第40話 中二病の好きな言葉は大体「(カタカナ)の(漢字)」
工場は崩れ、あたり一帯は開けた。ナツキは目の前の英雄と倒れて意識を失っているスピカの二人を視界に収めた。
叫びながら頭を振り乱す英雄から青白く輝く強烈な電撃が一筋、立ちすくむナツキを襲う。皮肉にも英雄はナツキが起き上がっていることに気が付けない。
電撃とは雷光、すなわち光速。人間が認知したときには既に人体を貫くのが道理。
その瞬間、ナツキの赤い両の瞳にぼんやりと薄い明かりが灯った。
「ラプラスの悪魔。俺はすべてを予測する」
ナツキはまるで散歩にでも出かけるように歩を進めた。電撃はナツキにかすり傷ひとつ付けない。電撃の方がナツキを避けて空間を通っているように見える。
正確には、どこに飛んで来るかという未来を視ているのだろう。事前にうっすらと身体を揺らすように動かしておくことで、ナツキの肌からほんの数ミリのところを雷が通過していく。
英雄の方へと歩きながら、ナツキは目を向けるまでもなく遠くで倒れているスピカにただ手を伸ばして呟いた。
「テセウスの船。意識がある時点のスピカに戻れ」
たちまち、スピカは意識が戻った。徐々に戻ってきたというよりも、さながら最初から意識など失っていなかったかのように。
スカートの砂をはらいながら起き上がったスピカの目に最初に飛び込んだのはついさっきまで戦っていたグリーナーだ。
戦闘面では貧弱な能力だが、情報のアドバンテージとテクノロジーを用いてスピカを追い詰めた白衣の狂人。常にうすら笑いを浮かべていて、『あのお方』に関すること以外は興味なさそうにしている、やせこけた男。
しかし今は、くぼんだ目を見開いて工場の方に目を向けていた。
グリーナーの『全知解析』はその場その空間その人物などあらゆるものの状態を知り内情を解析する。だからナツキのこともカラーコンタクトした一般人だと認識していた。勘違いしているスピカとは異なり、解析によってきちんと真実を看破できる。
だが、今グリーナーの目に映る人物はそんな無能力者ではない。『全知解析』という能力がとうとう不具合を起こしたと思った方がまだ自然だ。だからこそ正常に機能している自身の能力が示す結果に呆然自失した。
「そんな……そんな馬鹿な……非能力者が……能力者に…………一等級の能力者になるなど…………」
自身の『全知解析』という二等級の能力。長年積み重ねた研究。この二つでもってようやく到達した、非能力者の能力者化。十年かかった。簡単な道のりではなかった。
では目の前の現象は何だ。さっきまで非能力者だった男が、能力者に、それも『成果』よりも高位である一等級の能力者になっている。
「あら。あなたの能力でも解析できなかったのね。そうよ。アカツキは一等級。私よりもずっと強いんだから……!」
スピカがこう言ったのはグリーナーを馬鹿にするためではない。ナツキの無事を確認できたことの安心感のため。
スピカはナツキのことを最初から一等級の能力者だと勘違いしていた。だがナツキの相手は大切な友人だ。どれだけ大きな能力を持っていても、油断したり手加減したりすれば無事では済まないかもしれない。
だからスピカはナツキのことが心配で心配でたまらなかったのだ。或いは、何か特別な感情をナツキに対して抱いていたからか。
「オッカムの剃刀。スピカ、これを使え!」
突如として手の中に現れた短刀でナツキは自身の手首の動脈を深く切り裂き、血が噴き出す。
スピカはナツキの意図を理解した。血液は地面に落ちることなく、空中を流れて、離れたところにいるスピカの下へと集まっていく。血液は宙で赤いドラゴンのような形に変化し、スピカを囲むように蜷局を巻いていた。
「ええ! わかったわ! ありがとうアカツキ。これで私も全力モードよ……」
「そんな……あり得ん、我の研究を乗り越える事象などあり得んあり得んあり得んあり得んあり得んんんんん!!!!!!!」
錯乱したグリーナーはハンドガンでナツキに向かって乱射した。しかし銃弾は届かない。
スピカの周りの赤い血龍から、わずか数ミリリットルが圧縮されて発射され、銃弾を横から弾いたのだ。
グリーナーはスピカをキッと睨む。
「我は……我は我はあのお方の寵愛を受けるのだ! こんな無知で愚かな者たちに我のこの研究が、我の、我の、我のォォォォ!!!!」
グリーナーは手早くマガジンを取り換え、ハンドガンと催涙弾小銃をスピカに向けて闇雲に撃ち放つ。
乱射、乱射、乱射。薬莢の匂いがあたりに立ち込めるほど、あるだけ全ての弾を放った。
「無様ね」
スピカが一言こぼすと、赤い血龍は形を薄く延ばし、スピカの目の前に展開された。半透明で横長な長方形の真っ赤なバリアだ。
バリアは銃弾をひとつも逃さず弾いた。血は水よりも様々な物質が含有されている。赤血球、血小板、白血球、血漿。それらを水分の中で均等に分布させ、なおかつ水分自体をその場に固定する。結果的に凝固して出来上がるのは見た目以上に頑丈な赤壁。
カチ、カチ、カチ。引き金を引いても弾は出ない。グリーナーはいつまでも『我は……我は……』とブツブツ呟き続けている。
「美しいわね。アカツキ、あなたに相応しい赤よ。ふふ、私はあなたに血を分けてもらったことを光栄に思うわ」
スピカは両手の指を組んで拳銃の形にしグリーナーに向ける。今度はバリアが形を崩して、スピカの腕や指に巻き付くように血液が宙を流れる。
そして血液は銃を象った手の指先、銃口にあたる部分に集まり、バスケットボール大の球形になっていった。
「これでおしまいよ」
その一言が引き金となり、指先の赤い球から少量の血液が銃弾となって連射されグリーナーを襲う。
命までは取らない。聞きたいことは山ほどあるのだから。
赤い銃弾は両腕、両足の付け根に殺到し切り飛ばす。絶叫するグリーナーを抑え込むように、スピカが掌を向けてグーを作ると、グリーナーの両手足の断面の血液は一滴も漏れることなく止血された。
「殺しはしないわ。……それに、あなたの穢れた血がアカツキの血に混ざるなんて私が許さない」
そう言って、スピカは指先についた血液、ナツキの血液をペロリと舌を伸ばして舐め取った。
グリーナーは四肢を失い、地面に倒れた。不気味なのはそれでも独り言をやめないことだ。もはや彼にスピカのことなど見えてはいない。這い蹲って、顔だけをナツキの方へ向けている。
人生を懸けて取り組んでいた研究、父であるブラッケスト・ネバードーンへの最大にして唯一の愛情表現。グリーナーにとって何よりも大切なものが、ナツキというたった一人の少年によって否定された。これが、実験と研究のために狂いに狂い続け何人もの中学生を拉致監禁洗脳していた科学者の末路であった。
〇△〇△〇
「うわぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」
英雄はずっと苦しむように放電を続けている。金属の竜巻、渦が英雄の周囲を駆けまわり、雷は落ち続けていて、青白い電撃が光速で周囲のいたるところを感電させていた。
一歩一歩、ナツキは英雄へと近づいていく。
「……チャンドラセカールの限界。恒星の残骸は電子を失い、上限へと達する」
ナツキの赤い瞳の輝きとともに、まるで強風が薙ぎ払っていったかのように英雄の落雷が、磁気嵐が、放電が、一瞬にして消え去る。
再び、一歩一歩、ナツキは英雄と近づく。
「英雄、ごめんな」
両手で頭を押さえて全身で暴れる英雄を包み込むようにナツキは抱き締める。
女の子のように柔らかく華奢な身体。サラサラとした髪といちごの甘い香り。ギュッと抱くと英雄の温度が身体に伝わってくる。ナツキの肩に英雄の涙が伝った。
徐々に英雄は平静を取り戻し、ナツキの存在に気が付く。
「黄昏、くん、なの……?」
「ああ。俺だ」
「あぁ……あぁ……ごめんね、ボク……」
「いいんだ。俺こそすまない。英雄がそこまで悩んでいるとは思わなかった」
「それは……」
英雄自身、自分の口から吐いた言葉である以上は否定はできない。グリーナーにつけこまれたとはいえ劣等感のようなものを抱いていたのは事実なのだから。
ナツキは抱き締めていた英雄を一旦離し両肩を持って話し始めた。
「英雄にこれだけはわかっていてほしい。俺は英雄を弱いと思って守ってるんじゃない。俺が英雄に救われていたから俺も英雄を助けるんだ。英雄という初めての友達に……たった一人の友達に、救われたんだ」
「……ッ!」
「ククッ、俺はこんな性格だからな。学校にも地元にも友達はいなかった。だから英雄と過ごす時間で俺は心から救われた。……わかるか? 初めてできた対等な友達なんだ」
「対等な、友達……」
「ああ。英雄は言ってたよな、俺たちは対等な友達だって。俺は英雄を下に見ちゃいない。対等だからこそ俺は英雄を一生守ってやる。だから、英雄もこれから一生俺のことを救っていてくれないか?」
「ボクで、ボクなんかでホントに救われる……?」
「当然だ。だって、英雄は俺の大切な人だからな。一緒にいるだけで救われる」
「そ、そっか……。そうなんだ。うふふ、うん、わかった。ボク、結城英雄は黄昏暁くんと一生友達でいることを誓いますっ!」
英雄はぱっちりとした二重の青い瞳に涙をいっぱい浮かべながら、ナツキの赤い瞳をしっかり見つめて、くしゃりと笑った。そして英雄の方から少し背伸びしてナツキに抱き着く。そして耳元で小さな声で囁いた。
「……一生離さないからね」
「なっ……」
それを聞いて思わず赤面するナツキ。
いつもそうだ。男だと自分に言い聞かせても英雄に翻弄される。そのやり取りがいやに懐かしくて、懐かしさが英雄を取り戻したという事実への安心感を形成していく。
そしてそのまま、バタリと後ろに倒れてしまった。さっきまで浴びに浴び続けた電撃のせいで全身は痺れ、痙攣し、大火傷を負っている。致命傷だった腹の穴こそ塞がったが、そもそも今こうして動いていたことの方がおかしいのだ。
すぐそばにいた英雄だけでなく、グリーナーを倒し終えたスピカも走って駆け付けた。「黄昏くん!」「アカツキ!」と二人の声が重なる。
ナツキは今日何度目かの朦朧とする意識の中で、しかし満足感に浸っていた。英雄を助けることもできた。スピカも怪我一つない。大切な人たちとこれ以上ないほど幸福な結末を迎えることができた。
(ああ……良かった……)
幸せそうな笑顔を浮かべ、ナツキを意識を手放した。
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