第39話 シュレディンガーの猫
(向こうも終わったか)
グリーナーは工場内の状況、そしてナツキの身体状態を解析した。
科学に従事する者としてナツキが間違いなく絶命したことは自信をもって断言できる。心配が停止し、腹にボウリング大の風穴が開かれ、電流は全身の筋肉をドロドロに溶かし、血管は千切れながらも高圧電流で焦げた皮膚のせいで体外に出られない。生物学的に言って死亡。
「それでこそ我の『成果』だ」
所詮はただの一般人相手。だが、それでも英雄が見せたパフォーマンスは素晴らしいものだった。それを改めて確かめることができたとグリーナーは満足げにニヤつく。
客観的に電気の威力と持続性を評価する。これだけの出力ならば目の前で倒れているスピカはもちろん、自分を狙うより強力な兄弟たちにも太刀打ちできるかもしれない。
当初は非能力者を能力者にするという研究、それもただの能力者ではなく高位の能力者を生み出すことができるという触れ込みで父であるブラッケスト・ネバードーンへとアピールするつもりだった。そうすれば再び父の寵愛を得られると。
だが、『成果』のチカラは想像以上だった。この調子ならば、そんなまどろっこしいことをせずとも、他の兄弟たちの殲滅を目指してもよいかもしれない。
科学と歩んだ人生だったからこそ電気を操る能力がどれほどこの自然界において絶大なのかは生み出した彼自身が一番よく知っている。
グリーナーが今後の明るい展望を思い描き、満月を見上げながら声高らかに笑っていた。
〇△〇△〇
『はあ、死んじゃったか』
何もない真白の空間で一人の少年がつまらなさそうに呟いた。
『僕はいつもそうだな。志や思いやりは立派なものだけどチカラが追い付かない』
少年がしゃがむと、そこには腹に大きく穴の開いたナツキが眠ったまま倒れていた。
『僕はいつだってここから僕を見ているよ』
横になっているナツキの頭を後ろから見下ろす。
『うん、死んだのは残念だけど。でも僕もかなり頑張ったみたいだし、今回だけは特別に僕が手を貸そう』
少年はナツキの頭をがっしりと掴み、二本の親指をナツキの閉じられた両眼にずぶずぶと沈めていった。
眼窩から血が零れ落ちる。止めどなく血が溢れる。
この真白の空間に上下左右を判別するメルクマールはない。だが、もしもナツキが眠っている場所を床だと定義するならば、その血液は床いっぱいに広がっていった。
血の赤が空間を滲むようにどんどん蝕んでいった。白い空間を真紅に染め上げる。白い部分を一切残さずべったりと塗りたくったように真赤な空間へと変貌した。
そして何もないその空間は大きな光に包まれ、少年とナツキの二人も飲み込まれていく。
──僕は僕なんだろ。だったら最期までかっこつけてみせろよ──
〇△〇△〇
雷は止んだ。
自身の起こした落雷で穴だらけになった天井から差す月明かりに照らされた英雄は工場の中で一人涙を流している。
依然、小さな電撃が英雄の周囲で弾けていた。すすり泣く声と電気音だけが響く。
そして電撃を浴びて帯電しているナツキの焦げた遺体からも時折バチッ、バチッと微弱な電気が放出されている。ナツキを殺めたのは間違いなく自分であるという目の前の現実に英雄は押しつぶされる。
「あ……あぁ……グスッ……黄昏、くん…………」
ナツキの手を握った。すっかり冷たくなっている。生者のそれではない。ファミレスでナツキの手を初めて握ったときの緊張とぬくもりが思い出され、そのときとの温度の差が残酷な現実を英雄に突きつける。ボロボロと滂沱の涙があふれ始めた。
たしかに能力は暴走していた。しかしこんな能力を得たのも英雄自身の欲求だ。だから、まぎれもなく自業自得。
そう思えば思うほど英雄は自責の念に襲われた。ボクのせいだボクのせいだボクのせいだ。自虐的な思考が加虐性へと変換されていってしまう。
立ち上がり、たたらを踏みながらナツキから遠のいた。
「う……うわぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!!!」
英雄が頭を抱えながら叫ぶと、今までにないほど苛烈な電撃が全身から迸った。青白く発光しながら四方八方に電撃を撃ち放つ。磁力が暴走し、磁気嵐の中で工場機械や工具が竜巻のように舞い上がった。
英雄の自虐性に対して、しかし彼の能力はその加虐性を外部へと発散しようとする。罪の意識と後悔、怒り、哀しみ、それらが昂って自身を責めれば責めるほどに放出する電撃の電圧と電流は高まっていく。
再び落雷が降り注ぐ。工場は半壊し、壁や天井も崩落してもはや屋外との区別もつかない。
騒音、轟音、雷音。
英雄の哀哭がまるで世界に現出されたかのように。
グリーナーはその激烈な『成果』の姿を見てますます興奮している。狂った笑いが止まらない。
「カハハハハハハッッ!! そうだ! 我にもっと見せてくれ! これこそが我の、我の、我の我の成果だァァァァァァ!!!!」
降り止まない雷を全身で浴びるように両腕を拡げて天を仰ぎ絶叫するグリーナー。
彼は英雄の心理状態も『解析』しながら嬉しそうに笑っている。
「狂え、狂え、さらに狂え! 我の研究は最高! 至高! お父様、見ておりますかッ!? これこそ我の我の我のォォォォ!!!!」
〇△〇△〇
そして。
その兆候は実にシンプルなものだった。
ピクリ。指が動く。続いて肘が動く。腕が動く。
目が、開く。
腕を支えにして起き上がる。
制御を失って能力が暴走する英雄を見つめる。
そのナツキの眼は赤かった。片眼ではない。
ナツキは赤い両眼でしっかりと英雄を見据えているのだった。
絶命していたはずのナツキが静かに立ち上がる。
風穴が開いていた腹は、時間が巻き戻るように塞がっていった。
「シュレディンガーの猫。俺の死は確定しない」