイニング・キッチンに医療設備とベッドを置いたと言った方が近い。

 

 少なくとも、ナツキが以前見舞いに行ったオンボロ病院より遥かに綺麗だ。

 夕華はこの後も学校に行く用事があるのか、いつものレディーススーツ姿だった。



「ククッ……昨晩のことはまったく思い出せんが、なんで俺が病院に? それもこんな高級な……」


「私も詳しくは聞いてないの。お医者様が言うには精密検査をしてもどこも悪いところはないらしいけど、現に意識を失っていて、入院費もたんまりもらった以上はしばらく滞在して療養するといいっておっしゃってたわ」


「いや、健康なら早く退院した方がいいんじゃないか? こんな豪華な病室は馬鹿にならん額だろう」


「そうね。私も領収書を見たけれど、海外旅行で高級リゾートに一週間滞在するくらいの金額だったわ」


「夕華さん、領収書って言ったか!? もう払ったのか!?」


「私じゃないわよ。すぐにナツキを病院に担ぎ込んで、検査費用も入院費も全額出した人がいたそうなの」


(スピカか……)



 スピカには最後まで世話になってしまった。連絡先を聞いておかなかったのが悔やまれる。いくら礼をしても足りない。



(それにしても、なんで夕華さんは不機嫌なんだ?)



 空川夕華という人間は喜怒哀楽をあまり激しく表現しない。特に人前では表情の変化に乏しくなり、学校ではクールな女教師で通っている。

 が、長年一緒にいるナツキは些細な顔つきの変化や声のトーンからそんな夕華の気持ちを読み取れる。もちろん夕華はナツキとナツキの姉のハルカの前では割と表情豊かになるから、というのもあるが。



「夕華さん、何か怒ってる?」


「いいえ。まったく怒ってないわ。夜遅くなっても帰って来なくて、夜中に病院から電話がかかってきて飛び起きて、ナツキが病院に搬送されたって聞いて人生で一番焦ったことなんて一つも怒ってないわ」


(うっ……ぐうの音も出んな…………)



 こういうときは謝り倒せばよいのだろうか。

 そういえば、テレビのバラエティ番組で男性芸能人がこんなことを言っていた。夫婦喧嘩をしたときは男性側が先に折れてとにかく謝れ、と。



「その節は、ええと……心配をかけてすいませんでした……」


「あら。私は怒っていないと言っているのだけれど、ナツキは何を謝っているの?」



 目が全然笑っていない。万策(というか謝るという一策)尽きたナツキはお手上げとばかりに口をつぐんだ。



「昔からナツキは誰かを助けるとき一生懸命だったわ。見ず知らずの人でも困ってたりイジメられてたりしたら、自分が怪我をするのも顧みないで手を伸ばしていた。私はナツキのそういうところが今でも大好きよ。それに結城くんのことは私も後押ししたのだし。だからそのために頑張ったナツキを責める気はないの」



 夕華は剥きかけのリンゴをバスケットに戻した。

 ベッド横のテーブルには果物やスポーツ飲料が置かれている。そのそばにはパンパンに膨らんだ鞄があり、タオルや着替えが顔を覗かせている。



「……ずっと家で待っていたのよ。ナツキなら友達を助けて元気に帰って来るって。信じて待ってたの」



 私が何て言ってほしいかわからない? とばかりに夕華はナツキの目をじっと見つめる。

 ナツキは観念したように、照れながら口を開いた。



「……た、ただいま」


「ええ。ナツキ、おかえりなさい」



 立ち上がった夕華は嬉しそうに微笑んでナツキを強く抱き締めた。

 ベッドで横になっているためナツキの頭の位置は当然身長よりも下だ。そのため抱き締められるとちょうど夕華の胸に顔をうずめることになる。



(息ができん……でも張りがあって柔らかくて良い香りが……クラクラする…………このまま窒息死をしても……………)



「黄昏くん! 大丈夫!?」



 バン! と扉が突然開かれた。

 ナツキを『黄昏くん』と呼ぶのは世界で一人である。

 

 抱き合うナツキと夕華の二人を見て、開け放たれた扉の前で固まる英雄。

 音のした方へ振り返った夕華。

 緩まった腕から抜け出し顔を覗かせたナツキ。

 

目が合って。時が止まる。



「あ……えっと、お邪魔しました……」


「ひ、英雄はこれはだな」


「結城くん、ちょっと待ちなさい!」



〇△〇△〇



「そうだったんだね。空川先生と黄昏くんが一緒に住んでたなんて」


「ああ。だが学校には内緒で頼む。俺に変な疑いをかけられる分には構わんが夕華さんに迷惑をかけるわけにはいかない」


「うん! もちろん。ボクからしたら黄昏くんだけじゃなくて空川先生も恩人だからね」



 部屋の椅子を持ってきて夕華の隣に座っている英雄。先日、イジメを解決してもらったときのことを思い出す。だから一見厳しそうな夕華が実は生徒想いの優しい教師であることをよく理解していた。恩を仇で返すまねはしない。



「結城くん、警察の方が少し話を聞きたいって言っていたけど……」


「はい。昨晩は一旦帰宅して、午前中は警察署で事件の調書作りのお手伝いをさせてもらいました。そういう先生はこれから学校ですか?」


「ええ。生徒たちは安全のために休校、全校閉鎖だったけれど教職員は会議が入っていたの。私も一晩ナツキに付き添って、お医者様が大丈夫だとおっしゃるの聞いてから帰宅したわ。ナツキの着替えも持ってこないといけなかったし」



 それを聞いて英雄はテーブルの上の膨らんだ鞄を見た。どれだけナツキのことを想っているのか、それだけで充分に伝わってくる。



「何はともあれ英雄の無事が一番だな。昨晩のことはほとんど覚えてないが……俺はお前をちゃんと見つけられたみたいでよかったよ」


「全部、ぜんぶぜんぶ黄昏くんのおかげだよ。ボクを止めてくれて、助けてくれて、友達でいてくれて、本当にありがとね」


「ククッ、当たり前のことをしただけだ。学校で一人だった俺は英雄に救われた。だったら対等な友人であるお前を救うのは道理だろう?」


「うん! そうだね」



 満面の笑みで頷く英雄につられるようにナツキも顔を綻ばせる。それを見て、表情にはほとんど出さないが初めて友達ができたナツキを想うと夕華も温かい気持ちなっていた。


 窓から吹き抜ける爽やかな風に乗って午後の陽気が病室を満たす。


 理由はわからないが、どことなく腹部に痛みがある気がする。しかしそんな些細なことを吹き飛ばすくらい大好きな人たちに囲まれるこの時間この空間が幸福で愛おしかった。


 ところで、英雄はナツキの黒と赤のオッドアイを見つめながらぼんやりと考えた。


(それにしても驚いたなぁ。黄昏くんもボクと同じ、いいや、ボクよりずっと強い能力者だったなんて)



 少なくとも現在、その赤い右眼がただのカラーコンタクトであることはナツキ本人はもちろん夕華も知っている。ナツキには昨晩の記憶は途中からほとんどなく、未だ能力の存在は把握していない。


 故に。ナツキとスピカの勘違いが重なり合った今回の騒動は、英雄の勘違いとともに締めくくられようとしていた。

 


「夕華さん、英雄の分も切ってもらっても構わないか?」


「ええ。もちろん」



 夕華は病室のキッチンにいくつか果物を持っていった。

 いつかナツキが友達を家に連れて来たときに料理を振る舞うのが夕華の夢のひとつだった。こまかいシチュエーションこそ違うが今こうしてナツキと英雄が仲良くしているのを見ているだけで嬉しい。



 勘違いがたくさんあった。だがしかし。この騒動に関わった人々は、ナツキも、スピカも、英雄も、夕華も、或いは敵対したグリーナーさえも、皆が皆、自身の大切な人のために真剣だった。

 だとすればそれは勘『違い』ではないのかもしれない。

 彼らの本気の想いに何一つとして間違いはなかったのだから。



 皿に盛りつけたフルーツを持って来たキッチンから戻った夕華。夕華さんも一緒に食べよう、とナツキが誘う。

 

 互いが互いを思いやる。きっとその関係性は何よりも尊いものだろう。

 誰もが他の誰かとそうした関係を築ければ、世界はもっと美しいものになるのかもしれない、ナツキはそんなことを考えながらパイナップルをひと切れ口に放り込むのだった。


 


いつも読んでいただいて本当にありがとうございます!

ここまでを区切りに第一章とさせていただきます。次回からは第二章となりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

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